500話:最悪の選択
「破ァァッ!!」
夜闇を切り裂く黒い斬撃。
少女らしからぬ雄々しい声で叫び、《黒銀の王》がその剣を振り下ろした。
俺と戦った時と比べても、その威力は全く衰えていない。
ただの一刀で、世界蛇の巨体が激しく揺らいだ。
『死に損ないが――――ッ!!』
「それはそっちも同じだろうがよ!!」
《黒銀の王》に対し、《造物主》は破壊の力を解き放つ。
その余波を避けて飛ぶボレアスの上で、こっちも大きく叫び返した。
ついでに剣を打ち込み、星の如き鱗を裂く。
一枚を切断したら、また一枚。
相手の意識は、こちらの数が増えた分だけ散っている。
その隙を突く形で、敢えて攻め手を強くした。
俺に合わせて、アウローラとボレアスも。
『ガアアァァ――――ッ!!』
「穿て!!」
同時に《
《竜体》であるボレアスは開いた顎から、アウローラは指先から。
それぞれ炎熱と極光を放ち、世界蛇の身体を削り取る。
ダメージは確実に積み重なっていく。
「さて、いよいよ総力戦だな」
『いやもう帰って寝たいんですけどマジで!!』
「アンタはそこで浮かんでるだけで良いから、我慢して!」
ねこの嘆きを、ブリーデは強い言葉で封殺した。
ウィリアムとその近くに並ぶ白鱗の騎士たち。
無数の矢に月の光を宿す斬撃、それらが雨のように《造物主》を叩く。
一つ一つのダメージは小さい。
が、数が集中すれば確実に与える傷は大きくなる。
「ふんッ!!」
叩き込まれる拳。
鋼の一撃が、既に刻まれた傷を派手に広げた。
赤い甲冑を纏った大男。
大真竜ウラノスは、とんでもないパワーで蛇の巨体をブン殴っていた。
そこにもう一人、加わる影があった。
テレサだ。
イーリスの方は大丈夫と判断したか、彼女も最前線での白兵戦に挑む。
「無理はするなよ!」
「レックス殿こそ!」
笑う声に、こちらは軽く手を上げて応じた。
何もない虚空を蹴って、神である少女が宙を舞う。
空間を超える拳が、蹴りが。
ウラノスにも匹敵する威力で、激しく世界蛇を打ち据える。
その様を見て、赤い戦士も笑った。
「やはり見事な腕だな!」
「まだ貴方には及ばないが、微力は尽くさせて貰おう!」
拳。拳。拳。
蹴りに拳、更に《分解》の魔法。
ただの二人が、生身で暴れているだけ。
たったそれだけだが、引き起こされる破壊は凄まじいの一言だ。
こちらも負けじと、更に竜殺しの剣を振るいまくる。
切り裂いて、切り裂いて、更に切り裂く。
《造物主》は無茶苦茶に暴れてるようだが、先程よりも恐ろしくはない。
何せこっちは味方がいるんだ。
「砕け散れ――――っ!!」
「嵐よ――――!!」
黒い雷が大気を焼く。
それに加えて、圧縮された嵐の鉄槌が降り注ぐ。
イシュタルとヘカーティア。
二人の大真竜の合体攻撃。
かなり距離があるにも関わらず、装甲の上から痺れる感覚が襲ってくる。
《造物主》の力を押し退け、雷撃の槍が突き刺さる。
輝く花が幾つも散り、同じだけ《造物主》の鱗が穿たれた。
「流石は大真竜だなぁ……!」
改めて見てもとんでもない。
ただの一柱でも脅威だったのが、なにせ今は勢揃いだ。
《造物主》の力も天変地異そのものだが、大真竜たちも引けを取らない。
その上、彼らは単純な破壊力だけが強みじゃなかった。
『――よくもまぁ、これだけの無茶を一人でやってのけたものだ』
静かに語る老賢人。
オーティヌスは今、イーリスの傍――つまり、ヤルダバオトの上にいた。
呆れの含んだ言葉に対して、イーリスは不満げに唸る。
「やるしかねェからやっただけだし。
そもそも、こっちは押し付けられて迷惑してんだからな」
『それに関しては罪に思う。
――老いぼれの身だが、今一時は力となろう』
数多の呪文式が、魔法使いの周囲に浮かび上がる。
それがどんな魔術なのかは、俺の目ではサッパリ分からない。
ただ、極めて高度な術式である事だけは確実だった。
強い魔力を帯びた魔術は、まるで鎖のようにヤルダバオトに絡みつく。
縛り付け――同時に、《均衡の竜王》に力を与えているようだ。
「今さらやれんのかよ、爺さん!」
『なに、まだまだ若い者には遅れは取らんよ……!!』
《均衡の竜王》、ヤルダバオトの正十字が強烈に輝いた。
イーリスの力に加えて、更にオーティヌスの魔力と術式による強化が施されて。
先の神殿での戦いと同等――いや、それ以上の。
『父よ、均衡を失った貴方は見るに堪えない。
よって――排除します』
光が瞬く。
闇を裂き、万物を打ち砕く破壊の光が。
不均衡を許さない正十字、ヤルダバオトの《
《天墜》と呼ばれる一撃が世界蛇を貫いた。
天地を揺さぶる衝撃。
これまでで一番の損傷が《造物主》の巨体に刻みつけられる。
『ッ――――――――――!!』
絶叫。
刻みつけられた傷。
それは世界蛇の総体に対して、まだ微々たるモノのはずだ。
けれど、それが傷である事に違いはない。
《造物主》は初めて、受けた苦痛を声として吐き出した。
言葉として認識できない、それは獣の咆哮に近い。
悶える巨体が生み出す破壊の波を、ボレアスは器用に飛んで掻い潜る。
『ハハハハ、父君も大分苦しそうではないか……!!』
『――そうだけど、油断はしないでね!』
追いついて並走する水の竜。
マレウスはヘカーティアが呼んだ嵐を利用し、莫大な水を纏っていた。
それらを攻撃ではなく、壁として使って《造物主》の破壊を妨げている。
今も、自身を盾にする形でこっちの回避を手助けしてくれていた。
「貴女こそ、無茶するんじゃないわよ! 大して強くないんだから!」
『ふふ、心配してくれてありがとう。姉さん』
「別に心配は――いえ、してる。してるから。
だから本当に気をつけなさいよ……!」
『ええ、分かってる……っ!』
気遣うアウローラの言葉に、マレウスは微笑んだ。
まぁ、竜の表情だと微妙に分かりづらいが。
『さて、一応順調か?』
「あぁ、気は抜けないけどな!」
夜空を切り裂くように飛び、《吐息》を放つボレアス。
その声に応じながら、俺もひたすらに剣を振るい続けていた。
飛翔する竜の翼は、巨大な世界蛇のスレスレを抜ける。
掠める瞬間、刃が大きく閃く。
鱗を深く裂いて、その下にある血肉にまで切っ先を届かせた。
まぁ、それがまともな生き物と同じかは甚だ疑問だが。
兎も角、手応えはあった。
「さぁ、休む暇は与えんぞ《造物主》!」
『ッ――――この、痴愚どもがァ……!!』
《黒銀の王》も絶好調だ。
三頭首の竜を駆り、世界蛇の頭の辺りを飛び回る。
そして黒い斬撃を叩き込んで、相手の注意を強く自分の方に引き付けていた。
怒りを煽られ、《造物主》はまんまとその狙いに嵌っているようだ。
おかげでこっちは安全に――とは、流石に言い過ぎだが。
少なくとも、受ける攻撃の密度はかなりマシな方だ。
――順調だ、間違いなく。
気は抜けないが、概ねボレアスの言う通り。
《盟約》の大真竜という猛者たちを含めて、こっちの戦力はかなりのもの。
圧してるは言い過ぎでも、決して遠いワケじゃない。
相手の強大さを思えば、これは奇跡に近い戦況だった。
『ぎ……ッ、が、ァ……!!』
苦痛に喘ぐ声。
それは間違いなく、世界蛇から響いてくる。
《造物主》は少しずつ、だが確実に追い詰められつつあった。
「おおおぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
轟くのは、大真竜ウラノスの咆哮。
気が付けば、赤い甲冑の周りにはテレサ以外の影があった。
見知った顔が一つ――魔剣士ドロシアだ。
彼女を含めた精鋭の戦士たちが、ウラノスと共に《造物主》の鱗を削っていた。
そこにテレサの攻勢も加わり、得られる戦果は目覚ましい。
「これなら……!!」
「おっと、油断するのは早いと思うよ。テレサ。
相手が相手だからね、次の瞬間には何をしでかすやら」
笑うのはドロシア。
この状況を心底楽しんでいる様子だが、声には刃に似た緊張が含まれている。
恐らく、彼女も感じているんだろう。
いや、ドロシアだけじゃない。
俺を含めてこの場にいる者の何人かは、似た感覚を共有していた。
それは、嵐の前の静けさに近い――。
『――――――ガアアァアアアアアアアアアアァアアッ!!』
「っ……!」
ここまで感じた中で、一番の衝撃だった。
馬鹿でかい嵐がいきなり現れて、その直後に破裂したような。
あまりに激しい振動を受け、危うく吹き飛ばされかけた。
幸い、アウローラが引っ張ってくれたので何とか助かったが。
「レックス、大丈夫……!?」
「あぁ、おかげでどうにかな……!」
無理やり笑って、アウローラの小柄な身体を抱き締めた。
縋ってると言った方が正確かもしれない。
ただ、そうでもしないと耐え切れないぐらいの力だった。
一体何が――?
『ッ……何、アレは……!?』
狼狽えるのは、すぐ傍を飛んでいたマレウスだ。
彼女もさっきの衝撃をモロに浴びて、かなりボロボロの様子だ。
それでも、マレウスは自身の負傷など気にしていない。
その両眼は、先ほどの衝撃の発生点を凝視しているようだった。
俺とアウローラ、それにボレアス。
他の者たちも全員、同じモノに目を向けた。
それは――。
「……黒い、穴……?」
呆然と。
信じられないといった様子で、アウローラが呟いた。
概ね、彼女が言葉にした通り。
俺たちが見ているモノは、そうとしか表現しようのない「何か」だった。
真っ黒い、巨大な穴。
ほんの一瞬前までは、見上げるほどの世界蛇がいたはずだ。
その巨体は、今は影も形も存在しない。
しかし蛇がとぐろを巻くみたいに、その黒い穴は確かに渦巻いていた。
ワケが分からない。
《造物主》の奴は、今度は何をやらかしたのか。
「……万一にはあり得るかと、恐れていた事態になりましたか」
「分かるのか?」
翼を広げる三頭竜。
大真竜ゲマトリアに跨る、《黒銀の王》オイフェ。
黒い剣を片手に構えたままで、彼女は難しい顔をしていた。
どうやら、この事態について理解しているらしい。
……多分、この時点でアウローラも、何となく察してるようだった。
俺の問いかけに、《黒銀の王》は小さく頷いた。
「《造物主》――あの愚かな悪神は、また同じことを繰り返すつもりだ」
「同じこと?」
「……やっぱり、また自殺する気なのね。あの人」
苦々しげに、アウローラはその事実を口にする。
自殺。
遠い遠い昔にも、《造物主》は自らで命を絶ったはずだ。
けど、いや、まさか――この期に及んで?
微妙に戸惑ったが、それで向こうが死ぬ気なら話は終わりのはずだ。
だが、オイフェやアウローラの表情が、事態の深刻さを暗に物語っていた。
《造物主》の自殺。
どうやら話は、それだけでは済まないらしい。
「無理心中よ」
「……なんだって?」
「父はまた、自分で自分を殺そうとしている。
けど、今回は単純に《造物主》だけが死んで終わりじゃないわ。
今もまだ、父は多くの魂を呑み込んでる。
それらを燃料にした上で、より多くを巻き添えにする気よ。
……下手をすれば、この星ごと何もかもを砕いて終わらせるつもりでしょうね」
およそ考えられる限りの、最悪の選択。
アウローラの語るそれが真実である事を示すように。
《造物主》であったはずの黒い穴は、不吉な音を重く響かせていた。
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