499話:集う者たち


 繰り返すが、それはねこだった。

 ただでさえ曖昧だった遠近感が、更に拍車をかけて狂うサイズの。

 柔かそうな長い毛を揺らし、でっかいねこが空を飛ぶ。

 そんなファンシーな光景に対して、アウローラは大きく叫んだ。


「ちょっと!! お前まさか、ヴリトラなのっ?」

『はい』

「はいじゃなくって!! その格好は一体なに!?」

『《竜体》になろうとしたら、元々の形が思い出せず……』

「身も心もねこになってるんじゃないわよっ!?

 竜としての誇りとかはどうしたのよお前!!」

『そんなもんは最初っから持ち合わせて無いんで……!!』


 うーん、堂々と言ったなぁ。

 とりあえず、キレ気味のアウローラの頭を撫でておく。

 一応宥めることはできたようで、落ち着くために深呼吸を数度。

 そうしてる間に、俺は空飛ぶねこを見上げる。

 ――より正確に言うなら、ねこの上に乗っている相手を。


「わざわざ、寝てるヴリトラを引っ張り出したのか?」

「あぁ、『外』に出るなら足場は必要だと思ったからな」


 いつもと変わらない、余裕に満ちた男の声。

 月の光を宿す大剣を手にした、最早見慣れた森人の戦士。

 ウィリアムの奴もまた、俺の方を見ていた。


「どうやら間に合ったようだな」

「ちょっと予想していたより遅かったけどな」

「不服か?」

「いや、マジで助かるわ」


 笑う。

 決して好ましい相手じゃないし、何なら完全に腐れ縁の仲だ。

 信用も信頼もできないが――こういう時は、心底頼りになる奴だ。

 駆けつけてくれたのは、本当にありがたい。


『何をゴチャゴチャと言っている――!!』


 空間を揺るがす咆哮。

 《造物主》の怒りが、物理的な破壊力を伴って撒き散らされる。

 相変わらず、ロクに狙いも付けていない攻撃。

 それでも、まともに喰らえばタダでは済まない。

 渦巻く破壊の波濤を、こちらはアウローラの魔法とボレアスの鱗で凌ぐ。

 ヤルダバオトの方も、正十字の光とテレサの《光輪》が弾いていた。

 そして、ねこはというと。


「お願い、『みんな』……!!」


 祈るように、白い鍛冶師の娘が叫んだ。

 応えて立ち上がるのは、蒼白い炎を纏う騎士。

 白い蛇――ブリーデの鱗である、死せる英雄たち。

 彼らは力強く、各々が手にした武器を構えた。

 神匠とも讃えられた、最高の鍛冶師が鍛え上げた伝説に等しい武具。

 それは英雄たちの技量と合わせ、奇跡も同然の結果をもたらす。

 世界蛇が放つ怒りの大波。

 それを正面から迎撃し、完全に弾き返したのだ。

 その中には、月の刃を構えるウィリアムの姿もあった。


「ふん、流石に腹を括っただけはあるな。

 いつもより調子も良さそうだ」

「余計なことは言わなくていいから……!!」


 若干肩で息はしてるが、ブリーデは元気そうだった。

 その視線が、一瞬だけこちらを向く。

 俺――ではなく、俺の傍らにいる一人を。

 見ただけで、向こうは直ぐに顔を逸してしまったが。

 それに対して、アウローラの方は何とも困った様子で笑っていた。


「何か言っておかなくて大丈夫か?」

「ありがとう、レックス。

 けど、良いわ。

 ……弱いなら、理想世界に浸ってたらいいのにとか。

 今さら父と相対するのも、恐ろしくて堪らないはずだとか。

 そんなの、今言っても仕方ないでしょ?」

「言いたい事が色々あるってのは、良く分かったよ」


 大半が文句に聞こえるのは、愛情の裏返しと思っておこう。

 俺の反応に、アウローラは笑みを深める。


「それに、後の楽しみができたわ。

 これが片付いたら、あのお馬鹿なナメクジをいっぱい可愛がってあげないと」

『程々にせんと、また切り刻まれるぞ長子殿』

「アレはできれば二度は止めて欲しいな、ウン」


 今思い出しても、あの姉妹喧嘩は割と肝が冷えるんだよなぁ。

 と、和やかに思い出話をしてる場合でもない。

 雑にぶち撒けた攻撃も、結局大した成果は得られなかった。

 その事実を前に、《造物主》はますます狂った激情を昂ぶらせる。


『また不完全なゴミが増えて、私の邪魔をする気か!?

 何の意味も価値もない分際で……!!』

『おーおー、我らが愚かな父君は完全にブチギレてるな』

『今の貴方とは違い、あるべき均衡を見失ってしまっている。

 我らの父ながら、本当に哀れな事です』


 完璧な均衡認定を受けたねこヴリトラは、微妙に複雑そうな声で鳴いた。

 やっぱり基準が分からんが、きっと考えても仕方ない事だ。

 

『塵埃どもが――――!!』


 尽きる事のない世界蛇の憤怒。

 援軍など知らぬとばかりに、圧倒的な力を無茶苦茶に振り回してくる。

 まぁ、それだけでもかなりキツいが……!


『無意味だ、無意味だ無価値だ無駄に過ぎる!!

 私の手を煩わせるな、消え失せろ!!

 何故、そんな簡単なことも理解できんのだ、屑どもが……!!』

「……ホントに嫌な話だけど。

 大昔と何も変わらないみたいで、少しだけ安心したわ。父上」


 父と、そう呼んだのはブリーデだった。

 怒り狂う《造物主》とは異なり、彼女は激情を抱いてはいないようだ。

 あるのは、悲しみだけ。

 それがどんな種類のモノかまでは、俺には分からなかったが。

 悲しみながらも、ブリーデは戦う意志を示していた。

 自らの父である《造物主》に。


「ふん。父であろうと、気に入らないなら逆らえば良い。

 親への反抗は子の特権だろう」

「実の娘に矢で射られた男が言うと重いなぁ」

「昔の話だ」


 いやそんな昔の話じゃないと思いますけどね?

 ツッコミたいが、どうせスルーするしなこの糞エルフは。

 どうあれ、ブリーデの覚悟は強い。

 ウィリアムの言葉に頷いて、真っ直ぐに《造物主》を睨んでいた。


「それと、貴方は致命的な勘違いしてる。

 全能には届かず、全知にはほど遠い我らの父よ。

 ――この場に参じたのが、私たちだけのはずが無いでしょう?」

『ッ――――!?』


 語るブリーデの声。

 それと合わせたように、強烈な一撃が世界蛇を叩く。

 黒い斬撃だった。

 《摂理》を焼く黒い炎には、当然見覚えがある。

 これだけの威力なら間違いない。


「オイフェか!」

「ええ、竜殺しよ。

 少々遅くなってしまった事はお詫びします」


 《黒銀の王》オイフェ。

 彼女は黒い剣を掲げて、一頭の竜の上に佇んでいた。

 三本首の竜もまた、見知った相手だ。


『ねぇホントに!? マジであんなデカブツと戦うんですか!?』

「そうですよ、ゲマトリア。

 ここまで来たのですから、腹を括りなさい」

『勿論、そこは最初っから覚悟決めてますけどねぇ!!』


 うーん、楽しそうで何より。

 やって来たのは彼女たちだけじゃない。

 空間を満たす《造物主》の怒り。

 それを押し退けるように、強い存在感が次々と現れる。


『――永らく、この大地を蝕み続けて来た呪い。

 それも、終わりにする時が来たか。

 少し前ならば、とても考えられぬ事だ』


 法衣ローブを纏った髑髏の魔法使い。

 《始祖》の王オーティヌス。

 今はヤルダバオトもおらず、大真竜ではないはずだ。

 しかしそんな事とは無関係に、総身には凄まじい魔力が漲っている。


「醜態を晒してしまったが、挽回する機会に恵まれた事を喜びましょう。

 此度の戦いには、必ず勝利を」


 オーティヌスに並ぶ形で、赤い甲冑の大男が拳を握り締める。

 あっちは確か、俺は未遭遇のはずだ。

 立ち位置からして、大真竜である事は間違いないだろう。


「ウラノス、気負い過ぎてミスするのだけは止めて頂戴よ。

 《造物主》を滅ぼす、これが大一番なのだから」

「分かっているとも。

 忠告に感謝しよう、イシュタル」


 大男――ウラノスは、軽く笑いながら応える。

 その相手もまた大真竜。

 幼い少女ではなく、大人の姿を取り戻したイシュタルだ。

 彼女は仲間に言葉を掛けた直後、視線を別の方に向けた。

 ヤルダバオトの上にいる二人――イーリスとテレサだ。

 手を振る姉妹を見て、ため息を一つ。


「馬鹿な人間ね、こんなところまで出てくるなんて。

 そこまで命が惜しくないの?」

「――彼らも、覚悟の上で来てるさ。

 僕らと同じくね」


 そして、また一人。

 動きやすい男装の少女も、良く知った相手だ。

 かつての大真竜、ヘカーティア。

 《嵐の王》と呼ばれた《五大》の一柱も、理想世界からこの戦場に降り立った。

 こっちもこっちでイーリスに手を振ってるし、地味に大人気だな。


「……貴女こそ、夢に浸っていたい身分じゃないの?」

「否定はしないさ。

 けど、そうしなかったから僕らは此処にいるんだ」

『ヘカーティアの言う通り。

 理想世界は悪でなくとも、彼の者は邪悪なる神。

 この好機、逃すワケにはいかん』


 重々しく響くオーティヌスの声。

 ゲマトリアの《竜体》に跨がる《黒銀の王》オイフェも、その言葉に頷く。


「我ら《大竜盟約》の礎たる大真竜。

 悪なる神、その残骸を滅ぼすための戦に、持てる力の全てを使いましょう。

 異論はありませんね、竜殺し」

「感謝なら幾らでもしたい気分だな」


 笑う。

 これまで死ぬほど戦った連中だが、味方ならこれ以上頼れる相手もいない。

 更にもう一頭、水を従える竜がねこの近くに浮かび上がる。


「マレウス!!」

『ごめんなさい、姉さん。

 私もちょっとだけ遅れてしまったわ』


 アウローラに名を呼ばれ、水竜――マレウスは、小さく笑いながら応えた。


「別に、無理をして来る必要はなかったわよ?」

『私は来たいから来たの。

 それと、これでも《盟約》の人たちが集まるのを手伝ったりしたんだから。

 褒めてくれても良いのよ?』

『そして流れで捕まったのが俺です』


 うん、ねこは運が悪かったね。

 それはともかく。

 恐らく、これで舞台に上がる役者は大体出揃ったはずだ。

 絶望的だった格差は、確実に埋まりつあった。

 そのことを、《造物主》の方も感じ取ったのだろう。

 苛立ちを抑えきれない様子で、ギシギシと歯を軋ませた。


『――

「…………」


 その言葉が、誰を指しているのか。

 考える意味はなかった。

 《造物主》にとって、自分以外の何もかもが同じだろうから。


『戯事は終わりだ、塵も残さぬ。

 何匹集まろうと、全て我が怒りにひれ伏し、消え去るのみ。

 それが定められた、お前たちの結末だ!!』

「いやいや、こっからが本番だろ」


 笑う。

 笑って剣を握り、構える。

 そうだ、やっと舞台に必要な役者が揃ったんだ。

 本番は――戦いは、ここからだ。


「来てくれた援軍も大概ヤバい戦力だけど、負けずにがんばらないとな」

「そこは張り合うところ?」

『ハハハハ、意外と負けずぎらいであるからな、この男は』


 言葉を交わしながら、ボレアスは一際高く飛翔する。

 合わせて、他の皆も。

 飛び交う邪魔者たちを見上げ、《造物主》は怒りのままに吠え猛る。

 世界蛇の咆哮が轟く中で、改めて決戦が始まった。


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