427話:彼女の運命


 そして、鋼鉄は腐り落ちる。

 ゴーヴァンは、それをただ見ている他なかった。

 自らの主――いや、主だったモノの変化。

 気配が完全に塗り替わってしまった事に、騎士は気付いていた。


「《主星》よ……!」


 拳を刃で受け流し、必死に呼びかける。

 《竜体》である装甲に覆われ、表情は見えない。

 しかし、声は返ってきた。


『――


 それは、笑う女の声だった。

 ウラノスの身体でなく、纏う装甲の方から響く言葉。

 もう疑う余地は皆無。

 古き《五大》の一柱、《支配の宝冠》メトシェラ。

 かつてウラノスが討ち取り、その身に封じたはずの竜の王。

 今は逆に、メトシェラがウラノスを支配していた。


『我が英雄は、完全に私の手のひらの中。

 彼はもう私のモノ。

 どんな声も、闇の底には届かない。

 残念でしたね、見知らぬお方』

「っ……貴様……!」


 嘲る声に、ゴーヴァンは激しく憤る。

 振るう剣を加速させ、刀身には魂の力たる蒼い炎を上乗せする。

 《最強最古》の化身すらも、一瞬で屠り去った《剣聖》の技。

 だがそれを、無双の鉄腕があっさりと弾き落とした。

 その技巧の極致とも呼ぶべき技の冴え。

 それは間違いなく、ウラノスの動きそのものだった。

 驚愕に震えるゴーヴァンに、メトシェラは笑う。


『言ったでしょう? 彼はもう、私のモノだと。

 彼の全て、技の一つ一つに至るまで。

 何もかもを掌握し、支配するのが私の力だ。

 当然、この程度の芸当はできますよ』

「この……っ!」


 どこまで、あの方の生き様を愚弄するのか。

 ゴーヴァンは怒り狂うが、メトシェラはどこ吹く風だ。

 まるで玩具か何かのように、《支配》の女はウラノスという男で戯れていた。

 ようやく、ようやく手にする事ができた。

 キラキラと輝く宝石を、誰かに自慢するみたいに。

 メトシェラは、ウラノスが生涯かけて編み出した技を自在に操ってみせる。

 それに抗う術を、ゴーヴァンは持ち合わせてはいなかった。


「くっ……!?」


 甲冑など、気休めにしかならない。

 ウラノスの拳はこの世で最も強い武具だ。

 千年という時間、数多の戦の中で鍛え上げられた至高の鋼。

 掠っただけで、魔法が施された装甲があっさりと砕かれてしまう。

 剣にしてもそうだ。

 正面からはぶつからぬよう、受け流す形で拳を防いでいるが。

 それでも僅かに触れただけで、刀身はガリガリと削られていく。

 技量の面だけなら、ゴーヴァンは決してウラノスにも負けてはいない。

 しかし、ウラノスが有する存在の質量。

 小石と巨岩にも等しいその格差は、あまりに絶望的だった。

 戦っているだけで、ゴーヴァンの方は削り取られて消耗していく。


『素晴らしいな。

 彼を相手に戦いが成立するなんて。

 きっと、貴方もさぞ名のある戦士なのでしょうね』


 賞賛の言葉に偽りはない。

 最高の英雄であり、最強の戦士たる《鋼の男》。

 その力と技を使って、すぐに仕留められない。

 メトシェラは、ゴーヴァンの奮戦を心の底から称えていた。


『――まぁ、結局は無意味な抵抗ではありますが』


 称えて、けれど《支配》の女は言葉を嘲笑で結ぶ。

 無意味で、無価値で、無駄な行為だと。

 誰もこの英雄には勝てない。

 誰もこの鋼の前には屈するしかない。

 《支配》の嘲りに、ゴーヴァンは何も応えない。

 応える余裕もなかった。

 せめて、他の《魔星》たちがいてくれたならば……。


「遊びが過ぎるぞ、メトシェラ」

『おや』


 かけられた言葉に、メトシェラは意外そうな声を漏らす。

 ウラノスの肉体を操ったまま、意識だけをそちらの方へと向けた。

 《最強最古》。

 《竜体》は維持したまま、夜の上から全てを睥睨へいげいする絶対者。

 竜の長子たる彼女に、メトシェラは気配だけで微笑んでみせた。


『御機嫌よう、長兄殿。

 あぁ、先ずはお礼を述べるべきでしたか?』

「不要だ、《支配》の女。

 私は単に、都合が良いからお前を解放したに過ぎない」

『それでも、感謝はしているんですよ?

 貴女のおかげで、私はようやく夢を叶える事ができたのですから』

「結構なことだ」


 若干、胸の奥から湧き上がる苛立ち。

 《最強最古》は、それの正体を掴みかねていた。

 とりあえず、それを表に出しても仕方がない。

 悟られぬように、彼女はその感情を己の内に沈めた。

 常の支配者としての顔を維持し、改めてメトシェラを見る。


「お前の礼などどうでも良い。

 その上で、私が何を望むかお前は分かっているか?」

『自分に従えと、そんなところでしょう?』

「そうだ。竜の長子たる私に従うか、《支配の宝冠》」


 返ってきたのは、ほんの少しの沈黙。

 儚く抵抗を続けるゴーヴァンを、ウラノスの拳で淡々と追い詰めながら。

 メトシェラは、静かな声でこう応えた。


『断る――と、言いたいのが本音ではあるかな』

「では?」

『従いましょう、《最強最古》。

 本来なら、《支配》を司る私は貴女に反発するべきでしょうが。

 私はもう、私が欲するモノを手に入れてしまった。

 コレ一つさえあれば、この世の全てがどうでもよくなるぐらいに。

 我が英雄を、私の《支配》の虜にしていられるのなら。

 ええ、幾らでも貴女に従いましょう』


 それでよろしいか、長兄殿?

 笑みと共に語るメトシェラに、《最強最古》は小さく頷いた。

 微妙に癇に障るが、《支配の宝冠》の言葉に虚偽はない。

 本心から、彼女はウラノスの事以外はどうでも良いと思っている。

 信用も信頼もできぬ相手だが、それが事実ならば問題あるまい。

 内なる苛立ちをまた自覚しつつ、《最強最古》はそう結論づけた。

 ――《黒》の情報が正しければ、残る大真竜は二柱。

 ウラノス、いやメトシェラを手駒に加えた事で、戦力差は変動した。

 仲間の一人を失った事で、向こうがどう出るかはまだ不明だが。


「どうあれ、踏み潰せば同じ事か」


 呟く。

 《盟約》を踏み砕き、封じられた愚かな父の残骸を回収する。

 そうすれば、この世で並ぶ者のない究極の存在へと至ることができる。

 かつて旧世界を蹂躙し、《巨人》や古竜などの種を創造した真なる超越者。

 ――《造物主》の御名は、今度は私のモノとなる。

 《最強最古》は笑っていた。

 その力を手にすれば、恐れるものなど何もない。

 あらゆる望みを叶えられる。

 あらゆる、望みも。


「……っ」

『? 長兄殿?』


 ズキリと、頭蓋の奥が痛んだ。

 思わず顔を顰める竜の長子に、メトシェラは僅かに訝しむ。

 一瞬――本当に、一瞬だけだが。

 メトシェラは、《最強最古》の表情に見覚えのないモノを感じていた。

 具体的に言葉にするのは難しい。

 本当に、それは些細な違和感に過ぎなかった。

 ……あり得ない話だ。

 《最強最古》、古き竜の内でも頂点であるはずの存在が。

 まるで、人間みたいな顔をするなんて。


「……気にするな、何も問題はない。

 それよりも、早くそのゴミの始末をつけろ。

 いつまで遊んでいる気だ?」

『あぁ、これは失礼。

 いえ、別に遊んでいる気は無いのですけどね』

「ッ……!!」


 未だに抵抗を続けるゴーヴァン。

 絶望に絡め取られながらも、折れぬ心の強さは素晴らしい。

 だが現実は厳しく、どうあっても覆し難い。

 支配されたウラノスとの戦いは、悲惨なまでに一方的だった。

 剣も甲冑もガタガタで、身体の方も既にボロボロ。

 戦闘どころか、まだ死んでいない事だけでも奇跡だった。


「《主星》よ、どうかお気を確かに……!」

『無駄だと、何度も言っているのだけどね』


 悲痛な叫びを、《支配》の女は一笑に付す。

 届かない、どうしようもない。

 弱者の抵抗など無意味だと、君臨する者は嘲り笑う。

 彼の者こそ《支配の宝冠》。

 古き《五大》の一柱であり、恐るべき大悪竜。

 英雄の奮戦は空しく、ただ《支配》の前に踏み躙られるのみか。


『貴方も確かに素晴らしかったけど、我が英雄ほどじゃない。

 ――では、無力な身を呪いながら死になさい』


 是であると、メトシェラは告げる。

 空間が軋むほどの握力。

 拳を固めたウラノスが、最強の一撃を放とうと――。


「そうやって慢心が過ぎるから、竜はいつだって足元を掬われるんだよ」


 その女の声は、驚くほど間近に聞こえてきた。

 音もなく夜の空を蹴って。

 宙を舞い、外套を翻らせる女。

 《魔星》の一人にして、剣魔たるドロシア。

 義理の娘の乱入に、ゴーヴァンは目を見開いた。


「ドロシア!」

「悪いね、ゴーヴァン。機を見ていたんだ」


 応じる声と共に、刃が閃く。

 手にした剣は一つだが、放たれる斬撃は九つ。

 本来であれば、一太刀でも浴びれば必殺の剣だ。

 が、それらはウラノスが纏う装甲にことごとく弾かれてしまう。

 その頑強さは、ドロシアも舌を巻くほどだ。


「やっと隙が見えたと思ったらコレか。

 まったくイヤになるね!」

『ええ。素晴らしい腕前だが、やはり無意味でしたね』


 ゴーヴァンを仕留めに掛かる瞬間。

 生じた隙を狙い打った、完璧な奇襲だった。

 メトシェラは反応できず、ウラノスの肉体の反射神経すらも突破してみせた。

 しかし、刃は鋼と《支配》を切り崩すには至らない。

 やはり無駄な努力だと、メトシェラは笑うのみ。

 しかし。


『ッ――――!』


 笑う声を途切れさせたのは、一本の矢だった。

 蒼白い光を帯びた一矢。

 それがウラノスの装甲――メトシェラの《竜体》を削っていた。

 魂に届く、それは月光の輝き。

 メトシェラは、ウラノスの視覚を通してそれを見た。

 森に隠れる形で弓を構える、森人の男の姿を。


「チッ、タイミングは悪くなかったんだがな」

『……まさか、まだ挑んでくる者がいるなんて』


 《鋼の男》の力。

 それを《支配》した自身の脅威は、散々見せつけたはず。

 にも関わらず、挑んでくる者たちがいる。

 あまりにも無謀な。

 メトシェラにとって、それは理解の外にある事象だった。

 月の一矢で怯んだ刹那、ドロシアは再び夜空を蹴る。

 最早戦闘の続行が不可能な養父を抱えて、地表へと向かう。


「ドロシア、私には構うな……!」

「いやいや、まだまだ働いて貰わないと困るんで。

 ここで死んで一抜けとか許さないから」

『……如何しますか、長兄殿?』


 追うのは容易い。

 しかし、従うと口にした以上は先ず上位者の判断を仰ぐ。

 《支配の宝冠》の言葉を聞き、《最強最古》は迷わず応える。


「好きにしろ。

 追って屈服させたいと、《支配》の本能が疼くのだろう?」

『良くご存知で。あぁ、そう時間は掛けません』


 嘲る笑みを残し、メトシェラはネズミ狩りへと向かう。

 《最強最古》は動かない。

 ただ、《支配の宝冠》が追った先にいるだろう弟妹たち。

 彼らの事を、ほんの少しだけ考えた。

 ――大人しく、身を潜めていれば良いものを。

 度し難いまでの愚かさを、少女は憐憫と共に嘆いた。

 まぁ、最早どうでも良いことだ。

 メトシェラに嬲りものにされるのも、馬鹿には良い薬だろう。

 そう考えて、邪悪は偽りの夜空に一人留まる。

 他にはもう誰もいないし、聞こえるのは微かな夜風だけだ。

 何もない、他には何も。

 この世界で、自分はただ一人であるという錯覚を覚えそうな――。


「……よう」


 孤独に耽る妄想は、一瞬で粉々になった。

 聞こえるはずのない声だ。

 いや、そう思い込もうとしていたのは自分だけだ。

 《最強最古》は視線を巡らせる。

 声の主である「誰か」は、すぐに見つかった。

 戦闘の余波で破壊し尽くされた、森の一角。

 そこに佇んでいる、見慣れないはずなのに見慣れた姿。

 古びた甲冑に、一本の剣だけを帯びたお伽噺の騎士。

 彼女にとっての、運命そのもの。

 邂逅の時は、再び訪れる。


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