505話:魂を燃やせ


『無駄だ、無駄だ無駄だ無駄だ無駄だ無駄だっ!!

 全てが手遅れだ! 全てが不要だ!!

 世界は醜く、不完全で、醜悪で、手の施しようがない!!

 完璧である私にとって、お前たちの存在はあまりに耐え難い!!』

「ッ……!」


 咆哮が、暗闇に満たされた空間に響き渡った。

 走っている最中、視界を掠めるのは辺り一面に広がる汚泥の海。

 そこに感じ取った些細な違和感。

 ――あぁ、気のせいじゃなさそうだな。

 光を一切反射しないその暗黒が、黄金の祭壇を呑み込みつつある。

 ペースこそ速くないが、確実に黒泥が迫り上がってきていた。


『間もなく私は滅びるだろう!

 それは同時に、この星の終焉でもある!

 この世界――全ての宇宙で、完全なのは私だけだった!

 私以外の全てが不出来だ!

 ならばもう、存在することに何の未練もない――!!』

「だから、死ぬなら一人で勝手に死ねって散々言われてるだろうが……!」


 叫ぶ。

 腕の中のアウローラも、大分傷の治癒は進んでいた。

 対して、《造物主》の方はどうか。

 アウローラが捨て身で与えた負傷や、俺が切りつけた太刀傷。

 どれもロクに再生する気配はない。

 そもそも、コイツは今から死のうとしている。

 だから傷は治らない、治す必要がない。

 多分だが、俺たちに向けてる力も全体から見ればごく一部だろう。

 自分自身ごと、星そのものを殺すために。

 取り込んだ他の人間の魂まで含めて、そのために魔力を高めている。

 祭壇を呑み込もうとしている黒泥の海。

 これこそが、《造物主》がぶち撒けようとしている『崩壊』の具現だった。


『あぁ、そうした事もあった!

 完全なる私が、完全な世界を創造できない!

 それこそが私の限界なのかと迷い、失望により自らの存在を停止させた!

 だが――そう

 完璧で完全である私に誤りなどないのに、何故に間違いが起こった?

 あり得る可能性など、一つしかないだろうが!!』


 戯言を吼えながら、《造物主》は剣を握った腕をデタラメに振り回す。

 技も何もあったもんじゃない。

 武具の扱いとしては、俺の方がずっとマシなぐらいだ。

 だが、引き起こされる破壊はあまりに致命的だった。

 嵐も同然に吹き荒れる衝撃の波。

 アウローラを抱えて走りながら、それらをどうにか剣で打ち払う。


『私に誤りがないのなら、この世界こそが誤りそのものだ!!

 私は正しい、何も間違っていない!

 にも関わらず、世界は正しい結果を許容しない!!

 何という愚かしさか、不完全に過ぎるモノでは私の完全さは受け入れ難いか!

 ――絶望ではない、これは失望だ! 芥の如き人間よ!

 神たる私を失望させた世界なぞ、存在する価値もないんだよ!!』

「ホント、無茶苦茶言うじゃない……!」

「この場にイーリスさんがいないのが悔やまれるなぁ!」


 きっとブチギレて、物凄い勢いでツッコミを入れてくれたに違いない。

 いや、こんな大馬鹿野郎に付き合わせずに済んだことを、むしろ喜ぶべきか。

 本当に、《造物主》の言い分は理屈もクソもなかった。

 己が正しい、自分こそが絶対だ。

 だから望む通りにならないのは、自分以外の全てが悪い。

 ……なまじ、『何もかも』に限りなく近い事が出来てしまうせいもあるだろう。

 思い通りにならないという事実が、そもそもコイツは受け入れられないのだ。

 今も、俺たちを容易く潰せないことに酷く苛立っている。

 苛立ちながら、虫ケラを叩き潰そうと天変地異の如く暴れ回る。

 確実に死という崩壊に向かいながらも、《造物主》の力は強大だった。


「レックス!」

「……大丈夫か?」

「ええ、傷はもう殆ど良いから。

 このままだと、時間が無くなってしまうわ」

「まぁ、そうなるよな」


 アウローラの声には、苦痛以外にも微かな焦りがあった。

 刻一刻と、黄金の祭壇を沈めていく黒い泥。

 まだ最上部まで来てはいないが、それも時間の問題だ。

 どうにかするしかない。

 全部が台無しにされる前に、この宇宙一の馬鹿野郎をブチ殺す。

 今ひと度腹を括って、先ずは抱えたままだったアウローラを床に下ろした。

 肩を斬り裂かれた傷は、表面的にはほぼ塞がっている。

 内側まで、どれだけダメージが残っているかは――彼女を信じるしかない。

 動きに問題はなく、離した瞬間にはアウローラも駆け出していた。

 《造物主》からはまた距離を取る形で。

 相手の意識がアウローラに一瞬向いた時、俺は逆に間合いを詰めた。

 振り回されたばかりの力の余波。

 それらを無理やり踏み砕いて、剣を大上段に振りかぶる。


「おおおおぉぉぉぉぉッ!!」


 気合いを叫ぶ。

 握り締めた剣を、渾身の力を込めて振り下ろす。

 叩きつけた竜殺しの刃。

 それは《造物主》が手にした光の剣と、正面からガッチリと噛み合った。


『いい加減、無駄を悟れよ下等生物!!』

「そういう台詞もいい加減に聞き飽きたわ!!」


 叫び、《造物主》の剣を強引に弾く。

 腕――どころか、全身の骨が軋むような衝撃。

 自分の力と相手の力、その両方に挟まれた肉体が悲鳴を上げていた。

 堪える、我慢する。

 バラバラになって死ぬにしても、それはコイツを殺してからだ。

 だからそれまでは、例え死んでも耐え抜く。

 歯を食い縛り、覚悟を決めて。

 技だの何だのなりふり構わず、兎に角全身全霊で剣を振るう。

 ひび割れた《造物主》の胴体を、切っ先が掠めた。


「穿て――――ッ!!」


 合わせて、アウローラの声が響いた。

 指先から放たれる極光の《吐息ブレス》。

 それだけに留まらず、幾つもの攻撃魔法も同時に弾ける。

 炎や氷、雷に力場の矢。

 どれも低位の術式で、威力は大したことはない。

 それでも目眩まし程度の役には立つ。

 《吐息》を片手で受け止めた《造物主》の視界を、細かい攻撃魔法が遮る。

 タイミングを合わせ、隙間を縫うように刃を打ち込む。

 重く硬いが、確かな手応え。

 狙ったのはつい先ほど掠めたのと同じ箇所。

 切り裂いた傷口から、灰の断片がこぼれ落ちた。


『――下らん。

 そんなもので、私の命に届くと本気で思っているのか』

「やってみないと分からないでしょう、お父様!!」

「そういうことだなぁ!!」


 笑う。

 不快感と憎悪を綯い交ぜにした声を、俺とアウローラは笑い飛ばした。

 届くかどうかじゃない、届かせるためにやってるんだ。

 だから攻め手を緩めない。

 《造物主》の振るう光の剣を避け、或いは弾き、無理やり隙をこじ開ける。

 そこに斬撃を差し込み、崩壊が進む身体に傷を重ねた。

 本当に少しずつで、気が遠くなりそうではある。

 だが、間違いなく近付いている。

 このふざけた神様モドキ――《造物主》の、生命まで。



 声は、これまで以上に重く響いた。

 不意に視界が……いや、立っている世界そのものが揺れる。

 何が起こったかは、直ぐに分かった。

 周囲に広がる汚泥の海。

 黄金の祭壇に這い上がっていたソレが、一気に勢いを増したのだ。

 俺たちのいる上の部分まで、泥が薄く侵食しつつある。

 それに驚く俺たちを見て、《造物主》は酷く愉快そうな笑みを浮かべた。


『無駄だ、無駄だ無駄だ無駄だ無駄だ。

 お前たちの足掻きに意味はない。

 全て私が言った通りだ。

 何もかもが手遅れで、お前たちでは届かない』


 笑う、《造物主》は笑っている。

 何もかもを捨て去った者が浮かべる、虚無の表情。

 ぞっとするほどに冷たく、ただの言葉なのに酷く危機感を煽ってきた。

 ――ヤバいな、コレ。

 事態を理解できないまま、直感だけでそう悟る。


「何をしたの……!?」


 叫びながら、アウローラが《吐息》を撃つ。

 極光の一撃を、《造物主》はさっきと同じように片腕で防いだ。

 そして、防いだ腕の一部が欠ける。

 大きくではないが、間違いなく灰の断片が崩れて落ちた。

 前の時は完全に防いでいたはずなのに、だ。



 嘲笑。憐憫。憤怒。憎悪。失望。敵意。

 ありとあらゆるドス黒い感情を込めて、《造物主》は嘲笑う。


『この星の全てを砕くには、少々力が足りなくなるやもしれん。

 だが、不完全な生命を根絶するだけならば、今の段階でも十分だ。

 この身の死と、呑み込んだ人間どもの魂を代償に、破滅と崩壊が解き放たれる。

 惑星の地表は洗い流され、あとには生命の痕跡も残るまい。

 お前たちの奮戦は、全て無価値となり果てるのだ』

「っ……それで、何がどうしたいのよ貴方は……!?」


 信じがたい、あり得ない。

 表情を歪めて、アウローラは堪えきれない様子で叫んだ。

 挫折からの自殺、星そのものとの無理心中。

 この時点でもう大分滅茶苦茶だ。

 そしてここに来て、更にこの選択かよ。

 アウローラでなくとも、一つか二つ叫びたくもなるだろう。

 対する《造物主》は、ただ嘲笑だけを返す。


『私の完全性を損なった全て、不出来で不完全な何もかもが滅びればそれで良い!

 お前たち、私の邪魔をする痴愚や失敗作ども!

 その価値と行いが、無意味で無価値に堕するのならばそれで構わん!!

 あぁ、言ったはずだぞ最早どうでもいいと!!

 お前たちが、神たる私を否定するのならば!

 私もお前たちの一切合切を否定してやろう!!』

「……っ!!」


 それはもう、理屈でも何でも無い。

 或いは、感情とさえ呼べる代物でもなかった。

 ――怨念だ。

 少なくとも、理想世界を創造した時にはあった望み。

 今はそんな僅かな『何か』も消え失せて、残されたのは呪いだけ。

 死せる《造物主》の残骸。

 八つ当たりも同然の憎悪は、意味のない破滅へと雪崩込もうとしていた。


『ハハハハハハハハハ!! 死を早めた以上、私も長くは持つまい!

 だがこの「本体」が砕けるよりも先に、私の総体が起爆する!

 それで終わりだ――何もかもが終わりだ!!

 ハハハハ、不完全な世界よ! 私の完全性を認めぬ愚かな生命よ!

 全て、全て、暗黒の彼方に消え去るがいい!!』

「愚かなのは貴方よ、《造物主》……!

 そんなくだらない癇癪で、何もかもを台無しにしようだなんて……!!」


 響く哄笑に、アウローラの声が重なった。

 《吐息》や魔法、こちらも剣を振り続けている。

 それらを、《造物主》はひび割れ続ける肉体で受け止めていた。

 奴自身が言う通り、死に向かっているせいか与える損傷そのものは増えている。

 だが、このままだと間に合わない。

 直感でその事実を感じ取った。

 《造物主》を殺し切る前に、コイツが自殺を成功させる方が早い。

 相手も、それを分かっているから笑っていた。

 ――足りないな。

 こっちの力が足りないから、間に合わない。

 簡単な理屈で、だからどうするべきかの結論も酷く簡単シンプルだった。


『ハハハハハハハハハ――――ッ!?』


 無駄に長い嘲笑が途切れる。

 それを成し遂げたのは、俺の振るった剣だった。

 刃を受けた《造物主》の左腕が、半ばほどまで斬り裂かれている。

 切り落としたかったが、微妙に浅かったらしい。

 柄を握り締め、乱れそうな呼吸を整えた。

 相対する《造物主》は、驚愕と困惑の視線を向けてくる。


『なんだ、貴様。一体、何を――!?』

「お前と似たようなことだよ」


 笑う。

 内側を焼かれる痛みに、叫び出しそうなのを堪えて。

 俺は強く笑ってみせた。


「っ……レックス、あなた、まさか……!?」


 こっちが何をしたのか。

 察したアウローラが、震える声をこぼした。

 このままでは、力が足りない。

 アウローラの魔法による支援に、俺自身の魔力。

 それでは《造物主》を殺すに足りず、足りないなら何とかして補うしかない。

 ――魂を燃やして、魔力に変換する魔剣の炉心。

 蘇生術式の完成によって、現在はその熱は失われていた。

 今の状態では剣から力は引き出せない――何か、

 俺の手元にある火種は、一つしかなかった。


「お前が死ぬ気で自殺しようってんなら、俺も死ぬ気でお前をぶっ殺す。

 ――どっちが死ぬ方が早いか、最後の勝負だな」


 

 三千年前にボレアス――いや、《北の王》と戦った時と、同じ無茶だ。

 内側から吹き出す黒い炎に焼かれながら、俺は《造物主》に刃を叩きつけた。

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