247話:バビロンの杯


「いや、本当に助かったよ。心から礼を言わせて欲しい」

 

 それが、目覚めたカーライルの第一声だった。

 暴走するシラカバネとの戦いの後。

 程なくして気絶していたカーライルは意識を取り戻した。

 そして惨状に対しても動揺することなく、人を集めて指示を行った。

 ボロボロの車内は、そう簡単に片付きはしないが。

 それでも《移動商団キャラバン》は、今も滞りなく動き続けている。

 流石に客室で見てるってワケにもいかないので、オレらも多少の手伝いはした。

 瓦礫を除いたり、まだ意識のない奴を運んだり。

 怪我人は――結果的に殆どいなかった。

 死んでる奴は、少ないながらも何人かいた。

 そういった亡骸に関しては、カーライルの部下達が回収していった。

 そんな状況もひと段落して。

 

「重ね重ねすまないね。

 ここまで手を煩わせるつもりはなかったんだが」

「別に良い。こっちも好きでやってるだけだしな」

 

 また声を掛けて来たカーライルに、オレは肩を竦めて応える。

 ちなみに作業を手伝ったのはオレと姉さん、それにアッシュの三人だ。

 ボレアスは「後は任せた」の一言で、客室の方に戻っちまった。

 まぁ、それはそれで別に良いんだけどな。

 

「こっちより、そっちの被害はどうなんだよ」

「軽くはないね。

 とはいえ、壊滅してしまうよりはよっぽどマシだ。

 シラカバネ自身も乗り込んで来たと考えれば、奇跡的に軽傷だよ」

「流石に商売人は逞しいね」

 

 カーライルの返答に、アッシュは冗談めかして笑う。

 確かに、こんだけ荒らされても「軽傷」と言える図太さは素直に感心する。

 例えそれが強がりや、痩せ我慢の類だとしてもだ。

 

「……ところで、シラカバネは?」

「死んだ。悪いが死体はないぜ、消えてなくなっちまったんでな」

 

 なるべく、感情を抑えたつもりだったが。

 どうしても、それについて思い出すと声に嫌な感情が混じる。

 ……ボレアスがシラカバネを無力化した後。

 こっちとしては、拘束なりした上で調べるなり情報を聞き出すなりしたかった。

 だが、それは直ぐに不可能となった。

 絞め落とされた意識を失ったシラカバネ。

 常人なら絶命してるところだが、あの不死身っぷりなら死なないだろうと。

 そう思っていた。

 が、シラカバネの身体はそのまま

 僅かな痕跡すら残さず、まるで最初からいなかったみたいに。

 床に染みたか大気に混ざったか、そこまでは分からないが。

 混乱するオレ達に、ボレアスは「限界だったのだろう」と言った。

 人間の肉体では、バビロンの生命力は強すぎたのだ、とも。

 ……言われてみれば、あんだけ滅茶苦茶に再生だのしてれば当然か。

 まともな形すら残らない死に方というのは、あまり気分の良いものじゃない。

 オレの言葉でどれだけ理解したかは不明だが。

 カーライルも、それ以上は聞いてくることはしなかった。

 

「『三頭目』の一角が、こうもあっさり消えるとは。

 今後のことを考えると、素直には喜べないな」

「統制とかちゃんと取れんのか?」

「ロンデミオのご老体は、この事実を知れば縄張りの拡大を狙うだろう。

 ……もっとも、そんな悠長な話で終われば良いんだが」

 

 オレの問いに、カーライルはどこか意味深な言葉を口にする。

 コイツもコイツで、何かを感じているのか。

 

「……カーライル」

「何かな、テレサ嬢」

「シラカバネは戦っている最中、異常な再生能力を見せた。

 貴方はそれについて、何か知っているのでは?」

「何故、それを私が知っていると?」

「明確な根拠はない。ただ、再生力に関しては他の怪我人の多くにも見られた。

 これだけの惨状にも関わらず、僅かな死者以外は殆ど重傷者もいない。

 明らかにおかしいが、貴方やその部下達は気にした様子もない。

 ――何か知っていると、そう思うのが自然では?」

 

 ボレアスが見抜いた、バビロンに関する事実は伏せた上で。

 姉さんはそれらしい言葉でカーライルを突いた。

 とりあえず、オレは黙って様子を見る。

 問われたカーライルは、ほんの僅かに沈黙し。

 

「……《休息地オアシス》で取れる果実。

 アレを私を含めて一部の者は『バビロンの杯』と呼んでいる」

「バビロンの杯?」

「そうだ。《休息地》は、地の底に横たわるバビロンの亡骸から生じている。

 死して尚も溢れる生命力が、この廃墟に僅かな恵みを与えているんだ」

 

 地の底に横たわる、バビロンの亡骸。

 なかなかぞっとしない言葉が出て来たな。

 つまり《休息地》の豊富な緑は、古い竜の死体と繋がってるのか。

 

「あの果実は、バビロンから流れ出た生命力の一滴だ。

 一つ食べるだけでも一日の空腹は満たされ、身体には活力が漲る。

 継続的に摂取すれば、怪我や病気の治りも驚くほどに早まる」

「危険性は考えなかったのか?」

「危険? 危険と言ったかい?

 この恵みのない荒野で、水も食料も無しに生きること以上の危険がどこに?」

 

 特に悪びれもせず、カーライルは軽く笑ってみせた。

 ……まぁ、言いたいことは分かる。

 オレはちらりと、アッシュの方に視線を向けた。

 意図を察したのか、こっちもこっちで肩を竦めてみせて。

 

「悪いが、俺も初耳だよ。

 カーライルも言ってるが、多少おかしいと思っても受け入れるしかなかった。

 《休息地》以外じゃ、まともに水さえ手に入らないからな」

「……別に、それを責めてるワケじゃないけどな」

 

 難しい。

 いや、この場所の事情とかオレ達には無関係だけど。

 重いため息を一つだけ吐き出してから、改めてカーライルの方を見る。

 

「おかしくなったのは、シラカバネだけだった。

 ただあの再生能力自体は、バビロン由来のモノで間違いないと思う」

「……それの根拠を問うても仕方ないんだろうね」

「信じる信じないはそっちの自由だ」

 

 オレの言葉に、カーライルはまた少し沈黙した。

 果たして、この男は何を考えているのか。

 口を閉ざしていた時間は十秒ほどか。

 やがて伊達男は、これまで以上に真剣な面持ちで。

 

「おかしくなったのはシラカバネだけだと、そう言っていたね」

「あぁ」

「その異常が、バビロンに由来するモノだとして。

 シラカバネだけが、という可能性は?」

「分からない。分からないが、希望的観測が過ぎると私は思う」

 

 姉さんの意見に、オレも頷いて肯定する。

 単純に暴れていただけでなく、「楽園」がどうのと支離滅裂な事も言っていた。

 加えて、ボレアスも認めた「操られていた」という事実。

 暴走するシラカバネを、一体誰が操っていたか?

 状況を考えれば、見えてくる結論はあまり面白いモノじゃない。

 

「……これは殆ど推測で、明確な根拠があるワケじゃないが。

 シラカバネは、死んだバビロンに操られていた可能性がある」

「それは――本気で言ってるのかね?」

「冗談でこんなこと言うかよ。

 あと、これはあくまで推測だからな」

 

 カーライルの声には強い疑念が混じっていた。

 無理もないっつーか、オレだって自分で言ってて半信半疑なんだ。

 とはいえ、竜とは本来なら不死不滅。

 死んだバビロンが実は地の底で生きてた――ぐらいは十分あり得るのではないか。

 レックス達があの《聖櫃》に呑み込まれてしまったのも。

 眠っていたバビロンが目を覚ました結果、と考えれば筋は通る。

 情報が少なすぎて、全部推測の域を出ないが。

 

「今のところはシラカバネだけだった。

 けど、これがその『バビロンの杯』とやらを食ってたのが原因なら。

 同じようなことが、他の連中にも起きないとは限らない」

「……オレも当然、同じ物は食べてるんだよな。

 そう考えると、ウン、ちょっと洒落にならないな」

「私もだよ。いや、この地に生きていてあの実を口にしてない者はいないはずだ」

 

 アッシュとカーライル。

 それぞれ似たような感じで苦い顔をする。

 特にアッシュの方は、シラカバネの惨状を見たワケだしな。

 気分の良いモンじゃないのは間違いないはずだ。

 

「とはいえ、具体的な解決策は分からない。

 そもそも異常の本質が今口にした事なのかも不明瞭だ」

「全部的外れで、単にシラカバネだけに起こった偶然でしたってのが最高だけどな」

 

 姉さんの言葉に、思わず間抜けなことを言ってしまった。

 いやホント、それが一番なんだけどさ。

 絶対にあり得ないのも分かってるから頭が痛くなる。

 全容不明の異常現象、時間制限タイムリミットがあるかさえも分からない。

 そんなもん、考えても仕方ないのかもしれないが……。

 

「……都合が良い、というのもおかしな話だが」

 

 難しい顔で、カーライルがぽつりと呟く。

 

「? 何の話だよ」

「そちらの目的とする場所。

 かつての《天の柩ナピシュテム》があった、この《天の庭バビロン》の中心。

 そこは今、大穴が口を開いているだけとは話したと思う」

 

 あぁ、そんな話だったのは覚えてる。

 それがどう都合が良い――って、まさか……。

 

「どうやら、私の言いたいことは察しがついたようだね」

「……さっき、バビロンは地の底にいるとも言ってたよな?

 それは、つまり……」

「その大穴は、バビロンの眠る地下に繋がっている、と?」

「あくまで可能性だがね。確かめた者は誰もいないんだ」

 

 僅かに緊張を含んだ姉さんの言葉に、カーライルは肩を竦めて頷いた。

 ……まぁ、都合が良いと言っていいかは謎だが。

 もし本当に、その大穴とやらがバビロンに繋がっているとしたら。

 《聖櫃》に呑まれたレックス達も、そこにいる可能性が高い。

 カーライル自身が言う通り、あくまで可能性があるってだけだが。

 

「で、オレ達が未知の危険を何とかしてくれるかもしれないと。

 お前はそう期待してるんだな」

「シラカバネが死に、ロンデミオは恐らく動きはすまい。

 私に事態を解決する武力がない以上、仕方のない判断だと思わないか?」

「別に責めちゃいねぇよ。どうあれ、こっちのやることは同じだからな」

 

 どうにかして、消えたレックス達を見つけ出す。

 仮に、本当に地下にいるらしいバビロンの亡骸に取り込まれていても。

 アイツらなら、簡単に死ぬことは絶対にない。

 こっちが行って助けになれるかの方が、逆に心配なぐらいだ。

 

「できる限り急いで、大穴とやらに向かってくれ。

 何事もないならそれで良いが、いつ何事か起こるかわからねェからな」

「感謝するよ。全ての予定を取り下げて、真っ直ぐに向かうとしよう。

 誰も近付くことはしない、《天の柩》の跡地へね」

「頼んだ」

 

 短く返すと、カーライルは一つ頷く。

 

「では、私は私の仕事をしよう。

 君らは部屋に戻るなり、好きにして貰って構わない」

 

 それだけ言って、カーライルはこちらから離れる。

 そうしてから、その辺りの部下に指示を飛ばしていく。

 こんな惨状でも、カーライルの配下の者達は優秀だった。

 淀みなく動き、荒れた車内を片していく。

 オレ達は、少しばかりそれを眺める。

 

「……地下に横たわるバビロン、か。

 荒唐無稽と笑えたなら、少しはマシだったか」

 

 そんなことを呟いたのは姉さんだった。

 

「冗談でもなんでもなく、現実だからな。

 少し前だったら、オレも鼻で笑ってたさ」

「私達からすれば、バビロンの名は御伽噺と変わらないからな」

 

 ほんの少しだけ懐かしそうに。

 姉さんは、オレの言葉を笑ってみせた。

 

「御伽噺って言うなら、ここまであった事も大概だけどな」

「それは確かにそうだな」

 

 大陸の支配者である真竜。

 それと戦うだけでもとんでもない話だってのに。

 既にいなくなったはずの《古き王オールドキング》。

 更には大真竜ともやり合ってここまで来た。

 そして今回は、遠い昔に死んだはずの竜王バビロンだ。

 ……ホント、早いところ御伽噺の竜殺しに出て来て貰いたいね。

 

「最低限、レックスの奴はさっさと引っ張り出したいね。

 オレらの身がもたんわ、マジで」

「……そのレックスっていうのが、探し人だったか?」

 

 ふと、アッシュが疑問の声を上げた。

 そういや、ちゃんと言ってなかった気がするな。

 ぶっちゃけ今さらではあるが、顔を合わせる可能性は十分にある。

 だから一応、説明はしておくか。

 

「探し人の一人、だな。

 詳しくはちゃんと会った時にでも言うが、まぁ変な奴だから覚悟しとけよ」

「まだ会ってないのにおかしな先入観を植え付けてくるなぁ」

「イーリス、もう少し手心をな……」

 

 苦笑いの姉さんにツッコまれてしまった。

 正直、どういっても荒唐無稽にしか聞こえないんで悩むんだけど。

 

「まぁ、変な奴ではあるけど――竜殺しなんだ」

「……なんだって?」

「だから、竜殺し。

 信じがたいだろうけど、真竜だって何匹も仕留めてる」

 

 オレの話に、アッシュは呆けたような顔をする。

 そりゃ、いきなりこんな話されたら困惑するよな。

 

「まぁ、信じられなきゃ話半分で良い。

 とりあえずバビロンがどうのってのも、アイツらがいれば……」

「いや、信じるよ。イーリスは、こういう話に無駄な嘘は入れないだろ?」

 

 そう言って、アッシュは頷いた。

 笑う表情は今までの印象とは少し違う。

 何かを楽しむ、子供に近い微笑み。

 アッシュはしきりに頷きながら、半ば独り言のように。

 

「竜殺し、か。あぁ、本当なら――凄いな。

 機会があるなら、是非会ってみたいもんだね」

 

 そんな事を、少し弾む声で呟いていた。

 

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