246話:死なずの屍


「おおおぉぉぉぉ――――ッ!!」

 

 咆哮。

 シラカバネが上げる獣じみた声。

 強化した四肢を、限界以上に駆動させて。

 圧倒的な速度で殺し屋の刃がボレアスを刻み続ける。

 流石に速過ぎて、もうオレの《奇跡》でも捕まえきれない。

 もう少し遅くなるか、一秒でも止まって貰わないと流石に厳しい。

 ……とはいえ、そんな援護も恐らく必要ないだろう。

 

「――ふん。存外楽しめたが……」

 

 幾度刃に斬り裂かれても、尚揺るぎない。

 ボレアスは笑っていた。

 弱っているにも関わらず、それは余裕すら感じさせる笑みだった。

 

「我を仕留めるには、少々力不足だったな」

 

 その言葉と同時に、シラカバネの刃が閃く。

 銀色の光が宙を走り――そして、硬い音と共に止まる。

 狙われたのはボレアスの首だった。

 既に幾筋もの傷が付いた辺り。

 何度も削った上で「薄く」して、そこに渾身の一刀を叩き込む。

 そういう狙いがあった上での攻撃。

 確かに、それは間違いなく効果的ではあった。

 シラカバネの刃は、ボレアスの首にしっかりと食い込んでいる。

 だが、それだけだった。

 刃の半分ほどがボレアスの首に食い込み、そこで完全に止まってしまった。

 仕掛けたシラカバネ自身、それで己の失敗を悟ったかもしれないが。

 

「ここまでだ」

 

 無慈悲に、ボレアスは戦いの終わりを宣告する。

 一撃。振るわれたのは、単なる拳の一撃。

 動きの止まったシラカバネの身体に、正面から打ち込まれる。

 反射的に防ごうと構えたのは、完全に悪手だった。

 

「がッ――!?」

 

 埋め込まれた人工筋肉と皮下装甲。

 後は身に付けた頑丈極まりない装備の数々。

 その全部が、ボレアスの腕力の前には紙切れも同然だった。

 シラカバネの身体は、強化の影響で相当に重たいはず。

 それをボールか何かみたいに、ボレアスは一撃で吹き飛ばした。

 障害物を蹴散らしながら、殺し屋は派手に床を転がる。

 

「すげェ……」

 

 一方的な光景に、アッシュはやや茫然としながら呟く。

 まぁ、気持ちは分かる。

 シラカバネは間違いなく強かった。

 《牙》――いや、《爪》と言われても信じるぐらいには。

 ただ、ボレアスは弱っていても竜の王だ。

 多少強い程度の人間など、まったく寄せ付けない。

 

「ッ……は、ぐ……!」

「まだ息があるか。

 加減したつもりはないが――いや、我の力がそれだけ弱っているのか。

 まったく、不自由な身でうんざりするな」

 

 床に転がったまま、苦しげに呻くシラカバネ。

 それを見下ろしながら、ボレアスは細いため息を吐いた。

 ……ホント、これで弱ってるんだもんな。

 化け物過ぎて言葉もない。

 

「息があるなら好都合だろう。

 拘束して治療すれば、何か分かるかもしれない」

「あぁ、そうだな」

 

 姉さんの言葉にオレも同意する。

 操られているようだし、情報を聞き出せる状態かは分からない。

 分からないが、とりあえず試してみる価値はあるだろう。

 息はあっても大分瀕死だが、それはアッシュが何とかできるはず。

 

「大丈夫だよな?」

「頼るのに躊躇がないね。あぁ、分かってる。

 アレぐらいなら何とかなるはずだよ。多分だけど」

「実に頼もしい言葉だね」

 

 アッシュと軽口を叩きつつ、とりあえず物陰から出る。

 戦闘でグシャグシャに荒らされた車内は、今さらながら悲惨の一言だ。

 床には叩き伏せられた「殺し屋」達が山と転がっている。

 それ以外の、「殺し屋」共の襲撃を受けた連中もいるが……。

 

「流石に、息がない奴は無理だからな?」

「それこそ、分かってる」

 

 念を押すアッシュに、オレは短い言葉で返した。

 こっちは別に正義の味方じゃない。

 巻き添えを食らった連中は、運が悪かったと思うだけだ。

 また胸糞悪くなるので、極力視界には入れないように。

 オレ達はそのまま、倒れているシラカバネの方へ近付こうと。

 

「待て」

 

 したところで、ボレアスに制止された。

 一体何が、と。

 疑問を口にするより早く、異変は起こった。

 どろりと、肌の上に絡んでくるような嫌な空気。

 全身が粟立つのを感じながら、弾かれるように発生源へと視線を向ける。

 それは、床に倒れたままのシラカバネだった。

 見た目上の変化は、何も――。

 

「……ぁ、あああ、ぁ、あ」

 

 漏れ出るのは、金属を擦り合わせたような呻き声。

 それを半開きの口から機械的に垂れ流し、シラカバネは立ち上がった。

 まるで、何事もなかったかのように。

 人形を繋がった糸を引っ張って、立ち上がらせたみたいに。

 明らかに挙動がおかしい。

 

「おい、ボレアス……!」

「下がっていろ。

 これは流石に、面白いなどと言ってる場合ではないな」

 

 何が起こっているのか。

 呼びかけたボレアスの表情に、さっきまでの笑みは欠片もない。

 酷く真剣な面持ちで、立ち上がったばかりのシラカバネを見ていた。

 

「何やら酷く濁った気配だが、アレからはバビロンの気配がする」

「は? バビロン?」

「あぁ。我に感謝して良いぞ、人間。

 あの実を口にしなかったのは、やはり正解だったかもしれん」

 

 真面目な顔で、冗談めいたことを言って来る。

 あの実、《休息地》に生えていた赤い果実。

 恐らくは、バビロンの血肉から生じたらしい物。

 そして、今のシラカバネからはバビロンの気配がするという。

 一体、何が起こってる?

 

「下がれ、イーリス!」

「ガァ――――ッ!!」

 

 思考に沈みかけたところで、姉さんに思い切り引っ張られた。

 それとほぼ同時に、シラカバネが咆哮する。

 床を大きく踏み抜き、大気を衝撃で震わせながら。

 さっきまでと比較しても倍以上の速度で、ボレアスへと襲い掛かる。

 

「チッ……!」

 

 舌打ちを一つして、ボレアスは防御の構えを取った。

 これまでは、ただ我が身で受けるままだった。

 それが今、両腕を掲げて受け止める体勢を取る。

 

「ッ――――!!」

 

 激突。

 その手に刃はなく、シラカバネは素手でボレアスに殴り掛かっていた。

 防いだボレアスの身体が、抑え切れずに後方へと押される。

 待て、一体どんな馬鹿力だ……!?

 驚愕するオレの耳に、何かが砕ける嫌な音が響く。

 音が聞こえて来たのは、シラカバネの身体だ。

 限界なんざブチ抜いた力に、肉体の方が耐え切れていない。

 踏み込んだ足が、殴り付けた腕が。

 それらに繋がり五体の全てが、挙動の一つ一つで砕ける。

 骨とか筋肉とか、まるで硝子細工みたいに。

 普通に考えるなら、そんな状態じゃまともに動けるはずもない。

 だが――。

 

「あ、あああぁあああぁあああッ――――!!」

 

 その叫びは、もう人間の言葉じゃなかった。

 バキバキと音を立てて、身体の節々から水蒸気を吐き出しながら。

 シラカバネの身体が無理やり

 あり得ない。

 どんな強化を施しても、そこまでの再生能力は不可能だ。

 魔法だって、あそこまで滅茶苦茶な治し方はしないはずだ。

 再生する過程の衝撃で、そのまま絶命しかねない。

 それでも、シラカバネは死んでいなかった。

 

「ここまで来ると、流石の我でも憐れみを感じるな!!」

 

 崩壊と再生を繰り返すシラカバネ。

 その身体に、再びボレアスの拳が突き刺さった。

 ついさっきは、成す術もなく吹き飛ばされたはずの一撃。

 しかし、今度はそれを真っ向から受け止めていた。

 当然のように肉と骨は潰れているが、その直後から再生が始まっている。

 幾ら何でも無茶苦茶過ぎるだろ……!

 

「何が起こってる……!?」

「こっちが聞きたいぐらいだ! 何か知ってるんじゃないのか!?」

 

 余りの異常事態に、姉さんもアッシュも困惑を隠し切れない。

 ホントに、何が起こってるんだよ。

 ――ふと嫌な予感がした。

 その直感に従って、オレは周囲に目を向ける。

 そこに転がっているのは、叩き伏せられた「殺し屋」と巻き込まれた連中。

 気を失っているか、事切れているか。

 基本はそのどちらかだが……。

 

「……マジかよ」

 

 思わず、呻く。

 倒れている内の何人か。

 恐らく、既に死んだはずの者もいる。

 そいつらが受けた銃創などの傷が、見る間に塞がって行く。

 幸いかは知らないが、全員意識はなく起き上がって来る気配はない。

 やっぱり、何が起こってるかは良く分からない。

 分からないが、どうやらシラカバネにだけ起こった異常ではないらしい。

 

「イーリス?」

「……ちょっと、ヤバいかもしれない。

 急いで、あの暴れてる奴を無力化しないと」

 

 姉さんはまだ、事態を把握し切っていない。

 というかオレだって、分からない事の方が多い。

 兎に角、今は急いで暴走したシラカバネを叩き伏せる。

 それぐらいしか浮かばなかった。

 

「――分かった、任せなさい」

 

 姉さんは、特に気負うこともなく頷いて。

 一瞬後には、その姿がかき消えていた。

 《転移》による空間跳躍。

 再出現したのは、ボレアスと殴り合っているシラカバネの背後。

 接触は刹那で、姉さん以外の誰も見えていなかった。

 

「――――ッ!?」

 

 声もなく、暴れるシラカバネを問答無用で弾き飛ばす。

 《転移》を相手と重ね、発生する圧力を一方的に押し付ける姉さんの得意技。

 ネーミングがクソダサいのだけが玉に瑕だ。

 横槍に近い形だったが、ボレアスはさほど気を悪くした様子もない。

 

「助太刀ではないが、勝手に殴らせて貰う。宜しいか?」

「仕方あるまい。特別に許そう」

 

 事後承諾だが、ボレアスは笑って許してくれた。

 ……怒り出さないか、正直ドキドキものだったけど。

 姉さんは一切躊躇なしだったし、これは分かっていたんだろうか。

 その辺はなんとも言えないが――。

 

「……この、程度」

 

 何事もなかったかのように。

 床を転がったシラカバネは、また無造作に立ち上がった。

 重傷どころか、致命傷ですら止まりそうにない。

 破壊されたはずの五体は、音を立てて急速に再生していく。

 無茶苦茶過ぎて、見てるだけで眩暈がしそうだ。

 

「アレが何か、ボレアス殿は分かりますか?」

「想像に過ぎんが、身体に入ったバビロンの血肉が活性化した影響だろうよ。

 何が原因でそうなったかは、我にも分からぬがな」

「であれば、アレを止めるにはどうすれば?」

「竜ならざる身で不死はあり得ぬ。

 限界が訪れるまで、壊してやれば良い」

 

 獰猛な笑みで、ボレアスは極めて物騒なことを言い出す。

 オレなら面食らっちまいそうだが、流石に姉さんは表情一つ揺らさない。

 

「であれば、そのように。

 援護はしますので、そちらはご自由に」

「ハハハハハ! 流石に弁えているな」

 

 機嫌よさげに笑いながら、ボレアスはシラカバネに向かって踏み出す。

 再生に専念していたか、それとも様子見をしていただけか。

 動きを止めていたシラカバネも、応じるように構える。

 ボレアスの放つ殺気に勘付いたのかもしれない。

 ……できるなら生け捕りが良いが、それは流石に難しいか。

 

「周り、ちゃんと警戒しろよ。

 あと巻き添え食らったら死ぬからな」

「あぁ、ご忠告ありがと」

 

 念のためにアッシュにも注意しておく。

 言われた方は相変わらずの様子で、どこまで本気か分からない。

 まぁ、コイツはそういう奴だと考えておく。

 それよりも。

 

「ガアァッ!!」

 

 人間性をかなぐり捨てた雄叫び。

 今や不死の怪物と化したシラカバネは、またも正面からボレアスを襲う。

 戦い方を考える知性すら失ってしまったか。

 駆けだすだけで足の骨が砕け、力を入れるだけで筋肉が千切れる。

 それを即座に再生し、結果として常識はずれの力と速度が生まれる。

 ボレアスは、退く素振りすら見せなかった。

 

「愚かな獣に成り下がったか。哀れなものよな」

 

 言葉そのものは傲慢だが、声には僅かばかりの憐憫が込められていた。

 大気を砕く一撃。

 シラカバネの拳に合わせる形で、ボレアスは蹴りを叩き込む。

 胴体に突き刺さる爪先に、シラカバネは一瞬だけ怯んだ。

 そこを狙って、姉さんも上段から蹴りを振り下ろす。

 目標は首辺りで、間違いなく姉さんの一撃で圧し折れている。

 ――だが。

 

「ッ……まだ、まだ……私は、まだ、楽園、に……!!」

 

 折れるのと、ほぼ同時に再生を果たす。

 余りの化け物っぷりに言葉が出ない。

 けれど、怪物って意味じゃあこっちだって負けてはいなかった。

 

「世迷言を聞いてやるほど、こっちも暇ではないのでな」

 

 ボレアスは容赦なく、再生したばかりの首を鷲掴みにする。

 そのまま体ごと持ち上げ、万力じみた力で絞めていく。

 呼吸を妨げられて、シラカバネは激しくのたうつ。

 のたうって、抵抗しようと腕を振り上げて。

 それが青い光に呑まれて、半ばから消滅した。

 姉さんの放った《分解》の魔法だ。

 消し飛ばされては、流石に即座に再生とはいかないらしい。

 文字通り四肢をもがれたシラカバネを見ながら、ボレアスは笑った。

 

「眠れ。できれば、二度と目覚めぬようにな」

 

 囁く言葉は、果たしてシラカバネに届いただろうか。

 それは恐らく、本人にしか分からない。

 首を千切れる寸前まで絞められて、殺し屋の頭目は動かなくなった。

 光を失った眼には、何も映ってはいなかった。

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