第四章:異変と予兆と蠢く影

245話:人の形をした嵐

 

 戦況は、終始こちらの有利で進んで行く。

 いや、もう大勢は決したと言っても良いだろう。

 

「ハハハハハハハハハ――――ッ!!」

 

 高笑いと共に、ボレアスが雑に腕を振り回す。

 それに巻き込まれて、何人もの「殺し屋」が派手にふっ飛ばされた。

 その有様は人の形をした暴風だ。

 弱っている状態でも尚、人間なんて寄せ付けない。

 

「……大分抵抗も弱まって来たな」

 

 《転移》で細かく飛び回りながら、姉さんは小さく呟いた。

 こっちもこっちで、ボレアスの巻き添えを食らわないよう上手く立ち回ってる。

 閉所で動きづらいのも、魔法で飛び回れば関係がない。

 一人、また一人と確実に敵を減らしていく。

 さっきまでは激しかった銃撃も、今は殆ど飛んで来ない。

 

「……一時はどうなるかと思ったが、何とかなりそうだな」

 

 オレの近くで、アッシュが安堵の息を漏らす。

 万が一でも戦闘の余波を浴びぬよう、少し離れた物陰で。

 足下には銃弾を受けたカーライルが横たわっている。

 ちょっとヤバかったが、アッシュの治療でどうにか持ち直していた。

 

「まだ油断するなよ、何があるか分かねェんだから」

「そりゃ勿論、分かってるさ」

 

 などと言いながら、あまり緊張感のない笑みを見せるアッシュ。

 本当に分かってんのか、コイツ。

 漏れそうになったため息は、一応呑み込んでおく。

 そんなオレの様子を見ながら、アッシュはやはり笑っていた。

 

「……なんだよ」

「いや、無事で良かったなと」

「そうかい。まぁ、危なかったのは間違いないけどな」

 

 カーライルが庇ったおかげで、負傷は殆どなかった。

 何故、あの時コイツは私を庇ったのか。

 取引相手がどうとか、その程度のことで命を張るだろうか。

 真意を確かめたいところだが、今は当の本人が意識を失っている。

 そもそも、直後の様子からして自分でも良く分かってないようにも見えた。

 ……まぁ命が助かったのは事実。

 そこまで疑うのは、我ながら流石にどうかと思う。

 そんなオレの内心を知ってか知らずか、アッシュは軽く肩を叩いて。

 

「想定外ってのは、誰にでもあるさ。

 とりあえず、どっちも助かったんだ。

 それはそれで良いんじゃないか?」

「…………まぁ、そうだな」

 

 間違いはないので頷いてはおく。

 しかし。

 

「お前もお前で、あんな隠し芸があったなんてな」

「別に、大したこっちゃないさ」

 

 オレの言葉に、アッシュは軽く肩を竦めた。

 瀕死のカーライルが無事に息を吹き返したんだ、十分大した事だと思う。

 あれだったら、即死でもしない限りは治せるんじゃないか?

 なんて思ったが、アッシュは少し首を横に振って。

 

「役に立たないワケじゃないんだけどな。

 けど、だからってそう上手く行った試しもないんだ。

 ……使うつもりは、本当はなかったんだが」

「…………」

 

 コイツの過去に、何があったのか。

 それは分からない。

 聞いても良いが、多分はぐらかされて終わりだろう。

 だから、オレはそれについては聞く気はない。

 ただ。

 

「助かった」

「ん?」

「だから、助かったって言ってんだよ。

 お前の言う通り、カーライルの奴に今死なれたら困るからな。

 おかげで助かった。

 カーライル本人は気絶してるし、オレが代わりに言っておく」

 

 オレ自身、庇われて死なれたんじゃ流石に寝覚めが悪い。

 そういう意味でも「助かった」ってのは本心だ。

 言われたアッシュは、一瞬だけ戸惑ったような表情を見せて。

 

「……あぁ、どういたしまして」

「何だよ、今の顔」

「いや、まさかそこまで真っ直ぐ言われるなんてね。

 捻くれてるようで意外と素直だなぁ、君」

「ブン殴るぞ」

 

 お道化るみたいに笑うアッシュ。

 唸りながら睨んだから、両手を上げて降参のポーズをした。

 やっぱり一発ぐらい殴っておくべきか。

 などと、どうでも良いことを考えていたが……。

 

「…………!」

 

 ふと、冷たい空気が流れた。

 物理的に気温が下がったとか、そういう変化ではない。

 場の雰囲気を一変させる何か。

 既に楽勝ムードが漂っていた戦線に、その「異物」は現れた。

 

「……誰だ」

 

 警戒を露わに、姉さんは誰何すいかの声を上げる。

 言葉の端には隠しようもない緊張が感じられる。

 一方、ボレアスは変わらず堂々とした態度だ。

 纏っていた襤褸もとっくの昔に放棄され、本当に堂々としてやがる。

 いや、緊急事態だからそれは良いんだが。

 

「答える必要があるのか?」

 

 姉さんの声に対し、返って来たのは無機質な言葉だった。

 硬く、冷たくて、何の色もない。

 まるで機械が人の声を模しているだけのような。

 

「……何だ、アイツ」

 

 物陰から、オレは改めてソイツの姿を見た。

 黒い外套を羽織った、厳つい顔の女。

 纏っている装甲服で分かりづらいが、身体は恐ろしく鍛えられている。

 その肉体には、更に複数の強化も施されているようだ。

 腰には鍔のない長刃を下げ、佇まいには隙もない。

 間違いなく手練れだ。

 それは見ただけで分かるし、問題はそこではなかった。

 言葉は喋っているし、動きにも不審な点はない。

 にも拘らず、まるで人形が人の真似をしてるみたいな違和感。

 言葉では表現し辛いこの感覚。

 いやしかし、この感じはどっかで見た覚えがあるような……?

 

「『三頭目』のシラカバネだ」

 

 そう言ったのは、オレの傍らで見ていたアッシュだった。

 声は微妙に引き攣って、表情には僅かに冷や汗も浮かんでいる。

 シラカバネ――確か「殺し屋」のボスだったか。

 

「頭目なんて肩書きの割に、どいつも腰が軽すぎやしないか?」

「ロンデミオの爺さんだったら、自分の書斎から一歩も出て来ないぞ」

「腰が重いのはジジイだけかよ」

 

 なんて、言ってる場合じゃない。

 姉さんとボレアス、二人を前にしてもシラカバネの空気は変わらない。

 相応の実力者ならば、敵の力量を見誤ったりはしないはず。

 こっちの前衛を見ながら、シラカバネは腰に下げた刃に指を掛ける。

 

「ハハハ、問答は不要か」

「死ね。この楽園を、余所者の手には触れさせない」

 

 嘲るボレアスに、シラカバネは淡々と投げ返す。

 動き出す。

 その瞬間を狙って、オレは意識の網を伸ばした。

 睨み合ってくれたおかげで、集中する時間は十分にあった。

 距離は遠いが、身体強化の一部を誤作動させるぐらいは容易い。

 動きを止められるのが精々数秒でも。

 それだけあれば、姉さんとボレアスなら一瞬で決めてくれる。

 だからオレは、躊躇わずに力を行使して――。

 

「な……っ!?」

 

 一瞬、何が起こったのか。

 オレにはまったく理解できなかった。

 

「ほう……!!」

 

 感嘆の声を上げながら、ボレアスの身体が大きく後ろに下がる。

 正面から突撃を仕掛けたシラカバネ。

 音を置き去りにした刃の圧力を、受けきれずに押し切られた形だ。

 いや待て、どういうことだ。

 今間違いなく、オレの《奇跡》で動きは封じたはずだろ……!?

 

「ボレアス殿!」

「少し見ていろ! どうやらコイツは我と遊びたいらしいのでな!」

 

 助太刀に入ろうとした姉さんを、ボレアスは強い声で制する。

 舐めてるとしか思えない発言だが、シラカバネの表情は変わらない。

 本当に、人の皮を被った機械のような。

 

「良いぞ、人間! 思ったよりは楽しめそうだな!」

 

 真っ向から叩き付けられた刃。

 それを腕の表面で受けたまま、ボレアスは笑う。

 狩りを楽しむ獣の表情そのものだ。

 

「どこの誰に操られてるかは知らんが、簡単には死んでくれるなよ――!!」

「…………は?」

 

 おい待て。

 今何か、割とトンデモナイこと言わなかったか。

 操られてる――って。

 

「そうか……!」

「おい、どうした?」

 

 気付いた事で、思わず声を張り上げてしまった。

 それにアッシュが驚いてしまったようだが、それは別に構わない。

 そうだ、あのシラカバネの雰囲気に覚えがあるはずだ。

 できれば思い出したくもない、忌々しい記憶。

 真竜マーレボルジェに、まだ姉さんが操られていた時。

 今のシラカバネから感じる雰囲気は、あの姉さんとそっくりだ。

 ボレアスも「操られている」と明言してるし、間違いない。

 ……まぁ、元々敵だった奴が操られていること自体はどうでもいい。

 戦うって選択肢に変わりはない。

 問題は、一体誰がシラカバネを操っているかだ。

 

「イーリス? 何が――」

「シラカバネは操られてる。姉さんの時と同じだ」

「はい?」

 

 アッシュに対し、オレはその事実を言葉にした。

 そして、それは姉さんの耳にも届いたようだ。

 若干顔色を悪くしながら、オレのすぐ近くに《転移》してくる。

 

「イーリス、ボレアス殿の言ったことは……」

「オレも確証があるワケじゃないけど、間違いないと思う。

 纏ってる空気とか、姉さんの時と似てる」

「……そうか」

 

 姉さんは、苦い顔で黙り込んでしまう。

 できれば忘れておきたかった、未だ生々しい過去の古傷。

 ……シラカバネは敵だ、それは間違いない。

 戦う以外に選択肢はないし、仮に死なせたって胸は痛まない。

 操られていようがいまいが、それは変わらない。

 その上で――心底、胸糞悪くて堪らない。

 

「ホント、どこの誰だよ。

 人のトラウマほじくり返しやがって」

 

 唸るオレに、姉さんは複雑そうな表情で黙り込む。

 こっちはこっちで、当時のことを思い出してしまったんだろう。

 できるなら、記憶の底に沈めたままでいたかった。

 そんな姉さんの様子を見て、ますます腹が立ってきた。

 

「……そっちの事情は詳しくしらないけどな」

 

 やや申し訳なさそうに、アッシュが口を挟んで来る。

 

「とりあえず、どうするつもりか聞いても良いか?

 いや正直、このまま見てるだけでも問題ない気もするんだけど」

「……そうだな」

 

 アッシュからしたら、いきなりオレが怒り出したようなもんだしな。

 戸惑うのも無理はない。

 一先ず切り替えようと、オレは自分の顔を軽く叩いた。

 

「イーリスっ?」

「悪い、姉さん。もう大丈夫だ」

「……そうか。あぁ、私の方も大丈夫だからな」

 

 無理してるのが目に見えてるけど、そこは触れないでおく。

 笑っている姉さんに、オレは小さく頷いた。

 そして改めて、ボレアスとシラカバネの戦いに目を向けた。

 ――幾ら弱っていても、ボレアスは竜の王。

 五体を強化し完全武装で挑んだ「殺し屋」も、物の数ではなかった。

 しかし。

 

「――――ッ!!」

 

 形容しがたい叫びを迸らせて。

 シラカバネは疾風の如くに駆ける。

 閉所であることなどまるで関係がない。

 床や壁、天井にその他の障害物。

 その全てを足場に、シラカバネは刃を持つ風となっていた。

 

「ハハハハハッ! 良いぞ、やるではないか!」

 

 その中心にボレアスはいた。

 腕には既に幾つかの太刀傷が刻まれている。

 深くはないが、見える限りでは決して浅くもない。

 竜であるボレアスの身体に傷をつけた。

 それは本当に驚くべき事だ。

 ただ、それ以上のことはぶっちゃけ速過ぎて良く分からん。

 

「姉さん、アレどうなんだ。ボレアスの奴、結構ヤバいんじゃ……?」

「いや」

 

 僅かな不安を口にしたが、姉さんはあっさりと首を横に振る。

 そして、確信を込めて断言した。

 

「このままなら、勝つのはボレアス殿だ」

「……マジか。一方的に攻められてるように見えるんだけど」

 

 オレの感想と似たことを、アッシュの方が言葉にした。

 シラカバネの攻勢は、途切れることなく続いている。

 閃く長刃が、ボレアスの身体を刻んでいる――が。

 

「精々、表皮を削られているだけだ。

 傷は深く見えるが、血は殆ど流れていないだろう?」

「……言われてみれば」

 

 姉さんの言う通りだった。

 浅くはないと思っていた傷だが、実際は出血はかなり少ない。

 表皮を削られているだけ、という言葉は事実だった。

 ボレアス自身も大して苦痛を感じた様子もない。

 むしろ今の状況を楽しんでいるようだった。

 

「……本当に、見てるだけで良さそうだな。アレ」

「正直、私もそう思う」

 

 呆れ気味に呟くと、傍で姉さんも頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る