19話:《爪》の脅威
『レックス! 気を付けろ、そいつは――!』
強い焦りを帯びたイーリスの警告。
しかし、それを最後まで聞いている余裕はなかった。
「っ!?」
強烈な衝撃が身体を貫く。
一瞬で間合いを潰し、眼前まで迫って来た黒仮面。
その蹴りを、正面からモロに受けてしまった。
咄嗟に後方へ跳ぶ事で多少は受け流すも、そのままゴロゴロと派手に転がる。
息を詰め、天地の方向を見失いかける俺に、黒仮面は容赦のない追撃を仕掛ける。
辛うじて視界に捉えたのは、銀色の煌き。
爪だ。両手にそれぞれ五本並んだ、刃の如き爪。
頭上から振り下ろされたソレを、何とか身を捻って躱す。
さっきまで這い蹲っていた辺りに、五つ並んだ爪痕が綺麗に刻まれた。
そして当然、攻撃は一度で途切れたりはしない。
「滅茶苦茶するなオイっ!」
ゴロゴロと、這って転がりを繰り返す俺の後を銀の爪が追いかける。
その間も、相変わらず黒仮面は一言も発しない。
感情の類も一切感じられず、文字通り人形のようだ。
イーリスが何か言っているような気もするが、残念ながら聞いている暇がない。
流石にこの状態が続くと、「れっしゃ」から振り落とされそうだ。
「流石にそれはな……!」
地を這う体勢のまま、俺は無理やり剣を振るう。
狙いは黒仮面の足下。
直接狙っては確実に防ぐか避けられるだろうが、足場の方ならどうか。
「――――」
此方の狙い通り、床をいきなり切り裂かれた事で一瞬だけ黒仮面の足が止まる。
俺はその隙に跳ね起きて、向かい合う形で改めて剣を構え直した。
自然と、胸の奥から大きな息が吐き出される。
ほんの僅かな攻防だったが、今までで一番消耗した気がする。
「さて……」
『《
再び相対する形になったところで、ようやくイーリスの声が耳に入ってきた。
《爪》――その呼び名は確か。
「都市を支配する真竜の、直属だとか何とか」
『そうだ! 真竜の腹心で都市における最強の個人戦力!
流石にまともにやるには相手が悪いぞ……!』
とはいえ向こうは殺る気満々で、とても逃がしてくれそうな雰囲気ではない。
加えて今は高速で移動中の「れっしゃ」の上。
物理的にも撤退するのは困難な状況だ。
であれば、やるべき事は一つしかあるまい。
『レックス……!』
「大丈夫だ。そっちは「れっしゃ」の運転とか任せる」
それは彼女に任せた仕事で、俺は俺の仕事がある。
そう、やるべき事は一つだけで、やれる事もまた同じだ。
敵をぶっ飛ばす。
相手が何者であろうと、何も変わらないのだ。
「――――っ!」
それは半ば直感によるものだった。
反射的に一歩踏み込み、同時にその場で剣を振り下ろす。
黒仮面との距離を考えれば、本来ならまったく届かない間合いだ。
しかしその刃は、再び眼前に迫って来た黒仮面を捉えていた。
ガッチリと、剣と爪が正面から噛み合い火花を散らす。
速い。恐らくは、下手な銃弾よりも。
「――――」
攻撃を防がれた事にも、一切反応を見せず。
速度変わらず黒仮面――いや、《爪》の攻撃は止まらない。
「ッ……!」
あらゆる角度から切り裂こうとする爪の連撃を、此方は剣で弾き落とす。
爪だけでなく、隙を見て捻じ込まれる蹴りも避けるなりして何とか対処を続ける。
弾く。弾く。避ける。弾く。避ける。弾く。弾く。
火花が絶え間なく散り、衝撃にバランスが崩れないよう踏ん張る。
正直に言ってかなりキツい。
かなり無茶苦茶な動きをしているはずだが、《爪》は息の一つも乱していない。
『――レックス。そいつ、魔法を使ってるわ』
「マジか」
脳に直接響くのは、アウローラの《念話》だ。
思わず声に出して返事をしながら、防戦一方の状況は維持する。
『呪文式を直接身体に刻んでるみたいね。それも複数。
私も知らない魔術様式だわ』
「もうちょい分かりやすく」
『魔法を使う為の呪文が、身体の中に入ってるのよ。
だから詠唱無しで、呪文式に魔力を通すだけで発動できる。
今使っているのは多分《
少なくとも、爪と剣での殴り合いはもう一分以上は経過しているはずだ。
『呪文式に魔力を通し続ける事で、発動状態を維持し続けてるのね。
身体がボロボロになりそうだけど、肉体自体を強化する事で解決してるみたい』
「何だか良く分からんが凄い事だけは分かった」
『凄いって言ったら、そんな相手と普通に戦えてる貴方も大概なんだけどね?』
そうかな……いや正直防ぐので手一杯だが。
ともあれ、魔法については達人のアウローラでも知らない技術。
文字通りそれを己の手足として操りながら、《爪》の攻撃は止まらない。
『……やっぱり厳しい?』
「それなりに」
強がりではなく、事実としてそれなりにキツい。
何とかギリギリ防いではいるが、攻撃の圧力が強すぎて反撃には転じられない。
少しでも相手に隙が出来れば、そっから無理やり捻じ込むんだが。
『……なら、手助けするわ。本当は、私も直接手を出したいところだけど』
「無理はしなくていいぞ?」
『無理しないから、今無理をしてる貴方を手助けするのよ。間接的にね』
それは本当にありがたい話だ。
俺一人では、今の状況を打破するのは難しい。
「っと……! で、どうするんだ……!?」
首と、時間差で腕を狙ってきた爪を両方斬り払う。
かなりきわどかったが何とか反応出来た。
『今から言う事に返事はしなくて良いわ。声出ちゃってるもの。
――良い? レックス。貴方に魔法を教えてあげる』
まほう。俺が?
予想していなかった単語にまた声が出かけるが、それはぐっと呑み込む。
頭の中でアウローラの話は続く。
『記憶を失う前の貴方は魔法が使えていたのよ?
人並み以上の魔力はあったし、私が手ずから教えてあげたもの』
ほほう、そうだったのか。
胸中で相槌を打ちながら、襲ってくる爪の連撃を打ち払い続ける。
状態は拮抗しているようで、俺の方がジリジリと圧力に押されつつあった。
これを打開する一手が必要だ。
『今の貴方は記憶がない。
けど剣の振り方を忘れていなかったように、魔法の使い方も身体が覚えてるはず。
必要なのは、「使える」という自覚を持つ事だけ』
自覚か。簡単なようで難しい気もする。
自分が「魔法を使える」なんて、この話を聞く瞬間まで考えた事もなかったのだ。
それに対し、アウローラは「大丈夫」と思念の中で笑う。
『さっきも言った通り、私が教えたんだもの。
魔法とは、この世界の
己の意志一つで、あり得ぬモノを現実にする。
故に望む力とは、常にそれを望んだ者の内にこそある』
歌うように――いや、呪文を唱えるように、アウローラは俺に語り掛ける。
その声に従い、俺自身もまた内にある「何か」を意識した。
それは燃え尽きた残骸であり、同時に未だ燃え続ける炎そのもの。
魂とか、或いは生命とか。
そう呼ばれるモノと、其処から汲み上げる事の出来る力。
人が「魔力」と名付けた不可思議な諸力。
……成る程、確かに身体は扱い方を覚えているようだ。
『今の貴方では、下手に術式を行使するのは危険を伴うかもしれないけど……』
恐らく、アウローラは俺の状態を俺自身よりも把握しているのだろう。
その声に一瞬不安が過るが、俺は「大丈夫だ」と声に出さずに返しておいた。
今のまま戦い続けるのもジリ貧で、負ける可能性は十分にある。
ならば危険を覚悟で勝機を掴みに行く方が分かりやすい。
それに――。
『しくじったら死ぬだけ? ホント、いつもそれね。貴方は』
困ったような、呆れたような。
アウローラの笑う気配を感じながら、《爪》が振り下ろす一撃を柄で受け止める。
ギリギリの攻防の中、相手も何かに気付いたのかもしれない。
激しい攻め手は更に強引さを増して、俺を一息に仕留めようとしてくる。
物静かそうな見た目に似合わず、なかなかせっかちな奴だ。
『――使っても、この場では一度か二度。それでどうにかして頂戴』
「あぁ」
最後の忠告には、声を出して頷いた。
それを受けて、アウローラは手早く俺の頭に理屈や理論を詰め込んでくれる。
さて、こっからは賭けだ。
「――――」
《爪》は変わらず無言。
加速した攻撃は鋭さを増し、徐々に此方を削り取っていく。
だが俺の気配が変化したのを感じたか、強さと共に攻撃の動作も大きくなりつつある。
それでも「速さ」で上回る《爪》に対し、此方は防御に専念する他なかった。
――この瞬間までは。
「《
鋭く叫んだのは《力ある言葉》。
アウローラは「内なる魔力で編んだ術式を、声に乗せて世界に出力するのが呪文詠唱の基本」と言ってたか。
だが俺は理屈とか理論とかよく分からないので、兎に角気合いを乗せて叫んだ。
まったく雑な呪文の行使ではあるが、それに「世界」は応えた。
「――――っ!」
初めて、《爪》の無貌に驚きの色が浮かんだ。
叩き込まれた蹴り足が、俺の展開した薄い力場の「盾」に阻まれたのだ。
ほんの僅かだが、ようやく《爪》の攻撃に隙間が出来た。
「《
だからダメ押しに、至近距離で《火矢》の魔法を炸裂させた。
眼前で渦巻く三つの炎が、細い矢の形状となって《爪》へと向かう。
本来なら遠距離に飛ばすモノらしいが、だからって近くで撃ってはいけない事もないだろう。
狙いも何も出鱈目だし、実際に《爪》はその矢を簡単に弾き散らした。
まぁまだ慣れない魔法の結果ならこんなものだ。
それでも二手。
絶え間なかった《爪》の動きが遮る事が出来た。
「おらっ……!!」
其処を狙って、俺は自分で出した力場の「盾」を蹴り飛ばした。
ほんの一瞬だけ生じた隙へと捻じ込むように。
思い付きの
そして「盾」を蹴った勢いのまま踏み込んで、真っ直ぐに剣を振り下ろした。
「――――」
必殺のタイミングだが、敵もそう容易くはない。
《爪》は片足だけで大きく後ろに跳躍し、剣の切っ先は服を掠めるのみで終わる。
流石だが、これで攻守は完全に入れ替わった。
すぐさま地を蹴り、下がろうとする《爪》に追撃を仕掛ける。
五本の爪と刃が再度火花を散らした。
「っし……!」
鋭く息を吐き、剣を振るう力に更なる力を込める。
少しずつ、相手の爪は此方の刃に削られていく。既に僅かな罅も見える状態だ。
このまま打ち合いを続ければ、遠からず武器破壊に至るだろう。
俺はそれを狙い、更に押し込もうとする――が。
「っ――……!」
熱い。身体の内が燃えるような、あの感覚だ。
握っている剣も、焼けた鉄のように――或いは形を持った炎に変わってしまったような。
手指が焼け落ちる錯覚。本当に錯覚か?
以前のように力はまだ抜けておらず、身体を動かす事は出来る。
それでも意識の片隅では、竜の形を取って渦巻く炎が嘲笑っている気配がする。
『愚か者め』と繰り返し、本当にやかましい。
「レックス!」
耳に届いたのは、《念話》ではなくアウローラの悲鳴に近い呼びかけ。
しまったと、そう自覚した瞬間には手遅れだった。
身体に起こった異常に気を取られた、ほんの一瞬の隙。
その一瞬は、《爪》にとっても十分過ぎる時間だったようだ。
消える。目の前から《爪》の姿が、完全に。
速度ではない。それなら消える瞬間を捉えられているはずだ。
俺の頭に《
だが何処かに魔法で飛んだとして、一体何処に?
背後を含めた死角からの奇襲を意識したところで――トンッ、と。
胸の辺りに何かが触れた。
「――――」
《爪》だ。
位置は消える前にいた場所より、ほんの少し前進した場所。
つまるところ、俺の懐だ。剣の間合いや拳の間合いよりも更に近い。
殆ど密着した形で、俺の視界には相手の背中や後頭部ぐらいしか見えない状態だ。
右肩が俺の胸板に触れていて、そんな近くじゃ殴るのも難し――。
「がっ……!?」
衝撃が、時間だけ引き延ばした俺の意識を現実に引き戻した。
激しく吹き飛ばされた挙句、「れっしゃ」の先頭付近に思い切り叩きつけられた。
息が詰まり、全身に鈍い痛みが走る。
多分どっかの骨が折れたか砕けたかした気もするが、確かめている余裕はない。
今、俺は何をされた?
相手が《転移》で消えたと思ったら、懐に入り込む形で現れた。
そんで何故だか吹き飛ばされた。
駄目だ思い返してもまったく訳が分からん。
痛む身体と乱れる思考、それでも何とか立ち上がろうとするが。
「……ヤバ」
蒼い光が、正面の方から見える。
立ち位置を変えないまま、《爪》がこっちに向けて右手をかざしていた。
其処に灯る青い輝きは、どう考えてもヤバい奴だ。
直撃すれば多分死ぬと直感が告げている。
しかし避けるのも防ぐのも、今の状態では難しかった。
「――――」
爪は何も語らず、だが容赦なくその手の光を解き放った。
青白い閃光が、完全に俺の視界を染め上げて――。
「……《
そう言ったのはアウローラだった。
彼女はいつの間にか俺の前に立ち、《爪》が放った青い光を防いでくれたようだ。
恐らくはその余波で、彼女の周りは綺麗に抉られたように消滅していた。
成る程、これがイーリスの語っていた「《爪》の仕事の後は何もかも消える」という怪現象の種か。
「悪い、助かった……!」
「貴方が無事ならそれで良いわ」
立ち上がり、痛む身体でどうにか剣を構え直す。
異常はある程度治まった気がするが、やはり本調子とは言い難い。
不甲斐ない事極まりないが、アウローラは労わるように笑ってくれた。
それに応えたいが、今は《爪》に意識を集中させる。
ほっとくとまた第二、第三のヤバい攻撃が飛んでくる……と、思ったのだが。
「――――」
《爪》は何故か、魔法を放った状態のまま佇んでいた。
仮面越しの視線が向けられているのは、俺ではなくアウローラの方だ。
ここまで殆ど感情らしい感情を見せなかった《爪》だったが。
「……何故」
初めて聞こえて来た声には、僅かな困惑が滲んでいた。
その響きからして、仮面の下は思ったよりも若い娘かもしれない。
《爪》は風の中でも、とても良く通る声で。
眼前のアウローラに向けて、その言葉を投げかけた。
「何故、こんな場所に竜がいる」
「――――」
問われた当人――アウローラは、ただ穏やかな笑みを返した。
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