20話:彼女の真実
「それを貴方に答える意味があるかしら?」
そう言うアウローラの声は、いっそ優しげですらあった。
表情は変わらず微笑んだまま。
けれど傍にいて感じるのは、強い不快感だ。
無遠慮な言葉を投げて来た《爪》に、アウローラはお怒りのようだった。
穏やかな態度とは真逆で、相手に向ける怒りはどれ程か。
常人ならそれだけで心臓が止まりそうだが、《爪》は揺るがない。
「何処の都市を支配する真竜かは知らぬが、《
配下の《爪》を派遣するだけならばいざ知らず……」
「何の事を言ってるの? 悪いけれど、そんな話は私には関係ないの」
《爪》はまた知らない単語を口にしたが、アウローラは雑に話の腰を蹴飛ばす。
俺から離れる形で、一歩前に出る。
ただそれだけの動作だが、周囲への圧力は倍に増した気がする。
これまで不動であった《爪》も、それに圧されるように僅かに下がった。
「本当に、今の私は心底不快で不愉快なの。
それが何故か、説明しても貴方では理解できないでしょうね」
「…………」
一歩、二歩と、《爪》は後ろへ下がる。
アウローラの方は今以上には踏み出さない。
代わりに、「向かってくるなら塵も残さない」と全身で語っていた。
それに対する《爪》の行動は、実に賢明なものだ。
「…………」
最後は、現れた時と同じように無言で。
軽く跳んで、《爪》は「れっしゃ」の上から飛び降りた。
下を覗き見れば、あっという間に彼方へと落下し――そのまま姿を消した。
恐らくはまた《転移》か何か使って逃げたのだろう。
この場で仕留められれば一番楽だったが、こればかりは仕方ない。
「……ふぅ……」
《爪》の気配が去った事で、アウローラの怒りも風に溶けたようだった。
小さく息を吐き、細い肩からも力が抜ける。
それから、暫し無言。
何故かアウローラはこっちを見ずに、顔を少し背けるようにして佇むばかり。
はて、俺も機嫌悪くさせるような事をしてしまったか。
「……アウローラ?」
「っ、なに?」
びくりと。
呼びかけてみたら、少しだけ肩が震えるのが見えた。
位置的に表情はまだ見えない。が、構わずに。
「悪いな、俺のせいで取り逃がした。次はもうちょっと上手くやる」
「……それは、別に貴方のせいじゃないから。気にしなくて良いけど」
「そうか?」
そうは言っても、やはり仕留めきれなかったのは俺の落ち度な気がする。
首を傾げていると、ようやくアウローラが俺の方を見た。
拗ねているような、戸惑っているような。
何とも言えない表情で、俺の事を見上げて。
「……ねぇ」
「ん?」
「やっぱり、気付いていたんじゃないの?」
「???」
一体何の話だろうか。
本当に分からなかったのだが、続くアウローラの言葉で理解する。
「私が――竜だって事よ。気付いてたんでしょ?」
あぁ、その事か。
確かに《爪》がそんな事を言ってたな、ウン。
俺の中では其処まで重要ではなかったので、余り気にしていなかった。
「まぁ普通の人間じゃないよなー、程度には思ってたな。
なんかさんぜんねんとか言ってるし」
「……じゃあ、私の正体が竜だって、気付いてなかったの?」
「気付いてないっていうか、気にしてなかったな」
我ながらしっくりする言葉が出て来た。
「
人間だとか竜だとかは、どうでも良いとは言わんがそんな重要でもない」
「…………」
俺の答えに、アウローラは驚いた……というか、呆気に取られた顔をして。
それから直ぐに、滲むような笑みに変わった。
それにもやっぱり呆れが混じっているようだったが。
「……貴方、記憶がないから。私の方はそれなりに気にしてたのだけど」
「そいつは悪かった。俺も話したくない事まで無理に聞くつもりはなかったしな」
そういうのは、本人が話したくなったらしてくれればいい。
まぁ俺自身の状態については、そろそろ確認した方が良い気はしているが。
「……そうね。まだ話してない事は、幾つかあるけど。
それについても、いい加減説明するわ。
気になるって、貴方の顔にも書いてあるし」
「バレバレか」
「たまに魔法で思考の表面を読み取ったりはしてるけどね?」
それも初耳だ。
ウカツな事は考えない方が良いな、これは。
「いつも読み取ってるわけじゃないから安心して。必要そうな時だけよ」
「どういう時が「必要」なのかは分からんが、まぁそれはいいや。
あの《爪》とかいうのは逃げたが、もう他に敵はいないか?」
流れで呑気に会話をしていたが、新手が襲撃してくる気配はない。
俺の言葉に、アウローラは小さく頷き。
「今のところはね。イーリスにも確認は取ったわ。
けど、いつまでもそうとは限らない。
バレた以上はこのまま素直に到着出来るとも思えないわね」
「そりゃそうだろうな」
到着した先で、待ち伏せの戦力ぐらいは用意してるだろう。
またあの《爪》が襲ってくる可能性も十分ある。
「だから少し前にイーリスとも相談して、此処で列車を放棄する事にしたわ。
もっと言うと、停止する為の装置は壊してそのまま突っ込ませるの」
「ド派手」
それなら仮に待ち伏せされていたとしても、そいつらはタダじゃ済むまい。
「その前に、私達は《転移》で脱出するけどね?
上層との距離も十分近くなったし、これなら安全に飛ぶ事が出来るわ」
「あぁ、やっぱり飛ぶ場所が遠いと危なかったりするんだな」
下層では割と乱用していたが、アレも地味に危なかったんだろうか。
「術式に事故防止は含まれてるけど、それでも壁や地面に突っ込む事故はあるから。
それでどうなるかは貴方の想像力にお任せするわ」
「やった本人は面白い事にはなりそうもないなぁ」
傍から見てる分には愉快というか、滑稽かもしれないが。
まぁそれは兎も角、脱出するなら急ぐべきだろう。
「イーリス?」
今さらながら、さっきからイーリスの反応がない事が気になった。
その場で呼びかけてみるが、反応はない。
「……どうしたのかしらね。
貴方が戦ってる間は、ちゃんと反応あったのだけど」
「何かあったのかもしれんな」
仮に異常が起これば分かるとは思うが。
アウローラの方でも把握していないようで、緩く首を傾げている。
とりあえず急ぎ、先頭の車体へと移動してイーリスの様子を確認する事にした。
「イーリス、どうした?」
幾つもの「機械」が光を点した空間。
それらが如何なる用途を持つかは知らないが、其処にイーリスはいた。
ただ何かを思い悩むように俯き、その場からピクリとも動かない。
俺の呼びかけにも反応しなかったので、軽く肩を叩いてみた。
「おい、大丈夫か?」
「……あぁ、悪い。大丈夫だ」
それでようやく、絞り出すような声が返って来た。
顔を上げるイーリスの表情には、何か思い詰めたような気配が漂っている。
正直、あまり大丈夫そうには見えない。
「何かあったのか?」
「……整理出来たら話す。だから、今は」
「分かった」
イーリス自身がそう言うなら、此方は待つだけだ。
即頷いた俺に対し、イーリスは少しだけ表情を緩めて苦笑いを溢した。
「――さ、お話はその辺にして。今は離脱を優先しましょう?」
俺の後に続き、アウローラが軽く手を叩きながら入ってきた。
確かに、此処でのんびりして「れっしゃ」の後始末に巻き込まれるなんて間抜けは避けたい。
イーリスも急ぐよう促す言葉には素直に頷く。
それから、「機械」に対して最後の操作を行ってから離れた。
「自動停止の機能を解除して、動力の
後はコイツ自身が勝手に限界まで加速して、上層にある発着場に突っ込むはずだ」
「上出来ね」
破壊工作の報告に、アウローラは上機嫌に頷いた。
そうしてから改めて、俺とイーリスの手に細い指を絡める。
「これから《転移》に入るから、絶対に離さないようにね」
「分かってるよ」
「おう、頼んだ」
言われた通り、指は離さないようしっかり握りしめる。
その感触を確かめると同時に、ぐにゃりと周囲の景色が歪んだ。
アウローラの《転移》が発動したのだ。
身体は奇妙な浮遊感に包まれ、景色は全て遠ざかって白に染まる。
こうなったら物理的な距離に意味はなくなる。
遠くで何かが激突し、爆ぜたようなド派手な轟音が響いた気がするが、確かめる術はない。
そうして惨事を約束された「れっしゃ」から、俺達は無事に離脱したのだった。
「……さて、何処から話しましょうか」
それから、俺達は直ぐに上層に着いた――わけではなかった。
正確には、上層と呼ばれるエリアの手前。
俺達が《転移》で跳んだ先は、人の気配も殆どない通路の片隅だった。
其処でアウローラの「隠れ家」に繋げて、そのまま休息を取る流れになった。
イーリスの話では、この辺りは上層に出入りする人や物をチェックする場に繋がる通路らしい。
要するに、昔で言う関所みたいなものか。
頻繁に出入りがあるような場所でもないらしく、普段は人の通りはほぼ無いそうだ。
そんなわけで、実際に上層に入る前に一度腰を落ち着ける事になった。
「……竜、って話は本当なのか?」
「ええ、本当よ」
恐る恐る聞いて来たイーリスに、アウローラはあっさりと答えを返す。
竜が支配する都市の住人としては、協力相手も竜と分かって複雑な気分だろうか。
イーリスは「マジかよ……」と小さく呟いて。
そうしてから改めて、アウローラに視線を向ける。
「人間にしか見えねェけどなぁ……」
「そりゃ人の姿を取っているんだからそうでしょうね。竜体を見せたら信じる?」
「勘弁してくれ。
ただ単に、オレの知ってる竜とは随分違うなって、そう思っただけだよ」
「ふむ」
イーリスの知る竜となると、都市の支配者らしいマーレ何とかだろう。
そういえば、ソイツがどういう見た目をしているかは聞いていなかったな。
「なに? 真竜とかいうのは、まさか普段から竜体を取ってるの?
都市の運営なんかしてて、無駄に大きいのなんて不便なだけでしょうに」
「竜って便利か否かで見た目決めてんの……?」
「まぁ図体デカいと普段は大変そうだよなぁ」
入れるような家も存在しないだろうし、頭とか凄いぶつけそうだ。
アウローラも竜らしいが、やはり竜の姿になったらデカくなるんだろうか。
「で、実際のところどうなんだ? そのマーレ何とかの見た目って」
「あー……マーレボルジェの見た目か。ぶっちゃけ、口じゃ説明し辛い。
とりあえず人間とはかけ離れてるし、あとキモい」
「キモい」
「多分、上層に行けばすぐ分かるから、後は自分で確かめてくれ」
明らかに説明を避けるイーリスの態度からして、よっぽどキモい外見のようだ。
一分の隙なく美少女なアウローラを見ると、正直想像し難い。
「……ヘンね」
「ん?」
「いえ、竜がそんな人の形から逸脱した姿を取るなんて」
そう言って、アウローラは不思議そうに首を傾げた。
「おかしいのか?」
「おかしい……わけではないけど。竜にとって肉体はあくまで器。
だからある程度は好きな姿に変わる事は出来るわ」
「ほうほう」
「当然、人間離れした姿にもなれるわね。
逆に竜体っていうのは、「竜としての本質を象った姿」で簡単には変えられない。
個体ごとに形も違うし、それも人間とはまったく異なる姿をしているわ」
竜と人間は違う種族なのだから、それは当たり前の話だった。
しかし。
「肉体は仮の器――だからこそ、「入っていて気分の良い形」ってのはあるの」
「と言うと?」
「人間だって服を着たとして、そのサイズが合わなかったりしたら不快でしょう?
趣味に合わない服を無理やり着るでもいいわ」
「あー、成る程」
服に例えられた事で、何となく感覚は理解出来た。
竜にとって肉体とは人にとっての服と同じ、というすさまじい話でもある。
「大半の竜は、人の姿は便利でそれほど不快でもない形っていう認識ね。
中には殆ど人間の姿だけで過ごす物好きもいるけど、そのレベルは流石に少数派ね」
「マーレボルジェも、一応人型っちゃ人型だな。
人間より遥かにデカいし、ぶっちゃけ怪物って姿だけど」
記憶に思い描いてしまったか、イーリスは気持ち悪そうに顔を歪めた。
そこまでキモのか、マーレ何とか。
「ふぅん……まぁ余程の変わり者なら、そういう姿を普段使いするかもしれないわね」
「まったく無いわけじゃないのか」
「大抵の竜は、見た目の良い人間の姿を取るものだけどね」
成る程。確かにアウローラなど、神々しいぐらいの美少女だしな。
そんな俺の思念を読んだのか、当の本人が微妙にドヤ顔でポーズなど取り出した。
お世辞抜きに可愛いので、実際良い目の保養である。
「あー……話戻してもいいか?」
脱線してどっかに飛んでいきそうな話の流れを、イーリスは素早く引き戻した。
確かに、今の本題はそれではなかった気がする。
「ええ、そうね。それで何の話だったかしら?」
「とりあえず、アンタが竜だって事は分かったよ。
そっちのレックスが、それをマジで今まで知らなかった事もな」
呼ばれたので、とりあえず親指を立てておいた。
俺は自分の知ってる範囲しか言ってないので、騙していたわけではないぞ。
「まぁ、人間だの竜だのはこの際いいわ。
けど三千年前の竜が、一体何を目的で動いてんのか。
協力者としちゃ、その辺りが気になるのは当然の話だろ?」
「深く踏み込まない、って選択肢もあるんじゃないかしら?」
「それはアンタが『正体不明の誰かさん』だったらの話だ」
わざとはぐらかそうとするアウローラにも、イーリスは引き下がる様子はない。
竜と敵対する人間が、実は手を組んだ相手が竜だと知ってしまったら。
まぁイーリスのように、踏み込んで聞かざるを得ないだろう。
それが文字通り、竜の尾を踏む事になったとしても。
「……そうね」
ちらりと、アウローラは俺の方に視線を向けて来た。
読心の魔法は使えないが、言いたい事は何となく分かった。
「俺も気になるっちゃ気になるが、別に無理に聞くつもりはないな。
アウローラが話す気になったならそれで良いけどな」
「……まぁ、そっちはそうだよな。オレはそんな気楽にゃ言えねェけど」
俺がそう答えるのは、イーリスの予想の範疇であったらしい。
アウローラは口を閉ざして、暫しの沈黙が流れる。
やがて。
「……分かった。私が竜だって事もバレてしまったし、良い機会と思いましょうか。
全てを話すわけではないけど、話せる事は話しましょう」
「良いのか?」
「ええ、大丈夫。私も腹を括らなきゃいけないでしょうし」
俺の言葉に、アウローラは少しだけ苦い笑みで応える。
全てを話すわけではない、と言っていたが。
それについてイーリスも文句はないようで、先ずはアウローラの話を聞く姿勢のようだ。
一体、彼女は俺達に何を語るのか。
「先ず、大前提として私の目的から打ち明けるわ」
目的。野望。
廃城では、ハッキリと言葉にする事はしなかったが。
「“今の”私の目的は――そこの彼、レックスの完全な蘇生を成し遂げる事。それだけよ」
まるで祈りを捧げるような穏やかさで。
アウローラは、その胸の内に秘めていた
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