第二章:死神は赤く笑う

124話:波乱の予感

 

「いやぁ、本当に助かったよ。

 お酒は好きなんだけど、どうしても飲み過ぎてしまうタチでね」

 

 そう言って、灰色の女は朗らかに笑った。

 破落戸連中を追い払った後。

 酔い潰れていた彼女は結局目を覚ます事はなかった。

 仕方がないので宿泊している部屋まで連れて行ったが朝までぐっすりだ。

 ちなみにウィリアムは部屋に到着する前に別れた。

 まぁ宿泊場所も違うし当然なんだが、面倒をこっちに投げた感も否めない。

 ともあれ、幸い全員で寝泊まり出来るように大部屋を確保していた事。

 アウローラは例の如く俺のところに潜り込むので床に寝かせる必要はなかった。

 そして現在。

 

「私の事はドロシアと呼んでくれ。

 生憎と家名の方は今は持ち合わせが無くてね」

 

 目覚めた灰色の女――ドロシアは、酒はもうすっかり抜け切った様子だった。

 室内に用意されたテーブルに着いて、テレサの用意したお茶を啜っている。

 寝て起きても恰好は帽子と厚い外套を身に着けたまま。

 しかし覆面は外していて、その顔は傷痕が目立つがかなり整っていた。

 少女と呼ぶには大人びた容貌だが、同時に年齢はぱっと見では良く分からない。

 こうして改めて話をするとまったく無害そうなんだが。

 

「イーリスだ。オレらがたまたま通りかかったから良かったけどよ。

 あのまま路地裏に連れ込まれてたらどうなってたか」

「ウン、それはもう感謝の言葉も無いよ。

 そうなったら色々面倒なのは間違いなかった」

 

 イーリスの言葉にハハハと笑うドロシア。

 微かに漂う血の匂いに、気付いているのは俺とテレサ。

 竜の二人も気付いてはいるだろうが、余り気にはしていないだろう。

 こういうのを纏っているのは、大抵が「殺し過ぎた」ような手合いだ。

 洗い落とす暇もなく血を浴び続けたせいで、何時しか身体に血の匂いが染み込む。

 ドロシアの言葉や態度には、そんな狂人の気配は感じられない。今のところは。

 ……こっちの勘違いじゃなければよっぽどだな。

 観察する俺の視線に気付いたか、ドロシアがこっちを見てくる。

 その瞳の色は深い森のような緑だった。

 

「それで、君が私を助けてくれたんだろう?

 しつこいようだが、本当にありがとう」

「いや、偶々だしな。俺の事はレックスと呼んでくれ。

 で、こっちがアウローラで、こっちがボレアス。

 お茶を淹れてくれたのがイーリスの姉のテレサだ」

「随分大所帯、かつ見目麗しいお嬢さんばかりだね。羨ましいよ」

「だろ?」

 

 そこは素直に自慢しておいた。

 ドロシアは面白そうに喉を鳴らし、それから中身が半分程になったカップを置く。

 

「……ところで、君達も《死亡遊戯》に参加している闘士なのかな?」

「それは俺だけだ。他は……付き添い?」

「ハハハハ、此処にいる美少女全員がかい?

 君は実に面白いな、レックス。そんな奴はそうそういないよ」

「そういうアンタも結構美人だけどな」

「おや、随分とお上手だね」

 

 お世辞を受け流す感じでドロシアはクスクスと笑う。

 実際に美人だし、仕草や言葉も終始穏やかだ。

 同時に触れれば切れるナイフのような、鋭く尖った印象も見え隠れする。

 

「多分、これでも君よりは結構年上でね。

 あまり年寄りの女をからかうもんじゃないよ?」

「ん? そうなのか? 全然そうは見えないが」

「私はほら、この通りだから」

 

 俺の疑問に、ドロシアは帽子を外す。

 それから肩の辺りまで伸びた銀色の髪を軽く掻き上げた。

 見えるのは短く尖った耳の先だ。

 

半森人ハーフエルフか」

「そういう事。多分君の倍以上は軽く生きてると思うよ。

 ……まぁそっちも、兜や鎧のせいで声ぐらいしか判断材料が無いんだが」

 

 そう言って、ドロシアは軽く苦笑いを浮かべる。

 この見た目に関してはこっちも事情があるので勘弁して貰いたい。

 しかし半森人とは。

 ウィリアムの奴は気付いていたんだろうか?

 

「……それで?」

 

 と、今まで黙って様子を見ていたアウローラが口を開く。

 彼女は警戒という程ではないが、やや棘のある空気をドロシアに向けていた。

 

「その口ぶりからすると、貴女も闘士のようだけど」

「あぁ。まだ都市に入って来たばかりの新参者だけどね」

「だったら、私達――レックスとは敵対関係にあるようなものでしょう?

 随分と気安いようだけれど」

 

 さりげなく、けれどわざとらしく敵意をちらつかせる態度。

 恐らくドロシアの反応が見たいのだろう。

 アウローラの真意を知ってか知らずか、問われたドロシアの態度は変わらない。

 あくまで穏やかな雰囲気のまま軽く笑ってみせる。

 

「敵かどうかは状況次第。

 《死亡遊戯》とは言うけれど、必ずしも常に殺し合うワケじゃない。

 共闘する事もあればそうでない事もある。

 だったら強そうな相手と仲良くするのも一つの戦術って奴だよ」

「それで油断するなら後ろから刺せるとか、そんな感じか?」

「それも良いけど、本当に強い相手にそれをするのは余り好きじゃないかな」

 

 俺の言葉にドロシアは小さく首を横に振った。

 それから初めて、彼女の表情から笑顔の気配が消えた。

 いや、相変わらず口元は笑っている。

 ただ俺を見る眼は、獲物を狙う獣のような鋭さを帯びていた。

 うーん、やっぱ本性はそんな感じか。

 

「――レックス。

 助けてくれた君にはとても感謝している。

 それと同じぐらい、君と此処で出会えた事もね」

「そうか」

「君は強い。見れば分かるよ。しかも私が知る『強者』とは何処か異なる。

 白状すれば、初めて君を認識した瞬間から胸が高鳴りっぱなしだ」

 

 そう語るドロシアの声は自然と熱くなっていく。

 うん、ヤバい奴かなとは思ってたが。

 案の定というか、予想通りかそれ以上にヤバい奴だった。

 微かに漂う血の匂いに、更に微妙な殺意まで混じり始めた。

 流石にこの場で殺る気はないだろう。

 それはそれとして昂るのを抑え切れなくなっているようだ。

 俺としては反応しても喜ばれるだけなので無視(スルー)一択。

 が、俺の腕に引っ付いてるアウローラは必ずしもその限りじゃない。

 こっちはこっちで隠しようもない怒気が漏れ出して来た。

 この辺りでようやく異常に気付いたイーリスが思いっ切り顔を引き攣らせる。

 さて、ちょっと空気がヤバいな。

 そんな危機感とは対照的に、ニコニコ笑顔のドロシアさん。

 先の言葉にどう返すべきかと。

 俺が微妙に頭を悩ませていると――。

 

「……失礼。客人に対して言う事ではないだろうが。

 些か不躾に過ぎると思わないか?」

 

 間に割って入って来たのはテレサだった。

 彼女の声は機械的で、其処には感情も敵意も含まれていない。

 だからこそ強く釘を刺すように、ドロシアへと警告を発していた。

 恐らく、アウローラが本格的にキレる前に牽制しておきたかったんだろう。

 その警告を受けても、ドロシアの笑みは変わらない。

 但し、滲み出ていた殺気は引っ込んでいく。

 

「失敬、失敬。どうも昨日の酒がまだ残っていたみたいだ。

 やっぱり飲み過ぎは良くないね」

「ええ、自省すると宜しいでしょう」

「ちなみに君は《死亡遊戯》には参加しないのかな?

 彼ほどじゃないけど、君もなかなか良さそうに見えるのに」

「彼の次は私とか、節操が無さ過ぎるのでは?」

 

 応じるテレサの声は実に冷たい。

 とりあえず、今にも火が点きそうな空気は流れてくれたようだ。

 

「なんだ、やらんのか?

 面白い見世物になるかと少々期待していたのだがな」

「お前は黙ってなさい」

 

 本気とも冗談ともつかない調子で笑うボレアス。

 即座にツッコミながらアウローラは唸る。

 ちなみに原因であるドロシアは、その発言にパタパタと手を振って。

 

「いやいや、今のはちょっと昂っちゃっただけだから。

 最初からこんな場所でヤる気はないよ?」

「ホントかよ。明らかに目がヤバかっただろ」

「ホントホント、だからそんなにヒかなくて良いよ?」

 

 どうやらヒかれている自覚はあったらしい。

 明らかに距離を取るイーリスに、ドロシアはにこやかに語り掛けた。

 その態度にますますドン引きされてるのは、果たして分かっているのやら。

 

「釣れないなぁ、君も。

 それはそれとして、さっき言った事は本音だけどね?」

「ちょっと素直に喜べんなぁ」

「おや、私としてはなかなかの一目惚れなんだけどね」

「そりゃ光栄だね」

 

 まぁ好意を向けられて悪い気はしない。

 悪い気はしないが、ちょっとアウローラの様子が怖い。

 彼女も流石にこの程度でブチ切れる程に大人げなくはない。

 それでも不機嫌は不機嫌なので、宥めるつもりでゆっくりと頭を撫でた。

 一方、テレサも普段よりも厳しい表情だ。

 ドロシアの態度が彼女の何かに引っ掛かったのか。

 その辺は俺には良く分からなかった。

 

「――さて、世話になった上に余り長居するのは良くないね」

 

 微妙な雰囲気の中、ドロシアが椅子から立ち上がる。

 特に不審な点のない日常的な動作。

 ただ、「立ち上がる」という動きの「起こり」がまったく見えなかった。

 さっきまで椅子に座っていたはずなのに、気付いたらそこらに立っている。

 ドロシアからは一瞬たりとも意識は外していないにも関わらずだ。

 うん、これは思った以上にヤバい奴かも知れないな。

 

「私はこれでお暇させて貰うよ。

 あぁ、お茶は美味しかった。ご馳走様」

「それはどうも」

「おっと、冷たい反応。これは嫌われてしまったかな?」

「好かれたいなら相応に振る舞えって話だろ」

 

 イーリスのツッコミにドロシアは誤魔化すように笑った。

 それから一度だけ俺の方を見て。

 

「君もまた《死亡遊戯》に出るだろう? その時は楽しく殺り合おうか」

「組み合わせはランダムなんだから、顔合わせるとは限らんだろう」

「いいや、きっと同じ戦場に立つ事になるよ。それが運命って奴だ」

 

 意味深なような、イマイチ不明瞭な言葉だけ言い残して。

 ドロシアは軽い足取りで俺達の部屋を後にした。

 気配が完全に去った後も微妙な沈黙が続き。

 

「……レックス」

「はい」

「どうして貴方はああいう変なのに好かれるの?」

「わかんない」

 

 正直、素直に「好かれた」と表現して良いものか。

 相手からすれば好意だろうが、飢えた獣に目を付けられた感覚だ。

 とりあえず、ご機嫌斜めなアウローラを膝に抱っこして撫でくり回す。

 イーリスなんかはやや呆れ顔で。

 

「あー、何だ。ウン。

 ……とりあえず責任は取ろうぜ?」

「俺は悪い事してないよね??」

 

 むしろ間違いなく善行をした方なのに、どうしてこうなるのか。

 ボレアスは相変わらずのニヤニヤ笑いだ。

 

「あの女も、まだ底を見せたワケではなかろう。

 油断して足元など掬われんようにな?」

「ご心配ドーモ」

 

 何処でどう絡む事になるのか、それは俺には分からない。

 分からないが、予感めいたモノはあった。

 恐らくはドロシアの語った言葉通りになるだろう、そんな予感が。

 

「……ま、いつも通りにやるだけか」

 

 俺にとっては毎度の結論だ。

 戦う事になれば戦うだけだし、それ以外の場合はその時はその時。

 だから俺の方には大きな問題はなかった。

 気になるのはテレサだった。

 

「…………」

 

 彼女は何も言わないまま、ドロシアが出て行った扉に意識を向けていた。

 何かされていないか、何か仕掛けてくるのではないか。

 その辺りを全力で警戒しているのだろう。

 杞憂だとは思うが、そうさせるだけの印象をドロシアは残して行った。

 ……今日もこのまま《死亡遊戯》に参加する予定だが。

 

「一波乱あるだろうなぁ」

 

 それも多分、一度や二度じゃ済まないようなのが。

 何の根拠もない単なる勘働きに過ぎない。

 けれどある種の確信を込めて、俺は小さく呟いた。

 

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