第六章:蒼褪めた少女の絵画

106話:朝の風景

 

『――間もなく、起床時間です。

 繰り返します。間もなく、起床時間です。

 学生の皆様、おはよう御座います。

 今日も良く学び、良き一日をお過ごしください』

 

 その声を耳にしながら、俺は目を覚ました。

 朝が来たようだが、部屋はカーテンも閉め切ってあるので薄暗い。

 広い寝台の上から身を起こそうとして……少し止まる。

 身体に柔らかい重みが引っ掛かっていた。

 

「んっ……」

 

 微かに聞こえる甘い吐息。

 俺の腕を枕代わりに、アウローラが小さく寝息を立てていた。

 まだ微妙に眠気が残っている頭。

 その中から昨夜の記憶を引っ張り出す。

 確か大浴場で一頻り騒いだ後、そのまま流れで部屋に戻って来た。

 後は酔った勢いでやっぱり騒いでから、力尽きて就寝という流れだったはず。

 そのせいか、俺も珍しく兜も鎧も付けていない状態だ。

 もっと言うと何も付けてない。

 アウローラも似たようなもので、良く見ると眠っているのは彼女だけじゃない。

 テレサとイーリスの姉妹は二人寄り添って、小さく丸くなっている。

 ボレアスだけは何故か床に転がって寝息を立てていた。

 ベッドの端で毛布を被るマレウスの姿も見えた。

 ――うん、やはり今日辺り死ぬんじゃないだろうか。

 そんな事を何となく考えていると。

 

『――この放送は、通常の「校則」適用者には認識されません。

 レックス様、レックス様。《黄金夜会》会長、イヴリス様がお待ちです。

 お時間ありましたら、イヴリス様の執務室までお越しください。

 繰り返します――』

「む」

 

 聞こえて来た言葉に俺は顔を上げる。

 どうやらイヴリスからの呼び出しらしい。

 一応協力関係ではあるし、行っておくべきだろうな。

 そうなると、直ぐに支度する必要があるな。

 気持ち良さそうに眠る姿を見ると、多少罪悪感が沸いて来る。

 が、この場合は仕方ない。

 

「アウローラ?」

「んっ……?」

 

 出来るだけ顔を近付けて、小さく囁く声で呼びかける。

 指で軽く身体を揺すると瞼がうっすらと開く。

 それから彼女は、寝惚けたまま俺の唇に噛み付いて来た。

 夢の中ではきっと、昨日の大浴場の続きでも見ていたんだろう。

 細い少女の身体を抱き起しながら、その短い戯れに応える。

 暫し熱を交えてから、微かな吐息と共に離れる。

 アウローラはまだ寝惚けた顔をしていた。

 

「レックス……?」

「あぁ。起こして悪いが、ちょっと頼めるか?」

「ん……なに……?」

「鎧と兜。着けて貰って良いか?」

「あぁ……うん、分かったわ。ちょっと待ってね」

 

 甘えるように何度か唇を触れさせて。

 アウローラの指が俺の身体をなぞると、一瞬でフル装備の状態になる。

 一瞬、全裸で鎧兜だけ身に着けるという惨事も危惧したが。

 別にそんな事はなく、正しい意味でのフル装備だ。

 半分寝ていても関係無いのは流石だな。

 

「ありがとうな」

「んーん、このぐらいは別に……」

「ほら、昨日騒いでまだ眠たいだろ。

 もう少し休んでて良いからな」

「ん……けど、今日も、訓練課程が……」

「ちょっとぐらいサボったって大丈夫だ」

 

 夢現で呟くアウローラ。

 そんな彼女の頭を撫でてから、そっと寝台に横たえる。

 竜が風邪を引く事はないだろうが、一応身体には毛布を掛けておいた。

 なるべく音を立てないよう、ゆっくりと寝室を後にする。

 部屋を出てから、俺は改めて自分の装備を確認した。

 鎧兜に不備は無く、腰にはいつもの剣。

 懐に入れてある賦活剤など細かい道具も過不足無し。

 何かあったとしても問題なく対応できる状態だ。

 

「ヨシ」

 

 朝から呼び出しを掛けて来た意図は不明だが。

 呼ばれた以上は、とりあえず行ってみるか。

 そうして向かおうとした直後。

 

「……待って」

 

 不意に後ろから呼び止められた。

 何となく予感はあった。

 だから特に驚きはせず、その場で振り返る。

 其処に立っていたのはマレウスだった。

 衣服は当然身に着けているので実際安心だ。

 

「おはよう、マレウス」

「ええ、おはよう。

 ……それで、今の放送は……?」

「あぁ、やっぱり聞こえてたのか」

 

 だから彼女も目が覚めたか。

 呼び出した側もこうなる事を想定していたのか。

 

「聞いての通り、ちょっと呼び出しだな。

 俺は行くけど、そっちはどうする?」

「……付いて行って構わないの?」

「そりゃな。呼ばれたのは俺だが、一人で来いとは言われてないし」

 

 俺の言葉に、マレウスは微妙に困惑した様子だ。

 まぁ彼女が来るのも、相手からすれば予定通りかもしれんし。

 その辺は良く分からんので流れに任せよう。

 若干迷ったようだが、程なくマレウスは頷いて。

 

「私も行くわ。あの子が――イヴリスが何を考えているのか。

 出来れば、それも確かめたいから」

「素直に話してくれる気は全くしないけどな」

 

 それに関しては、俺も殆ど分かっていない。

 あの蒼褪めた少女は薄い笑みの奥に何処までも本心を隠している。

 《七不思議》も残りは二つ。

 そろそろ腹の底を覗きたいところだ。

 

「このまま行って良いか?」

「ええ、大丈夫」

 

 短く確認をしてから、俺とマレウスは寮の部屋を出る。

 廊下の窓からは朝日が差し込み、澄んだ空気はキラキラと輝いて見える。

 まだまだ早い時間だが、何人かの生徒達はもう活動しているようだ。

 若く、いっそ幼いと言っても良いぐらいの少年少女。

 彼らは俺やマレウスを見ると、軽く手を振って挨拶してきた。

 

「おはよう御座います、マレウス先生。

 それと変な鎧の人!」

「おはよう、皆。朝早くから頑張ってるのね。

 それと変な鎧の人は止めましょうね?」

「見たまんまだし、別に気にしてないけどな」

 

 たまたま出くわした戦闘訓練とか。

 そういうのにちょっと付き合ってる内に、一部には知られた形だ。

 扱いが珍獣とかそっち系な気もするが、まぁ良いか。

 俺の言葉にマレウスは少し苦笑いをこぼす。

 

「一応、貴方は立場的にはお客さんなんだから。

 最低限の礼儀は必要だと思うの」

「だ、そうだ。俺は気にしないから、先生の見てる処は気を付けろよ」

「はーい」

 

 そんな具合で、通りすがりの生徒達と和やかに会話を交わす。

 去り際にも手を振る彼らに応じながら、俺とマレウスは通路を進んで行く。

 

「知らないところで、随分仲良くなってたのね」

「まー多少はな。珍しい動物扱いっぽいけど」

「それはちょっと……ごめんなさい、笑ってしまって」

「いやいや」

 

 ついつい笑ってしまったマレウスに、俺も小さく笑った。

 《学園》の朝は本当に穏やかだ。

 けれど時間が経てば生徒の数も増えて、徐々に賑やかさも増していく。

 見知った顔を見かける度に、挨拶と軽い会話を重ねた。

 それは一般生徒が立ち入り出来ない、《黄金夜会》の階層に入るまで続いた。

 生徒達の喧騒は遠ざかり、静寂が漂う寂しい場所。

 その奥で、俺達を呼び出した張本人が待っているはずだ。

 

「……そういえば、貴方と二人で話すのって初めてね」

「言われてみればそうだな」

 

 肩を並べて、寂しい通路を二人で歩きながら。

 マレウスは小さく呟くように言った。

 

「最初に話を聞いた時は、本当に驚いたわ。

 姉さん――アウローラが、貴方の為に三千年も費やしたなんて」

「そりゃまぁ驚くよな」

「昔のあの人を知っていれば特にね。

 私にとっては大好きな姉だけれど、多くの人はそうじゃなかったから」

「その辺は俺も間接的にしか知らないけどな」

 

 大昔の悪名とか、伝え聞くだけでも凄そうだしな。

 マレウスは困ったような、或いは懐かしがるような笑みを浮かべる。

 大半の者が過去のアウローラを忌み嫌う中で。

 彼女だけは、そんなアウローラの事も慕っていたのか。

 其処にどれだけの想いがあるのかは、俺も想像が付かない。

 

「あの人は変わらないようで、凄く変わっていた。

 私はあの人が好きだけど、あんな風に接してくれる事なんて無かった。

 それは本当にうれしい反面――凄く、嫉妬もしてるの」

「嫉妬?」

「私、かなりのシスコンだからね?」

「あー」

 

 そう言われると、なかなか返す言葉に困る。

 思わず唸ってしまった俺に、マレウスはクスクスと笑い声を漏らした。

 その表情は、とても幸せそうに見えた。

 

「妬いてるのは本心だけど。

 それ以上に、貴方には感謝してるのよ」

「む、そうなのか?」

「そうよ。貴方の為に、あの人は短くない時間を投げ出して。

 それでも今、本当に幸せそうだから」

 

 優しく、そして穏やかな声。

 マレウスは自分の姉の事を、本当に心から思っている。

 まだ付き合いは短いし、まともに会話したのはこれが初めてぐらいだが。

 その気持ちは強く伝わって来た。

 

「だから、貴方には本当に感謝してる。

 ありがとう、レックス。あの人を幸せにしてくれて」

「どういたしまして――って言うのも、何かおかしな話だな」

「そうかもしれないわね」

 

 クスリと、楽しげに微笑むマレウス。

 そんな風に話しをすれば、通路に落ちる静寂も少し軽くなった気がする。

 悪くない時間だが、そろそろ目的地も見えて来た。

 《黄金夜会》のボス、イヴリスの待つ執務室。

 その扉の前に立つと。

 

「――どうぞ、入って下さい。鍵は開いてますから」

 

 タイミング良く、中から本人の声が響いた。

 まぁ当然と言うべきか、こっちの事は監視なり何なりしてるよな。

 傍らに立つマレウスに視線を向ける。

 彼女は黙したまま、此方に小さく頷き返した。

 やや緊張しているようだが、多分大丈夫だろう。

 なので俺は遠慮なく扉を開いた。

 確か訪れるのは二度目かそのぐらいの豪奢な部屋。

 正面の大きな机に座る蒼褪めた少女――夜会の長であるイヴリス。

 相変わらず腹の底が見えない笑みを浮かべている。

 その斜め後ろに控えるのは、黒い翼の少女オーガスタ。

 加えてもう二人。

 片方は昨夜に一応顔は見た相手で、確かホーエンハイムだったな。

 もう一人、黒髪の青年はボレアスの話でチラっと出ていたはず。

 名前は確かヤオフェイだったかな?

 

「朝早くから呼び出してしまい、申し訳ありません。ご迷惑でしたか?」

「いやいや、大丈夫」

「それは良かった。いえ、昨夜は随分お楽しみのようでしたから」

 

 言いながら、イヴリスは意地悪く微笑む。

 大浴場のアレコレを知られているという事実。

 それにマレウスは思わず真っ赤になる。

 いやまぁあんだけ騒げば仕方ないよな、ウン。

 

「? 何の話ですか?」

「貴女は聞かなくて良い事よ、オーガスタ」

「……まさか、学内の風紀を乱すような事では……」

「大丈夫っ、気にしないで良いからねっ。

 それよりオーガスタ、昨日の怪我は大丈夫なの??」

「はぁ。そちらは、もう問題ありません。

 ……助けて頂いた事は、感謝します。副学長」

 

 マレウスに誤魔化されて微妙に疑問符が浮かんでるみたいだが。

 オーガスタはやや言い難そうにしながらも、恩師に対して礼を口にした。

 とりあえずは良いか……と思ったら、微妙に視線を感じる。

 それは横で聞いていた眼鏡の青年の目だった。

 ちらっと様子を伺うと、ホーエンハイムは凄い渋い顔でこっちを見ていた。

 突っ込むと藪蛇な気がするから流しておこう。

 

「で、会長。オレらも何も聞かされずに集まったンですけド?」

 

 空気を読まず、ヤオフェイはイヴリスに問いかける。

 言われた方は実に楽しそうに笑って。

 

「ええ、集まって貰った理由は言うまでもないと思うけど」

「ちゃんと説明してくれるよな?」

「ええ、勿論。

 今日はこれから、六つ目の《七不思議》を停止させようと思います」

 

 六つ目の《七不思議》。

 今のところ、俺達は五つの怪異をどうにかして来た。

 残っているのは後二つ。

 最後の七つ目は詳細不明で、もう一つの呼び名は確か……。

 

「――『美術室の幽霊少女』」

 

 イヴリスがそれを口にした。

 怪談話の類なせいか、どうにも不吉な響きのある言葉だ。

 

「さて、その上で提案があります。レックス」

「聞こうか」

「これから私と貴方――それとマレウス先生の三人。

 このメンバーで、美術室の怪異に会いに行きませんか?」

 

 それに対して、俺が何か答えるより早く。

 控えていた他の夜会メンバーが軽くざわついた。

 イヴリスの発言はそれほど意外だったらしい。

 特にオーガスタは目に見えて動揺していた。

 

「イヴ会長!? 一体何を言って……!」

「元々、美術室の怪異は私の担当。

 二人には付き添いをして貰うだけ。何か問題ある?」

「問題なんて……!」

 

 多分、大いにあるんだろうな。

 会長のイヴリスの言葉だから強く言えないだけで。

 ホーエンハイムとヤオフェイの二人は何とも言えない様子だ。

 そんな他三人のメンバーの様子など、何処吹く風と言わんばかりに。

 イヴリスは俺とマレウスの方に微笑む。

 

「上手く片付ける事が出来れば、残すのは最後の怪異だけ。

 そうすれば『学園長』も黙って見てはいないでしょう。

 ――ほら、悪い話では無いと思いますよ?」

 

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