幕間5:黄金の残り火

 

 ――この《学園》で「学園長」が知り得ない事はない。

 狭く完璧な箱庭の内側。

 あらゆる生徒達の行動を「学園長」は見ている。

 彼らの語る言葉も何もかも、「学園長」は把握していた。

 其処に例外は一つも無い。

 《学園》に身を置く限り、「学園長」は全てを見聞きしている。

 誰も触れられない暗い水底に沈んだまま。

 「学園長」は唯一人、《学園》の全てを俯瞰していた。

 《黄金夜会》――あの哀れな子供達の儚い抵抗も。

 マレウスが招き入れた不確定要素イレギュラーの新入生達の動きも。

 全て、全て、「学園長」の掌の上で起こった出来事。

 

『――経過は順調』

 

 誰も聞く事のない呟き。

 それは魚の呼吸音のようなもの。

 顕現した《七不思議セヴンス・ワンダー》の内、既に五つが機能を停止した。

 常なら夜会メンバーの大半を犠牲にしなければ得られない結果だ。

 場合によっては何も知らない生徒からも被害が出る可能性も十分にあった。

 それを死者も無しに、これだけ早期に大半を無力化してしまうとは。

 「学園長」は人間的な感情を持ち合わせていない。

 持ち合わせていないが、それが「驚嘆」すべき事だとは理解していた。

 引き続き、実験を継続しなければ。

 

「――ぁ、ちょっと、ダメよ。アウローラ……!」

「あら、何がダメなのかしら?

 ハッキリ言って貰わないと分からないのだけど」

 

 誰もいない孤独な水底。

 其処に浮かび上がる映像と、流れる音声。

 繰り返すが、「学園長」はこの《学園》の全てを見聞きしている。

 故にその光景も観察していた。

 暗闇に映し出されているのは大浴場の様子だ。

 立ち込める湯煙で映像はやや不鮮明だが。

 上質な酒に満たされた浴槽で、竜である少女達が戯れている。

 赤い髪の少女――マレウス。

 彼女の身体をくすぐるように触れている金髪の少女。

 アウローラと呼ばれていたはずだ。

 お湯の温度と立ち上る酒気のせいで、彼女らの肌は赤く上気している。

 

「まったく、背丈は私と変わらないのにね?

 どうしてこういう部分の大きさは違うのかしら」

「に、人間の姿なら貴女も別に調整できるでしょ?」

「ええ、そのぐらいは当然よ。

 でも『合わない』せいかストレスなのよ。

 私はこのぐらいが一番落ち着くの」

 

 かなり遠慮のない行為だが、やられているマレウス本人は別に嫌そうではない。

 むしろ触れ合える事を喜んでいるようにも見える。

 戯れているのは彼女達だけではない。

 より正確に言えば、一人の男に二人の少女が寄りかかっている。

 此方は殆ど上せているに近い状態で、沈まぬよう男が軽く抱えていた。

 

「クソ、色ボケドラゴンめ……!」

「イーリス、あまりホントのことを言うのは……」

「聞こえてるわよ二人とも??

 まぁ今夜は全部大目に見て上げますけど」

 

 愉快そうに笑うアウローラ。

 彼女はマレウスを両腕に捕まえて、男の胸元に甘える。

 マレウスは困った顔で笑いながらも、その状況を楽しんでいるようだ。

 暗い水底に、輝く黄金のようにその光景は映し出される。

 「学園長」は全てを見ていた。

 と――大浴場に近付く一つの気配を感じ取る。

 今は時間外で、一般生徒の大浴場の使用は禁じられている。

 加えて邪魔が入らないよう、アウローラが人払いの結界も敷いているはずだが。

 それらを全て無視してやって来たのは――。

 

「……何だ、酒の匂いに誘われてみれば。

 我抜きで随分と楽しそうな事をしているじゃないか、長子殿?」

 

 大きく開かれた扉。

 其処に立っているのは赤黒く燃える髪の少女。

 豊満な肢体を惜しげもなく晒す彼女は、確かボレアスだったか。

 半分酔っているアウローラも、その闖入者には少々驚いた顔を見せる。

 

「ボレアス? アンタ寝てたはずじゃ……というか、どうやって制服脱いだのよ」

「上等な酒の匂いに目が覚めたのだ。

 あと服だが、この扉の前辺りで自然に脱げたぞ?」

「あー……ウン、流石にお風呂に入る時に脱げないと面倒でしょ……?」

 

 ボレアスの制服は、ボレアス自身では脱げないよう固く封がなされている。

 だがそれを仕込んだマレウスの方が一部例外的な処理を組み込んでいたらしい。

 ともあれもう一人の竜は躊躇いなく宴に踏み込む。

 酒の湯船に身を沈めると、心地良さそうな吐息を漏らした。

 

「はぁ……うん、悪くない。悪くない趣向だな。

 長子殿にしては実に悪くない」

「一言余計よ、もう。

 ……まぁ良いわ、今夜は全部大目に見るって決めたもの。

 レックスが楽しんでくれていればね?」

「ヤバい」

 

 風呂なのに兜だけ身に着けた男は、どうやら語彙力が死んでしまったらしい。

 兜は先ほど一瞬だけ消えたが、いつの間にやらまた被っていた。

 おかげで顔色は見えないが、余り酒に酔っている様子は無いようだ。

 面覆いに隠れた視線は少女達を良く見ているし、手はさりげなく触ったり撫でたりしている。

 その対象は主にアウローラで、その度に少女は嬉しそうな声で鳴いている。

 ボレアスはやや距離を置いた位置で、宴の様子を眺める。

 

「随分と楽しんでいるな? 竜殺し」

「明日死ぬんじゃないかと心配ですよ」

「ハハハハ、竜でなき身なれば明日の命など知れぬものよ。

 精々今を楽しめば良いさ。我も久方ぶりに愉快な気分だ」

 

 喉の奥で笑いながら、ボレアスは不意に動いた。

 行く先はアウローラと彼女に捕まったままのマレウス。

 竜の姉妹の戯れにもう一人が加わる。

 

「お前はお前で、長子殿に可愛がられて幸せそうだな?」

「ちょ、ボレアス、言い方っ」

「なんだ事実だろう。長子殿とて満更でもあるまい?」

「あら、貴女も可愛がって欲しいのかしら」

「我は下に置かれるより、上から組み敷くのが好みでなぁ」

 

 互いの体温が伝わる距離。

 酒と雰囲気に酔った彼女達の戯れは続く。

 それは酷く平和で幸福な一幕だった。

 男はその様子を見ながら、時折彼女達の髪や肌に触れる。

 抱き締めて、少女の方が男に口付けを交わす。

 アウローラだけでなく、マレウスの方も啄む程度に。

 彼女はむしろ、自身の姉にそうする事を好むようだった。

 された方も何処か嬉しそうに笑い、お返しのように肌に噛み付いた。

 

「こんな状態だ、昂っておるのではないか? 竜殺しよ」

「正直大分な」

「この好きモノめ」

 

 意地の悪い笑みと共に、ボレアスは男に囁く。

 そのままその首筋に牙を立てた。

 キスと呼ぶには暴力的過ぎる、獣の口づけ。

 赤い血が滲む痕は所有印を思わせる。

 それを見たアウローラは少し不満げな顔を見せた。

 

「ちょっと、私のレックスに何するの」

「ハハハ、大目に見るのではなかったのか? 長子殿」

「限度ってものがあるのよ、まったく……」

 

 そう言いながらも、アウローラはボレアスをそれ以上咎めはしなかった。

 代わりと言うように、男に刻まれた噛み痕に唇を触れさせる。

 歯形から僅かに滲む赤い血。

 それを少しも逃さぬように舌先で拭い取る。

 そうしてから、他に見せつけるように同じ個所へと口付けた。

 その様にボレアスは笑い、マレウスは頬を染める。

 

「どう? 痛くない?」

「あぁ、元々そんな痛くなかったしな」

「それはアルコールで感覚が鈍ってるだけよ。

 ほら、ちゃんと分かる?」

 

 囁きつつ、アウローラは悪戯を仕掛けるようにより密着する。

 お互いの心音が直接伝わる距離。

 それを見て触発されたのか、ボレアスもマレウスを引っ張ってくっついた。

 身体の熱も心臓の鼓動も、その場の全員で共有するように。

 

「どうして貴女まで引っ付いてるのよ」

「人間の言葉では『裸の付き合い』というモノがあるらしい。

 同じ竜王同士だ、偶には親睦を深めるのも良かろう?」

「そうね、私はこういうのはちょっと嬉しいわ」

 

 気恥ずかし気に、けれど心底嬉しそうに。

 マレウスは微笑んでいた。

 その表情も、温かく濡れた肌も髪も。

 全てが美しかった。

 《学園》を余さず見聞きする「学園長」は、当然その様も見ていた。

 溢れた言葉は、魚のため息ほどに意味は無い。

 宴の中心にいる男は、満ち足りた様子で少女達を愛でていた。

 主に膝の上を占有するアウローラを。

 彼女もまた実に満足げな様子だ。

 

「あー、そろそろ上がるか?

 テレサとイーリスは完全にのぼせてるだろ、コレ」

「いや、のぼせてねェ、のぼせてねェから」

「わたしは、その、しょうじき、あたまがクラクラと……」


  口ではそう言いながらも、二人共に呂律も怪しい有様だ。

  かろうじて手指は男の腕や身体にしがみつく。

 が、男が捕まえていないとそのまま湯舟に沈みかねない様子だ。


「だらしないわね、二人とも。

 治療は後でも十分出来るから、もう少し楽しみましょう?

 何なら二人にこのまま悪戯してみる?」

「アウローラ、流石にそれはダメよ」

「我はまだ来たばかりであるし、もう少しゆるりと過ごしたいところだな」

 

 意識も定かでない二人の姉妹。

 男の腕に支えられた彼女らを、アウローラは実に楽しげに撫で回す。

 一応マレウスが制止しているが、余り意味は無いようだ。

 ボレアスは我関せずとばかりに、男の傍らで湯加減を楽しんでいる。

 男はまた少し笑い――それから兜越しに、僅かに視線を上げた。

 それは丁度、映像越しに「学園長」と目線がかち合う形で。

 

「? どうした、竜殺しよ」

「いや、何でも無い」

 

 ボレアスの問いに、男は小さく首を横に振る。

 視線が絡んだのは本当に一瞬。

 気のせいだと判断したか、何かしら他の意図があるのか。

 「見られている」という事実について、男は触れる事はしなかった。

 「学園長」は変わらず、暗い水底でその様子を見続ける。

 

『……間もなくだ』

 

 そう、間もなく夜は明ける。

 五つの怪異は停止して、六つ目の怪異も彼らは容易く処理するだろう。

 そうなれば、残されるのは最後の不思議。

 《学園》に生きる者達の中で、《七不思議》を知らない者は一人もいない。

 真実か虚偽かの括りに意味は無く、ただ「知っている」事が重要だ。

 その全員が、やはり例外なく知っている事。

 

『七つ目の不思議は、存在しない』

 

 空白とされているその正体。

 その秘密と謎は、この《学園》の深い場所に埋めてある。

 容易く掘り返す事は不可能だが……彼らなら、恐らく探し当てるだろう。

 そうなれば回る歯車はもう止められない。

 今回の実験は最終段階に移行する。

 結果が分かり切ってる実験だとしても、最後まで確かめなければ。

 箱の中に入れた猫が、死んでいるか否かを。

 例え箱に猫の亡骸を詰めたのが「自分達」だとしても。

 

『《黄金夜会》――いや、イヴリスは果たしてどう動くか』

 

 それもまた、新入生以外に「学園長」が期待する僅かな不確定要素イレギュラーだ。

 この《学園》の全てを知るはずの「学園長」。

  そんな「学園長」ですら、あの蒼褪めた少女の真意は分からない。

 表向き――それすら裏だが――は夜会の長として「七不思議」実験に参加しているが。

 分からない。だが、分からないというのは希望だ。

 

「きゃっ!? ちょっとアウローラ……!」

「逃げちゃダメだったら。もうちょっと触らせなさい。

 ほらボレアスも手伝いなさいよ」

「ハハハ、長子殿の命とあらば致し方ないな。

 竜殺しも遠慮せずとも良いぞ?」

「はい」

「あんまり私以外を構うと拗ねるからね? 分かってる?」

 

 映像には変わらず、黄金にも等しい現在が映し出されている。

 己の思考に没頭しながら「学園長」はそれを見続けていた。

 何かを思う感情は「学園長」の中には遺っていない。

 全て、そう全て、過去と共に置き去った。

 故に何者ではない誰かはただ、束の間の光景を見ていた。

 ――楽しみも喜びも、怒りも哀しみも。

 「学園長」と呼ばれる誰かの中には、もう残っていないけれど。

 

『……貴女は今、幸せですか』

 

 かつて、誰かが誰かに向けた問いかけ。

 その言葉だけは、未だ消えぬ残り火のように灯り続けていた。


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