105話:酒池肉林

 

 学生達が生活する寮には大きな浴場がある。

 決まった時間しか開いておらず、本来なら真夜中には使用できない。

 けどそこはそれ、此方には副学長のマレウスがいる。

 彼女は管理術式である《アヴェスター》に幾つか語り掛ける。

 それで時間外での浴場の使用を特別に許可された。

 就寝時間はとっくに回った夜の学生寮。

 他の生徒達は一人もおらず、浴場は私達の貸し切り状態。

 なかなか悪くない気分ね。

 

「御苦労様、マレウス。浴槽のお湯も含めてね」

「ははは。まぁこのぐらいは大した労力じゃないから」

 

 本来なら十数人以上の人間が同時に入れる湯舟。

 マレウスがその力で沸かした綺麗なお湯に身を沈める。

 心地良い温かさが身に染みて、なかなか悪くない気分ね。

 直ぐ近くに入ったマレウスも気持ち良さそうに吐息を漏らした。

 肌の上を温かいお湯が流れる感覚。

 ええ、悪くない気分だわ。

 

「貴方はどう? レックス」

「いきかえる」

 

 珍しくだらしない声を漏らす彼。

 甲冑を帯びていない身体に、私は遠慮なく身を寄せる。

 最近は直接触れる事は少なかったから、少しドキドキするわね。

 レックスの方も同じ気持ちだろうか?

 彼の膝の上に座り、胸板に背中を軽く押し付けて。

 伝わってくる心音は、また別の心地良さを感じてしまう。

 

「……いや、まぁ。別に良いんだけどよ」

 

 やや離れた場所で、イーリスも湯舟に浸かっている。

 気恥ずかしさが勝っているようで、首の辺りまでしっかり身を沈めている。

 そんな遠慮せず、もっと傍に来れば良いのに。

 

「今さら肌見られたぐらいじゃ、別に恥ずかしくは……。

 いや、流石に一緒に風呂入るのは抵抗あるわ、ウン」

「あらあら、別に気にしなくて良いのに。テレサの方もね」

「あ、いえ、別に遠慮しているわけでは……」

 

 テレサは妹よりは近い位置だけど、それでもやっぱり距離を感じるわね。

 まったく困った姉妹ね。

 これは私とレックスの為の慰安なんだから。

 まぁ、気にしている事は分かってる。

 それが杞憂であると示す為に、私はレックスの顔辺りに触れる。

 身体とは違い、指先に感じるのは硬い感触。

 

「ほら、レックスの兜は付けっぱなしだから。

 ちょっと細工もして視界も普段の半分ぐらい。

 だから恥ずかしがる事なんて無いのよ?」

「正直危ないと思うんですよコレ」

 

 転びそう、と言われるとその通りね。

 そこはホラ、私が手を握っておくから大丈夫よ。

 

「だからええ、遠慮しなくて良いのよ?

 マレウスも湯煙は濃い目にしてくれてるから」

「ホントは水着とか用意しようと思ったんだけどね……」

「それは何か違う気がするからダメよ」

 

 私の言葉に苦笑いを浮かべるマレウス。

 それはそれとして。

 

「あぁ、私を見る時だけは視界に制限は無いから。

 好きなだけ見てくれて良いからね?」

 

 喉の奥で笑いながら、私はレックスに囁きかける。

 自分で言ってちょっと恥ずかしさがせり上がって来たけど、それは抑え込む。

 そうよ、私は竜王の長子にして《最強最古》。

 ちょっと肌を見られて恥じらうような小娘達とは違うんだから。

 わざと深く身を寄せる私を、レックスは緩く抱き締める。

 浸かった湯舟よりも、触れ合う肌の温度が気持ち良い。

 

「どう? レックス」

「明日なんか酷い目に遭うんじゃないかって心配してるわ」

「そんなもの、貴方なら平気でしょう?」

「それは何とも言えんからなぁ」

 

 どうやら喜んでくれているみたいで、私も嬉しいわ。

 多少慣れて来たのか、姉妹も私達の方に少しずつ寄ってくる。

 イーリスは一つため息を吐いて。

 

「イチャつきたいなら個室でも用意した方が良いんじゃねぇの?

 邪魔する気ないぞオレ」

「それとこれとは別よ。

 これは私とレックスが貴方達で楽しむ為のイベントだもの。

  だから存分に楽しませて頂戴ね?」

「ホントに無茶苦茶言いやがるなコイツ……」

「まぁまぁ、イーリス」

 

 従順な姉と違って、妹はどうにも反抗的ね。

 まぁその反応も可愛らしいから許して上げるけど。

 ……それにしても。

 

「? なんだよ」

「いいえ、別に?」

 

 私の視線に気付いたようで、イーリスが少し首を傾げる。

 ついつい凝視してしまったけど、ウン。

 今度はなるべく気取られないよう、テレサの方を見る。

 こっちは――私とそう大差無いかしら。

 

「……まさか、貴女とこうして肩を並べてお風呂に入れるなんて。

 昔なら想像も出来なかったわね」

 

 感慨深げに呟くマレウス。

 そっちの方もチラリと見て――ううん。

 

「ねぇ、マレウス?」

「? なに、アウローラ」

「これは別に他意はないんだけど……貴女、こう、無理はしてない?」

「えっ?」

 

 マレウスは何だかドキッとした表情を見せる。

 

「それは――その……」

「あぁ良いのよ、言いたくないなら言わなくても」

「……アウローラ……」

「仮にも私達は竜王だものね。他者に弱味を悟らせたくは無いでしょう」

「? 何の話だ?」

 

 レックスは良く分かってない様子で私の頭を撫でている。

 いえ、言ってる私もだんだん何が言いたいか分からなくなって来てるけど。

 つまり、結論としては。

 

 「要するに――この姿の事よ」

 「えっ?」

 

 何故かビックリした様子のマレウス。

 多分、お互いの意思疎通に齟齬があったみたいね。

 なら此処はもうちょっと分かりやすく言葉にしましょう。

 だから、私が言いたいのは。

 

「竜にとって肉体は器だから、その形はある程度自由にできるわ。

 けど、「竜の魂が持つ形」を象る《竜体》以外の姿。

  これは竜によって『合う、合わない』がある。

 だから普段使いするような人間体は、なるべく負荷ストレスが少ないモノじゃないと……」

「ええと、アウローラ? 私は別に、この姿で特に問題は無いけど……」

「あら、そうなの? それなら――ええ、別に、良いんだけど」

 

 やや困惑した様子のマレウスの身体を、私は改めて見た。

 体格は多分、私の姿と大きく差はない。

 肉体の年齢的にも近似だと思う。

 外見は別人だから異なる箇所が多いのは道理だ。

 そう、私とマレウスは違うのだから、大きく違う部分があるのは当然で。

 

「そういやマレウスって、背の割には結構デカいよな」

 

 まるで矢のように鋭く飛んで来たイーリスの一言。

 それに脳天を撃ち抜かれたかのような錯覚を覚える。

 言われたマレウスの方は、流石に気恥ずかしそうに頬を染めて。

 

「ま、まぁ、そうなるのかしら?

 正直、あんまり気にした事なかったけど……」

「そうか? まーオレも邪魔になんなきゃ良いやってぐらいだけど」

 

 そう言って、イーリスは自分の胸辺りを指で触れる。

 慎ましやかな姉と違い、妹はかなり豊満だ。

 理不尽だとは思うけど凄く引っ叩きたくなる、胸を。

 

「その、主?」

「? な、何かしら」

 

 いつの間にやら、テレサが直ぐ傍に来ていた。

 変わらず恥じらった様子で、視線を少し彷徨わせている。

 一体どうしたのかしら。

 

「テレサ?」

「いや、その、何と申しますか。

 ……余り気にされる事も無いのでは、と言うか、ええ」

 

 それは多分、胸の事なんだろうけど。

 下手な慰めのようで、テレサの眼は何かを捉えていた。

 私はその目線を辿って……。

 

「……レックス?」

「はい」

 

 真後ろの彼と目があった。

 当然と言うべきか、自然の流れと言うべきか。

 色々と見ながら楽しんでるようで何よりね、ええ。

 ……テレサや私の身体も、ちゃんと見ているのかしら?

 確かめてみようかなんて、そんな悪戯心も湧き上がってくる。

 顔が熱いのは、きっとお湯の温度だけじゃないわよね。

 

「ねぇ、レックス」

「はい」

「マレウスやイーリスは、見てるだけで楽しいわよね?」

「あぁ、間違いないな」

「じゃあ、私やテレサはどう?

 こう言うのもなんだけど、あんまり見応えはないと思うけど」

「主、その、そう直接的に言われると……」

 

 もう、ちょっとは我慢しなさいな。

 私だって自分でやって大分恥ずかしいんだから。

 そんな此方の言葉に、レックスはほんの少しだけ考えてから。

 

「みんな可愛いと思うぞ?」

「……みんな?」

「アウローラは良く見えるから、特別にな」

 

 冗談っぽく笑って、レックスはまた私の頭を撫でる。

 そうして触れられる感触が気持ちよくて、声が漏れてしまいそう。

 こっちからも彼の腕を抱き締める。

 肌がこれ以上なく密着して、温かいお湯の中で体温が溶け合う。

 ……いけないわ、これはいけない。

 理性とか何もかも、この湯舟に流してしまいたくなる。

 

「あ、主……?」

「あら――羨ましい?」

「あ、いえ、そんな事は……!」

 

 顔を真っ赤にしたテレサは、私の目から見ても可愛らしい。

 だから試しに手招きをしてみた。

 最初は躊躇ったようだけど、直ぐに傍へと寄ってくる。

 若干遠慮したように距離があるけれど。

 良いわ、今夜だけは特別。

 

「! レックス殿……!?」

 

 私の意図をきちんと察してくれたみたい。

 レックスが伸ばした手は、軽くテレサの肩に触れた。

 固まってしまった彼女をレックスはそのまま抱き寄せる。

 あぁ、そんなに動揺しちゃって。

 

「普段の冷静な貴女も良いけれど、今の方が可愛らしいわよ?」

「あ、主もレックス殿も、お戯れを……」

「うん、嫌なら言ってくれていいからな?」

「いえ、嫌な事などは決して……!」

 

 そう、だったら遠慮する事は無いわよね?

 レックスに肩を抱かれて動くに動けないテレサ。

 その隠す物のない肌に、私も手を伸ばして指を触れさせる。

 細かい傷は多いけれど触り心地はとても良いわ。

 私にまで触れられて、テレサはますます真っ赤に茹で上がる。

 本当に可愛らしいわね。

 

「キスしてあげましょうか? それとも最初はレックスの方がいい?」

「主、一体何を……!?」

「あら、今夜は無礼講だから遠慮しなくていいのよ?」

 

 囁きながら、血色の良い頬に唇を寄せる。

 レックスは――凄く、視線を感じる。

 こういう見世物も好みなのかしら。

 喜んでくれているのが分かるから、私も一層昂ってしまう。

 テレサにも多分それは伝わっている。

 だから私は躊躇うことなく、彼女の身体を指で辿る。

 もっと可愛らしい反応を見せて、私や彼を楽しませて頂戴?

 と、三人で盛り上がっていたら――。

 

「おいコラ、人の姉をセクハラ全開で玩具にすんな」

 

 マレウスと胸の話で親睦を深めていたイーリス。

 彼女の横槍によって、場の空気が少し乱れてしまう。

 まったく、これからがお楽しみなのに。

 横ではマレウスも顔を赤くして此方の様子を見ている。

 ……あの子も、人間とは随分長く接して来たはずだけど。

 恋――とか、こういう経験は無かったのかしら?

 それはちょっと気になるわね。

 とはいえ、今はそれよりも……。

 

「貴女達も混ざる? 良いわよ、仲良くしましょう?」

「いや混ざらねぇよ???」

 

 イーリスの声と表情は、何言ってんだコイツと言わんばかり。

 まったく素直じゃないわね、この子は。

 制止はしに来ても別に怒ったりはしていない癖に。

 けど貴女はそうでも、もう一人はどうかしらね。

 

「ねぇ、マレウス。貴女はどう?」

「えっ、わ、私?」

「そうよ? 貴女もこっちに来て、一緒に身体を流さない?」

 

 甘く蕩けた声で、私は囁くように言う。

 テレサは半分ぐらいはお湯にのぼせた様子で、レックスの腕に身を預けている。

 そして私の言葉を聞いたマレウスは、ほんの少し悩んだ素振りを見せて……。

 

「おい、マレウス?」

「……その、ごめんなさいね。イーリス」

 

 恥じらいを含む笑みと共に。

 マレウスはそっとイーリスの肩を捕まえた。

 私の望むところを正確に汲みとってくれたようで何よりね。

 精々掴まれた程度だけど、力のないイーリスでは抜け出せない。

 そのままマレウスに引っ張られる形で、彼女もまた傍まで寄って来た。

 人肌が重なる湯舟のど真ん中。

 流石のイーリスも、近くでこっちの様子を見ると顔を赤くする。

 動揺を誤魔化し、何とか理性的に振る舞おうと最大限の努力が見て取れた。

 

「おい、ちょっとマジで洒落にならねぇから……!」

「あら、このぐらいは洒落だしお遊びよ?

 それとマレウス、一つお願いがあるのだけれど」

「ええと、次は何?」

 

 一糸まとわぬ状態では、イーリスも愛らしく身を捩るのが精々で。

 私はそれを眺めながら、マレウスの耳元でそっと囁く。

 その内容は、この場で彼女にやって欲しい事。

 「お願い」を聞いたマレウスは、私を見ながら一つ頷いた。

 本当に良い子で嬉しいわ、私。

 そして変化は密やかに、けれど速やかに進行した。

 

「……? アウローラ、これは?」

「気が付いた?」

 

 レックスの声に、私は満足げに笑ってみせる。

 湯舟から立ち上る湯煙に混じるのは、果実に似た芳香。

 甘く頭の中を溶かしてしまいそうなその香り。

 レックスと同様、匂いに気付いたイーリスは驚いた顔で私を見た。

 

「お前、これってまさか……!?」

「ええ、お酒よ。マレウスの魔力が通ってるから、竜にも効く奴ね」

「変換した私にも地味に効いてます」

 

 ハハハと笑うマレウス。

 もしかしてもう酔っ払ってるのかしら?

 ともあれ、これで準備も良し。

 こういうのは確か、人間は「酒池肉林」とか言ったはず。

 

「大丈夫、呑み過ぎてもちゃんと治して上げるし。

 難しい事も今は考えないで、ゆっくりこの時間を楽しみましょう?」

「明日も普通に訓練課程入ってるだろ……!?」

「イーリス、あきらめろ。こうなっては誰もとめられないから……」

 

 糞真面目な事を言う妹とは対象的に、姉の方は完全に陥落済みね。

 レックスに身を預ける彼女と同じように、私もまた彼の身体に手足を絡める。

 甘く香る酒気は理性と頭の一部を確実に麻痺させていた。

 そう、今は色んな事がどうでもよくて。

 ただ目の前の彼に甘えていたい。

 

「ねぇ、レックス。楽しんでる?」

「……そうだな」

 

 兜が隔たりになって邪魔だから、魔法で一時的に消し去る。

 湯煙が視界を、酒気が頭を痺れさせる今。

 彼をちゃんと見ているのは、私だけ。

 

「正直、明日死ぬんじゃないかと心配になってる」

「――もう」

 

 つまらない冗談を言う口を、私は噛み付くように塞ぐ。

 朝の気配はまだ随分遠いようで。

 今は暫し、この夜の宴に溺れる事にした。

 

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