104話:後始末

 

「無事かっ!?」

「ええ、見ての通りよ」

 

 合わせ鏡の世界から抜け出して。

 最初に駆け寄ってきたのはイーリスだった。

 別に心配する要素なんて欠片も無かったのに、気の小さい子ね。

 未だ足元がおぼつかないマレウスの肩を支えたまま、私は周囲を確認する。

 其処はあの古びた校舎――ではなく。

 元々いた《学園》の本校舎、最初に合わせ鏡に出くわした階段の踊り場だった。

 片手にぶら下げたオーガスタを下ろしてから後ろを振り向く。

 今出て来たばかりの鏡は完全に割れて使い物にならない状態だ。

 

「元の場所に戻ったのね?」

「ええ。主が鏡に入ってから程なく。

 何かが割れるような音がしたと思ったら、この場所に」

「成る程ね」

 

 私が怪異を破壊した事で、あの「過去の学校」も消えたわけね。

 試しに魔力を探知してみるけど、特に変わった事もない。

 無事に元の場所に戻ってこれたと見て間違いなさそう。

 そっちに意識を向けていると、軽く頭を撫でられる感触がした。

 見上げれば、其処にはレックスが立っていて。

 

「お疲れ」

「ん……ええ、流石にちょっとだけ大変だったわ」

 

 優しい手つきが嬉しくて、つい口元が綻んでしまう。

 直ぐにでも抱き着いて甘えたかったけど。

 

「マレウス?」

「ええ……大丈夫。傷も直ぐに塞げるから」

 

 そう言って、若干ふらつきながらもマレウスが私の腕から離れる。

 手足を軽く動かして状態を確認しているようだけど、特に異常もなさそうね。

 仮にも竜王が、これぐらいの負傷でどうにかなっても困るけど。

 それから、彼女は床に置いたオーガスタの傍に駆け寄る。

 こっちはこっちで怪我こそしてるけど、見たところ大した事は無さそうね。

 

「オーガスタ!」

「……どうやら酷く消耗しているようだ。

 マレウス副学長、彼女は私が預かりましょう」

 

 意識のないオーガスタに呼びかけるマレウス。

 そんな彼女の肩に触れながら、ホーエンハイムは淡々と言う。

 まぁ、あの小娘は《夜会》のメンバー。

 その身柄を向こうが預かるというのは確かに道理ね。

 ただ、それで済ませてお別れというわけにもいかない。

 

「ちょっと待ちなさいな」

「……すまないが、此方も此方で多忙の身だ。

 些末な事に拘っている暇はない」

「あら、言ってくれるわね青二才が」

 

 視線に込められた拒絶の意思と、ほんの少しの敵意。

 私と自分の力の差ぐらいは理解できるでしょうに。

 それにも関わらず、ホーエンハイムは私を正面から睨み据える。

 思った以上に強い瞳に、胸の奥の嗜虐心がちょっとだけ掻き立てられた。

 ホーエンハイムも私の変化には気付いたんでしょう。

 マレウスから手を離すと、オーガスタ含めて自分の背に庇うように立つ。

 ――こっちは穏便に話し合うつもりだったのにね?

 

「ちょ、オイ。アウローラっ?」

「イーリス、下がっているんだ」

 

 空気の不穏さを感じ取ったイーリスと、そんな妹を下がらせるテレサ。

 そうね、それで良い。巻き込まれても損するだけ。

 レックスは何も言わずに見守ってくれている。

 この状況、私に危険な事は一つもないと彼も理解してる。

 《七不思議》の内、二つの怪異が片付いた。

 後はこの小僧をちょっと締め上げて、腹の中身を吐き出させれば良い。

 そうすれば――。

 

「……待って」

 

 その声は、伸ばしかけた私の手を止めさせる。

 予想はしていたけれど、ね。

 

「マレウス、私が決めた事に文句を言うの?」

「ごめんなさい、アウローラ。

 それでも私は貴女を止めなくちゃならないの」

 

 まだ『合わせ鏡の怪』から受けたダメージが残っているでしょうに。

 自分を庇うホーエンハイムを押し退けるようにして、マレウスは私の前に立つ。

 一瞬、ホーエンハイムの表情が変わったのが見えた。

 驚愕と悲哀、その狭間にある葛藤。

 再度マレウスの肩に伸びかけた手は虚空を掴むだけ。

 彼は何も言わず、マレウスを見ている。

 そんな視線に気付いているかは不明だけど。

 当のマレウスの眼は、私だけを見ていた。

 

「この子達は、敵じゃないわ」

「私の言葉に逆らう以上は敵よ。貴女も知ってるでしょう」

「知ってる。ええ、知ってるわ。

 この世で最も古くて強い人、私達の偉大な長子。

 そうと決めた貴女が例外を認めない事も」

 

 両手を広げるようにして、マレウスは私の眼から後ろの二人を遮る。

 お得意の水の操作をしている様子も無い。

 彼女は無防備に、ただ自分の身体だけを盾にしている。

 それで私が躊躇うとかはマレウスだって微塵も考えていないはず。

 仮に攻撃をされても、竜である自分なら多少は持ち堪えられるだろうと。

 ただそれだけの希望的観測で、彼女は其処に立っている。

 ……本当に、この子は。

 

「どきなさい、マレウス」

「いいえ、どきません。

 無茶も無謀も全部承知している。

 それでも――私には、こうする事しか出来ない」

「そいつらが『学園長』の謀と関係してる事は間違いない。

 《七不思議》に関しても正直色々怪しいわ。

 だったら知っている事を全て吐かせた方が――」

 

 その言葉は。

 思いの外強い衝撃を伴って、私の中に響いた。

 マレウスが私の事を直接そんな風に呼ぶのは、初めてのはず。

 改めて彼女の顔を見る。

 其処にはホーエンハイムのような拒絶や敵意は微塵もない。

 あるのは私への親愛と、揺らぎのない決意。

 それを見て改めて理解した。

 私が何をしようと、マレウスは其処を退く気は無いのだと。

 

「この子達は、貴女達の敵じゃない。

 『学園長』と繋がっていても、それは間違いないわ」

「そう言い切れる根拠はあるの?」

「私が保証するわ。

 今は少し捻くれてるかもしれないけど、皆いい子だから」

「……それを根拠と言うのね、貴女は」

 

 嗚呼、本当に困った子だわ。

 苛立ちよりも呆れが来て、私は思わずため息をこぼした。

 多分……そう、多分だけど。

 昔の私なら容赦なくマレウスごと薙ぎ払ったんでしょうけど。

 今は何となく、そんな気分にはなれなかった。

 言って聞かないし、力で訴えても恐らく梃子でも動かないでしょう。

 無理やり吹き飛ばすという選択肢が取れない以上、答えは一つしかない。

 

「……良いわ、分かった。

 今この場だけは、貴女の顔に免じて私が引いてあげる」

「! 姉さん……」

「但し、それで私が慈悲の心に目覚めたとか思わないで頂戴。

 あくまで今、この場だけの話よ。

 今夜はもう疲れているし、揉め事が長引くのも面倒なだけ」

 

 喜びの余り今にも駆け寄ってきそうなマレウスの鼻先を軽く押さえて。。

 私は重要な事柄を念押ししておく。

 ちょっと甘い顔を見せたぐらいで、付け上がられても困るもの。

 だからその辺はハッキリさせておかないと。

 

「次に私と顔を合わせたら、今回の続きをさせて貰うわ。

 貴方もそのつもりでいなさい」

「……あぁ。この場は寛大な心に感謝しよう」

 

 若干皮肉の混じった言葉を返してくるホーエンハイム。

 本当に、若造の癖に良い度胸してるわね。

 

「話は終わった感じか?」

「ええ、まぁそうね。とりあえずは終わったけど……」

 

 言いながら、また私の頭を撫でるレックス。

 それだけで力が抜けてしまいそうだけど、今は堪える。

 一応、私や彼以外も見ている場だから。

 今さらそんな事を気にしても仕方ないと思うけどソレはソレ。

 

「貴方は何か言っておく事は無いの?」

「俺か? 俺はお前がしたいようにしてくれたら良いからなぁ」

「そう? まぁ、それなら良いんだけど……」

 

 言葉を交わしながら、レックスは私の頭をわしゃわしゃと撫で続ける。

 ちょっと、流石にそろそろ我慢が出来なくなりそう。

 もう外聞とか全部投げ出そうかと思ったところで……。

 

「それでは、私は失礼する。後の事は……」

「ええ、大丈夫。貴方こそ、オーガスタをお願いね」

「言われるまでも無く。……感謝します、マレウス副学長」

 

 オーガスタを抱えたホーエンハイムは、マレウスに一礼する。

 それから私達には一瞥も向けず、《夜会》の二人は夜の校舎に消えて行く。

 ……仕方がないので、私もそれを見送る事にした。

 まったく、こんな気紛れは千年は無いわよ。

 そんな私の様子に気付いたか、マレウスはやや躊躇いがちにこっちを見て。

 

「その――ありがとう、姉さん」

「気紛れよ、ただの気紛れ。二度目は期待しない事ね。

 ……それと」

「?」

「その呼び方、ちょっと止めなさい。

 慣れてないし、何というか――困るわ」

 

 そう、困る。困るから。

 だからその呼び方は、ちょっと止めなさい。

 確かに私は竜王の長子だし間違ってはいないけど。

 何やらイーリス辺りが笑ってる気配がするけど、とりあえず無視する。

 マレウスも嬉しそうな顔をするのは止めなさい。

 

「ごめんなさい。けど、感謝しているのは本当だから」

「当然よ。……まったく、気が抜けたせいでどっと疲れたわ」

 

 《七不思議》も立て続けに相手をする事になったし。

 ……あぁ、そういえば。

 

「貴女、あの鏡の怪異にしてやられたみたいだけど。

 身体の怪我以外は何とも無いの?」

 

 種類としてはタチの悪い精神攻撃に近かった。

 マレウスはああいうのは覿面に通じそうだし、その点は少し気になる。

 私が確認すると、マレウスは一瞬驚いた顔をした。

 

「なによ、その顔」

「あ――う、ううん。何というか、そこまで心配してくれてるとは思わなくって。

 けど、ええ。大丈夫。今はもう回復してるから」

「別に心配はしてないわよ」

 

 ええ、これは心配じゃなくて単なる確認作業だから。

 「学園長」をどうにかする前に、協力者の身に何かあっても困るもの。

 ニヤニヤしているイーリスはそろそろ引っ叩いて良いかしらね。

 そう考えた矢先、テレサがそれとなく抑えたようだから特別に見逃す事にする。

 あぁ、まったくもう。

 思わずため息一つこぼしたら、またレックスが私の頭を撫でる。

 それからひょいっと抱え上げられてしまった。

 

「レックス?」

「とりあえず今夜は片付いたっぽいし、いい加減に戻るか。

 アウローラなんて水浸しのままで流石に嫌だろ」

 

 言われて、私はやっと自分の状態を思い出す。

 多少乾いたとはいえ何度も水責めを喰らったせいで、服も何もびしょ濡れ。

 勿論、その気になれば魔法で直ぐ乾かせるけど。

 

「先ずは風呂だな、風呂。俺も入りたいし」

 

 レックスがこう言ってるから、仕方ないわよね?

 疲れた私を気遣ってくれているのもちゃんと伝わってくる。

 それが嬉しくて自然と笑ってしまった。

 他の目も多いけれど、気にして遠慮するのも馬鹿らしい。

 私は両手を広げ、しっかりレックスに抱き着く。

 

「ええ、本当に疲れてしまったわ。

 私と貴方以外が不甲斐ないから余計にね?

「アウローラの言う通りね。本当にごめんなさい」

「申し訳ございません、主」

「あぁ、面倒かけて悪かった。鏡に取り込まれたのは完全に油断だからな」

「いえ、別に責めてるワケじゃないけどね?」

 

 私の呟きにしおらしく謝ってくるマレウス。

 姉妹の方も似たような感じで、逆にこっちが困るわ。

 流れを戻そうと、私は小さく咳払いをする。

 

「ただまぁ、そうね。

 ホントに悪いと思ってるなら、私の事をしっかり労って貰いましょうか。

 異論のある子はいるかしら?」

「いや、そりゃ別に良いけどさ。

 労うって、具体的にどうしろって話だ?」

「それはちょっと悩んでるんだけどね。

 あぁ、マレウスも付き合って貰うけど良いわよね?」

「ええ、先にワガママを言ったのは私だもの」

 

 聞き分けが良くて大変結構。

 イーリスは首を捻ってるけど、まぁそんな無茶はしないから。

 

「俺も何かした方がいいか?」

「レックスは私と同じで労われる側よ。

 私の事も助けてくれたしね?」

「そう大した事はしてないけどな」

 

 本気でそう言ってる辺り、彼らしいわ。

 私を助ける前に、レックスは《七不思議》の一つを片付けたと言っていた。

 以前に聞いた騎士像とやらを含めれば、それで二つ。

 加えてボレアスが倒した「暴れ牛」。

 今夜に遭遇した「フラワーチャイルドさん」と「合わせ鏡の怪」。

 これで合計五つの怪異を停止させた。

 未だに不明の七番目も入れて、残る怪異は二つ。

 それで《七不思議》には片が付く。

 「学園長」の姿がハッキリしないのは気になるけど。

 まぁそれも何とかなるでしょう。

 

「アウローラ?」

「ん、ごめんなさい。少し考え事をしてたわ」

 

 黙り込んだ私を心配したか、顔を覗き込むレックス。

 その兜に此方から軽く唇を寄せる。

 考える必要のある事は、今は一旦棚上げしておく。

 明日の事は明日に任せて、今からは短い休息を楽しみましょうか。

 

「……それで、主よ。結局何をなさるので?」

「そうねぇ」

 

 テレサの問いかけに、私はほんの少しだけ意地悪く笑ってみせた。

 これに関しては本当に悩ましいけれど。

 此処はシンプルに、レックスの言葉通りにしましょうか。

 

「とりあえず、お風呂に入りましょう。

 ――ゆっくりと、今夜の疲れが癒えるようにね?」

 

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