幕間1:閑話休題


 ……そこまで語り終えたところで、アウローラはほっと息を吐いた。

 懐かしむように、慈しむように。

 膝の上で寝息を立てている男、その兜を指でなぞる。

 その表情は、心からの喜びに満ちた笑みに彩られていた。

 

「……と、ここまでが私と彼が初めて出会った時の話ね」

「《最古の邪悪》とか呼ばれてた割に、ちょっとチョロすぎねぇか??」

 

 しまった、つい本音が出ちまった。

 

「ちょ、イーリス……!?」

「ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ」

 

 思わず飛び出したオレの一言に、慌てふためく姉さん。

 ボレアスは腹を抱えて笑い出した。

 マイペースに欠伸をしているヴリトラは、とりあえず腹の辺りをもふっておく。

 いや、ホントに言うつもりなかったんだが。

 話を聞いてたら思わず。

 言われた当人はきょとんとした顔で。

 

「チョロいって何よ?」

「……いや、こう。

 今の話を聞く限り、割と最初っからほだされてんなーと」

 

 多分、アウローラ本人の感覚としては違うんだろう。

 「どうせすぐ死ぬけど、それまで利用してやる」とか。

 そういう感じなんだろうけども。

 聞いてるこっちからすると、何かこの時点で大分情が移ってるように思えた。

 オレの指摘に対し、アウローラはちょっと眉間に皺を寄せた。

 

「失礼ね。別にそんな事はないわよ」

「ホントか? 話してる感じもうその時点で結構楽しそうじゃね?」

「イーリス、流石にその辺にだな……」

 

 もう言っちまったもんは仕方ないと。

 開き直って素直に感想をぶつけてみる事にした。

 姉さんは何かハラハラしてるっぽいけど、まぁ多分大丈夫。

 アウローラは不快に思った様子はなく、ただ難しそうな顔で唸った。

 

「だから、最初はたまたま見つけた駒として使い捨てるつもりだったのよ?

 けどホラ、話した通りロクに進んでない内から死なれるんじゃ意味がないし。

 だからもう少しぐらいは頑張って貰わないと、って。

 それでちょっと手を出したぐらいで、あくまで必要だったからよ。

 そう、別に楽しんでいたワケじゃ…………」

 

 一人で言い訳っぽい言葉を並べ立てるアウローラ。

 しかし喋っている内に何かに気付いたのか、だんだんとトーンダウンしていく。

 それからちょっと考え込んで、一言。

 

「…………楽しかったのかしら、私」

「今さらかよ」

 

 話を聞いてるだけのこっちにも、十分伝わって来たよ。

 オレにツッコまれたアウローラは、ちらっと姉さんの方を見た。

 どうやら意見というか、オレ以外の感想も聞きたいらしい。

 それを察した姉さんはほんのり視線を彷徨わせ、それから観念した顔で頷く。

 

「……はい。その、失礼ながら。

 昔のレックス殿の世話をした、と話す時の貴方はとても楽しそうでした」

「…………そう。いえ、別に怒ってないからね?

 ただ、あの時の私は面倒だとかそういうことばかり考えてた気がするんだけど」

「まぁ、今とその当時じゃ思う事も違うだろうしなぁ」

 

 現在のアウローラは、文字通りレックスにベタ惚れだしな。

 初めて会った時に、コイツにどこまで感情を持ってたか分からんけど。

 ……もしかして、一目惚れだったんじゃないのか、とか。

 そんな事をチラっと考えたりもした。

 ただ、その辺りがどうあれ今のアウローラは幸せそうだ。

 ならそこまで好奇心でツッコむのは、まぁ単なる野暮だろう。

 だから、それはそれとして。

 

「やっぱコイツも最初はそこまで強くなかったんだなぁ」

「そうね。今の姿しか知らないと驚くでしょうけど」

 

 兜の表面を指で撫でながら、アウローラは少し苦笑いを浮かべる。

 考えてみれば当たり前な話だ。

 レックスだって生まれた時から化け物だったってワケじゃない事ぐらい。

 デカい怪物相手に剣一本で怯まず挑める辺り、その頃からネジが飛んでるけど。

 

「ちなみに、ここから先も山ほど死にかけるから」

「死にかける事に関しちゃ、今もそう変わんねェ気がする」

「イーリス。それは確かに事実かもしれないが、言い方というものがな……」

 

 姉さんのもあんまフォローになってなくね?

 オレは改めて、アウローラの膝で寝こけているレックスを見た。

 ……そんだけ何度も死にかけて、それでも死なずに旅を終えたんだよな。

 荒野を這い回る異形の「獣」どもと戦い続けて。

 北の果てを目指したかつての旅路。

 多くの勇士が挑み、誰一人として帰っては来なかった。

 その苦難の道を乗り越えた果てで、コイツは……。

 

「まぁ、最終的に我と相打って死ぬわけだがな」

「言い方をもう少し考えたらどう??」

 

 うん、それがこの昔語りの結末だ。

 その結果は知ってるし、別に今さらネタバレも何も無いけども。

 寝転がってニヤリと笑うボレアスに、アウローラはガチめに抗議の声を上げる。

 これに関しては、流石にオレも同意見だった。

 横で話を聞きながらも、ヴリトラ猫は我関せずな様子だ。

 

『まーオチは分かってるにしても、やっぱ面白い話だな。

 長兄殿なんて、誰かとそんな距離で一緒に行動するの初めてだったんじゃね?』

「そんな事は…………あるかもしれないわね」

『だろ? ぶっちゃけそれまで、命令する立場ばっかりだっただろ。

 だからこう、慣れない事してるから端々の行動が雑なのが透けて見えるというか』

「お前もお前でうるさいわよ」

 

 余計な一言のせいで睨まれると、ヴリトラは誤魔化すように猫の鳴き真似をした。

 睨みつつも、そのツッコミそのものは図星であったらしい。

 アウローラは小さくため息を漏らした。

 

「……まぁ、でもそうね。

 手駒の人間を使ったりとか、他の竜王きょうだいを利用したりとか。

 他の誰かと何かする時って大体そんな感じね。私」

「それは誰かと何かするって以前の奴じゃね?」

「言っててそんな気がしたわ。

 ……一応、三千年前のあの頃は《黒》と共謀はしてたけど。

 アレも各々が自分の役割をそれぞれ勝手に進めてただけだし……」

 

 アウローラが口にした、《黒》という名前。

 それは最近、似た単語を耳にしたばかりだった。

 

「その《黒》という方が、竜殺しの剣を主と共に鍛えたのでしたか」

「ええ、この地に魔法の秘儀を伝えた《十三始祖》の一人。

 その筆頭たる《闇の帝王》の息子。

 永遠の命を得たが故に、永生の運命に狂った同胞達を救うため。

 私と手を組み、全ての竜の力と魂を簒奪する《一つの剣》を鍛えた魔法使いね」

「…………改めて聞くと、とんでもないぐらい邪悪な話だよな」

 

 立場上が味方だってのが地味に信じがたくなる程度には。

 このツッコミは、アウローラは別に気にした様子もなかった。

 悪びれもせずに小さく肩を竦めて。

 

「昔の話よ。剣の役目も、今はレックスの蘇生を完成させる事が第一だから」

『長兄殿、変わったは変わったけど性根は大体昔のまんまでちょっと安心したわ』

「そこは安心するところではなかろう」

 

 ヴリトラ猫の呑気な言葉に、ボレアスがツッコミを入れる。

 まぁ、コイツの性根が邪悪なのはそれこそ今さらだから置いとくとして。

 

「その《黒》って奴について、その後は何か知ってるのか?」

「残念だけど、私はレックスの蘇生術式を構築するのに必死だったから。

 彼が死んでからの三千年の事は殆ど知らないわ。

 当然、《黒》がどうなったかについてもね」

「やはり、そうなりますか」

「ええ。……真竜どもが古竜の魂を封印するのに使っている術式。

 アレは私が開発したのを改良したモノだから。

 多分、どこかで《黒》が関わったのは間違いないと思うけどね」

 

 今はどうなっているのか、と。

 アウローラは割とどうでも良さそうに呟いた。

 ……少なくとも、《黒》という名を聞いたのはこれが初めてだ。

 ただ、あの《天空城塞》で見たゲマトリアの日記。

 そこに記されていた、「裏切り者の黒い魔法使い」という一文。

 もしかしたら、それが昔のアウローラの共犯者。

 三千年前に《黒》と呼ばれた始祖なんじゃないか。

 

「……まぁ、まだ想像の域は出ないよな」

 

 オレは唇の中で小さく呟いた。

 《黒》という始祖と、ゲマトリアの日記にあった裏切り者の魔法使い。

 その二つがイコールで結ばれるとは限らない。

 限らないが、無関係と思えないのも事実だった。

 

「? どうかしたの?」

「あー、いや。ちょっと気になる事がな。

 詳しい事はまた後で話すよ」

 

 あの城で得た千年前の事。

 ボロボロのレックスの世話だとかで、実はまだきちんと話せてなかった。

 ただ、今は三千年前のアウローラ達の事を聞いておきたい。

 多分、こんな機会でもないと腰を落ち着けて話せないだろうからな。

 

「そう? まぁ、それなら構わないけど」

『あ、話の続きまだ? あんまりのんびりしてると寝ちゃいそうなんだけど』

「ちょっとうるさいわよお前」

 

 腹を丸出しの状態で伸びるヴリトラ猫。

 なんかほっといても寝そうだが、こっちも一応興味はあるようだった。

 さっきも結構ハッキリと催促してたもんな。

 アウローラは「まったく……」とぼやいてから、咳払いを一つ。

 

「ええと、どこまで話したかしらね?」

「最初の国境の城壁で、番兵って怪物を倒したところ」

「あぁ、そうだったわね」

 

 オレが内容を確認すると、アウローラは軽く手を叩いた。

 北へと向かう者を一番初めに出迎える、巨大な怪物。

 無謀と知りながらも、それを屠った最初の戦い。

 レックスの無茶な戦いぶりは、今も昔も似たようなものらしい。

 寝転がったままのボレアスが喉を鳴らした。

 

「しかし、番兵とは言い得て妙よな。

 あの城壁を落とした後、適当に放っておいた『獣』であったが」

「自分のペットぐらい、もう少し管理したらどうなの?」

「遠い昔に過ぎた話よ」

 

 アウローラの文句に、ボレアスはむしろ愉快そうに笑った。

 言ってる事が邪悪過ぎるのは、まぁ気にしないでおこう。

 ボレアスの台詞じゃないが、オレらからしたらそれこそ遠い昔に過ぎた話だ。

 だから気になるのは別の事。

 

「その『獣』ってのは、昔のボレアスが造ったんだよな」

「ええ、そうね」

「何のためにそんなもん造ったんだ?」

 

 手駒、というには扱いが適当過ぎる気がする。

 聞いてる限りだと、造っては野に放って捨て置いてる印象だ。

 オレが口にした疑問に対し、ボレアスは珍しく渋い顔をしてみせた。

 ……なんかマズい事を聞いたか?

 

「ちょっと、聞かれてるわよ」

「……まぁ、伏せておく程のことではないがな。

 要するに若気の至りという奴よ」

「若気の至り、とは?」

 

 意味が分からず、隣で聞いてた姉さんが首を傾げる。

 オレも正直良く分からん。

 その疑問に応えたのは、ボレアスではなくアウローラの方だった。

 

「コイツは、私達を生み出した父――《造物主》の真似事をしてたのよ。

 身の程知らずにも。そうよね?」

「……長子殿に言われるのは釈然としないが。

 確かに、概ねはその通りだ。

 我ら古竜を創造した偉大なる父。

 在りし日の我は、その存在に並び立つ事を目的としていた」

 

 やや苦いものが混ざった声で、ボレアスはかつての自分を語る。

 ……全ての竜を創造した、偉大な存在。

 それと同じ高みに至ろうと、ボレアスは様々な「獣」を創り出したのか。

 確かにそれは、若気の至りと言いたくなるかもしれない。

 

『在りし日……って事は、今は諦めたのか?』

 

 尻尾をパタリと揺らし、ヴリトラ猫がボレアスにそう問いかけた。

 ボレアスはほんの少しだけ考えて。

 

「諦めたワケではない。が、同じ方法論を実行する気もないな。

 父の真似をして生命の創造を試みたが、生まれたのは不完全な『獣』ばかり。

 これは失策だと、三千年前に見切りをつけたのだ」

『なるほどなぁ』

 

 その答えに満足したか、猫はまたゴロゴロを再開した。

 腹を思いっ切り撫で回したくなるが、今は我慢。

 話を聞く方が大事だからな。

 その肝心なアウローラは、微妙に機嫌良さそうに笑っていた。

 

「この先の話でも、『獣』とは何度でも戦う事になるけど。

 まぁどれも酷い出来だったわよ?

 昔の彼は、それなりに苦戦したけどね」

 

 ボレアスへの当てつけのような言葉。

 それを口にしながら、指先で膝上のレックスを撫でる。

 言葉自体は悪罵に近いが、そこには遠い昔を思う懐かしさが滲んでいた。

 そのせいか、ボレアスは口を挟まず黙って聞き手に回っている。

 

「それじゃあ、そろそろ続きを始めましょうか。

 ――あれは確か、番兵が塞いでいた城壁を越えた先。

 荒れ果てた地の真ん中に、ぽつんと佇んでいた小さな砦。

 私と彼は、既に朽ち果てて久しいその砦に足を踏み入れた」

 

 再び、アウローラは歌うように語り出した。

 三千年前に行われた、竜殺しの続きを。

 

「その砦にも、当たり前のように人の気配は無く。

 けれど荒れ野や城壁と同様に『獣』の住処になっていた。

 そこで私達が出くわしたのは、とても奇怪な姿の『獣』だった――」


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