185話:初勝利


 結論から言えば、彼は思った以上の奮戦を見せた。

 私は少し離れた場所からその様子を眺める。

 

「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ!」

 

 ……まぁ、ドタバタと逃げ回る姿は思わず「無様」と言いたくなるけど。

 日を改めての番兵との再戦。

 私の血と魔力で復活させはしたけど、基本的な性能はそう変わっていないはず。

 城門前の広場を走る獲物に、怪物は激しく吼え猛る。

 

『GAAAAA――――ッ!!』

「いちいちうるせェよチクショウ……!」

 

 さっきから延々と走り続けているせいか、大分息が上がっている。

 それでも悪態を吐く余裕があるのは感心するべきか。

 

「竜とは、この世で最も猛き獣。

 この程度の怪物に恐れて逃げ回るようでは、とてもお話になりませんよ?」

「分かってるよ……!」

 

 軽く茶々入れすると、彼は息を乱しながら応えた。

 ……前日に晒した醜態に比べれば、確かに奮戦はしている。

 しかしあくまで一撃で返り討ちにされたのに比べればの話だ。

 城門を塞ぐ番兵に近付いて、戦いの状況を開始してからここまで。

 彼は番兵が振り回す斧からひたすら逃げ続けていた。

 

『GAAAAAッ!!』

「危なっ!?」

 

 巨体に似合わぬ跳躍からの振り下ろし。

 凄まじい地響きを立てて、大斧は石畳の床を粉砕する。

 直撃すれば人間なんてバラバラになる威力。

 彼は床を転がるようにしながら、その一撃を何とか回避していた。

 回避し、慌てて伏した床から身を起こす。

 ここでようやく、彼は「逃げる」以外の行動を見せた。

 強烈過ぎる振り下ろしで、番兵の大斧は地面に半ば喰い込んでしまう。

 それを引き抜こうと動きを止めたところに、彼は剣を閃かせる。

 

『GAAAAAッ!?』

 

 どれだけ不格好で大振りでも、動かぬ番兵の巨体ならば外しようもない。

 その表皮が、多少は頑丈な鱗を纏っていようが無関係だった。

 彼が手にしているのは竜殺しの剣。

 今はまだ魂の火を宿さずとも、その刃は竜の鱗でさえ断ち切る。

 故にその一刀は、大斧を引き抜こうとする番兵の右腕を斬り裂いていた。

 半端な鱗と肉を切断し、骨にはギリギリ達していないけれど。

 

「すげェなコレ……!」

『GAAAAA――――!!』

 

 その切れ味を目の当たりにし、彼は感嘆の呟きを漏らす。

 対して番兵は、苦痛の叫びを怒りに染めて吼える。

 地面に刺さった大斧を、力任せに引き抜く。

 そして咆哮を上げながら、再びそれを振り回し始めた。

 腕を斬り裂かれているためか、その勢いは先ほどよりもずっと落ちている。

 番兵は言うほど低能ではないけど、予想外の負傷に頭に血が上ったか。

 またドタバタと逃げる彼の後を、斧を振り上げて追いかけ回す。

 

「っ……!」

 

 腕の負傷ダメージで、間違いなく番兵の力は弱まった。

 それでも、風を切る斧の先端には十分以上の重さと速さがある。

 まともに当たれば、間違いなく鎧ごと千切れ飛ぶ。

 その圧力に背を脅かされながらも、彼は足を止めなかった。

 恐らく体力は限界近いでしょうに。

 息は切れて、悪態を吐くだけの余裕もない。

 その分を手足に込めるようにして、彼は走った。

 

『GAAAAAAA……!!』

 

 大気を震わせる咆哮。

 番兵は番兵で、酷く苛立っているようだった。

 ボタボタとドス黒い血が溢れ出す腕の傷。

 その痛みと、未だに逃げ回り続ける獲物への怒り。

 ――これまで、何人の北に向かう巡礼者を葬ってきたかは知らないけれど。

 ただの獲物を仕留めきれないどころか、手痛い反撃も喰らってしまった。

 それはもう、例えようもないぐらいに不快でしょうね。

 

『GAAAAッ!!』

 

 叫びながら、番兵は大きく斧を振り上げた。

 けれど直ぐには落とさず、逃げ続ける彼に狙いを定める。

 彼も番兵の動きを察したか、右へ左へと動いて的を散らそうとする。

 激怒しながらも、番兵は惑わされて斧を振り下ろす事はなかった。

 次の一撃で確実に殺すという、明確な「獣」の殺意。

 逃げ続ける彼――そして、その進路を塞ぐもの。

 

「ちっ……!」

 

 それは城壁だった。

 高く、空を飛ばない限りは越えられない石造りの大壁。

 意図して番兵が追い込んだとは思えない。

 逃げ回っている内に、運悪く前を塞がれてしまったか。

 

『GAAA』

 

 それを見て、番兵の醜い顔が更に歪む。

 最後の最後で間抜けを晒した獲物を嘲笑ったのかもしれない。

 眼前の壁に足を止めてしまった彼に、番兵は勢い良く斧を振り下ろした。

 まともに当たれば死ぬ。

 私は「これまでか」と、冷めた目でそれを見ていた。

 それなりに粘った方かもしれないけど、本当に期待外れね。

 まぁ、人間なんて所詮はそんなもの……。

 

「っとォ……!!」

 

 と、考え出した時。

 彼は未だ諦めてはいなかった。

 振り下ろされた斧を、彼は城壁のギリギリまで下がって回避する。

 本当に、あと一歩か二歩という距離。

 斧の先端が目の前を掠め、分厚い刃が床を打ち砕く。

 外れた。だが腕の負傷から、さっきほどの力は込められていなかった。

 そのため、先のように斧は地面に喰い込んではいない。

 だから番兵は、彼に向けて即座に追撃の斧を叩き込んだ。

 背後は壁で、今度こそ逃げる余地はない。

 ――そう、後ろに下がるなら。

 

『GAA……!?』

 

 飛んでくる斧に対し、彼は前へと踏み込んだ。

 可能な限り姿勢を低くし、刃の下を掻い潜る形で。

 番兵の顔に並ぶ四つの眼が、今度こそ驚愕に見開かれた。

 この土壇場の彼の動きに、番兵は対応し切れない。

 トドメのつもりで繰り出した大斧の一撃。

 その刃が、派手な音を立てて城壁に食い込んでしまったからだ。

 古びた壁は隙間も多く、大斧の威力も合わさって深く食い込んでいる。

 腕が傷付いた番兵に、これを即座に引き抜く力はない。

 ……まさか、運悪く追い詰められたのではなく。

 この状況を狙って、わざと自分から城壁の際に誘い込んだ?

 もしそうだとしたら、よくやるものだと呆れてしまう。

 戦術そのものは稚拙で、特に見るべきところはない。

 運の要素が強いし、いっそ戦術と呼べる程に上等でもないでしょう。

 ただ、ほんの僅かな誤りで命を落とす死線。

 その上に立った状態で、躊躇なくギリギリに賭けられる意志力。

 それに関しては、私もほんの少しだけ驚いた。

 あくまでほんの少しだけど。

 

「おおおぉぉっ!!」

 

 叫んだのは彼の方だった。

 既に疲労困憊な自らを鼓舞するためか。

 掠れそうな声で吼えながら、振り下ろした剣が番兵を斬り裂く。

 狙うのはまた斧を持つ腕。

 今度はまだ無事な左の肉を断つ。

 それだけでは終わらない。

 両方の腕に一太刀浴びせ、次は脚に剣の切っ先を突き立てた。

 深々と、筋肉を貫いて骨まで届くぐらいに。

 

『GAAAAAッ!?』

 

 絶叫。

 番兵は堪らず斧を手放し、彼を振り払おうと暴れ出す。

 戦い方も何もあったものじゃない。

 ただ生存本能に突き動かされ、歪んだ手足を振り回すだけ。

 当然、懐に飛び込んでいた彼は避けられない。

 血まみれの腕に身体が引っ掛かり、そのまま派手に転がされた。

 ちょっと倒された程度で、大きな負傷は無し。

 倒れた拍子に、握ったままの剣が刺さらなかったのは本当に幸運ね。

 だから彼はすぐ起き上がり、飛び退く形でその場を離れる。

 直後に、踏み潰そうとする番兵の足が勢い良く落ちた。

 紙一重で死を回避し、彼は剣を握り直す。

 踏みつけを空振った番兵の脚に、再び剣を突き刺した。

 

『GAAAAA!!』

「しぶといなオイ……!」

 

 両腕と脚、どれも浅い傷ではないけれど。

 見た目通りの生命力で、番兵は未だに暴れ続ける。

 仕留めるつもりなら、狙うべきは心臓か首。

 そのどちらかを潰さない限りは、そう簡単には死なないでしょう。

 時間をかければ失血で死ぬ可能性はあるでしょうけど。

 

「ちっ……!」

 

 先に力尽きるのはどちらか。

 彼にも分かっているはず。

 ――さて、ここからどうするつもりかしら。

 大した期待を持たずに私は眺める。

 

「こっちだ、デカブツ!」

 

 何を思ったか、彼はまた城壁の方へと走り出した。

 ご丁寧に挑発する言葉と共に。

 手足を刻まれて怒り心頭の番兵は、迷わず彼を追いかける。

 血を流し過ぎたためか、その動きは明らかに鈍い。

 残る体力を振り絞り、彼は番兵よりも早く壁際に辿り着く。

 そこにはついさっき、番兵が離したばかりの斧が壁に刺さっていた。

 高さは丁度彼の目線ぐらい。

 迫る番兵に注意を向けながら、彼は斧の柄に手をかける。

 相当しっかり食い込んでいるようで、押しても引いてもびくともしない。

 ……まさか、あの斧を使う気?

 明らかに人間に持てるサイズじゃないし、そもそも抜けないでしょう。

 

『GAAAAA!!』

 

 と、私が勘違いしている間に、番兵も彼の立つ壁際に肉薄する。

 動きこそ鈍いが、追い掛けてきた勢いのまま足を止める様子はなかった。

 恐らく、体当たりで押し潰す気でしょうね。

 そんな怒り狂った番兵に対して。

 彼は壁に刺さった斧の、その柄によじ登っていた。

 ……ちょっと目を離した隙に、一体何をやっているのかしら。

 確かに斧は大きく、ちょっとやそっとで動かないのは確認済みだけど。

 本当に何をする気――いや、まさか……?

 脳裏に閃いた想像は、あまりに無茶なもので。

 直後、彼はそんな私の想像を実際にやってみせた。

 

「ふんっ……!」

 

 跳んだ。

 良く分からない気合いの声と一緒に。

 斧の上で軽く助走も付けて。

 彼は剣を構えながら、向かって来る怪物目掛けて跳躍した。

 ――仕留めるならば、心臓か首を狙うしかない。

 心臓は剣の間合いでは遠く、一撃で貫くにはよっぽど深く踏み込む必要がある。

 首も同様、単純に高さがあって届かない。

 その上で彼は、後者を狙う事に残る力の全てを賭けた。

 丁度良い高さに刺さった、番兵の斧を足場にして。

 

『GAAAAAッ!!?』

 

 吼える怪物の頭に、銀色の刃が落ちる。

 落下の速度に全体重を乗せた一刀は、容易く番兵の顔面を断ち割った。

 一歩間違えれば、怪物の爪に叩き落されたかもしれない。

 距離を誤っても悲惨な末路になっていただろう。

 半ば博打のような一振りは、死線を超えて怪物の命脈を斬り落とす。

 

「っ……!?」

 

 半分に割れた頭に剣を刺したまま、番兵の身体がぐらりと揺れる。

 柄を握り締めた彼を巻き込んで、力なく崩れ落ちた。

 潰れた音も悲鳴もない。

 倒れた番兵はぴくりとも動かず、完全に絶命している。

 その屍の上で、彼はふらふらと身を起こした。

 ややぼうっと周りを見回してから、一言。

 

「…………死ぬかと思った」

「そうでしょうね」

 

 傍から見ても、生きてるのが不可思議まである。

 それぐらい、彼のした事は無謀だった。

 たまたま上手く行っただけで、硬貨コインの表裏に生死を賭けたも同然。

 とはいえ、事実として彼は今生きている。

 ……無様で不格好ではあるけれど、まぁ及第点かしらね。

 あくまで今の時点では、だけど。

 

「……アウローラ?」

「? はい、何でしょうか」

 

 まだ耳慣れない偽名で呼ばれて。

 私は一拍遅れて返事をしながら、緩く首を傾げる。

 息も絶え絶えの状態で、彼は番兵の屍から剣を引き抜いた。

 それから、その剣を軽く掲げて見せる。

 

「勝ったぞ」

「…………」

 

 ――そんな事は、見れば分かる。

 ただ、あんまり彼が誇らしげに言うものだから。

 その滑稽な姿が可笑しくて、私はつい笑ってしまった。

 笑うのを誤魔化すように、剣を掲げる彼に私は小さく一礼をする。

 

「ええ、お見事でした。

 次も期待させて頂きますからね、騎士様?」

「がんばる」

 

 からかうつもりで言った言葉に、彼は素直に頷いた。

 皮肉が通じていないのかもしれない。

 どっちにしろ、最初の試練を乗り越えた事だけは確かね。

 ――まぁ、どうせすぐに死ぬでしょうけど。

 それが明日か、もう少し先の話かは《最強最古》たる私にも分からない。

 分からないけれど……まぁ、今日は良く戦ってみせた事だし。

 

「下りられますか?

 火を焚きますので、少し休まれると良いでしょう」

「ホントたすかります」

 

 私の言葉に応じながら、彼はふらふらと番兵の屍から下りてくる。

 ――ええ。今一時ぐらいは、労ってやるのも良いだろうと。

 ほんの気紛れ程度に、そんな事を考えていた。

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