184話:城壁の番兵

 

 そして、夜が明けて。

 彼と私は朽ちた城壁の内を歩いていた。

 かつては外敵を退けるために築かれたはずの城塞。

 しかし今は守る兵も守られる民もなく、醜い「獣」がうろつくばかり。

 なんとも哀れで滑稽な話だろう。

 別に、この大陸ではありふれた話だから大して面白くもないけれど。

 古竜という脅威の前に、人はあまりに無力だ。

 

「……竜に焼かれた国、か」

 

 進みながら、彼が小さく呟いた。

 兜の下の視線は、朽ち果てた城壁を眺めているようだった。

 

「昔はもっと綺麗だったんだろうな。

 こんなデカい城壁、《王国》でも滅多に見ない」

「そうですね。

 かつては竜に支配されていない人の国として栄えていたはずです」

「そうなのか」

「ええ」

 

 人間である彼が知らぬのも無理はない。

 竜からすればひと昔で、人間からすれば遥か過去の事。

 愚かにも竜に抗する事を望み、そして大陸の端に国を築いた者達。

 実際に、その繁栄は確かなものではあった。

 所詮は「偶然、竜に睨まれなかった」というだけの繁栄だったけれど。

 彼らはそこを勘違いしてしまった。

 数多の竜は、我ら人の力を恐れたのだと。

 驕った人の王は自らの国の総力で高い壁を築き、屈強な軍隊を揃えた。

 国土を若い竜が気紛れに襲う度、これを退けられたのも傲慢さに拍車をかけた。

 当時から大陸の多くを支配していた《王国マルクト》。

 その支配者であるバビロンは、彼らに対して特に動きを見せなかった。

 今も昔も、あの女は自国の庇護で忙しい。

 だから攻め込んで来ない限りは、余所の国などどうでも良いのだ。

 けれどそれすら、傲慢な王は高らかに誇った。

 曰く、「あの大いなるバビロンも我が国には手を出せない!」と。

 だから、そう。

 ある一頭の竜が都に下り立った際も、彼の王は判断を誤った。

 服従を誓うならば滅ぼさぬと、竜の警告を一蹴し。

 王とそれに従う兵士達は、竜に対して槍衾を並べたとか。

 その結果がどうなったかは――。

 

「……ご覧の通りです」

「なるほどなぁ」

 

 驕れる者久しからず、とは人間の言葉だったかしらね。

 ついつい饒舌に語ってしまったけど、彼は興味深そうに頷いていた。

 その眼は再び、朽ちた城壁へと向けられる。

 

「それで、今はこの有様か」

「はい。都を焼き、国を瞬く間に滅ぼした一頭の竜。

 彼の者こそが《古き王》の一柱。

 今は《北の王》を名乗り、北の果てから災禍を振り撒く恐るべき暴君です」

「そいつを仕留めるのが、最終目標ってわけだな」

 

 自らの行く先を再確認しながら、彼は腰に佩いた剣へと手を伸ばす。

 柄に指を掛けて、鞘からゆっくりと引き抜かれる刀身。

 この世に二つとは無い、竜を殺すために鍛えられた魔なる剣。

 

「……で、本当なんだろうな?」

 

 砦の終わりを示す城門。

 それが見えたところで、彼はそんな事を聞いて来た。

 抜き放たれた剣を軽く構え、その刃に日の光を当てながら。

 

「何がでしょう?」

 

 質問の意図は理解していたけれど。

 ここは敢えてとぼけるように応えておいた。

 

「コイツなら、竜を殺せるって話。

 竜を殺した奴なんて、今まで聞いた事もない。

 いや、そもそも古い竜は不死不滅で、決して死ぬ事はないはずだろ?」

 

 何とも今さら過ぎる確認ではあった。

 だからつい、堪え切れずに笑ってしまったのは仕方がない事。

 クスリと笑う私に、彼も特に気分を悪くした様子もない。

 仮に不機嫌になられたところで、私にはどうでも良いのだけど。

 

「竜であれ、怪物であれ。

 その剣で殺せぬモノはありません。

 死せぬ者の永遠すらも断ち斬る、この世でたった一つの刃。

 ――敢えて呼ぶならば、《一つの剣》」

「成る程なぁ」

 

 詩のように語ってみせても、彼の返事はどこか気が抜けたものだった。

 ……まぁ、別に良いですが。

 今は彼の抜けた空気よりも、大事な事がある。

 幸か不幸か、この門に辿り着くまでは一匹の「獣」とも遭遇しなかった。

 もしかしたら、ここはもう強い「獣」の縄張りテリトリーなのかもしれない。

 そんな私の予想に「正しい」と応えるように、軽い地響きが足元を揺らす。

 

「……もっとも、如何に剣が通じようと。

 その切っ先が届くかどうかは使い手次第」

 

 彼に向けて囁くように言いつつ、私は数歩後ろに下がる。

 荒れた地の広がりを覗かせる城門。

 北の果て、暴君の玉座へと続く最初の道。

 手にした魔剣を構えて、彼はその姿を捉えているようだった。

 まぁ、盲目の者でない限りは見逃すはずもない。

 その醜く捻じれた、異形の巨体を。

 

「あの恐るべき竜を、《北の王》を討とうと言うならば。

 先ずはあの程度の怪物には勝って頂かないと」

「…………」

 

 笑う私の声に、彼は応えなかった。

 そうして彼と私の前に、怪物が門を狭そうに潜って姿を現す。

 

『GAAAAAAAAA――――ッ!!!』

 

 獲物を見つけた歓喜か、それとも己の醜さへの怨嗟か。

 怪物は高らかに咆哮する。

 外見はかろうじて人型と言えなくもない。

 しかしその大きさは常人の倍以上で、五体は不均等アンバランスに肥大化している。

 黒い炭の如き肌には、ところどころ竜に似た鱗が生えていた。

 竜から生じ、けれど竜とはなれない出来損ないの証。

 ねじくれた二本の角も、バラバラに生えた牙も、大小散らばった四つの眼も。

 全て、あの《北の王》が行った「愚行」の産物。

 どこから調達したのか、爪の生えた手には大きな斧をぶら下げていた。

 道具を正しく扱うだけの知性があるか、大分怪しいけど。

 

「なぁ」

「なんでしょう」

「アレ勝てんの??」

「勝てないなら死ぬだけでは?」

「そっかぁ」

 

 憤怒と敵意に燃える四つの眼。

 どうやら怪物――仮に「番兵」とでも呼びましょうか。

 番兵は、私と彼を獲物と定めたみたい。

 錆びた大斧を振り上げて、再び天高く吼え猛る。

 

『GAAAAAAA――――ッ!!』

 

 大気がビリビリと震えるのを、私は柔い肌で感じ取る。

 ……弱い獣ほど良く吠える、これも人の言葉だったかしらね。

 見た目は醜く仰々しいけれど、さほど格の高い「獣」じゃないわねコイツ。

 それでも荒野の《魔犬バーゲスト》よりは強いけれど。

 鎧姿の彼は、剣を構えて番兵を見上げる。

 耳障りな咆哮を真正面から浴びて。

 

「……無理じゃね??」

 

 などと、こっちを振り向きながら言ってきた。

 私はニッコリと微笑んで。

 

「さぁ、頑張ってください。

 私はここで見守っていますから」

 

 有無を言わさずその背中を押した。

 こんな低能で暴れるぐらいしか能が無さそうな「獣」。

 さっさと倒すぐらいはして貰わないと。

 そんな私の圧に負けたか、彼は改めて城門前に立つ番兵を見た。

 そして。

 

「クッソー! やってやらぁ!」

 

 半ばヤケクソで怪物の方へと駆け出す。

 手にした剣は大きく振り被って。

 あまりにも不格好な突撃で、見ているこっちが呆れてしまう。

 けれど相手も所詮は「獣」。

 闇雲に暴れるだけの相手ならば、これで案外どうにか……。

 

『GAAA』

 

 なんて考えていたら。

 番兵は低い唸り声と共に、無骨な大斧を小さく構える。

 正面から向かって来る彼を丁度迎え撃つ形で。

 ……低能な「獣」だと思ったけど、そこはちょっと訂正しましょうか。

 

「グワーッ!?」

 

 そこからは、まぁ見ての通り。

 突っ込んだところを綺麗に打ち返され、鎧姿が宙を舞う。

 人間って思ったよりも飛ぶものね。

 そのままぼたりと、彼は私の足下近くに落ちて来た。

 覗き込めば、辛うじて息があるのも確認できる。

 とはいえ、状態としては運良く即死しなかった程度。

 放っておけば間違いなく死ぬでしょう。

 

「……思ったよりもずっと脆いわね、人間って」

 

 その事実を目の当たりにして、私は思わずため息を吐いた。

 極論、この男の生死そのものはどうでもいい。

 どうでもいいけれど、彼はまだ「獣」さえロクに斬ってはいない。

 これじゃあ剣を渡した意味がまるで無いじゃないの。

 せめて、もうちょっとぐらいは頑張って貰わないと。

 

「……ねぇ、貴方」

「…………」

 

 返事はない。

 息はあるけど、意識は完全に無くしている。

 ……この男が死んで、次の誰かが訪れるのを待つ手間と。

 ここで少しばかり手を動かす労力。

 私は、その二つを頭の中の天秤に掛けていた。

 

『GAAAAAAA――――ッ!!』

 

 それを邪魔したのは、番兵の上げた咆哮だった。

 吹き飛ばしたばかりの相手と、その傍で佇んでいる私。

 どちらも獲物として叩き潰すつもりらしい。

 斧を片手に揺らしながら、異形の怪物は無遠慮に迫って来る。

 さっきの戦い方で、少しは知恵があると思ったけど。

 

「――やっぱり、単なる哀れな『獣』ね」

 

 万一にも存在を悟られぬよう、制限を課している身とはいえ。

 こんな雑魚に害されるほど脆弱でもない。

 私の思考を妨げた愚かな番兵。

 そちらを一瞥し、口の中で小さく《力ある言葉》を囁いた。

 

『――――ッ!?』

 

 爆発。

 首から上を《火球》の炸裂で砕かれて、断末魔の声すらなかった。

 巨体がぐらりと揺れ、そのまま無様に崩れ落ちる。

 私はその様を鼻で笑って。

 

「……いや、私が倒してどうするのよ」

 

 ついつい、短気を起こして失敗したと気付いた。

 折角の手頃な障害だったのに、私が殺しては意味がない。

 頭を失った番兵と、足下に倒れたままの彼。

 その両方を何度か見比べてから、私はため息を吐いた。

 ここで彼に死なれるのも、私がこの怪物を始末するのも宜しくはない。

 面倒ではあるけど、多少の労力を払った方が効率が良いはず。

 そう決めたら、私は早速行動に移った。

 先ずは気を失って倒れている半死人の方から。

 

「ホント、手間のかかる事」

 

 兜の面覆いを少し上げる。

 晒された口を開かせて、その上で私は己の指先を爪で少し抉る。

 滴るのは、制限付きとはいえ竜たる私の血だ。

 かなり死にかけだし、普通に魔法で回復するより手っ取り早い。

 効果が強すぎて寿命が減るかもしれないけど、まぁ些細な事よね?

 ……とはいえ、いちいちこうして呑ませるのも面倒。

 後で薄めた水薬ポーションの形で用意しようかしら。

 

「……これでよし」

 

 血を数滴、彼の口の中に落とした。

 変化は即座に起こり、死にかけていた身体に生気が戻って来る。

 ……後々、血が強すぎてショック死する可能性も高かったと気付くんだけど。

 幸い、彼は私の血とは相性が良かったらしい。

 呼吸も正常になったのを確認してから、次は番兵の方に取り掛かる。

 首が吹き飛んで絶命した怪物の身体。

 横たわるその屍に、私は血と魔力を注ぎ入れた。

 

「ほら、立ち上がりなさい」

 

 私がそう命ずれば、巨体がゆっくり身を起こす。

 吹き飛んだはずの首は元通りに復元され、歪んだ肉体には魔力が溢れる。

 モノとしては屍人形フレッシュゴーレムが近いかしらね。

 《北の王》が創り出した「獣」だが、今は私に従う忠実な傀儡だ。

 

「その城門を守り、私以外の近付く者を薙ぎ払いなさい。

 良いわね?」

『GAAA』

 

 番兵は唸り声で応えて、命じた通りに城門の前に鎮座した。

 仕込みとしてはこれで良し。

 竜殺しの剣を担う者が超えるべき、最初の試練。

 とりあえず、彼には引き続き番兵に挑んで貰いましょう。

 ――簡単に死なれるのは困るけれど、役に立ちそうもないなら切り捨てる。

 考えようでは、これは良い試金石ね。

 

「……次また無様に負けるようであれば、今度こそ見捨てますからね?」

 

 回復はしたけれど、未だ目覚めぬ名も知れぬ騎士に。

 届かないと知った上で、私はそっと囁きかけた。

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