183話:暁の娘

 

 結局、日が落ちるまで彼は目覚めなかった。

 最低限、死なないように傷は癒した。

 とはいえ目覚めないまま野晒しでは、またどこからか「獣」が寄って来る。

 そのまま襲われて死にました――では、払った私の労力が無駄になってしまう。

 仕方がないと、城壁の内側に気絶した男を運ぶ。

 外に広がる荒野と同様、壁の中もまた「獣」がうろついている。

 連中をなるべく刺激しないよう、朽ちかけた壁の片隅を選ぶ。

 適当な地面に男を下ろし、私は準備に取り掛かった。

 

「うぅーん」

 

 乱雑に放ったせいか、男が苦し気に呻く。

 そんなものは気にも留めず、私は術式を編み上げる。

 大した魔法ではない。

 周囲に「獣」を避ける結界を築く篝火の魔法。

 それを地に施し、焚き火として設置した。

 傷は癒したとはいえ、男はそれなりに出血をしていた。

 「獣」を追い払うついでに、炎の熱で身体を温めるのは合理的だろう。

 近くに落ちていた、崩れた城壁の破片。

 私はそれに腰を下ろした。

 男はまだ目覚めない。

 まぁ、放っておけば起きるでしょう。

 ――そうして日が沈み、周囲に闇の帳が落ちる。

 「獣」除けの篝火だけが、煌々と赤い光で辺りを照らしていた。

 

「うっ……」

 

 ぐったりと横たわり、辛うじて呼吸だけしていた男の身体。

 それが小さく震えるのが見えた。

 私はまだ声を掛けず、その様子を眺める。

 何度か痙攣した後、彼はよたよたと身を起こした。

 

「お、れは……?」

「お目覚めですか」

 

 警戒心は与えぬよう、一応丁寧な言葉で取り繕っておく。

 ただいきなり声をかけたせいか、男は大層驚いたようだった。

 またひっくり返りそうになってしまうが、それは何とか踏み止まる。

 胸の辺りを抑えて、男は恐る恐ると私の方を見た。


「…………」


 見て、そして暫しその動きを止める。

 観察するような視線を感じ、私はつい自分の身体を見下ろした。

 ――はて、何かおかしなところはあっただろうか。

 常に用いている姿とは、念のために変えてはあるけれど。

 顔の上半分を覆う黒色の仮面と、身に纏った同じ色の修道服。

 そのどちらにも、私の正体が割れぬよう偽装の術が施されている。

 なので見た目を大きく変更する意味はない。

 精々が、普段よりも少し外見年齢を上げた程度だ。

 ……胸元に、少々違和感があるのは否めないけれど。

 兎も角、私の外見におかしいところはないはず。

 そうして黙っていると、男は我に返ったように小さく首を振る。

 それから改めて、やや擦れた声で言葉を発した。

 

「……アンタは?」

「名乗る者の程ではありません、旅の御方」

 

 そう、名乗る必要性は感じない。

 私の真の名は、愚かな人間にもみだりに語るべきモノではない。

 ――どの道、この男はすぐに死ぬ。

 最果ての玉座に在る《北の王》、その魂を刈り取るための最初の贄として。

 

「そう、か?

 ……えーと、俺を助けてくれたのはアンタ、って事で良いのか?」

「そうですね。「獣」との戦いで力尽きていた貴方を、私が御救い致しました」

 

 コイツが、「最初の竜殺し」を成し遂げるとは考えていない。

 精々良いところまで進んで、適当に死んでくれれば上々。

 剣は斬り殺したモノの魂を呑み込み、その永遠の炉に燃える炎へと変える。

 一人目が死んだら、次なる担い手へ。

 その者も死んだのなら、更に次の担い手へ。

 繰り返し、繰り返し。

 やがて炎は大きくなり、不滅なる竜の魂さえも呑み込むだろう。

 そこまで至る事ができたなら――。

 

「……目的とかは、聞いても良いのか?」

「単純な善意がゆえ、と言いましたら?」

「それならそれで、礼は必要だからな。

 もし何か目的あっての事だったら、確認しておきたくてな。

 まぁ、話せないならそれで良いんだが」

「……そうですね」

 

 男の言葉に、私は少しだけ考え込む素振りを見せる。

 この男はあまり頭が良くないようだ。

 けれど素直な態度は好ましくある。

 ただでさえ色々と制限を課した上での隠密行動。

 実験動物モルモットにまで煩わされては堪らない。

 そういう意味では、男の姿勢は悪くなかった。

 全てをつまびらかに語る必要はない。

 ただ必要な事だけ過不足なく伝えれば、この男は素直に呑み込むでしょう。

 故に私は、予定していた通りの言葉を語る事にした。

 

「旅の御方、貴方は何ゆえにこの地へ?

 まさかとは思いますが、北の最果てを目指しておられるのでしょうか」

「……一応、そういう事になるな。

 《北の王》と呼ばれてる竜を討つ、それが目的だ」

「――素晴らしい。それは何と勇気ある行いでしょうか」

 

 同時に、人間が抱くには余りに過ぎた大望だった。

 人が幾ら剣や鎧で武装して、或いは魔導の業を身に着けたところで。

 勝てない。届くわけがない。

 竜とは、古竜とは――特に《古き王オールドキング》と呼ばれる者達には。

 この男みたいに、無知で無謀な野望ゆめを抱いて。

 果たしてどれだけの人間が、この門の先で屍を晒しているのか。

 考えると愉快で、私は自分の手でそっと口元を隠す。

 こぼれた笑みを見られるのは、あまり宜しくないでしょうから。

 

「ですが、貴方は詩をご存じでしょうか。

 恐るべきは《北の王》。

 数多の英雄豪傑がこの果てへの道を辿り、帰ってはいません。

 行くは生者、けれど屍となれば引き返せぬ」

「詩は良く知らないが、まぁヤバいのは分かってる。

 ぶっちゃけ死ぬだろうな、とは――ウン」

 

 そう言って、男は自分の手元に転がっているものを見た。

 刀身が半ばから折れた一振りの長剣。

 現実を見せる意味でも、私が拾っておいたモノだ。

 最も弱い「獣」さえ鋼で鍛えた剣を圧し折る。

 そんな玩具みたいなものでは、決して竜には届かない。

 

「……どうなさいましたか?」

「……いや、死ぬのは分かってるが。

 それはそれとして、剣無しで進むのは無謀バカだよなぁって」

「そうですね」

 

 否定しようのない事実なので、素直に頷いておく。

 こちらが望んだ通りの話の流れ。

 予定通り、傍らに置いた剣を私はそっと手に取った。

 この世に二つとない、大いなる一振り。

 できる限り恭しく、男の目にハッキリと見えるように掲げ持つ。

 

「それは?」

「どうぞ、旅の御方。

 この剣を、果てへの道を行く貴方に授けましょう」

「良いのか?」

「剣も無しに進むのは、愚か者の所業でありましょう?」

 

 笑いながら口にした私の言葉に、「そうだなぁ」と男は頷く。

 そして警戒した素振りも見せないで、私の掲げた剣に手を伸ばした。

 渡す。果たして男は、剣の重みを理解できるのか。

 いいえ、別にそんな事は関係ないわね。

 私がコイツに求めるのは、なるべく長く多く、この剣に魂を喰わせる事だけ。

 剣を受け取った男は、存外に慎重な手つきでその状態を検めた。

 

「……コレ、良いのか?

 詳しくは分からんけど、相当な業物だろ」

「北の最果て。その地で玉座を弄ぶ暴君。

 彼の《北の王》を討ち取らんとする勇者に、その剣を授ける事が私の使命。

 貴方はただ、その剣を手にその役目を果たして下されば良いのです」

「そうか。……こう言うのも何だが、本当に竜を殺せるのか?」

「ええ、貴方の言いたい事は分かります」

 

 古竜とは不死不滅の大いなる獣。

 男がどれだけ愚かな頭をしていても、そのぐらいの事は知っていたようね。

 けれどその心配が杞憂である事は、誰より私が理解している。

 

「その剣こそ、大いなる竜を殺すための一振り。

 貴方は何も難しい事を考える必要はありません。

 剣を振るい、多くの「獣」を殺しなさい。

 築いた屍の道は、いずれ《北の王》にも届くでしょう」

「…………成る程?」

 

 良く分かっていないと、顔に書いてある。

 いえ兜のせいで表情は良く見えないけれど。

 ただ一先ず、それ以上は何も聞く気はないらしい。

 手に取った剣を、鞘ごと腰に佩いた。

 ――これで、一人目の剣の担い手は確保できた。

 最初の生贄としては、とても満足の行く相手ではないけれど。

 まぁ、そこはちょっと我慢しましょう。

 別に妥協したワケではないから、何も問題はないわ。

 幾ら私でも、何もかもが思惑通りに進むと驕っているワケではないもの。

 こちらの考えなど知る由もなく。

 剣を授けた男は、焚き火の前でのんびりと座っていた。

 特に緊張感もなしに、思いっ切り力を抜いてる様子。

 ……一応、私という見知らぬ相手がいる状況なのだけど。

 篝火で「獣」除けもしてるから、襲って来る心配も確かにないけども。

 

「いやしかし、あの黒犬に食い付かれた時は絶対に死んだと思ったわ。

 ホント、助けてくれてありがとうな」

「……いえ。私の役目と心得ますから、お気になさらず」

 

 呑気な言葉を口にする男に、私は形ばかりに応える。

 ――本当に、コイツで良かったのだろうか?

 今さらな疑問が頭をもたげるが、私はそれをすぐに振り払う。

 計画は、滞りなく進める必要がある。

 決して妥協ではないけれど、最初の一人目はこの男と定めたのだから。

 

「……ところで」

「はい?」

「水か食料持ってないか?」

「…………」

「いや、一応俺も拾って……じゃない、持ってはいたんだけどな。

 ただこの城壁に辿り着く前に、粗方無くなってて」

「……一応、数日分ですが用意はあります」

 

 そう、こういう事態も当然想定はしていた。

 私は竜だから、呑まず食わずでも何ら支障はない。

 けれど人間は水や食料がなければすぐに死んでしまう。

 こういう場合に備えて、私は準備を怠らなかった。

 

「そうか。本当に申し訳ないが、少し分けて貰えると……」

「いえ、全て差し上げます」

「……マジで? いや、ホントに?」

「ええ。どうか遠慮なさらず。私には必要ないものです」

 

 水と保存食を詰めた革袋。

 傍らに置いておいたそれも、男の方へと差し出した。

 男は剣を渡した時以上に感謝した様子で、その革袋を受け取る。

 ……まぁ、良いでしょう。

 準備が無駄にならなかったのは良い事のはずだもの。

 

「それで? 他にはもう何もありませんか?」

「あー……そうだな」

 

 一応、確認のために聞いてみる。

 すると男は、ほんの少しだけ思案してから。

 

「とりあえず、夜が明けたら先に進むつもりだけど」

「ええ」

「アンタはどうするんだ?」

「同行いたしますよ。それが何か?」

 

 それもまた当然の話だ。

 剣を渡したこの男が死ぬまで、傍らで見守る必要がある。

 時が来たなら剣を回収し、次の生贄を探さねばならないのだから。

 本来の力が扱えるなら、わざわざそんな面倒な手間は不要だけれど。

 この企みは、密やかに進めなければならない。

 だから煩わしい程度の不自由さは、我慢して呑み込まなければ。

 

「そっか。いや、それは良いんだけどな」

「――危険の類なら、どうかお気になさらず。

 自分の身は自分で守れますので。

 逆に過度の助けも期待されては困りますが」

「あぁ。もう十分過ぎるぐらい助けて貰ってるしな。

 そこは贅沢言う気はないぞ」

 

 そこは弁えていたようで、男は軽く手を振る。

 まぁ助けるも何も、この男は死んで貰う事が大前提。

 早々に死なれるのはそれはそれで困るだけの話。

 その辺りは状況に応じて判断しましょう。

 

「あと」

「まだ何か?」

「アンタの事はなんて呼べば良い?

 暫く一緒に行動するなら、呼び名ぐらいないと不便だろ」

「…………そうですね」

 

 名乗る気はないけれど、それはそれで一理ある。

 とりあえず呼び名ぐらいは適当な偽名で良いだろうけど。

 正直、考えていなかったのでほんの少しだけ悩む。

 悩んで、私は空を見上げた。

 星が淡く輝く夜空。

 もう暫くすれば、上る太陽が黎明に染める空を。

 

「……では、私の事は《暁の娘アウローラ》とでもお呼び下さい」

「アウローラか、良い名前だな」

「それはどうも」

 

 まさか本名とは思っていないでしょうけれど。

 まぁ、その場の思い付きとしては悪くない名付けかしらね。

 取るに取らない賞賛の言葉も気分が良い。

 

「まぁ、私の事は好きに呼んで下さって構いません。

 ――それと貴方の名は、私には不要です」

「ん、そうか?」

「はい。私はただ、その剣の担い手を導くのが役目。

 呼ぶ名を知らずとも、特に不都合はないかと」

「そんなもんか?」

 

 彼は首を捻っているけれど、それ以上は何も言わなかった。

 正直、人間の名前なんて興味がないし。

 記憶に引っ掛けておく自信がないから、最初から聞く必要も感じなかった。

 ……なんて考えていると、彼は早速私が用意した保存食や水を確認していた。

 生きるのに毎日食事や水の補給が必要とか、本当に不便ね。

 

「……本当にいらないのか?」

「繰り返しますが、お気になさらず。

 それと睡眠も不要ですから、私に構わず休んで貰って結構ですよ。

 この篝火が燃えている間は、『獣』達も寄っては来ません」

「マジかー」

 

 すげぇなぁ、と呟きながら彼は干した肉を齧る。

 その様は何とも滑稽なもので。

 不思議と笑ってしまう口元を、私はそっと手で覆い隠した。

 ――この男もすぐ死ぬでしょうけど、その間ぐらいは退屈せずに済むかしら。

 それは言葉にはせず、己の胸の内に秘める。

 

「……ところで、俺あんまり道分かってないんだけど」

「ご案内しましょう」

 

 ええ本当に、退屈せずに済みそうね。

 先ずはこの朽ち果てた城壁を越えるところから。

 夜が明けたら、早速やって貰いましょう。

 ……果てに続く道は、少し厄介な怪物が塞いでいるけれど。

 

「――期待していますよ、騎士様?」

「? あぁ、がんばる」

 

 微笑む私の言葉に、彼は実に軽い調子で頷いてみせた。

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