第一章:始まりの城壁

182話:二人の出会い


 荒れ果てた地を、風が空しく過ぎ去る。

 ここは人間どもが「北の最果て」と呼ぶ場所。

 正確には、まだその入り口。

 外敵の侵入に備えるために築かれた城壁が、人の目線では高く聳え立っていた。

 けれど今、その朽ち果てた壁に生きる者の気配はない。

 あるのはただ、無謀の代償に命を落とした愚か者たちの残滓と。

 己の生を呪うような、憐れな「獣」どもの唸り声だけ。

 ――北は最果て、隠りの世。

 ――生きては辿れず生きては戻れぬ。

 その不吉さを、その恐怖と畏怖を、人間どもは詩という形で語った。

 語り歌えば、「果てを目指す」などと宣う哀れな犠牲者を救えると信じての事か。

 もしくは、試練を乗り越える勇者が現れると期待してか。

 まぁどちらであろうと、「私」の都合に良い事は変わらない。

 そんな詩の一節を思い浮かべながら、私は一人でため息を吐いた。

 

「…………来ないわね」

 

 呟く。

 聞く者がいないと知ってはいても、独り言はどうしても漏れてしまう。

 今、私がいるのは半ば崩れた城門の前。

 これまで何人もの挑戦者が潜り、そして二度とは戻らなかった最果ての入口。

 ボロボロの跳ね橋の上に佇んでから、さて何日が経ったか。

 三日か、それとも四日だったかしら。

 永遠不滅の身からすれば、芥子粒のような時間だけれど。

 

「入口付近で待っていればと思ったけど……」

 

 失敗したかもしれない、とは。

 できれば認めたくないところだ。

 この大陸の北端は、今や《北の王》と名乗るあの大馬鹿者の支配領域。

 恐ろしい「獣」が溢れ出す災禍の中心として、大陸中の人間どもは恐れている。

 国の境を接する《王国マルクト》も、その対処には苦慮しているようだった。

 けれど所詮は北の辺境。

 今や《王国》は最盛期を迎え、大陸の半分を版図としている。

 その超大国からすれば、ここは「国土の隅に引っ掛かる未踏の地」に過ぎない。

 加えて、《王国》の支配者たる竜王バビロンは実に多忙だ。

 対処が必須の災厄が他にもある以上、北の地に割ける労力は限られている。

 精々が「獣」の侵入に対処するための兵力を置き、異常がないかを監視する程度。

 ――北の果てを玉座とする暴君を、この手で討ち果たす。

 人間どもの間でそんな夢見がちな話が出てくるのは、自然な流れでしょうね。

 結果は詩が示す通り、見るも無残なものだったけれど。

 ただ、そう。

 愚かで無謀な人間は、身の程知らずな願いを持って死の境を跨ぐ。

 私もその実例は多く知っている。

 知っているからこそ、私はこの場所で待つ事を選んだ。

 手にした「モノ」にそっと視線を下ろす。

 それは鞘に納められた一振りの「剣」だった。

 この世で二つと存在しない、神たる父の血肉から鍛え上げた恐るべき魔剣。

 私ともう一人、始祖である魔法使いの企てのために用意されたもの。

 永遠不滅である古竜を「殺す」、竜殺しの刃。

 私は私の野望ゆめのために。

 あの愚かな始祖は、永遠の狂気に苛まれる同胞達を救うために。

 王の冠を戴く古き竜を殺し、その魂と力を簒奪する。

 ようやく完成したこの魔剣――《一つの剣》こそが、その計画の要。

 けれど剣にはまだ火は宿らず、その機能は十全ではない。

 その刃で魂を啜り、やがては永遠たる竜の王にさえ届かせる。

 これが剣という「道具」である以上は、扱える者が必要だった。

 だから私は正体を隠し、剣の最初の使い手を探しているのだけれど……。

 

「…………来ないわね」

 

 来ない。思わず同じ言葉を二度も繰り返してしまった。

 噂や詩を聞く限り、莫迦な挑戦者がひっきりなしに門を通ってると思ったのに。

 どうもそういうワケではないらしい。

 或いは詩になるほど数多の犠牲者が出ているせいで、誰も彼も尻込みした後か。

 ……失敗した、などとは考えなかった。

 この一つなる魔剣を手に取り、古の竜を殺す程の業を抱く者。

 それは少なくとも、自らの意思でこの果てを目指すぐらいの人間でなければ。

 私の見立てに誤りはない。

 計画は未だ始まったばかりであり、剣の使い手は最も大事な歯車パーツ

 使い捨てる事が前提とはいえ、その重要性を考えれば妥協はできない。

 ただ一人の共犯者であり、私の計画の愚かな協力者。

 始祖たる魔法使いの《オプスキュリテ》であっても、その選定は任せられない。

 この剣も含めて、全てを私の手で執り行わねば意味がないのだ。

 見果てぬ虚空そらのその果て。

 父たる《造物主》が現れた、名も知れぬ彼方へと旅立つ為に。

 

「……ん……?」

 

 ふと、私の耳に「獣」の声が届いた。

 いいえ、それだけじゃない。

 耳障りな「獣」の咆哮に、別の音も混じっている。

 人間を含めて、真っ当な生命は一つとして存在しない放棄された城壁。

 徘徊するのは生き物とすら呼べない不出来な「獣」のみのはず。

 私は先ず、音の聞こえた方角に視線を向けた。

 普段の私であれば、千里の果てを見聞きするのも容易い。

 けれど今は、肉体の性能を人間より少し上程度に制限していた。

 計画の初期段階、不必要に目立って他の《古き王オールドキング》の注意を引かないために。

 今さらながら我が身の不便さを再確認しながら。

 私の眼は、その光景を捉えた。

 

「死ぬっ、死ぬ死ぬっ!」

 

 私のいる跳ね橋からは、まだ大分距離がある。

 遮るモノは一つもない荒れ果てた平野。

 そこでドタバタと騒いでいる、鎧姿の男が一人。

 右手には痛んだ長剣ロングソードを持ち、左手には小振りな騎士盾ナイトシールド

 明らかに不慣れで、「武器を操る」と言うには不格好な動作。

 剣と盾を振り回しつつ、逃げる男を追い回しているのは三匹の「獣」。

 ぱっと見、それは痩せすぎた犬のようにも見えた。

 しかし犬にしては身体は大きく、またその全身は焼けた炭のように真っ黒。

 半開きの顎から漏れ出すのは硫黄の臭い。

 人間は《魔犬バーゲスト》の名で恐れる、この荒野では最も数が多く弱い「獣」ね。

 弱い――と言っても、それは竜の目から見た場合の話。

 《北の王》が自らの血と、漏れ出す魂の断片を混ぜる事で生まれる歪んだ生命いのち

 全ての「獣」は《北の王》の眷属であり、どれだけ弱くても人間には脅威だ。

 だから、そう。

 三匹の《魔犬》に囲まれた男の様子を見ても、私は何とも思わなかった。

 竜殺しの偉業を夢見て、北の最果てを目指す者達。

 それが打ち捨てられた門すら越える事なく、《魔犬》に喰い殺されて命を落とす。

 その結末もまた、人間達が語る「よくある事」であるらしい。

 

「……ダメね、アレは」

 

 一目で私はそう判断した。

 もし一匹だけなら可能性はあったかもしれない。

 しかし弱い「獣」と言えど三匹。

 囲まれればどれだけ不利かなんて、私が語るまでもない。

 動き辛そうな甲冑姿でも、男は意外と身軽そうに走り回ってはいたけれど。

 足の速さは、当たり前のように《魔犬》達の方が上。

 

『GAAAA――――ッ!!』

「っと……!?」

 

 威嚇のために叫ぶ一頭の《魔犬》。

 それは飛び掛かる直前に見せた予備動作。

 皮肉にも、その《猟犬》の咆哮が男の生死を分けた。

 殆ど転ぶ勢いで、男はデコボコと荒れた地面に倒れ込む。

 同時に、男の頭上を過ぎる爪と牙。

 避け損なっていたら、そのまま喉笛を食い千切られていたかもしれない。

 

「このっ、いい加減にしろよ犬ッコロ!」

 

 《魔犬》を野良犬扱いとか、思ったより肝が据わってるのかしら。

 それとも無知ゆえの無防備さか。

 どっちにしろ、「獣」達は自分の本能に従うだけ。

 自分達以外の「生きている者」は全て殺す。

 そんな憐れで原始的な衝動が、私の眼には透けて見えるよう。

 男の方はきっと、そんな事は考えてもいないでしょうね。

 ただ必死に武器を構え、三匹の《魔犬》を何とか同じ視界に留めようとしていた。

 下手に背後を取られたら死ぬと、さっきの鬼ごっこで学習したみたいね。

 

『GRRR……!』

『GAAAッ!』

「クソッ、ちょっとは落ち着いたらどうだ?」

 

 唸り、怨嗟に似た声で吼え猛りながら。

 三匹の《猟犬》は、ジリジリと男に迫っていく。

 醜い「獣」に追い詰められながらも、男は恐怖に震えた様子はない。

 昂った神経を落ち着かせるためか、何度も深呼吸を重ねている。

 それから盾と剣、その両方を前に突き出すようにして。

 いつ飛び掛かって来ても対処できるよう、男なりに備えてはいるようだった。

 ……やはり、その姿は「歴戦の戦士」と評するには不格好過ぎるけど。

 

『GRAAAA!!』

 

 睨み合いに痺れを切らしたか、それとも単に血肉に飢えていただけか。

 先ず一匹の《魔犬》が男に向かって飛び掛かる。

 

「ふっ……!」

 

 それに対し、男は剣ではなく盾を振るった。

 横から顔面を思い切り殴り付ける一撃。

 《魔犬》は汚い声で鳴きながら、派手に地面へ転がり落ちる。

 しかし間髪入れず、二匹目と三匹目の《魔犬》も襲い掛かってきた。

 「獣」の爪牙は鋭く、鋼でさえも防ぎ切れない。

 見たところ、男は多少は上等な鎧を身に着けてるようだけど。

 まともに食い付かれたら、その時点で肉を裂かれて終わりでしょう。

 

『GAAAAA!!』

「うるせェ……!」

 

 盾で殴った不安定な姿勢から、男は真っ直ぐ剣を突き出す。

 その切っ先は、二匹目の《魔犬》が大きく開いた顎を貫いた。

 狙ったというより、闇雲に突いたらたまたま刺さったという感じね。

 なんにせよ、口から後頭部まで刃が刺されば、幾ら「獣」でも死ぬしかない。

 同類の死を目の当たりにしても、《魔犬》は怯む様子を見せなかった。

 元より、「獣」にそんな理性や本能は備わってないだけの事。

 

『GRAAAAA!!』

 

 あるのはただ、目の前の生命を喰い殺そうとする悪意だけ。

 だから三匹目の《魔犬》は、何も考えずに男の盾にその牙を突き立てた。

 強固なはずの鋼は、「獣」の牙でガリガリと削られる。

 男は振り払おうとするけれど、一度噛み付いたなら《魔犬》は決して放さない。

 盾も鎧も食い破って、最後は血肉を貪り尽くす。

 《魔犬》に襲われた人間に定められた結末。

 それに対して、男は取った行動は。

 

『GRAAっ!?』

 

 盾を手放す事だった。

 抵抗する力が失せた事で、《魔犬》は体勢を僅かに崩す。

 

「おらっ!!」

 

 その一瞬を狙って、男は盾ごと《魔犬》の顔面を蹴り上げた。

 流石に耐えられず、《魔犬》は食い付いていた盾ごと地面に転がる。

 男は迷わず、無防備に晒されたその腹に剣を振り下ろす。

 その切っ先はあっさりと、《魔犬》の肉を引き裂く。

 どす黒い血と、醜く歪んだ臓物が溢れ出した。

 十分に致命傷だけれど、それだけで直ぐに死ぬほど「獣」もヤワじゃない。

 だから男は確実に仕留めようと、二度三度と刃を叩き付ける。

 苦痛にもがく《魔犬》は、程なく息絶えて動かなくなった。

 

「よし……っ!?」

 

 これで二匹。

 男は私が思った以上の奮戦を見せた。

 あぁでも、やはり数の不利は否めないわね。

 別に男も気を抜いたワケじゃなかったけれど。

 

『GRAA!!』

 

 最初に盾で殴り倒した一匹目が、起き上がって襲って来るのに対して。

 単純に反応が間に合わなかった。

 あぁそれでも、咄嗟に剣を構えようとした事は賞賛するべきかしら。

 半端に向けた剣がなければ、鋭い牙が喉元を噛み千切っていた事でしょうね。

 それを防ぐ代償として、《魔犬》の牙は男の剣を圧し折ってしまったけど。

 もつれ合うように地面に倒れる男と「獣」。

 半分折れてしまった剣を、男はそれでも放さず握っていた。

 《魔犬》は久しい獲物に興奮したか、鼻息荒く男にその牙を突き立てる。

 噛み付いたのは、喉ではなく左の肩の辺り。

 甲冑の装甲は薄紙のように貫かれ、男の身体から血が溢れ出す。

 ――流石に、これまでかしらね。

 一度噛み付かれたが最後、《魔犬》は死ぬまで牙を離す事はない。

 このまま肩を食い千切られ、次は首かはらわたか。

 どっちにしろ、これでもう――。

 

「――――っ!!」

 

 男の上げた声は、もう言葉になっていなかった。

 苦痛に対して歯を食い縛り、自分の肉に喰いつく《魔犬》の頭を掴む。

 左手で抑えるようにしながら、今度は右の手を振り上げた。

 折れた剣を未だ握っている方の手。

 そんな状態ではまともに斬る事もできないでしょう。

 私はそう思っていたけれど。

 

『GAAA!?』

 

 男は剣の刃ではなく、その柄頭を《魔犬》の頭に振り下ろした。

 良く見れば、そこは先端が尖った鈍器の形状をしている。

 鈍い音を立てながら、男は何度も何度も《魔犬》に剣の柄を叩き付けた。

 何度も、何度も。

 《魔犬》の牙が肉を破り骨を砕くに至っても。

 諦める事なく、何度も何度も。

 ……それがどれほど続いたのか。

 いつの間にか、頭蓋を砕かれた《魔犬》は動かなくなっていた。

 「獣」のドス黒い血と、自らが流す赤い血が混ざった水溜まりの中。

 男はまだ生きているようだった。

 致命傷……ではないけど、決して軽い傷じゃない。

 放っておけば失血で命を落とすでしょう。

 

「…………」

 

 ただ――そう、起こったのはほんの気紛れ。

 このままこの男が死んだとして。

 次の誰かがこの荒野を訪れるのは、果たして何時になるのか。

 永遠不滅たる古竜にとって、時間の長さに大して意味はないけれど。

 この計画自体には、協力者である《黒》の都合がある。

 ……あまり悠長にやって文句を言われるのも面倒ね。

 であるなら、多少の妥協は必要でしょう。

 

「……幸運に恵まれたわね、貴方」

 

 血の中に沈む男に意識はない。

 語り聞かせるつもりのない言葉を、私は一人呟く。

 

「光栄に思いなさい。

 私の野望ゆめのためにくべられる薪。

 ――貴方を、その最初の一人目にしてあげるわ」

 

 倒れ伏した男へと、私は手を伸ばす。

 常ならばほんの少しの力で握り潰せてしまいそうな、非力な人間。

 その身体を、今は不自由な手で助け起こす。

 ――そう、これは本当なら、何の意味もないはずの気紛れ。

 この瞬間から、私と彼の短い旅路が始まった。

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