第七部:北の荒れ野で竜を殺した

181話:一時の休息を

 

 朝に立ち込める霧は深く、あまり遠くまでは見通せない。

 半ば朽ち果てた高層建築ビルの屋上に立って、オレは深く息を吸い込んだ。

 霧のせいで視界は良くないが、空気はそう悪くない。

 見上げれば、煙る大気の向こうに太陽はちゃんと輝いている。

 閉鎖型都市アーコロジー生まれなら、本来は拝む事のない陽光。

 これも随分と見慣れてきたなと、今さらながらに思う。

 

「……イーリス?」

 

 ――と、背後から聞き慣れた声がする。

 オレが振り向くと、そこには予想通りの相手が立っていた。

 黒髪をポニーテールに纏めた、長身痩躯の男装美女。

 胸のサイズを地味に気にしてるけれど、オレとしちゃ今で十分可愛らしいと思う。

 口に出すとぶちぶち言われるので、あくまで胸に秘めた感想だ。

 

「おはよう、姉さん。見回りは済んだのか?」

「あぁ、特に問題はなかったよ。

 とはいえ、余り目立つ場所には顔を出さない方が良い」

「そりゃ分かってるし、危険がないかはオレも一応確認はしてるからな」

 

 横に並んだ姉さんに、オレは小さく手を振って応える。

 屋上に顔を出したのは、何も健康のために体操をしに来たってワケじゃない。

 オレの《奇跡》は電波の類を操れる。

 それを使って付近で通信したりしてる奴はいないか、そういうのも確かめられる。

 ……まぁ、外に出て来てるのはそれだけが理由じゃないんだが。

 

「姉さんも」

「うん?」

「流石にずっとは疲れるだろう、アレ」

「…………」

 

 なんだかんだと「隠れ家」の外に出る理由。

 姉さんも見回りと称してまぁまぁ頻繁に出てるしな。

 いや、別にそれをどうこう言うつもりはない。

 ただ、その辺の理由はオレと同じだと思っての事だ。

 ほんの少し沈黙してから、姉さんはそっと息を吐いた。

 

「……別に不満には思ってないぞ?」

「そりゃオレもだよ。ただ肺の中の空気を入れ替えたくなるぐらいで」

「言いたい事は分かるよ」

 

 苦笑する姉さんの言葉に、オレは軽く肩を竦めた。

 それから改めて、霧が漂う風景に目を向ける。

 空に掛かっている分はまだ薄く、青色や太陽の光は確認できる。

 逆に地上を覆う霧は一段と濃い。

 遠くまでは見通せず、近くの建物も黒々とした陰影シルエットが見えるばかりだ。

 心地良い朝の空気とは裏腹に、それは墓標めいた陰鬱さを漂わせていた。

 

 「……まさか、千年以上も前に滅んだ都市が、未だ原型を留めているとはな」

 

 オレと同じ景色を見ながら、姉さんは小さく呟いた。

 

「アウローラ達の言葉が正しけりゃ、ここは《王国マルクト》の中心。

 その支配者と同じ名前を持つ中枢都市《天庭バビロン》。

 ――竜同士の争いの末に滅んだ、大いなる都か」

 

 正確に言うならば、ここは都市の跡地。

 オレ達がいるのはその一番端の外縁部であるらしい。

 霧に閉ざされているせいもあって、都市の全容は見えない。

 かつてはどれだけの住民が、この巨大な都で生活していたのだろうか。

 

「今のところは、運に恵まれているな」

「あぁ、間違いない」

 

 呟くような姉さんの声に、オレは頷く。

 そう、運が良かった。

 思い出すのは《天空城塞》での戦いだ。

 大真竜ゲマトリアを倒した直後に現れた、新たな大真竜イシュタル。

 割とアレな手を使った上で、オレ達はその地獄から離脱することに成功した。

 特に行く当てもない逃亡。

 その途中で発見したのが、この霧に沈んだ都市の遺跡だった。

 未知の危険がある事を考慮しても、兎に角隠れて休む場所が必要だと。

 特に怪しい気配もない(らしい)外縁部に下り立ったのが、ほんの数日前だ。

 実際、霧が濃いこと以外は危険らしい危険は何もない。

 オレ達以外に、誰かが住んでいるような気配もどこにもない。

 こんな場所だったら、何かしら住み着いている気もするんだが。

 

「イーリス?」

「ん。いや、大丈夫。ちょっと考え事してただけ」

「そうか。危険が確認できないとはいえ、用心するに越した事はない。

 そろそろ『隠れ家』に戻ろう」

「……だな。観念して帰りますか」

 

 微妙に気が進まないのは事実だが、こればっかりは仕方がない。

 姉さんに促されるまま、オレは屋上の出入口に足を向ける。

 ふと、もう一度背後を振り向いた。

 広がる景色は相変わらず、白い霧に包まれたまま。

 ――なんか、視線を感じたような……?

 

「……イーリス、本当に大丈夫か?」

「あ、ウン。大丈夫だって」

 

 心配そうにこっちを見る姉さん。

 そちらに軽く手を振るが、どうやら姉さんの方は何も感じてない様子だ。

 だったらまぁ、気のせいか?

 オレが気付けるような事だったら、他の誰かが気付いてるはず。

 ……ならやっぱり、考えすぎか。

 まだ数日ほどとはいえ、この辺りは未知の場所だ。

 ちょっと神経質になり過ぎてるのは否めない。

 切り替える意味でも、手のひらで軽く自分の頬を叩いておく。

 さて、「隠れ家」の方はどうなっているやら。

 

「――さ、レックス。水は飲める?

 食べる物も用意してあるから、遠慮しないでね?」

「おー」

 

 で、「隠れ家」に戻って来たワケだが。

 オレ達がいる建物も、昔は居住用か何かだったのだろう。

 年月が経ちすぎてしまった現在、原形は留めても使えそうな部屋は一つもない。

 だがそこは、魔法の達人であるアウローラがいる。

 マーレボルジェの時に使ったのと同じ、「隠れ家」を造る魔法で解決してくれた。

 ちょっと懐かしさすら感じる秘密の部屋。

 そこに戻ると、既に見慣れた光景がそこにはあった。

 

「おぉ、戻ったか。外の具合はどうだ?」

「相変わらず、霧が濃すぎて何も見えねェ」

「大事を取って、私も本当に建物の近辺しか見ていませんが。

 現状、危険なものは確認できていません」

 

 「そうか」と頷いたのはボレアスだ。

 いつも通りの解放感溢れる恰好で、部屋の隅で寝転がっている。

 彼女もまた微妙にうんざりとした視線を彷徨わせていた。

 ちなみに新たに増えたメンバーだが。

 

『ふごー、んがっ』

 

 だらけ切った猫の姿で、やっぱり部屋の隅でゴロゴロしていた。

 確かヴリトラって名乗っていたはず。

 アウローラ達と同じ《古き王オールドキング》の一柱らしいが、今の姿だけだと信じがたい。

 見た目完全に猫じゃん。いや可愛いけどよ。

 で、それはそれとしてだ。

 

「あら、おかえりなさい。二人とも」

「ん、あぁ」

 

 ようやくこっちが戻って来た事に気付いたらしい。

 顔を上げたアウローラが、微笑みながら声を掛けて来た。

 上機嫌だ。うん、とても機嫌が良い。

 何故かだなんて、そんな事は聞くまでもない。

 

「おう、おかえり」

「ええ。只今戻りました、レックス殿」

 

 掛けられた言葉に、姉さんは嬉しそうに応えた。

 声の主――レックスの手が、力なくゆらゆらと揺れている。

 

「よう、大丈夫……じゃなさそうだな、まだ」

「悪いなぁ」

 

 オレの声に対しては、レックスは微妙に申し訳なさそうに返した。

 ――人数を考慮してもかなり広い、「隠れ家」の部屋。

 そのど真ん中に用意された寝床。

 レックスはそこにだらっと横たわっていた。

 流石に鎧ではなく簡素な寝間着姿で。

 ただし兜は装着したままだ。

 こればかりは飼い主(?)の意向なので仕方がない。

 なんにせよ珍妙な恰好ではあった。

 が、それに突っ込む奴はこの場にはいない。

 流石にオレでもその辺りは弁えている。

 力なく横になっている兜男を、ひたすら甲斐甲斐しく世話を焼く女。

 最高に気分良さげなアウローラを、下手な言葉で刺激したくはなかった。

 多分、それがオレ含めた全員の総意だ。

 アウローラ本人が、そこらに気付いているかは知らないが。

 

「ほら、レックス?

 まだ本調子じゃないんだから、無理せず休んで頂戴な」

「いやぁ、あんまダラダラしてるのもなぁ」

「そう言って無理するとまた倒れるわよ?

 今は兎に角、身体を休めるのが第一。分かった?」

「はぁい」

 

 言葉は優しいが、有無を言わさぬ圧力があった。

 それ以上ごねる事なく、レックスはまた素直にだらけ始める。

 ……で、レックスの状態に関しては今アウローラ自身が語った通りだ。

 実際のところはオレにもよく分からない。

 ただ過去最高に無茶したようで、今は動くのもままならないらしい。

 「少し時間は掛かるけど、ちゃんと治せるから」とはアウローラの言だ。

 こっちはそれを信じるしかない。

 

「ま、ここまで散々無茶しながら突っ走って来たワケだしな。

 休める時には休むべきだろ」

「イーリスの言う通りかと。

 今のところは危険もありませんし、ゆっくりなさると良い」

「そうだなぁ……」

 

 姉さんにも言われて、レックスは遠慮なくゴロゴロし出す。

 全身から怠惰が滲み出してるが、まぁたまにはな。

 そんな兜男に膝枕をしてやりながら、アウローラは満足げに笑っていた。

 

『……しっかし、ホントに変わったよなぁ長兄殿は』

「……そうかしら?」

 

 今のレックス並みに怠惰な空気を醸しながら。

 床に寝転がった猫――いや、ヴリトラがぽつりと言った。

 言われた方のアウローラは緩く首を傾げる。

 

『いや冗談抜きで変わり過ぎというか。

 真面目に何があったのか気になるんだけど』

「べ、別に良いじゃないの、そんな事」

「竜殺しに惚れ込んで、すっかり色惚けた結果なのは間違いないな」

 

 横で聞いていたボレアスが喉を鳴らす。

 これで単なる外野じゃなくて、その当時に討たれた本人なんだよな。

 改めて考えると不思議……というか、おかしな関係性だ。

 竜を殺す事を画策した黒幕と、そいつが手段として利用しようとした竜殺し。

 その結果として本当に討ち取られた伝説の悪竜。

 ……うん、今さらながら良く一緒に行動できてんなコイツら。

 

「ちょっと、余計な茶々入れは止めて貰える?」

「いやはや、恨み言を口にせぬだけ配慮してるのだがなぁ」

「レックスに負けたのはお前の自業自得でしょうに」

「我を討ち取った後に、この男もまた力尽きたのだ。

 ならば良いところ相討ちと表現すべきでは?」

 

 などと、微妙に話を脱線させつつ竜の姉妹同士でじゃれ合う。

 最近はアウローラも大分慣れて来た感はある。

 ちょっと前はもっと感情的で、殴り合う手前の空気だったんだけどな。

 で、まぁそれは良いんだが。

 

「オレもちょっと興味はあるんだよな」

「イーリス?」

「コイツらの馴れ初め。姉さんも気にならねぇ?」

 

 言いながら、じゃれてる竜二匹と寝転ぶ兜男を示す。

 オレの言葉に対し、姉さんは一瞬考える素振りを見せてから。

 

「……それは、確かに。ええ。興味はある、あります」

「だろ?」

 

 ちょっと言葉遣いがおかしくなる程度には、姉さんにも好奇心があったようだ。

 こっちも一応、何があったかの概要ぐらいは知ってる。

 古い詩という形だが、「最初の竜殺し」に関する知識もあった。

 ただ、やっぱり当事者からきちんと聞きたいって気持ちはかなり強い。

 三千年も昔に行われた、人の手で竜を殺した始まりの偉業。

 果たして、それは実際にどんな物語だったのか。

 

『それ、こっちも気になるわ。

 暫く彼氏殿の療養なら、長話するには良い機会じゃないか?』

「……貴方もホントに口が回るわね」

 

 ヴリトラ猫も催促リクエストに加わり、アウローラは苦笑いをこぼした。

 ただ、空気としてはまんざらでもなさそうだ。

 そこでちらっと、別の当事者の様子も確認しておく。

 

「我も話をする分には構わんぞ?

 長子殿目線でどのような冒険であったのか。

 考えてみればなかなか興味深い」

「お前が負けるくだりは、しっかり細かく話してあげるから。

 そこは安心しなさいな?」

「何だ、口ではどう言っても意外と乗り気ではないか」

 

 「都合の良い事だ」と、ボレアスは笑いながらアウローラの煽りを受け流した。

 その返しにアウローラは一つ咳払いをして、それから自分の膝の上を見る。

 最後の当事者であるレックスだが……。

 

「ぐぅ」

 

 寝ていた。割とぐっすりっぽく。

 いや、ホントに寝てるのか?

 いびきが若干わざとらしい気がするのオレだけか?

 兜のせいで良く分からんが、アウローラは寝ていると判断したようだった。

 膝枕の体勢で一つ息を吐く。

 

「……まぁ、そこまで言うのなら、仕方ないわね。

 本当は気が進まないけど、ええ。本当よ?」

「分かってるって」

 

 ボレアスが指摘した通り、言ってる内に割と乗り気になったっぽいな。

 あくまで「仕方なく」の体で行きたいようなので、そこは素直に乗っておく。

 オレの反応リアクションに満足したか、アウローラはうんうんと頷いた。

 とりあえず、こっちも話を聞くために適当に腰を下ろす。

 ヴリトラ猫が転がってるすぐ近く。

 姉さんはゴロゴロしてる毛玉が気になってしょうがない様子だ。

 多分撫でるぐらいなら気にしないだろ、コイツ。

 

「さて――先ずは何処から話そうかしらね。

 私が最初に《剣》を鍛える事を決めたところからか。

 或いは、最も古い魔法使いとの最初の取引に応じた時か。

 その辺はすっ飛ばして、荒野で『彼』と出会った日でも良いわね」

 

 まぁそれは兎も角、アウローラは歌うように語り始める。

 もう当事者以外は正確には覚えていない、三千年前の話を。

 この世で最初に行われた、最も古い竜殺しの詩。

 ――或いは、彼女の愛にまつわる御伽噺。

 

「あれはまだ、古き竜の王たちが大陸を支配していた頃。

 私が未だ《最強最古》の名で恐れられていた時代。

 ボレアスはただ《北の王》と呼ばれ、災禍の竜王として北の果てに君臨していた。

 ――そして『彼』が、まだ単なる人間の一人に過ぎなかった時。

 あの日の荒野の出会いから、全てが始まったわ」

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