終章:そして、次なる舞台へ

180話:もう一つの閉幕


 偽りの夜空から星々が流れ落ちる。

 そして《天空城塞》が砕かれ、崩落するその直前。

 もう一つの鋼の鳥――脱出用の飛空船が城の端から飛び立った。

 《最強最古》が放った極光の《吐息ブレス》。

 それが引き起こす凄まじい爆発に紛れる形で。

 竜殺しの一党にも、現れた序列四位の大真竜にも気付かれず。

 空の戦場を離れながら、船を操る男は一つ息を吐いた。

 

「――やれやれ、間一髪だったな。

 こんな綱渡り、そう何度もは御免だが」

 

 それは森人エルフの男――ウィリアムだった。

 操縦桿を片手で握り、慣れた手つきで操縦席コックピットの機器を調整する。

 速度は可能な限り最大限で維持しながら、流れる雲を影にして空を行く。

 城塞内部で発見した飛空船は速く、そして軽い。

 戦闘を目的とした船ではないため、武装もなければ装甲も薄い。

 万が一流れ弾の一つでも当たってしまえば、それだけで墜落する危険があった。

 故に慎重かつ迅速に、ウィリアムは船を操作する。

 と、船の後部座席から小さな唸り声が響いた。

 

「どうした。まさか酔ったとは言わんだろう?」

「…………一体、どういうつもりですか」

 

 振り向く事なく語り掛けるウィリアム。

 それに対し、後方の声は不満と警戒を隠そうともしなかった。

 座席から這い出るように顔を出したのは、一人の小柄な影。

 《天空城塞》の奥深くで眠っていたのゲマトリアだ。

 幼い少女の姿をした大真竜は、胡散臭い森人をギロリと睨みつける。

 

「どうも何も、見ての通りだが」

「お前のその物言いは額面通りに受け取らない事にしたんですよ」

「ハハハハハ」

「いや笑いごとじゃないんで」

 

 獣のように唸るゲマトリアに、ウィリアムはあくまで態度を崩さない。

 その余裕ぶった面が気に喰わないが、ゲマトリアは大人しくする他なかった。

 何せ現在、《五龍大公》はその力の殆どを失っている状態だからだ。

 封じていた竜王ヴリトラの力は、《竜体》となった自分に全て渡していた。

 正確には、封印の矢を受けた事で抑えられた分以外は、だが。

 当初、ゲマトリアは持てる全戦力を使ってレックス達を叩き潰すつもりだった。

 しかしウィリアムに撃ち込まれた矢の分だけは分離せざるを得なかった。

 それが今、この船に乗っている六本目の首。

 残ったのは僅かな竜王の魔力と、それが宿った魂の一欠片。

 結果的に完全に滅ぼされるのを回避した形だ。

 

「……ボクを助けたなんて戯言、まさか本気で言うつもりじゃないでしょうね?」

「戯言ではないが、結果的にはそういう形になるな」

「意味が分かりませんし、目的も見えませんよ。

 お前はレックス達とボクを討ち取りに来たんじゃないんですか?」

「確かにその一面もある」

 

 本当に討つつもりなら、こうして助ける意味が分からない。

 今の自分は絞りカスも同然で、生け捕りにしたところで何の価値もないはずだ。

 情報が目的だとしても、やはり不可解な事がある。

 それなら何故、この男ウィリアムはレックス達と別れて動いているのか。

 ゲマトリアから向けられる疑念。

 その視線を受けながら、ウィリアムは軽く笑った。

 相変わらず、その真意は他人からは見え辛い。

 

「確かに俺はレックスに協力していた。

 だがそれ以前に、がいたというだけの話だ」

「別の協力相手……?」

「それはお前も知ってる相手のはずだ」

 

 言われて、ゲマトリアはハッと顔を上げた。

 そうだ。そもそも何故、ウィリアムは封印術式の刻んだ矢など持っていたのか。

 それは盟約の秘奥であり、普通は手に入る代物ではない。

 ではどうやって、ウィリアムはそれを入手したか。

 考えればすぐに分かる事だった。

 

「そういうワケだ。

 納得が行かないのなら、『本人』から直接聞いたらどうだ?」

「は? 本人って――」

 

 ゲマトリアのいる後部座席は、そう広いワケではない。

 その広くない席の片隅に、不意に新たな気配が生まれた。

 慌ててゲマトリアがそちらの方を見れば――。

 

「…………ブリーデさん」

「ええ、私よ。こっ酷くやられたわね、ゲマトリア」

 

 白い鍛冶師――序列六位の大真竜たる彼女の姿があった。

 恐らく《転移》で現れたワケではない。

 ブリーデの力は鍛冶と、それ以外は逃げ隠れにばかり特化している。

 それはつまり、彼女はずっとという事。

 

「いつの間に……」

「気付いてなかったでしょうけど。

 前の会合が終わった後から、気配を隠して出入りしてたのよ。

 私、そういうのは得意だから」

 

 戸惑うゲマトリアに、ブリーデは何てことはないとばかりに応える。

 ……ウィリアムが口にしていた、《白い蛇》の存在を匂わせる発言。

 それらは単なるハッタリだとゲマトリアは思っていた。

 しかしあの矢を使った時点で、それが事実である可能性が生じた。

 そして今、実際にブリーデ本人が姿を現している。

 思考も疑念も、全てウィリアムにまんまと誘導されていた事を思い知る。

 

「それで、仕事の結果には満足して貰えたか?」

「…………ええ、そうね。

 正直、あまり期待はしてなかったんだけど」

「レックス達を助け、その上でゲマトリアにもトドメは刺させない。

 なかなかの無理難題だったがな」

「……何ですか、それは」

 

 ブリーデとウィリアムの交わす言葉に、ゲマトリアは困惑を滲ませる。

 言っている意味が分からない。

 レックス達を助ける――というのは、納得はできないがまだ分かる。

 その上で何故、自分の命まで救う事を条件に付けたのか。

 あの男――竜殺しに手を貸すだけなら、そんなものは必要ないはずだ。

 そんな当然の疑問を抱くゲマトリア。

 彼女に対してブリーデは何も語らず、代わりにウィリアムが口を開いた。

 

「結局、どっちつかずだったというだけの話だ」

「どっちつかず……?」

「……ウィリアム」

「これぐらいは構わんだろう。コイツには聞く権利があるはずだ」

 

 ブリーデが咎める声を上げるが、ウィリアムは気にしなかった。

 調子を変える事なく、ただ事実のみを口にする。

 信じがたい話だがウィリアムは虚偽を言葉にする事を好まない。

 しかし、自分の言葉を相手がどう解釈するか。

 それを分かった上で、話し方を選ぶ質ではあった。

 

「何も複雑な話ではないぞ、ゲマトリア。

 ブリーデは、お前もあの竜殺しの一党も死なせたくはなかった。

 故に自分と縁のある森を訪れ、そこで出会った俺に契約を持ちかけた」

「…………」

 

 ウィリアムの言葉を、ブリーデは遮らなかった。

 ただ何も語らず沈黙するのみ。

 

「“大真竜として、望む力を寄こす代わりに自分に協力して欲しい”とな。

 ――そしてその結果が、今のこの状況というわけだ」

「…………何ですか、それは」

 

 笑うウィリアムとは対照的に、ゲマトリアの声は震えていた。

 怒りと恥辱、そして不理解の悲哀に。

 そう、ゲマトリアには何一つ理解できなかった。

 ブリーデを千年の同胞と認めているからこそ、猶更なおさらに。

 

「盟約を裏切るつもりですか、ブリーデ」

「いいえ、そんなつもりは無いわ」

「こんな馬鹿げた真似をしたのに、貴女は裏切ってないと言うんですかっ!」

 

 叫んで、ゲマトリアは感情のままブリーデの襟元を掴んでいた。

 今や大半の力を失った状態ではあるが、幼い見た目以上の腕力はある。

 ブリーデは抵抗しなかった。

 しようという素振りすら見せなかった。

 それがますますゲマトリアの逆鱗を削る。

 

「答えて下さいよ、ブリーデ!

 貴女の行動は盟約への裏切り以外の何物でもないでしょう!?」

「…………」

 

 ブリーデは沈黙したまま。

 ウィリアムもまた、ゲマトリアの蛮行を止めようとはしなかった。

 或いは、殺すような真似はできないと見切っていたのかもしれない。

 それが事実であるために、ゲマトリアの怒りは更に燃え上がる。

 

「ブリーデ……!」

「私が止めろと言ったとして、貴女はそれに従ったの?」

 

 激情のまま言いつのろうとしたところで。

 冷たい刃を差し込んだように、硬い声が船内に響いた。

 襟を掴むゲマトリアの手に、細い指が絡む。

 どうしようもなく非力で、竜と呼ぶにはか弱すぎる指先。

 けれどそこには、暗く重い意思の力が込められていた。

 

「ウラノスに諫められても、貴女は止めなかった。

 分かるわよ、貴女が『彼女』の事をどれだけ想っているのか。

 その願いのためなら、誰に何を言われようと止められるワケがないって事ぐらい」

「ブリーデ、それとこれとは……!」

「同じよ! 私だって千年分の情ぐらいはある!

 あの最古の大バカと戦って、あんたみたいな小娘ガキが無事で済むはずがない!

 だから最悪の場合、貴女を助けられるよう手を打ったのよっ!」

「っ……」

 

 予想外の剣幕に、ゲマトリアは言葉に詰まった。

 言い返したくはあるが、遅れを取って敗北したのは紛れもない事実。

 仮にウィリアムの矢による妨害がなかったとしても、その差は微々たるもの。

 結果が大きく変わる事はなかっただろう。

 しかし。

 

「だ、だったら、こっちに手を貸してくれたら良かったじゃないですか!

 ブリーデさんの助力があれば完璧に勝ってましたよ!」

「そう無茶を言ってやるなよ、ゲマトリア」

 

 ゲマトリアとしては、至極真っ当な正論を口にしたつもりだった。

 しかしそれを、苦笑交じりのウィリアムが否定する。

 

「それができるなら、ブリーデは最初から自分でやっていた。

 お前が何かをする前にな。

 だがそうはしなかった――いや、できなかったというべきか?」

「……余計な口を挟まないでよ」

「これは失礼した」

 

 ギロリと、迫力のない目で睨まれウィリアムはわざとらしく肩を竦めた。

 言ってる意味が分からず、ゲマトリアはまた困惑する。

 やろうと思えばできたのに、そうしなかった?

 相手が盟約の敵であるのは明白なのに。

 ゲマトリアからまた疑念を向けられて、ブリーデは再び口を閉ざした。

 けれど程なく、大きく息を吐き出して。

 

「…………やりたくなかったの」

「は?」

「だから、あのバカとは戦いたくないし、それ以前に顔も見せたくないの。

 だからウィリアムを使って、私は表に出ないようにしてた」

 

 まぁ、隠れて様子は見ていたけど――と。

 ブリーデは小さく呟いた。

 なんだそれは――と、ゲマトリアは怒りよりも呆れを覚えてしまった。

 どっちつかずと言ったウィリアムの言葉を、今さらだが理解する。

 ……あぁ、でもそうだ、そうでした。

 《大竜盟約》の礎、大真竜となった事でゲマトリアもうっかり忘れていた。

 この白い鍛冶師の娘は、昔からこうだった。

 そもそも戦う事に向いていないのだ。

 情が強く割り切れず、その癖に誰よりも頑固。

 そんな優しく甘い人だから、これまでも盟約に関わる事を意識的に避けていた。

 ゲマトリアを含めた大真竜の面々も、彼女の性質は知っていた。

 だから今まで、隠れ住むブリーデの生き方に誰も口を挟まなかったのだ。

 ……まぁ、ボクは折角の鍛冶の業が勿体ないと、ちょっかいかけてましたけど!

 それで思いっ切り嫌がられた事に関しては、今は反省している。

 思い出せば気を遣いたくはなるが、現状がそれを許さない。

 末席とはいえ、盟約を支える大真竜の一柱が敗れた。

 それはこの千年の間、一度も起こらなかった緊急事態だ。

 

「……ブリーデさん、貴女の言いたい事は分かりました。

 ボクもちょっと頭に血が上ってましたね、申し訳ない」

「貴女が謝る事なんて、一つもないでしょう。

 全部、私のワガママなんだから」

 

 自己嫌悪の滲む声で、ブリーデは囁くように応える。

 それを否定も肯定もせず、ゲマトリアは続けた。

 

「助けて貰った事には感謝します。

 けど、そのワガママをいつまでも通して良い状況じゃありません。

 あの《最強最古》は、大真竜であるボクを打ち負かしたんですよ?」

「……分かってるわ、そんな事」

「だったら、ボクらがやるべき事はもう決まって……」

「……盛り上がっているところ悪いが」

 

 と、横で聞いていたウィリアムが不意に声を上げた。

 話を遮られた事をやや不快に感じつつ、ゲマトリアは視線をそちらに向ける。

 ウィリアムは変わらず、難しい顔で操縦桿を握っていた。

 何やら今まで触れていなかった機器も操作しているようだった。

 

「なんですか、こっちは大事な話をしてるんですけど」

「制御が利かなくなった」

「は?」

「自動操縦を動かしたはずはないが、機械の方が勝手に進路を変更している。

 お前の用意した船だろう、心当たりはないのか?」

「い、いえ、そんな機能は付いてないはず……」

 

 そう応えたところで、ゲマトリアは口ごもった。

 この船は今みたいな事態を想定しての脱出用。

 それ以外の余分な機能は付いていない。

 見たところ、故障や不調で制御を失ったのとも異なる。

 ならば、考えられる可能性は――。

 

『――やぁ、お取込み中のところ申し訳ないね』

 

 不意に通信用の端末から流れてくる、一人の女の声。

 ウィリアムは知らない相手だが、大真竜である二柱にはなじみ深い相手だ。

 予想通りの人物に、ゲマトリアは思わず声を上げた。

 

「コッペリア……!」

『そう、僕だよ。状況を全部把握してる――とは言わないけど。

 何があったのかと、今の会話に関しては大体聞かせて貰ったよ』

 

 クスクスと笑うのは、ゲマトリアやブリーデと同じ盟約の大真竜。

 その序列五位に位置する者、コッペリア。

 ウィリアムは表情を変えずに、今まで操作していた機器から完全に手を離した。

 手段は不明だが、船の制御を乗っ取られた事を理解したからだ。

 

『賢明だね、森人の君――ウィリアムで良かったかな?』

「好きに呼んでくれ。それで、新たな大真竜殿は一体どういうご用向きだ?」

『疲れてるだろう友人達の助けになろうと思ってね。

 そう警戒する事はないよ』

「……別に、そんな気を遣って貰う必要はありませんけど」

 

 語る声は実に和やかだが、ゲマトリアは気が気ではなかった。

 ――コッペリアは危険な相手だ。

 同じ大真竜として、信頼していないワケではない。

 ただそれを加味しても、何をしでかすのか分からない部分がある。

 位置する序列こそイシュタルには劣っている。

 だがちょっと短気で乱暴なだけの彼女など、コッペリアと比べれば可愛いものだ。

 この状況での介入に、どんな意図があるのか。

 それが読み切れず、ゲマトリアは若干の恐怖を覚えていた。

 コッペリアはそんな事など考えてもいないように、あくまで柔らかく語り掛ける。

 

『とりあえず、このまま僕の都市に誘導して構わないかな?

 いつもの会合場所だったゲマトリアの城は落ちてしまったようだし。

 ゆっくり腰を落ち着けて、今後について話し合おうじゃないか』

「……拒否権はなさそうね」

『君は賢いな、ブリーデ。それとも「姉さん」と呼ぶべきかな?』

「そういうのはやめて頂戴」

 

 ため息交じりに拒否されて、コッペリアは「了解」と小さく笑う。

 操縦桿に触れないまま、船はゆっくりとその進路を変える。

 向かう先をウィリアムは知らない。

 しかし今は何もせず、ただ状況が動くに任せる事にした。

 

『では行こうか、僕と「彼」の治める都市へ。

 そっちのウィリアムは初めてかな?

 大したおもてなしは用意できないけれど、そこは勘弁して欲しい』

「構わんさ」

 

 笑うコッペリアに対し、ウィリアムもまた笑みで応える。

 これから何が起こり、事態がどう動くのか。

 当然、ウィリアムにもそれは分からない。

 ある程度の予想はできるが、予想はあくまで予想だ。

 時代を動かすのはいつだって想像を超えるような「何か」だ。

 その全てを見切れると思うほどに、ウィリアムも思い上がってはいなかった。

 同時に、最後に勝つのは自分だとも確信していたが。

 それは兎も角。

 

「…………さて。

 次に会う時は、敵か味方か」

 

 呟いて、ウィリアムは船の窓から空を見る。

 日の沈んだ藍色の空に、僅かな星の光だけが瞬いていた。

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