179話:黄昏に飛ぶ翼


 《大竜盟約》、その序列四位の大真竜。

 突然現れた女――イシュタルは、その名乗りに違わない相手のようだった。

 

『厄介だな』

 

 俺の内で呟くボレアスの言葉の通り。

 状況はかなり厄介だ。

 確か、ゲマトリアの奴が七位とか言ってたか?

 ならイシュタルの力はそれよりも遥かに強大な事になる。

 そして事実として、イシュタルの放つ存在感はゲマトリアにも劣らない。

 人の姿をしたままの状態で、竜となったゲマトリアと同等だ。

 ……いや、同等どころか上回っているか。

 

『どうするんだ、長兄殿?

 幾らなんでも連戦はキツいだろ』

「お前は黙ってなさい」

 

 ヴリトラの声に、霊体の方のアウローラが囁くように応える。

 さっきブリーデの事実を知った時のような、動揺した様子は見られない。

 アウローラは落ち着いた表情でイシュタルを見ていた。

 

『それで? イシュタルとか言ったか。

 序列四位ともなれば、盟約でも相当に高位の存在であろうに。

 愚かな同胞の尻拭いをするために、わざわざここまで足を運んだワケか。

 御苦労な事だな』

「……お爺様の命だもの。貴方にとやかく言われたくはないわね」

 

 今の言葉には気分を害したのか。

 イシュタルは少しだけ眉を顰めたようだった。

 

「ゲマトリアの好きになんかさせずに、最初から私に任せれば良かったのに。

 お爺様もウラノスも甘いのよ」

『……ハハッ』

 

 半ば愚痴のように呟くイシュタルに、アウローラは笑う。

 可笑おかしくて堪らないと、そう言わんばかりに。

 それを聞き咎めて、イシュタルは少しばかり眉間の皺を深くした。

 

「私、何か面白い事を言ったかしら?」

『いや、何。つまり与えられた「お使い」に不満があると。

 自分ならばこんな面倒になる前に済ませられたと思っているのだろう?

 その不満の表れから、わざわざ姿を見せて名乗りも上げて。

 そして言葉を交わす余裕さえ見せている。

 ――甘いと言うなら、お前こそほとほと甘い子供だ。

 最初から力に訴えていれば、或いは勝利を拾えていただろうにな』

 

 笑う。アウローラは笑っている。

 それは「邪悪だ」と言われたらちょっと擁護できない感じだった。

 

「――言ってくれるじゃない、老害ロートルが」

 

 漏れ出す声に怒りが滲む。

 同時に、イシュタルは右手を頭上に掲げる。

 その指先が虚空をなぞれば、夜空に炎が幾つも爆ぜた。

 いつの間にやら迫っていた《流星ミーティア》の星々。

 イシュタルはそれを文字通り、指の一本で全て叩き落したのだ。

 

「《最強最古》なんて大層な呼ばれ方をしてる割に、随分と姑息じゃない!」

 

 余裕と共に笑うイシュタル。

 アウローラはそれには応えなかった。

 ただ更に、偽りの夜空から星を何発か落とす。

 当然のようにイシュタルは一つも漏らさずに撃墜した。

 

「やるのか?」

「いいえ。けど、もう少しよ」

「?」

 

 その言葉の意味が直ぐには分からず、俺は思わず首を傾げる。

 言いながら、アウローラは停止した城の方を指差した。

 促され、視線を向けたのとほぼ同じタイミング。

 崩れた城の一角から、何かが飛び出したのが見えた。

 最初は鳥かと思ったし、形状的には似たようなものだった。

 鉄か鋼か、恐らく金属で作られた大きな鳥。

 硬い翼を広げるソレに、見慣れた姿を確認できた。

 

「姉さん! アレ、あっちだ!」

「近付いて大丈夫か……!?」

 

 イーリスとテレサ。

 どうやら金属の鳥は乗り物らしく、姉妹二人が乗って動かしてるようだ。

 糞エルフの姿が見えないのが気になるが、今は置いておく。

 いやしかし、自力で脱出する手段まで確保したのは流石だな。

 

「本当に、できる子達で嬉しくなるわね」

 

 アウローラも機嫌良さげに微笑む。

 そして落ちる星でイシュタルの足止めをしながら、黄金の竜は素早く動いた。

 風の如く空を飛び、姉妹が乗る鋼の鳥をその手で鷲掴みにしたのだ。

 

「ちょ、何だコレ、捕まった!?」

「……その御姿、まさか、主なのですかっ!」

『少し大人しくしていろ』

 

 中の二人は軽く混乱パニックに陥ってるが、まぁ仕方ない。

 とりあえず姉妹は無事に確保できた。

 当初の目的であるゲマトリアを討ち取る事にも成功した。

 ならばこの状況、他にやるべき事は一つだけだ。

 

「まさか、このまま逃がすと思っているの?」

 

 当然、イシュタルはそれを許す気はないようだが。

 降り注ぐ星を余さず粉々に砕きながら、彼女は俺達を睨みつける。

 人の姿のままでもこれだけの力だ。

 アウローラが言っていた通り、最初から全力だったら全滅したかもしれない。

 

『そちらがどう思おうと関係はない。

 ――しかし逃げる、というのは正確ではないな』

 

 笑うアウローラに対し、イシュタルは応えず指先をこっちに突き付ける。

 一瞬息を吸い込むと、アウローラは蒼い《吐息》を虚空へと放った。

 爆発。焼けた風と衝撃が鎧の上から吹きつける。

 イシュタルが指から撃った何かを、アウローラが《吐息》で撃ち落としたようだ。

 詳しくは見えなかったが、《流星》を迎撃しているのも同じ技だろう。

 

『見事。私の《流星》をこうまで完璧に、一つ残らず砕き散らす。

 その力と精神を賞賛しよう』

「戯言を……!」

『そう――お前自身を狙っていない星すらも、お前は例外を許さず砕き切った。

 《大竜盟約》は、この大陸の秩序を守っているのだったか?』

「ッ――お前は、何を……!」

 

 アウローラの語る言葉に、嫌なものを感じ取ったか。

 ここまで余裕の強かったイシュタルの表情に、焦りに似た感情が浮かんだ。

 そしてその予感は大当たりだった。

 偽りの夜空を構築する術式に、アウローラはこれまでにない魔力を注ぎ込む。

 黒い天蓋に浮かぶ無数の星々が煌くと、これまで以上の「雨」となって降り注ぐ。

 それに合わせて、アウローラは大きく息を吸い込んだ。

 渾身の《竜王の吐息ドラゴンブレス》が狙うのは、停止している《天空城塞》。

 落下を留められた巨大建造物が、アウローラの《吐息》を受けて派手に爆砕した。

 そうなれば当然、何が起こるのか。

 

『自分はどんな攻撃を受けようが問題ない。

 そんな心構えだから、後手に回ってしまうのだ。

 ――降り注ぐ星の群れに、砕けた城塞の残骸。

 地表に辿り着いたなら、さてどれだけの災厄となろうかな?』

「貴様……!」

『私はお前の邪魔をしない。ただこの場を立ち去らせて貰うだけだ。

 それを許さぬというならば――仕方あるまい。

 幾らでも相手になってやる故、好きにするが良い』

 

 選ぶのはお前だと。

 そう笑うアウローラの背景で、数多の破滅が雪崩れ落ちる。

 大小無数の星々と、砕けてもまだ山ぐらいのサイズはある城塞の断片。

 このすべてが地上に落ちた場合、被害はどれほどになるだろう。

 とりあえず、俺の頭では想像もつかなかった。

 

「この、ふざけた真似をして……っ!」

 

 激しい怒りを露わにしながら、イシュタルは落ちる空を防ぐために動く。

 眼前から去ろうとする《最強最古》より、今は大陸を守る事を優先したようだ。

 恨み骨髄な視線もどこ吹く風で、アウローラは空高く舞い上がる。

 

「覚えておきなさいよ、この外道がっ!」

『次なる機会までは覚えておこう。さらばだ、イシュタル』

 

 最後の言葉も軽く笑い飛ばして。

 アウローラはすさまじい速度でその場を離脱した。

 落ちる星も、崩れていく空の城も。

 それから大陸を守らんと力を振るう大真竜の娘も。

 全てがあっという間に遠ざかって行く。

 

『流石は長子殿、と褒め称えるところか? これは』

「……話の流れが分かんねェけどさ。

 今なんか、とんでもない悪党がやるような真似してなかったか?」

『喧しいぞ、お前達。少しは静かにしていろ』

 

 ボレアスはからかうように笑い、事情が呑み込めないイーリスは首を捻る。

 特に気にせず、アウローラはただ疾風はやてのように空を駆けた。

 いつの間にやら偽りの夜は消えて。

 目の前には、茜色に染まった空が広がっていた。

 太陽はやがて雲の向こうに沈む。

 もう少しすれば、本当の夜がやって来るだろう。

 

『で。生きてるかい、彼氏殿?』

「何とかな」

 

 そんな声と共に、足下で動く影。

 いつの間にやらヴリトラは、再び猫の姿になっていた。

 ゆったりとした動作でその場に寝そべると、くるりと丸くなる。

 仕草とかはもう本物の猫にしか見えないな。

 

「寝るのか?」

『流石に数百年ぶりの寝起きで運動し過ぎたんでね。

 いい加減、ひと眠りしても構わないだろ?』

「……まぁ、仕方ないわね。

 今回ばかりは良く働いてくれたし」

 

 肩を竦めるアウローラに、ヴリトラは猫っぽく鳴いてみせた。

 それから目を閉じ、完全に寝の体勢に入る。

 

『死ぬほど疲れてるんで、できれば暫くそっとしておいてくれよ』

「お疲れ、色々助かったわ」

 

 それは本心からの言葉だった。

 猫は尻尾を一度だけパタリと振った。

 それから直ぐにヴリトラはいびきを立て始める。

 ……本当に一瞬で寝たなぁ。

 

『お前もいい加減に休んだらどうだ、竜殺しよ』

「あー、そうだな」

 

 ボレアスに言われて、改めて自分の状態を確認する。

 身体は物理的にボロボロ。

 消耗はこれ以上はないぐらいで、普通なら何回か死んでそうだ。

 少し気を抜くと意識は飛びそうだし、眠ったらそのまま目覚めない危険も感じる。

 

「レックス殿、ご無事ですかっ?」

「オイ姉さん、あんま身体出すと危ないって」

「あぁ、大丈夫――じゃないが、まぁ大丈夫。

 そっちこそ大きな怪我してないか?」

 

 アウローラの《竜体》に、乗り物を掴まれた状態のまま。

 その中から身を乗り出して、テレサがこっちに声を掛けて来た。

 不安げな様子の彼女に軽く手を振っておく。

 その動作一つも結構しんどいのは内緒だ。

 

「はい。イーリスと二人、特に大きな負傷はありません。

 ただ、その。脱出用の船を探している内に、ウィリアムは見失ってしまって……」

「そっかー。いや、まぁ気にしなくて良いぞ。ウン」

 

 あの糞エルフの事だから、どうせ何だかんだと生き延びてるだろう。

 気にするだけ損なのは間違いない。

 姉妹が無事なのを確認してから、その場に――黄金の竜の背に腰を下ろす。

 一息吐くと、細い腕が俺を抱き締めた。

 アウローラだ。

 霊体のふわふわした感触を押し付けながら、彼女はオレの頭を撫でる。

 

「いいのよ、休んでくれて。

 その間にできる限りの治療はするから」

「そっちは大丈夫なのか?」

「私は平気よ。一番心配なのは貴方」

『長子殿のいう通り、今は我が身の心配をするといい』

 

 うーん、ボレアスにも言われてしまった。

 まぁどう考えても限界だ。

 ここは素直に従っておくべきだろう。

 身体の力を抜いて、アウローラの腕に身を預ける。

 鎧越しだが、ふわふわした感覚はなかなかに心地良い。

 

「なんか、このまま死にそうな気分だなぁ」

「縁起でもないこと言わないの」

 

 以前に死んだ瞬間の事は、殆ど残ってないが。

 なんとなく、その時もこんな風にふわふわしてたんじゃないかとか。

 考えて、確かに縁起でもないなと思い直す。

 うん、流石に今回は疲れたな。

 相手の強さを考えたら当然かもしれないけども。

 そんな事を考えてる内に、温かい光が身体に染み込む。

 早速、魔法による治療が始まったらしい。

 賦活剤を使った時みたいな急速な再生ではない。

 傷を労わるような癒しは、妙に気持ちが良くて眠気を誘う。

 

「……アウローラ」

「なに?」

「悪い、少し寝て良いか?」

「ええ、是非そうして。こんなに疲れてボロボロなんだから」

 

 困った風に笑って、アウローラは細い指で俺の顔を撫でた。

 いつの間にやら兜を外されていたらしい。

 吹き付ける風と、遠くに沈む黄昏の光。

 それから藍色に染まった空と、瞬き出した星明り。

 今さらながらに、見える世界は綺麗だった。

 それから、俺の顔を覗き込む形で見つめる少女の顔。

 翼を広げて、空を自由に飛ぶ黄金の竜。

 そのどちらも、俺にとっては――。

 

「……レックス? 眠ったの?」

 

 声は遠く、耳はまだ音を捉えている。

 けれど意識は確実に眠りの淵に誘われていた。

 応えが返ってこない事を確認し、アウローラは俺の顔を指でなぞる。

 完全に眠りに落ちる直前。

 感じたのは柔らかな熱の感触と、囁く声。

 

「――おやすみなさい。私の王様レックス

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