178話:盟約の介入


 偽りの夜空に、青い光の華が咲く。

 《五龍大公》ゲマトリア。

 その《竜体》は光の中で完全に砕け散った。

 終わったのだと、そう確信させるには十分な光景。

 俺はそれをアウローラの《竜体》、その上に立って見ていた。

 

「……終わりね」

「あぁ」

 

 霊体のアウローラが、傍らに寄り添ってそう呟く。

 応えながら、俺は剣の柄を握る。

 それはほぼ完全に勘に基づく動きだった。

 背後を振り向く事なく、剣の切っ先を自分の真後ろへと突き出す。

 そこには何もない。

 アウローラ以外は、実体を持ってこの場に立っているのは俺だけだ。

 ――本来ならば。

 

「ッ……普通、ここは油断するところでしょ……!?」

「かもな」

 

 剣を持つ手に伝わってくる感触。

 肉を貫き骨を断ち、そしてそれ以外の「何か」を斬った手応え。

 それと共に、震える声が聞こえてくる。

 改めて背後を見れば――そこにいたのは、人の姿をしたゲマトリアだ。

 黒い装束ドレスの真ん中を剣で貫かれて。

 苦痛と驚愕に歪んだ表情を、無理やり笑みの形に変えていた。

 蒼褪めた唇から、血の塊が溢れ出す。

 

『……いつの間にか分身を造り、気配と姿を消して潜んでいたか。

 良く気付いたな、竜殺し』

「勘ではあるんだけどな」

 

 驚きと共に呟くボレアス。

 ただ、全部が勘というワケでもない。

 

 最後の最後で、ひっくり返しに来る気がしたんだ。

 お前はそういう相手だろ?」

「…………ホント、もうちょっと油断して欲しかったですね」

 

 俺の言葉を聞いて、ゲマトリアは呆れたように笑う。

 同じ奇襲をこれまでやっていなかったら、或いは引っ掛かったかもしれないな。

 

『ゲマトリアも抜け目ないが、それに気付いた彼氏殿も大概だなぁ』

「……そうね。今のはちょっと肝が冷えたわ」

 

 アウローラはそう呟いて、俺の腕をぎゅっと握った。

 全員が気を抜いたところで不意を打ち、俺を仕留めるか抑えるか。

 恐らくはそんな腹積もりだったんだろう。

 勝ちの目が消えたと悟ったか、ゲマトリアは剣に貫かれたまま力を抜いた。

 竜殺しの刃は、既にその本質を断ち斬っている。

 どの道、ここまでが限界だ。

 

「ええ、ええ。認めましょう、ボクの負けだと。

 ……まさかこんな事になるなんて、思いもしませんでしたよ」

「だろうな」

 

 実際、これまでで一番の綱渡りだった。

 もう少しゲマトリアにがなかったら、それで終わりだったかもしれない。

 詰めの甘さを自覚してか、ゲマトリアは自嘲の笑みを浮かべる。

 傷口やその唇からは、血がとめどなく溢れ出している。

 

「ええ、本当に口惜しいですけど。

 こうなった以上は、ボクの負けは認めざるを得ませんねっ!

 ですが勘違いしないで下さいよ?

 負けたのはボクであって、《大竜盟約レヴァイアサンコード》そのものではないんですから!」

 

 死と敗北の淵に立ちながらも。

 ゲマトリアは笑っていた。

 自らの失敗を嘲りながらも、そこには揺るぎない自信が伺える。

 自分が負けても、盟約は未だ敗北していないと。

 

「所詮、ボクは真竜ならざる古竜!

 盟約の礎である七柱の大真竜の中で、ボクだけが単なる古竜だった!

 だからこそ、ボクは七柱の末席に過ぎないんですよ!

 ――分かりますよね? その意味が」

「……お前より強いのが、あと六柱もいるワケか」

 

 なかなか信じ難い話ではある。

 しかし脳裏に浮かぶのは、以前に遭遇した黒い騎士。

 アレはもう「強い」とかそんな次元を軽々と超えていた。

 あの怪物も、その大真竜の一角なのか。

 致命の傷を負い、その魂を剣に喰われながらもゲマトリアは笑い続ける。

 

「貴方達じゃあ絶対に勝てませんよ!

 《最強最古》! 例え遥か昔にその名で恐れられた者がいたとしても!

 その程度じゃ真なる竜には、本当の大真竜達には届かない!」

「……今わの際だっていうのに、喧しい小娘ね」

 

 笑うゲマトリアに対し、アウローラは不快そうに眉根を寄せる。

 

「同じよ、誰も彼も。

 お前と同様、例外なく竜殺しの獲物に過ぎないわ。

 ――剣の炉に呑まれて、仲間が同じ場所に落ちるのを待っていれば良いわ」

 

 氷の刃にも似たその言葉。

 絶望を突き付ける宣告を受けても、ゲマトリアの笑みは崩れない。

 そして、力尽きるその寸前に。

 

「ハハハハ、そんな余裕ぶってて大丈夫ですか?

 貴女は知らないでしょうね、《最強最古》!」

「負け惜しみの戯言なら、遺言代わりに聞いて上げても良いけどね」

「寛大ですねぇ。じゃあ御言葉に甘えさせて貰いますよ。

 ――ええ、貴女は勝てない。

 盟約は既に《最強最古》である貴女の生存を認識しました。

 七柱の序列二位――かつての《十三始祖》の頂点。

 彼の《帝王》が貴女の事を見ていますよ」

「…………あの老いぼれ。

 まさか未だこの世界に残り続けていたのね」

 

 《十三始祖》、という単語も久しぶりに聞いた気がする。

 当然ながらアウローラも知った相手のようだ。

 

『……あの恐るべき魔法使いの長か。

 よもや大真竜の一角としてながらえているとは』

『始祖の中じゃ唯一、不死の魔法使いではあったからなぁ。

 大真竜なんてのをやってるのは、正直言って意外だけど』

 

 ボレアスとヴリトラも面識はあるらしい。

 確かに、そんな古い魔法使いが古竜の魂を呑んでるとか。

 想像しただけでヤバいのは良く分かる。

 だがアウローラはその事実には怯みもしなかった。

 

「だから何? 私が今さらあの老いぼれロートルを怖れるとでも?」

「そう思うんなら精々油断して下さいよ。

 ……ま、わざわざ翁が出てくる必要もないかもしれませんけど。

 まして彼女には――あの大いなる《黒銀》には近づく事すら烏滸おこがましい!」

 

 笑いながらも、ゲマトリアの身体は徐々に塵と化していく。

 魂を剣に喰われて、もう器の維持ができないのだろう。

 だから、次がゲマトリアの最後の言葉となった。

 

「ボクを除けば一番弱い大真竜!

 序列六位のブリーデさんにだって、貴方達は勝てやしませんよ!

 ええ、貴方達が負ける様を精々笑いながら見物させて貰いましょう――!」

「は?」

 

 何か今、最後の最後でとんでもない爆弾を投げ付けられた気がした。

 しかし事実を確かめる前に、ゲマトリアは完全に塵となって消え失せる。

 盟約の礎である大真竜の一柱――《五龍大公》ゲマトリア。

 その撃破は成し遂げたが、何と言うかそれどころじゃなくなってしまった。

 一番茫然としているのはアウローラだ。

 余りに衝撃的過ぎて、ちゃんと言葉として認識できたかどうか。

 

『……我の聞き間違いか?

 こやつ今、姉上の名を口にしていなかったか?』

『は? 姉上って白子の姉貴か?

 なんだ、今はブリーデなんて名乗ってるのか?』

 

 訝し気に呟くボレアス。

 ヴリトラはこれまで寝ていたし、改めて説明する必要がありそうだな。

 いや、流石に今のは俺も驚いた。

 脳裏をよぎるのは、あの地下迷宮で経験した短い旅路。

 物理的には弱々しいが、心根は強かった白い鍛冶師の娘を思い出す。

 ――ブリーデが、ゲマトリアと同じ大真竜?

 その事実に、俺やボレアスは単純に驚いたぐらいで済んだ。

 だが、アウローラの方は表情から色が失せるぐらいに動揺したようだった。

 

「大丈夫か、アウローラ」

「………ええ、ごめんなさい。大丈夫、大丈夫だから」

 

 大丈夫、という単語を何度も小さく繰り返す。

 あまり大丈夫ではなさそうだが、今は触れない方が良さそうだ。

 代わりに霊体の肩を軽く抱き寄せる。

 いつもとは違う、ふわふわとした感触。

 彼女は何も言わず、ただ素直に俺の腕に身を預けた。

 それからほっと、か細い吐息を漏らす。

 

「お疲れだな」

「貴方ほどじゃないわよ。

 っていうか、死にそうなぐらいボロボロじゃないの?」

「あー、大丈夫大丈夫」

『我がいなかったらとっくに死んでいる程度には重傷だぞ』

『オレも頑張ったんでそろそろ寝て良い?』

 

 いや、ホントに助かりました。

 戦いの終わりを意識したせいか、今さらながらに身体が重く感じられる。

 すぐに死ぬって程じゃないが、しんどいのは間違いない。

 ヴリトラに倣うなら、できれば即寝たいぐらいには消耗していた。

 しかし、今はまだやる事がある。

 

「休むにしろ、先に城の方をどうにかしないとな」

 

 ゲマトリアは倒した。

 だが城の落下は緩やかにはなっても停止はしていなかった。

 主を失った事で浮遊させる力を失ったか。

 理由はどうあれ、このまま地上に落ちたら中にいるはずの姉妹がヤバい。

 

『どうするのだ、長子殿?』

「面倒だけど、とりあえず落下を止めましょうか。

 テレサ達を脱出させたら、後は放り捨てれば良いでしょうし」

『酷い事をサラっと言ったな長兄殿。

 アレ一応、元々はオレの《竜体ボディ》なんだけど?』

「そんなの知った事じゃないわよ」

 

 ささやかなヴリトラの抗議はさらっと流された。

 アウローラ的には、姉妹を助けたら後はどうでも良いようだ。

 俺としても重要なのはそっちだが、流石にそのまま落ちたら色々ヤバい気がする。

 せめて海の方にでもゆっくり下ろせないか、テレサ達を助けたら確認するか。

 ――と、そう考えた時。

 

「……まさか、本当に負けるなんて。

 恥さらしも良いところね、莫迦なゲマトリア」

 

 聞こえたのは、若い女の声。

 響くのは、俺達がいるよりも遥かに高い空から。

 反射的に見上げれば、そいつは夜空に浮かぶ月のように佇んでいた。

 真っ赤なドレスと外套を身に纏う、一人の美女。

 血よりも赤い紅玉ルビーの瞳に、空に燃え立つ太陽の如き金の髪。

 身体つきは女性的で、かつ完璧な黄金比を保っている。

 絶世の美女――なんて、陳腐な言い回ししか思いつかない。

 そんな、満天の星々よりも豪華絢爛な女だった。

 

「部下も部下で、数ばかりいてロクに使えないみたいね。

 結局、私が手を出すしかないなんて」

 

 本当に面倒だと、女は物憂げに息を吐いた。

 言動から何からまともな相手じゃないのは明白だ。

 アウローラは霊体と《竜体》の両方で女を見上げ、俺も剣を構え直す。

 正直しんどいが、こればかりは仕方ない。

 と、その辺りで自分に刺さる敵意を感じ取ったか。

 ここで初めて、美女の赤い瞳が俺達を見た。

 

「不躾ね。初対面の女をジロジロ見るなんて。

 教育が足りてないんじゃなくて?」

『――不遜な小娘だが、今は寛大に見逃そう。

 生憎と、子供の相手をしていられるほど暇ではない』

 

 挑発めいた女の言葉。

 それに対してアウローラも煽るように返した。

 まぁ実際、これからデカい城の落下を止めたりしなくちゃならない。

 暇じゃないのは別に間違っていなかった。

 子供扱いされた女は、特に気分を害した様子はない。

 ただ、面白くなさそうな表情を見せて。

 

「――存外、大した事はないのね。《最強最古》」

 

 氷の塊みたいな、冷たい声で言い放った。

 同時に、派手な音を立てながら落下中の《天空城塞》が停止する。

 ついさっきまで、巨大な質量に従って地表に落ちる最中だったモノが。

 空間にピタリと固定されたかのように止まっていた。

 魔法の類を使った様子はない。

 女がしたのは、城をただ一瞥しただけ。

 それだけで、小さい島くらいのサイズの物体を女は容易く止めていた。

 ……只者じゃあないだろうなとは思っていたが。

 コイツはまた酷く面倒な相手みたいだな。

 

『……何者だ、小娘』

「あら、分からないの?

 まぁ年長者は敬えと言われたばかりだし、答えましょうか」

 

 アウローラの問いに、女は口元を笑みの形に歪める。

 それは獲物を見つけた時の獣の表情に似ていた。

 

「大いなる《大竜盟約レヴァイアサンコード》、その礎たる大真竜の一柱。

 序列四位のイシュタルよ。ハジメマシテ、かつての《最強最古》さん?」

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