第二章:打ち捨てられた砦跡

186話:奇妙な獣

 

 番兵を討ち取った後、私達は城壁の内側で一夜を明かした。

 それから日が昇る頃に城門を越え、新たな荒野へと足を踏み入れる。

 何もない荒れ野を進み続けること数日。

 そこもかつては、緑豊かな土地だった事もあるでしょう。

 人々が行き交い、時には迷い込んだ鹿の姿を見る事もあったかもしれない。

 けれど今は不毛の地。

 天災の如く襲い掛かった竜の王。

 それが放つ炎と毒気により、全てが蝕まれた。

 真っ当な生き物では生存すら困難な荒野を、うろつくのは歪んだ「獣」ばかり。

 愚かな《北の王》が、父なる《造物主》を真似て創造した不出来な生命。

 完璧には程遠く、ただ他の生き物を害する悪意だけで駆動する。

 そう、北の荒野はそんな怪物が跋扈する魔境だ。

 つまり。

 

「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ!!」

 

 叫びながら、彼は鎧をガシャガシャと鳴らして走る。

 剣は腰に佩き、残りの水や保存食を詰めた袋を背中に負って。

 私はその隣に並びながら、ちらりと後方を見た。

 

『GAAAAAッ!!』

『GAッ! GAAAAッ!』

『GRAAAA!!』

 

 思わずイラっと来そうな、醜い雄叫びの合唱。

 私達を追いかけてくる《魔犬》の群れだ。

 見たところ、十匹前後はいるように見える。

 ……あ、また増えたわね。

 同類の声に誘われたか、生き物の気配を察したかは不明だけど。

 更に一匹、二匹と、どこからか現れた《魔犬》が追跡に加わった。

 

「大人気ですね?」

「言ってる場合じゃないと思うんだよなぁ……!」

 

 まぁ、それはそうかも。

 私は《魔犬》如き恐れる必要はないけど。

 二、三匹に囲まれるのとはワケが違うし、彼の方は堪らないでしょうね。

 だから今は、兎に角必死に逃げる。

 足の速さは明らかに《魔犬》の方が上のはず。

 なのに彼らは一気に追い詰める事はせず、何故か一定の距離を保ち続ける。

 逃げるのに必死で、彼はその事に気付いてないようだけど。

 

「…………」

『GRRR……!』

 

 もう一度、今度はもう少ししっかり視線を向けてみる。

 すると私に見られたと感じた《魔犬》が、びくりと身を震わせた。

 ――成る程、本能的に私の危険性を察してるわけね。

 愚かで弱い「獣」だけれど、どうやらそういう嗅覚は発達しているらしい。

 城壁の内側も、番兵が縄張りにしている近くに《魔犬》の姿はなかった。

 より強い「獣」の気配を察するのも、この「獣」の特性のようね。

 それでも彼を追いかけ続けるのは、「獣」の本能ゆえか。

 

「なぁ、そっちは大丈夫かっ?」

「ええ、私の事はお気になさらずに」

 

 鎧姿で走り続けているせいか、彼の息は大分乱れている。

 そんな状態で私の心配をするなんて、本当に頭が弱いのかしら。

 幾ら制限した身体でも、このぐらいで疲弊することなんてあり得ないのに。

 まぁ、そんなことを彼は知る由もない。

 ならば仕方ないかと、そう考えて。

 

「……あれは」

 

 遮るものさえない荒野の向こう。

 そこにポツンと佇む小さな砦。

 以前はもっと立派な建物だったのかもしれない。

 けれど今は長い年月に晒されて、半ば崩れた屍と成り果てている。

 

「よし、とりあえずあそこへ逃げ込むぞ!」

「……ええ、ではそのように」

 

 何もない荒野で、ひたすら追い回されるよりはマシだと。

 彼はそう判断したようだった。

 けれど私は気付いていた。

 その砦跡に近付くほどに、追う「獣」どもの足が鈍っている事に。

 恐らくは城壁の時と同様に。

 あの廃墟と化した砦跡も、別の「獣」の縄張りとなっている。

 気付きはしても、私はそれを言葉にはしなかった。

 どの道、あの砦跡に入らなければ延々と《魔犬》に追われる事になる。

 それは面倒であるし、何より――。

 

「っ……はぁ……はぁ……」

 

 崩れた壁の裂け目から、彼と私は砦跡の中へと入る。

 そこは薄暗く、常人では明かり無しで見通すことは難しい。

 私は当然、暗闇ぐらいは見通せますけどね。

 ぱっと見てもあちらこちら崩れているため、元が何の場所かは想像も付かない。

 ただ瓦礫が散乱し、内側の壁や天井に虫食いめいた穴が幾つも開いている。

 そんな場所に入り込んで、彼は息を整えながら外の様子を見た。

 案の定、《魔犬》は砦跡の中までは追って来なかった。

 様子を見るように近くをウロウロと歩き回り、小さく唸り声を上げるだけ。

 襲って来ない「獣」達の様子に、彼は安堵の息を漏らした。

 

「よし……とりあえず、追って来ないみたいだな」

「ええ、そのようですね」

 

 私は何も言わない。

 別に仲間ではないのだから、口も手も必要以上に出す気はない。

 果たして彼は気付いているだろうか?

 この砦跡の内に薄く漂う「獣」の気配に。

 

「それで、これからどうなさいますか?」

「…………そうだな」

 

 必要なのは、先へと進む事。

 けれど外には未だに《魔犬》の群れがうろついている。

 彼は《魔犬》達の様子を見ながら少し考え込む。

 

「……今出ても、また追い掛けられるのがオチだろうしな。

 とりあえず、この場を探索してみるか。

 もしかしたら別の場所に出る隠し通路とか、そういうのがあるかも」

「では、そのように」

 

 そんな都合の良いモノが本当にあるかは知らないけどね。

 彼の判断に、私は異論を唱える気はなかった。

 ――できれば、ここの「獣」は番兵よりも強いと良いわね。

 その方が雑魚と戦うよりも彼の経験になるでしょう。

 何よりも、剣に喰わせる魂はより強い方が良い。

 まぁ、勝てずに死んだらそれまでですが。

 私は自分からは語らず、ただ彼の傍に控えるだけ。

 

「……なぁ」

「? なんでしょう」

 

 とはいえ、声を掛けられたら応じるぐらいはね。

 同行している身である以上は、しなければならないでしょう。

 流石に、それぐらいは……。

 

「明かり、ある?」

「…………」

 

 問われて、私は砦跡の中を改めて見渡した。

 外はまだ日はあるけれど、既に傾き出している。

 あちこち崩れてはいるけれど、砦の外壁は思いの外頑丈な作りであるらしい。

 差し込む光が少ない薄闇は、常人の目で見通すのは難しかった。

 

「……剣を抜いてください」

「おぉ」

 

 であれば、これぐらいは仕方ない。

 私は密かにため息を漏らし、彼が鞘から抜いた剣に意識を向ける。

 そうすれば、刀身にぼうっと辺りを照らす光が宿った。

 

「如何ですか?」

「ありがとうございます……!」

 

 魔法の光が薄闇を押し退ける。

 私の確認に対し、彼は大げさなぐらいに頭を下げた。

 ……まぁ、このぐらいは良いでしょう。

 この男が死ぬのは構わないけれど、簡単に死なれても困るのは事実。

 明かりを提供するぐらいは、まぁ、必要な労力と考えましょうか。

 

「しかし凄いな、これ。魔法なんだろ?」

「ええ。ですが、これは明かりを灯すだけの初歩的なものです。

 そう大したものではありませんよ」

 

 口にはしないが、こんなものはとても魔法と呼べるものではない。

 この星の運行を司り、《摂理》を正しく回す始原の精霊。

 星の魂と呼ぶべきその理を自らの意志力で歪め、あり得ざる結果を起こす。

 それが魔法、万能ならざる万能の業。

 最初にこの地に始祖達がこの地にもたらした技術。

 それ以前から、私は《造物主》の血肉から魔導の知識を得ていたけど。

 ともあれ、光を灯すぐらいは私にとっては魔法ではない。

 その気になれば天の星々を地上に落とす事も、私には可能なのだ。

 ……だというのに、目の前の男は。

 

「いや、俺からすれば十分凄いぞ。

 火もないのにこんな剣がピカピカ光るとか」

「……この程度なら、少し学べば誰でもできますよ」

「マジで? じゃあ俺にも使えたりする?」

「少しでも魔力が備わっていれば、問題なく使えるかと」

 

 このぐらいの初歩的な魔法なら、だけど。

 明かりを点けるぐらいなら、最低限の魔力でも使えるはず。

 彼にそれだけの魔力が備わっているか否か。

 少し調べる必要はあるけれど。

 

「そっかー、使えるかもしれないのかー」

「まだ分かりませんよ。

 手隙な時にでも、どれだけ魔力を持っているか確認してみますか?」

「それなら、先ずはここの探索を済ませないとな」

 

 何故かやる気を出しつつ、彼は光る刀身を掲げ持つ。

 薄い暗闇の下に転がっているのは、煤けた色の瓦礫ばかり。

 特に見るべきものは何処にも……。

 

「……ん?」

「どうなさいましたか?」

 

 砦跡の内部を照らしながら。

 不意に彼が訝しむような声を漏らした。

 何かを見つけたのだろうか。

 残念ながら、私の眼はまだ何も捉えていない。

 

「いや、なんか動いたような……?」

 

 そう言いながら、彼は光る剣を構えて前に出る。

 思ったよりも勘は良いのかもしれない。

 いつの間にか、辺りに漂う「獣」の気配は濃いものになっていた。

 

「……ちょっと下がっててくれ」

「ええ」

 

 彼の言葉に頷いて、私はそっと後ろに退く。

 未だに「獣」の姿はない――いえ。

 その時、私もその奇怪な「獣」を見つけた。

 距離はまだ遠い。

 崩れた壁に隠れる形で、白い何かが私達を見ていた。

 「見ていた」という言葉が正しいかどうか。

 覗き込む顔には目に類する物はなく、ただ裂けたような口だけがあった。

 全体の形は人間に近いが、手足が異様に長くて背も高い。

 そんな不気味な人モドキは、物陰から私達の方へ意識をむけてくる。

 ……アレが、外の《魔犬》どもが恐れている「獣」かしら。

 とりあえず、見た目の通りに「白面」とでも呼びましょうか。

 白面はこちらを見ている(?)ばかりで動く素振りも見せない。

 彼も剣を構えたまま、黙って様子を見ていたけど。

 

「……埒が明かないな」

 

 やがて、ぽつりと小さく呟いた。

 それからジリジリと。

 白い怪物が身を潜める方へ、ゆっくりと近付いていく。

 その動きに対し、白面は黙したまま。

 少しずつ、少しずつ。

 両者の距離は縮まって行く。

 

「大丈夫ですか?」

「多分なんとかなる……!」

 

 根拠は特になさそうだけど、応える声だけは力強い。

 さて、本当に下手に近付いて大丈夫な相手かしら。

 そうは思ったけど、私は特に止めなかった。

 慎重に接近を続け、やがて一足で剣が届く間合いにまで迫る。

 白面はまだ動かない。

 ただ、牙をカチカチと鳴らしているだけ。

 彼は緊張した空気を漂わせている。

 やがて剣を上段に持ち上げ、今まさに斬りかかろうと――。

 

「ッ!?」

 

 したところで、白面が動いた。

 特筆すべきはその速度。

 彼より遅れて動いたのに、その動作は風の如し。

 鮮やかな白い曲線が大気を斬り裂く。

 そして。

 

「グワーッ!?」

 

 彼はまた、綺麗な放物線を描いて吹き飛んだ。

 幸いと言って良いか分からないけど、番兵の時よりは控えめに。

 床に派手に転がる彼と、その向こうに立つ「獣」。

 白面はその無駄に長い脚をプラプラと揺らしていた。

 三日月形に歪んだ口は、もしかしたら笑っているのかもしれない。

 確かに言える事は一つだけ。

 

「……これはまた、手こずりそうね」

 

 蹴りの直撃で悶絶する彼を見下ろして、私はそっとため息をこぼした。

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