187話:音無き獣を討て
そこからは、大体私の予想した通りになった。
「うおぉぉぉぉっ!」
何度目になるか分からない彼の突撃。
向かう先にいるのは、長い手足の白い怪物。
物陰に身を潜めながら、白面はニタリニタリと笑っていた。
そして剣を振り被る彼が、その間合いに近付くと。
「グワーッ!?」
鮮やかな蹴りが炸裂し、彼はまた地面に転がる。
……本当に、これで何度目かしらね。
そろそろ学習能力の無さを嘆くべきだろうか。
吹き飛ばされた彼を嘲るように、白面はガチガチと牙を鳴らす。
とりあえず、この「獣」について分かった事。
先ず攻撃手段は主に蹴り、時々噛み付いても来る。
幸い番兵が振り回していた斧ほどの威力はない。
なのでまともに喰らっても、そう簡単に死ぬことはなかった。
そしてもう一つ、この不気味な「獣」は獲物を嬲るのがお好みらしい。
蹴り転がした彼を仕留める
しかし白面は不気味に笑うか、或いは戯れるように噛み付こうとするだけ。
――楽しいのだろう、獲物が自分の前でもがき苦しむのが。
弱者を弄ぶのが愉しいというのは、私も分からないではない。
「まだまだ……!」
しかし、この弱者はなかなか諦めが悪い。
剣を片手に立ち上がると、再び白面に向かって駆け出す。
結果は――同じ事の繰り返し。
狙いすました蹴りの一撃が、彼の胴体を強かに打ち抜いた。
「グワーッ!?」
瓦礫の上をゴロゴロと転がる彼。
白面の動きは速く、その動きに隙はない。
けれど。
「――竜とは、地上の何者よりも俊敏なるもの」
倒れた彼に届くよう、私は歌うように語り聞かせる。
お前がこれから挑むはずの者の脅威を。
「その程度の怪物も見切れぬようでは、とても勝ち目などありませんよ。
諦めて故郷へと戻られますか?
待つ者の一人や二人はいるでしょう」
勿論、素直に帰してやる気は毛頭ない。
ないが、困難を前に心が弱ってないかの確認作業。
人という生き物は、身も心も弱いから。
私の言葉に、彼はふらつきながらも立ち上がる。
「そんなもん、いたらこんな所に来てねぇよ……!」
「そうですか。ところで、心は折れていませんか?」
「肋骨が折れてないかが不安だ……!」
まぁ、あれだけボカボカ蹴られればそうでしょうね。
しかし彼は、意外と元気そうに剣を構え直す。
白面はさっきから同じ場所で動かず、牙をガチガチと鳴らしている。
「とりあえず、分かった事がある」
「はい」
「アイツの武器は足で蹴るぐらいだ。
たまに噛み付いては来るが、仕留める気の奴じゃない」
「そうですね」
そこは良く見ている、と言うべきかしらね。
けれど分かったところで、手も足も出ていないのが現状だ。
「だからリーチの長さは、剣を持ってる分だけ俺がちょっと有利だ……!」
「そうですね?」
確かに、単純な武器が届く距離という意味ではそうかもしれない。
にも関わらず、彼の剣よりも白面の蹴りが当たる方が先だ。
動作の速度が白面の方が速い、というのもあるでしょうけど。
「つまりもっと素早く、勢いを付けて剣を振れば行けるはず!」
「具体的にはどのように?」
「……ダッシュしてジャンプ斬り?」
「そうですか」
まぁ、勢いと速度は付くでしょうね。
「……よし、何か考えたら行ける気がしてきた」
「そうですか」
そうだと良いですね?
私の無関心さを察したか、彼は妙に勢い良く白面へと向き直る。
気合いを入れる姿は、正直
「行くぞぉっ!!」
さて、これで何度目になるのか。
彼はまた白い「獣」へと突撃していく。
今度は今までよりも勢い良く。
白面はただ、嘲笑うかのように牙を鳴らし続ける。
ドタドタと走り、これまで蹴られていた距離の少し手前ぐらいで跳んだ。
正直、何の意味があるかも分からない渾身の跳躍。
「うおおぉぉぉ!」
剣を高く高く振り上げて、雄叫びと共に彼は斬りかかる。
が、やはり白面の動きは迅速だった。
薄闇の中に三日月を描く蹴り足。
落下してきた彼を、その一撃がまたも吹き飛ばした。
「グワーッ!?」
「…………」
さて、この胸の奥から湧き出してくる感情はなんだろう。
奇妙な空しさを感じている自分に驚いてしまう。
――これ、いつまで続くのかしら?
などとチラっと考えてしまった。
「くそっ、ちょっとだけ折れそうだ……!」
「諦めますか?」
それならその時点で用済みだけど。
私の言外の意図は知らず、彼は首を横に振る。
単なる蹴りとはいえ、それこそ骨ぐらいは圧し折れる衝撃のはず。
実際に、既に幾つか骨折しているでしょうに。
彼は言葉ほどには折れた様子もなく、剣を手にまた立ち上がった。
……さて、仮にこのまま勝てたとしても。
また治療するのは面倒よね。
「どうぞ、これを」
「?」
私は白い陶器の瓶を、手元に二本ほど取り出す。
手のひらに収まる程度のそれを、彼は首を傾げながらも受け取った。
「これは?」
「賦活剤です。呑めば大抵の傷はたちどころに癒してくれるでしょう」
「マジか」
「ただ、少々強い薬ですので。
今のところ、使えるのは日に二本だけです」
私の血を素に用意した
今言った通りに大抵の傷は癒すけれど、その分だけ身体に掛かる負担は大きい。
一度に使いすぎれば絶命するし、そうでなくとも寿命は削る代物だ。
けれど、ええ。
どうせすぐに死ぬ命なら、少しぐらい寿命を削っても問題ないでしょう?
ただ、その
都合の良い部分だけを語っておけば十分。
案の定、彼は疑うことなく賦活剤の一本をその場で飲み干した。
「どうですか?」
「あぁ、うん。何か折れた骨が繋がってる感じが……!」
急速に治癒していく感触に、彼は戸惑っているようだった。
こればかりは慣れて貰うしかないでしょう。
……こちらがそんな事をしてる間も、白面はやはり動かない。
相変わらずカチカチと、牙を鳴らしているだけ。
「…………よし」
「どうですか?」
「とりあえずは大丈夫だ」
残った瓶を懐にしまいながら、彼は小さく頷いた。
傷の方は一先ず問題ない。
けれど先ほどの繰り返しでは意味がない。
それを彼は分かっているだろうか?
「……なぁ」
「はい」
「アイツ、何で自分から襲って来ないんだろうな」
「獲物を嬲るのを楽しんでいるからでは?」
「そうかー」
何を分かり切った事を。
私の言葉に、彼はまた少し考え込む。
「……アイツ、目が無いよな」
「ええ」
「どうやって物を見てるんだ?」
「視覚以外の感覚を使っているのではないですか?」
知覚を目に頼るものばかりではない。
あの「獣」も目を持たない以上、別の何かで知覚しているはず。
そういえば、アレはずっと牙をカチカチと鳴らしてるわね。
だとすると。
「……試してみるか」
そう言って、彼はその場で少し屈んだ。
床の方へと手を伸ばし、細かい瓦礫の一つを拾い上げる。
そして、それを無造作に白面の方へと投げ付けた。
狙いは意外と正確で、放物線を描きながら石片は「獣」へと飛んで行く。
けれど当たる直前に白面は石片をするりと回避した。
それは見えていないとは思えない動きだけれど。
「…………」
彼は更に幾つかの石片を拾い上げる。
更に数度の投擲。
どれも結果は似たようなもので、白面はその全てを避けた。
当たったところで支障もない小石を含めて。
カチカチと、「獣」が牙を打ち鳴らす音が辺りに響く。
「……音、か?」
その様子を見ながら、彼は小さく呟いた。
足下に幾つも転がる石片を、また片手で拾い上げながら。
「何か気付きましたか?」
「多分、アイツはあの牙のカチカチ音で物を感じ取ってるんじゃないかな、と。
あくまで想像だけど」
「なるほど?」
音で物の存在を感じ取る。
コウモリ辺りと似たようなものかしらね。
学も無さそうなのに気付く辺り、やっぱり勘は良いみたい。
とはいえ、あくまで知覚している方法を推測しただけ。
肝心なのはあの「獣」をどう仕留めるのか。
私がそうして眺めていると、彼は片手で剣を構えた。
もう片方の手には、複数の石片が握られている。
「行けそうですか?」
「がんばる」
一言、彼はそれだけ応えて。
恐らく最後と決めた突撃を敢行する。
床を強く蹴り、鎧をガチャガチャと激しく鳴らして。
白面は変わらず牙を打ち合わせている。
ここまでは何も変わらない。
そろそろ蹴り足が届く間合いに入る――ところで。
「おらっ!」
片手に握り締めていた石片。
それをまとめて白面の顔目掛けて投げ放った。
広がる複数の石片に対し、白面は殆ど反射的に回避に移る。
――あぁ、そうか。
アレは視覚がないから、「何か飛んで来た」事しか分からない。
分からないから全力で避ける、避けるしかない。
発達した運動能力はそのためのものか。
そして、どれだけ素早く動けても限界はある。
いきなり飛んで来た石片の全てを避けようとして、体勢が大きく崩れた。
その一瞬を、彼は見逃さない。
「喰らえ……!」
無防備となった胴体に、彼は剣を振り下ろす。
身体能力は高いけれど、肉体的な強度は大した事は無かったらしい。
竜の鱗を裂く刃は、容易く白面の肉を斬り裂いた。
浅い傷ではないけれど、まだその命には至っていない。
片手で剣を振るったために、十分に力が入らなかったようね。
真っ赤な血を飛び散らし、白面は初めて咆哮を上げた。
『――――!!』
それは音を伴わず、ただ空気を震わせる感触だけがある。
見た目通りに奇妙な咆哮だった。
深手を負っても「獣」の動きはまだ素早い。
剣を振り切った彼に、長い足を鞭のようにしならせる。
激突。これまで何度も彼を地面に転がして来た蹴り。
それを腕――いえ、肩の辺りで受け止めて。
彼はその衝撃に耐え切っていた。
「お返しだ馬鹿野郎……!」
罵るように叫び、彼は再度剣を閃かせる。
今度は両手で構えた上で、力の限り。
文字通りの全力で、彼は手にした剣を振り下ろした。
狙うのは、これまで散々苦しめられた白面の足。
その片方を刃で打ち、半ばで綺麗に切断する。
無音の絶叫が砦跡に響く。
まだ生きている「獣」に、彼は手を緩めなかった。
「これで……!」
「獣」の血で染まった刃。
それは最後に、白面を頭から真っ直ぐに断ち割った。
断末魔もまた音はなく。
糸の切れた人形のように、奇妙な姿の「獣」は崩れ落ちた。
完全に事切れた後も、彼はなかなか構えを解かない。
暫し屍を睨みつけ、爪先で軽く蹴って反応を確かめる。
頭を割られた状態で生存できる能力は、白面には備わっていなかった。
そこまで至ってようやく、彼は大きく息を吐き出した。
「勝った……!」
「おめでとうございます」
この程度の雑魚一匹に、随分と苦労したようだけど。
まぁ、勝ちは勝ちだから良いでしょう。
死なずに生き延び、「獣」を無事に仕留めたのだから。
彼も手こずった分だけ達成感はあるみたいね。
光る剣を掲げ持ち、ぐっと拳を握って叫んでいた。
私も一応、形だけの賛辞を口にしておく。
……確かに、勝ちは勝ちだけど。
さて、漂う「獣」の気配はまだ消えてないわね。
「よし、邪魔者も片付けたし、これでようやく探索に……!」
「お待ちを」
「ん?」
「あちらをどうぞ」
私に促されて、彼は奥の薄闇へと視線を向ける。
微かに鼻を刺激するのは、血と肉を混ざり合わせたような臭い。
「獣」の気配だ。
ガチガチ、カチカチと、牙を打ち鳴らす音も聞こえてくる。
――ただし、その数は一つじゃなかった。
「…………マジで?」
砦跡の内に横たわる薄闇の中。
浮かび上がるのは白く歪んだ影、影、影。
細部は異なるけれど、概ね似たような見た目をした「獣」の群れ。
二匹――いや、三匹の白面が、牙を鳴らしながら姿を見せた。
成る程、これは《魔犬》どもがこの砦跡に入ってこないのも頷ける。
現れた白面の群れから、今倒した奴のような遊びの空気は感じなかった。
仲間を殺した恨みなのか、単純に腹を空かせているかは不明だけど。
『――――!!』
とりあえず、殺意と敵意は激しく燃え上がっている。
その矛先は当然、返り血をいっぱい浴びている彼の方だ。
私は、そんな彼の背中に軽く手を触れさせて。
「――さ、頑張って下さいね。騎士様?」
優しく、白い「獣」が唸る死地へと押し出した。
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