188話:地下通路


 まぁ、結局のところただ素早いだけの「獣」。

 多少無理に思えても、戦ってみれば意外と何とかなるもの。

 

「しぬかとおもった」

「そうでしょうね」

 

 複数の白面を相手に揉みくちゃにされた彼。

 蹴られたり噛まれたりでボロボロの状態で、二本目の賦活剤を飲み干す。

 その鎧や剣は、「獣」の血がべったりと付着していた。

 囲まれた時はダメかと思ったけれど。

 本当に、意外と何とかなるものね。

 

「? どうした?」

「いえ、別に」

 

 賦活剤の効果で傷が癒えたのか、彼の声に生気が戻る。

 私は小さく首を横に振って、それから改めて周囲の状況を確認した。

 朽ち果て、放棄された砦跡。

 その内を巣にしていた白面の群れとの大立ち回り。

 逃げ回ったり斬り伏せたりと、まぁ随分とドタバタしたけれど。

 

「……しかし、本当にあるものですね」

 

 その過程で発見したもの。

 床の一部が剥がれて、その下には階段が覗いている。

 地下へと続く、恐らくは隠し通路だろう。

 まさかこんなものが、本当に都合よく見つかるとは。

 

「どこに繋がってるんだろうな、コレ」

「さて、そればかりは進んでみませんと」

 

 単なる地下室、という可能性は十分にある。

 無駄足になる危険もあるが、どうやら彼は探索に乗り気なようだ。

 それなら私は特に文句を言うつもりもない。

 どうせ死ねば同じなのだから。

 

「……よし、とりあえず行ってみるか。

 隠し通路なら、多分外と繋がってるはずだ」

「だといいですね?」

 

 剣に灯った明かりで足元を照らしながら。

 彼は慎重な足取りで、地下へと続く階段を下りていく。

 私もその後に続いた。

 しかし。

 

「外へ出るだけなら、別に地下を探る必要はないのでは?」

「いや、さっきちらっと様子見たけど。

 相変わらずあの犬が大量にうろついてたからな。

 数は多いし、また追いかけっこになるのはちょっとなぁ」

「成る程」

 

 確かに、《魔犬》の群れにまた追い回されるのは面倒ね。

 だから直接外に出るのは避けて、この隠し通路に賭ける事にしたと。

 狭く埃っぽい階段を、一歩ずつ下る。

 今のところ、「獣」の気配は感じられない。

 

「……さて」

 

 程なくして、階段は終わりを迎える。

 老朽化が進んだ上の砦部分と違い、地下は特に崩れた様子もない。

 頑丈そうな石造りの通路が真っ直ぐ伸びているのが見えた。

 ……これは本当に、脱出用の地下通路で当たりかもしれないわね。

 

「とりあえず『獣』もいなさそうだし、行くか」

「ええ」

 

 光を掲げて進む彼の、数歩ほど後ろをついて行く。

 風の動きはなく、淀んだ空気には僅かに死臭が混じっている。

 ――恐らく、ここでも多くが死んだのでしょうね。

 上の砦がまだ機能していた頃に。

 どういう経緯があって、「獣」の巣と成り果てたかは知らないけど。

 《北の王》が現れ、この地には無数の「獣」が放たれた。

 常人では抗う術もなく、迫る災厄に誰も彼も逃げるしか無かった。

 そうして出来上がった最果ての地。

 果たして最初に剣の使い手となった彼は、どの辺りで死ぬでしょうね。

 まかり間違っても、《北の王》に辿り着くとは――。

 

「……大丈夫か?」

「? ええ、特に問題はありませんが」

「そうか。いや、静かだったもんでついな」

「そうですか」

 

 不意に声を掛けられて、私は思考を中断した。

 まぁ、それは別に良いのだけど。

 

「私のことより、ご自分の方を気にされると良いでしょう。

 今のところ『獣』の気配はありませんが。

 いつ何時、どのような危険が現れるか分かりませんよ」

「そうだなぁ。いや、気を抜いてたワケじゃないんだけどな」

「それなら結構です」

 

 いずれ死ぬにしても、簡単に死なれても困るのは事実。

 せめてもう少しぐらいは先に進んで貰わないと。

 言葉はそこで一度途切れる。

 彼も私も無言で、地下通路を進んで行く。

 急ぎはせず、牛歩という程ではないが慎重に。

 やはり、「獣」の気配は感じられない。

 ただ、暫く歩を進めたところで。

 

「…………」

 

 ふと、彼が足を止める。

 私も「何か」がいる事には気付いていた。

 進行方向の先、薄闇の中で蠢くモノ。

 それは人影のようにも見えた。

 ガチャリと、乾いた金属音が狭い通路に良く響く。

 

「……これも『獣』か?」

 

 彼がそう呟いたのも無理はない。

 進路を塞ぐように立ちはだかったのは、一人の甲冑姿。

 いえ、これを「一人」と表現して良いものか。

 古びた鎧に、大きな盾と一本の長槍。

 それらを身に着けているのは、干からびかけた屍だった。

 生気はないにも関わらず、執念にも似た強固な意志は伝わってくる。

 「ここを通してなるものか」という妄念が。

 

「いいえ、あれは『獣』ではありません」

「じゃあ何なんだ? 見たところ、死体が動いてるっぽいが」

「時折あるのですよ。

 亡者が自らの意志で起き上がるという事が」

 

 それ自体は稀な現象であるため、彼が知らぬのも無理はない。

 死した者の魂は、この星の生命の循環サイクルへと回帰する。

 これは星の運行を司る《摂理》の一つ。

 この地に根付いた生命であれば例外はなく、この流れに組み込まれている。

 故に「死者の蘇生」など、技術的には可能でも原理的には不可能に近い。

 それほどまでに《摂理》は強固なシステムだからだ。

 けれど時に、強い意志の力は理を捻じ曲げる。

 強烈な未練や執着を今生に残した魂が、《摂理》に還る事を拒絶した場合。

 半端に残った魂の一部が、こうして動き出す事がある。

 所謂、自然発生的な不死者アンデッドだ。

 見たところ、この鎧兵は元はこの砦を守っていたんでしょうね。

 生命としては死んだにも関わらず、今も執念だけでこの通路を守り続けている。

 滅び去ったこの北の果てに、「守るべき者」などもういないにも関わらず。

 

「そういう事もあるんだな」

「ええ。それより、向こうはやる気のようですよ?」

 

 槍と盾を構え、鎧兵はジリジリと距離を詰めてくる。

 私達を「敵」と認めたみたい。

 もっとも、この手の不死者はまともな思考能力は殆ど持ち合わせていない。

 恐らくはもう、ここを通る者を無差別に襲う状態に陥ってるわね。

 

「如何しますか?」

「そりゃまぁ、決まってるよな」

 

 私の言葉に、彼は軽く頷いて応えた。

 特に躊躇もなく剣を構え、槍の穂先を向ける鎧兵と相対する。

 ――ええ、それが正しい。

 こんな奴らはもう残骸なのだから、何も思う必要はない。

 残滓に過ぎないとはいえ、《摂理》を歪めるほどの魂ならば。

 剣に捧げる「餌」としては、そう悪くはないでしょうし。

 

「どけって言っても、聞いちゃくれないよな!」

 

 彼はそう叫んで、鎧兵に対して先手を打つ。

 錆びた槍の先端も恐れず、剣を振り上げ大きく踏み込む。

 それに対し、鎧兵は機械的な動作を見せる。

 盾で身体を隠したまま、突っ込んで来た彼に鋭く槍を突き出した。

 その動きは決して鈍いものではない。

 少し前の彼ならば、多分まともに喰らっていたでしょうね。

 

「上の白いのに比べれば、全然遅いな!」

 

 その言葉の通り、彼も「獣」を相手に戦ってきた。

 経験が無駄ではないと示すように、その動きに迷いはない。

 繰り出された突きに合わせる形で、彼は鋭く剣を振り下ろす。

 竜殺しの刃と、妄執で無理やり保っているだけの屍の槍。

 実に他愛もなく、彼は槍の先端を斬り飛ばしていた。

 

「おらっ!」

 

 武器を破壊されても、屍である鎧兵に動揺はない。

 それでも槍という危険がなくなった以上、彼を阻むこともできなかった。

 槍を斬った勢いのまま、より大きく踏み込む。

 苦し紛れに放たれる大盾による殴打。

 これも予想していたか、迫る盾を彼は剣で叩いた。

 真っ向からの力勝負。

 僅かに相手を押したのは彼の方だった。

 更に二度、三度と剣を振るえば、厚い大盾であれ持ち堪えるはずもない。

 

「これで……!」

 

 終わりだと、示したのは剣の一振り。

 大盾ごと甲冑を斬り裂かれ、刃はその下の屍も断ち割った。

 本来であれば、肉体を多少破壊したところで不死者は止まらない。

 物理的に行動不能レベルにしてしまえば話は別だけど。

 今回の場合は、彼の振るう剣が魂喰らいの魔剣であるから。

 斬り裂いた刃は屍を動かす魂の残滓を、その刀身の内に呑み込む。

 そうなってしまえばもう、屍が動く道理はどこにもない。

 ガシャリと音を立てて、鎧兵はその場に崩れ落ちた。

 

「……よし」

 

 完全に停止したのを確認してから、一息。

 それでも剣を構えた状態の彼に、私はゆっくりと近付いた。

 

「随分と、剣の扱いにも慣れたように見えますね?」

「まぁ、多少はな」

 

 大げさに褒めてみたけれど、彼は小さく首を横に振る。

 それから鎧兵――いえ、後は朽ち果てるばかりの屍を見下ろした。

 先程までは頑丈そうだった鎧も、気付けば錆びに覆われている。

 残滓となっても《摂理》に反する魂が、装備にさえも影響を及ぼしていたらしい。

 その意思の強さだけは、賞賛するべきかしら。

 

「……行くか」

「ええ」

 

 動かなくなった屍に対し、彼が何を思ったのか。

 この時の私にはどうでも良かったし、まったく興味もなかった。

 多分、彼もそこまで感傷的になったワケではないでしょう。

 ただそこに、命を失った屍が晒されている。

 ただそれだけの現実を胸に刻むみたいに、彼は鎧兵の姿を見ていた。

 視線はすぐに外されて、彼は倒れた屍の上を跨ぐ。

 また私達――正確には彼だけ――は、警戒しながら通路の先へと進んで行く。

 

「流石に、ちょっとビックリしたな」

「先程の亡者の話ですか?」

「あぁ。生きてた頃はこの砦跡の兵士だろ? 多分」

「恐らくは、ですが」

 

 そうだよな、と。

 私の言葉に、彼は前を見ながら頷いた。

 

「死して尚……かぁ。正直に言って、凄い話だな」

「……凄い、というのは私も認めないわけではありませんが」

 

 繰り返しになるが、《摂理》を曲げる事は生半可なことではない。

 私もその点だけは認めないでもない。

 けれど、大きな流れに逆らえば必ず反動がある。

 何事であれ、それは変わらない。

 

「死せる者は死せるままに。

 《摂理》に抗うことなど、愚かとは思いませんか?」

「難しいことは俺には良く分からんからなぁ」

「流れに身を委ねていれば魂は生命の循環へと帰り、また別の命として芽吹く。

 ですが無理に抗えば、魂は欠けて元に戻る可能性は非常に少ない。

 ――それが代償、《摂理》に反した事による必然なのです」

「……成る程な」

 

 本当に理解しているのか、彼はイマイチ曖昧な反応を見せる。

 まぁ、別に教えるつもりで言ったワケでもなし。

 ついつい興が乗って語ってしまっただけだから、別に問題はない。

 私の話を聞いた彼は、それからまた何度か頷いて。

 

「……つまり、そんだけヤバいのに死んでからも動いてたのか。

 やっぱり凄いな、それ」

「…………」

 

 さて、これは。

 私は何と応えるべきだったか。

 皮肉でもなんでもなく、それは本心からの言葉だった。

 だから私は、一瞬だけ声を見失った。

 彼も別に返事を期待していたワケではないようで。

 言葉は途切れて、彼と私は暫し無言で通路を進み続ける。

 出口は、まだ見えないのかしら。

 

「……さっきの」

「はい?」

「さっきの亡者みたいなの、他にもいると思うか?」

「それは――何とも言えませんが」

 

 魔法で創造したモノ以外で、自然発生する不死者自体が珍しい。

 ただ、うろつく屍がアレ一匹だけとも思えなかった。

 

「あと数体、この通路を彷徨ってるぐらいではないでしょうか」

「そうか。まぁちょっと面倒だが、仕方ないよな」

「どうあれ、道を塞ぐのであれば単なる障害物でしょう」

「まぁな……?」

 

 そんな風に話していると、不意に彼が立ち止まった。

 また屍でも見つけたのだろうか。

 私はそう考えて、彼の背後から前方の様子を覗き見る。

 先ず目に入ったのは広い空間だった。

 これまでの狭い通路とは異なり、複数の人間が並べる程度の石造りの広間。

 私達がいる場所とは反対側の壁には、硬く閉ざされた扉が見える。

 多分、あの先が隠し通路の出口でしょうね。

 それは良いのだけれど。

 

「…………マジか」

 

 うんざりした様子で、彼は小さく呟く。

 その声に応えるように、広間にひしめく影が動いた。

 姿かたちは、さっき出くわした鎧兵と殆ど変わらない。

 大盾と槍を構えて、鎧を身に纏った朽ちかけの屍。

 そこまでは良い――問題は、その数だった。

 十どころではない、大量の不死者の群れ。

 広間に佇んでいた鎧兵たちは、侵入者の気配を敏感に察知する。

 

『――――』

 

 言葉はない。或いは自我さえ存在しないのかもしれない。

 何も語らず、何も思わず。

 ただ彼らは鎧をガシャリと鳴らしながら、私達に向けて槍衾を作り上げた。

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