189話:その屍を越えて


 普段なら――竜の姿であれば、そんなものは枯れ葉の山みたいなものだけど。

 人間の視点で見ると、成る程。

 槍を構える鎧兵の集団、というのはなかなかに圧巻ね。

 見た目の威圧もさることながら、これだけの数が固まると物理的な質量も相当だ。

 鎧兵の群れは、そのまま一気に襲って来ることはなかった。

 背後に続く道を遮るように、槍衾を壁としてジリジリと迫って来る。

 ――恐らく彼らの目的は、この道を誰も通さない事。

 故に引き返してしまえば無理に追ってくることはないでしょう。

 だからそれも選択肢ではあるけれど。

 

「――さ、頑張ってください」

「えっ」

 

 私が肩をポンっと叩くと。

 彼は心底ビックリした様子で私の顔を見た。

 そんなに意外そうな反応をされると、つい笑ってしまうわ。

 

「丁度良いではありませんか」

「アウローラさん?」

「武装しただけの亡者の群れ、やれる事も見た目通りでしょうし。

 ――丁度良い練習台、と言った方が分かりやすいですか?」

「おう……」

 

 戸惑いながらも、彼は私の言うことは理解できたらしい。

 頷きつつ、改めて眼前の槍衾の方を見る。

 ガシャリ、ガシャリと。

 鎧の群れは硬い音を立てながら、槍の穂先を綺麗に揃えている。

 《火球ファイアーボール》の魔法なりを放り込めば、それこそ一発でしょうけどね。

 彼にあるのは竜を殺すための一振りのみ。

 

「…………練習台にしちゃ、ちょっと数多すぎませんかね?」

「竜とは強固な鱗を持つもの。

 そして古き竜ともなれば、纏う鱗の数はどれほどか。

 少なくとも、この屍などよりは余程多いですよ?」

「そっかー」

 

 そう、竜の鱗は鋼よりも硬い。

 私の鍛えた魔剣ならば、それを切り裂くのだけは容易い。

 けれど刃が通じるからと言って、命に届かせられるかは使い手次第。

 練習台、というのはまさに言葉通りね。

 このぐらいの亡者どもは、軽く薙ぎ払えるようになって貰わないと。

 

「まぁ竜とは名ばかりの、白子のナメクジみたいな柔い竜もおりますけど」

「そうなのか?」

「ええ、まぁそれは今は関係ありませんが。

 ――竜を殺す剣を持ったとしても、竜を殺せるかどうかは貴方次第。

 戦い、剣に魂の火をくべなさい。

 それは貴方に経験と力をもたらすでしょう。

 積み上げ続けた先に、その刃は古き玉座にも届くやもしれません」

 

 本当にできる、などとは微塵も思っていないけれど。

 私の言葉に、彼はほんの少しだけ考える仕草を見せて。

 

「……できなきゃ?」

「当然、死ぬだけでは?」

「そうだよなー」

 

 それは実に分かりやすく、他に異論を挟む余地もない残酷で根本的な原理。

 戦って死ぬか、逃げて死ぬか。

 その結末を拒むのであれば、勝つ他ない。

 迫る困難も障害もすべて等しく、その剣で斬り伏せて。

 その程度はやって貰わねば、人の身で竜を殺すという奇跡に届くはずもない。

 覚悟を決めた様子で、彼は剣を構える。

 亡者達は何も語らない。

 ただ敵を貫くための槍を突き出す。

 ジリジリと、確実に距離は狭まって行く。

 そして。

 

「うおぉらああぁぁぁぁッ!!」

 

 獣じみた雄叫びを上げて、彼は正面から突っ込んだ。

 もう少しこう、立ち回りを考えるのかと思ったのだけれど。

 手にした剣を振り回し、当たりそうな槍の先端を何本か斬り飛ばす。

 この辺りは、やはり刃の切れ味が違う。

 ただ敵の数は多く、敵の戦い方は遊びの多い「獣」とは異なる。

 じわりと迫っていたはずの屍達が、いきなり大きく踏み込んで来た。

 槍を破壊された屍は盾を掲げ、そうでない屍は四方から槍を突き込む。

 鋭い先端が当たらずとも、長く伸びる柄はさながら檻の格子の如く。

 彼が動くための空間的な余地を塞いでいく。

 当然、彼も剣を振るって抗うけれど。

 ええ本当に、数というのはどうしようもなく強いわね。

 

「ギャーッ!? くそっ、こっち来んな!

 痛っ! 槍が引っ掛かったってぐえっ!?」

 

 うん、傍から見てても酷い有様ね。

 頑張って槍で串刺しにされるのだけは避けてるようだけど。

 振り回す剣で屍の鎧や盾を斬り裂いても、その倍以上の鋼の質量が襲って来る。

 槍で手足を絡め取られそうになるわ、大盾でブン殴られるわ。

 見苦しいという言葉が、これほど似合う戦いぶりも他にないでしょうね。

 甲冑と盾、それに槍の渦の中でもがく彼の姿がチラチラ見える。

 ……ぎゃあぎゃあ喚く気力があるようだし、もう暫くは大丈夫そうね。

 

「ほら、どうしましたか?

 まさかこの程度で音を上げないでしょう?」

「簡単に言うけどなぁって痛ぁ!?」

「余所見すると死にますよ」

 

 槍で刺されたか、それとも予備で吊るしていた剣で斬られたか。

 そこまではちょっと見えなかった。

 まぁ、元気にジタバタしてるからまだ掠り傷でしょう。

 

「ほら、右ですよ。右右。

 右で大盾を構えてる屍がいますよ。

 そちらに剣を向けませんと」

「こう、手伝ってくれる気持ちはありませんかね!?」

「私が手助けしたとして、それは果たして貴方の勝利と言えますか?」

「ですよねー!」

 

 そもそもこの程度の雑魚、私が指を動かす価値もない。

 本当なら、瞬く間に一蹴して欲しいところだけど。

 流石にそれは贅沢だと、私も弁えている。

 ……とはいえ、状況は絶望的と言うほどでもなかった。

 苦戦しているのは間違いない。

 数が多い上に、彼はそう大して強い戦士でもないからだ。

 少し前の状態なら、鎧の群れに呑まれた時点で死んでいたでしょう。

 けど、彼はまだ生きている。

 どころか剣を振り回し、屍の群れで溺れるように戦い続けていた。

 致命的な一撃を避け、捕まって抑え込まれる事だけは全力で回避する。

 全ては捌き切れずに傷は負うし、盾で何度も殴り付けられてもいた。

 それでも彼は、諦めだけは拒絶する。

 

「ベタベタまとわりつくなって……!」

 

 一匹、二匹と。

 ペースは遅々としたものだけど、剣に斬り裂かれる屍は増えていく。

 死した肉体を突き動かす魂の残滓。

 それを剣に啜られて、また元の死体に逆戻り。

 数が一つ減れば、それだけ彼の戦いも一つ楽になる。

 ――無様で不格好で、あまりにも見苦しい。

 仮に百人が見たなら、その百人ともが喜劇の類と指差して笑うでしょう。

 否定する材料がないし、何なら私も同意見。

 だけれど――。

 

「よし、だんだん動きのパターンが分かって来たぞ……!」

 

 泥臭く、ただ諦めず。

 身体のいたる所から血を流し、ボロボロになっても手足を止めない。

 そんな彼の戦いぶりは……そう。

 ほんの少しだけ、見応えのあるモノではあった。

 劇の演目に例えるなら、さっき上げた通りの喜劇コメディだけど。

 

「痛ぇなチクショウ……っ!!」

 

 気が付けば、屍は三分の一ほどが地に伏していた。

 それでも相手の数はまだ二十近い。

 密集陣形は崩れて、減った分の空間を埋めるように広がる。

 彼を半ば包囲するような形で。

 これはこれでまた、危険な状況ね。

 完全に包囲されたら、盾で抑えるも槍で串刺しにするも屍達の自由だ。

 だから彼は、包囲を築きつつある鎧兵に自分から斬りかかる。

 

「おらぁ!!」

 

 蛮人の如く吼え、剣の銀が光の軌跡を描く。

 迎え撃つ槍を剣で破壊するのも、既に慣れたものね。

 槍を失った屍が大盾を構え直すより早く、その胴体を一息に剣で貫いた。

 また一つ、魂を失った屍が地に落ちる。

 更に別の屍に蹴りを浴びせ、群れの動きに一瞬の空白を作る。

 そこで既に手に取っていた賦活剤を飲み干した。

 二本目の賦活剤であり、今日使える分の最後の一本。

 彼にもう傷を癒す術はなく、生き残るには勝つ他ない。

 ――ええ、仮にまた致命の傷を受けたとしても、私はもう助ける気はない。

 城壁の番兵に、砦跡の白面の群れ。

 そしてこの地下通路を守っていた屍の鎧兵達。

 「最初」として考えるなら、戦果としてはまぁまぁでしょう。

 決して妥協しているつもりはないけど。

 もしここで死ぬようであれば、彼はそれで終わり。

 《最初の竜殺し》に至る器ではなかった――そう思うことにするわ。

 そんな私の思惑など、当然彼は知らない。

 

「まだまだぁ! って痛ぁ!? くっそ鬱陶しい……!」

 

 知らないまま、相変わらずドタバタと戦い続けていた。

 ……死線を渡っている、という自覚はあるのかしら。

 見ていて思わず呆れてしまう。

 賦活剤で癒したはずの身体から、また血を流しながら。

 彼が振るう剣は、また一匹の屍を物言わぬ亡骸に戻した。

 残る屍の数は十前後。

 これで三分の二近くを仕留めた形だ。

 

「もうちょっと……!」

「ええ、頑張ってくださいね」

「……!?」

 

 適当に声を掛けただけなのだけど。

 何故か妙に驚かれてしまった。

 それは一体どういう反応なのかしら。

 いえ、それよりも。

 

「前、来てますよ」

「おっとぉ!?」

 

 こっちに気を取られた隙を、文字通り突く形で。

 複数の槍が鋭い動きで襲って来た。

 私の声を受けて、彼はそれらをギリギリで回避する。

 まったく、何をしているのか。

 己の不注意を反省したか、彼はまた目の前の敵に意識を向けた。

 十でもまだ多いけれど、最初に比べれば攻撃の密度も随分と薄い。

 加えて、彼自身の動きも少しずつ良くなっているように見える。

 戦っている内に慣れた――というのも、当然あるでしょう。

 それとは別に、その手に握られた魔剣があった。

 少ないとはいえ、魂という火を呑んだ刃は使い手にも力を与える。

 戦い始めた時よりも、間違いなく彼は強くなっていた。

 ならばもう、屍など物の数ではない。

 彼の手が剣を操る度に一匹、また一匹と屍が崩れ落ちる。

 勝敗の天秤は目に見えて傾いていく。

 けれど鎧兵達にも、その魂を地に留める執念があった。

 希薄化した自我では、まともな思考も練れないでしょうけど。

 屍になっても尚染みついた動きで、敵に対して槍と盾で攻め立てる。

 剣の一本で、全てを防ぎ切るのは難しい。

 だから彼も多少傷を受けるのは構わず、数を減らす事を優先した。

 

「いい加減、こっちも疲れてんだよ……!」

 

 また一匹の屍を斬り伏せながら。

 彼は絞り出すように吼える。

 まぁ、この砦跡に入ってからずっとこんな調子だものね。

 賦活剤を使っているとはいえ、体力は相当にキツいでしょう。

 それでも彼は止まらない。

 一度でも止まれば、屍どもの槍は瞬く間にその命を貫く。

 理解しているからこそ、彼は剣を振り続けた。

 

「おおぉぉぉぉぉっ!!」

 

 そして雄叫びと共に繰り出される、最後の一刀。

 残った一匹の屍を、その鎧ごと斬り裂いた。

 魂の残滓を、この地下通路に縫い付けられた妄念を。

 その全てが剣の内へと消える。

 後には物言わぬ屍が、冷たい床の上で沈黙と共に横たわるのみ。

 その様を、彼は剣を構えたまま見下ろした。

 ほんの少しの間を置いてから、そっと息を吐く。

 

「…………終わったぞ」

「ええ、お疲れ様でした」

 

 脅威の排除を確認し、彼は私に報せるように剣を掲げた。

 それに応えて私は軽く笑ってみせる。

 散らかった亡骸に、足を取られないよう注意しながら。

 私は彼の傍へと近付く。

 

「随分とお疲れのようですね?」

「流石にな」

 

 足下がふらついている彼は、私の言葉に苦笑いをこぼした。

 本音としては、このまま休みたいところでしょうけど。

 

「自分が斬った屍と、添い寝でもしますか?」

「ちょっとそれは遠慮したいわ」

「でしょうとも」

 

 ここで頷かれたら逆に困ってしまう。

 そう言葉を交わしながら、彼は剣に灯る明かりで先を照らす。

 閉ざされた扉を守る者はもういない。

 

「……休めるところ、あると思うか?」

「それは進んでみないと分かりませんね」

 

 無論、それを確かめようと思えば手段は幾らでもあるけれど。

 私ははぐらかすように笑っておいた。

 彼は文句の一つも言わず、「だよな」と短く応える。

 まぁ、篝火を置いて場を整えるぐらいはしてあげましょうか。

 休んでいる時にまで「獣」に集られるのは、私も鬱陶しいもの。

 なんにせよ、彼は屍を跨いで扉に向かう。

 先に待つモノが何であるのか。

 私はそれを、敢えて知らぬままにする。

 大抵の危険は私には何の意味もないし、その方が短い旅の良い刺激になるだろう。

 ――なんて、そんな事を考えながら。

 彼が丁寧に扉を押し開けたのを確認して、私はそちらへと向かった。

 

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