190話:夜空の語らい

 

 長い地下通路を抜けだした先。

 そこに広がっていたのは、荒野ではなく深い森だった。

 鬱蒼と茂る緑と、遠くから響く「獣」の声。

 少し前まで、草木一本生えていない荒れ野ばかりであったのに。

 彼は驚いた様子で、辺りをキョロキョロと見まわしていた。

 日はすっかり落ちてしまっていて、森は濃い闇に沈んでいる。

 

「何をそんなに驚いているんですか?」

「あー、いや。いきなり森のど真ん中で、ちょっとビックリしたというか」

「これもまた《北の王》の魔力によるもの。

 不毛な大地が続くと思えば、このように緑に覆われた場所もあります。

 他にも似たような地形は幾つもあるでしょうね」

「マジか。すげぇな」

 

 別に、これはそう大した事でもない。

 強大な古竜は、望めば周囲の環境を変化させられる。

 この地が荒れ果てたのも、その中でこういう奇妙な森が発生しているのも。

 全て、北の果てにいる愚かな王様のなせる業。

 ここまで滅茶苦茶に弄ったのは、恐らく《造物主》の真似事。

 私達のいる大陸を生み出した、父の偉業を模倣しようとした結果でしょうね。

 まったく稚拙過ぎてお話にならないけど。

 私にとっては大した事でなくとも、人間である彼には違うらしい。

 しきりに「竜ってやっぱとんでもないな」と呟いて、周りの木々を眺めていた。

 ……まったく、その「凄い竜」とやらを殺しに行くのが目的でしょうに。

 こっそりため息を漏らしながら、私は足元の地面を探る。

 少し開けた場所を見つけ、そこにさっさと「獣」除けの篝火を置いた。

 赤い炎が、濃い夜闇を僅かに押し退ける。

 それを見て、彼も篝火の傍へと寄って来た。

 

「どうぞ」

「助かります」

 

 礼を言いながら、彼は篝火の近くに腰を下ろす。

 やっぱり、大分お疲れのようね。

 座っただけで、酷く疲れた感じで大きく息を吐き出した。

 そこで私の視線に気付いて、指で軽く頭――兜の上辺りを掻いた。

 

「いや、悪い」

「構いませんよ。疲れているのは分かっていますから」

 

 この程度で体力が持たないなんて、人間は本当に不便だとは思うけど。

 彼にそれを言っても仕方がない。

 燃える篝火を挟む形で、私もその場に腰を下ろした。

 ……森の湿った土の上に座るのは、少しばかり不快だけれど。

 私が座ったのを確認してから、彼は私の渡した革袋を漁り始めた。

 取り出したのは水袋と保存食。

 干した肉以外にも、乾かした果実や刻んだチーズなどが含まれている。

 それらを口にしてから、水をゴクリと飲む。

 

「……ところで、ちょっと聞きたいんだが」

「? 何でしょう」

 

 水と食料を取ったためか、先程よりは声に生気がある。

 一体何を聞くつもりなのかと、私は緩く首を傾げた。

 

「《北の王》がいる場所まで、どんぐらい時間が掛かるか分かるか?」

「……そうですね」

 

 問われて、私は少し考えた。

 魔法を使えば一瞬だし、そうでなくとも大した距離ではない。

 途中で「獣」を含めた障害があるので、真っ直ぐ順調にとは行かないでしょうが。

 それを加味した上で。

 

「恐らく、一年と少しぐらいではないでしょうか?」

「マジか」

「? 何か不都合が?」

 

 一年ぐらい、というのもかなり甘く見ての計算だ。

 道中で手間取れば、それだけ辿り着くまでの時間も長くなる。

 口ではこう言ったけど、実際は数年以上はかかるというのが私の予想だ。

 まぁ、別に大した時間でもない。

 けれど彼は、思い悩んだ様子で小さく唸った。

 

「……どう考えても足りないよな」

「と、言いますと?」

「いや、水と食料」

 

 その言葉で、やっと私は問題の全容を理解した。

 成る程、私が用意したのは精々数日か、節約しても一週間程度。

 とても北の玉座に辿り着くまでは持たない。

 呑まず食わずでは生きられない人間にとって、これは大きな問題だ。

 とはいえ。

 

「……そうですね。水ならば何とかできます」

「マジか」

「ですが食料は、自力で何とかして頂かないと」

「マジかー」

 

 水を用意するだけでも大サービスだと思って欲しい。

 まぁ、ここは森の中ではあるし。

 運が良ければ、まともな動物がいる可能性もゼロじゃないでしょう。

 まさか「獣」を食べる、なんて馬鹿な真似は……。

 

「なぁ」

「まだ何か?」

「……『獣』とかって、食えると思う?」

「正気ですか?」

 

 考えてる傍から何を言っているのか、この男は。

 竜である私には食事なんて必要ないけど。

 あの歪んだ「獣」の肉を食べるとか。

 流石に私でもそんなことは考えないわよ?

 

「やっぱダメか?」

「ダメというか……危険だと思いませんか?

 明らかに食用に適した肉ではないでしょう、あんなもの」

「いや、それは分かるんだけどな。

 でもこの場所で他に食えるモノがあるかっつーと……」

 

 うーむと、やはり難しそうに唸る彼。

 彼の言いたい事は分かる。

 ここも森の中とはいえ、《北の王》の魔力により歪んだ環境。

 そこらに生えてる木の実でも、口にするにはどうしても危険リスクがある。

 ……魔法で食料を出すことも、別にできなくはないけれど。

 私がそこまで労力を支払う必要があるのかは、どうしても考えてしまう。

 

「……とりあえず、渡した分はまだ数日ほどは持つでしょう?」

「あぁ、なんとか」

「であれば、無くなった場合のことはまた後ほど考えては如何でしょう」

「うーん、そうだなぁ」

 

 一先ず、彼は私の言葉に納得したようだった。

 保存食が底をつくまであと数日。

 それまでに一応、どうするかを考えておく必要は……いや、あるのかしら。

 少なくとも私が考える必要はあるのか、どうだろう。

 実際、水を用意するだけでもかなり譲歩しているのに。

 更に食事の世話までする意味があるのか――と。

 考えたところで、私はその思考を打ち切った。

 《最強最古》である私が、たかだか人間相手にそんなことで頭を悩ませる。

 それ自体が馬鹿馬鹿しいと気付いたからだ。

 まぁ、「獣」の肉を食べるというならそうすれば良いでしょう。

 まさか本当にやるとは思えないし。

 私はまたひっそりとため息をこぼしてから、何気なく空を見上げた。

 今はもう夜で、星明りの一つでも見えそうな頃だけど。

 異常に枝葉を伸ばした木々は、そんな夜空を殆ど塞いでしまっている。

 ただ暗いだけの夜の天蓋に、私はほんの少しだけ落胆を覚えていた。

 

「……星が好きなのか?」

「え?」

 

 予想していなかった問いかけに。

 私はつい、取り繕っていない声を漏らしてしまった。

 いつの間にか、彼は空を見上げる私のことを見ていたようで。

 

「いや、空が良く見えなくて残念そうだったからな」

「…………まぁ、そうですね」

 

 私は、何と答えるべきかと。

 一瞬考えてしまいながら、どうにか声の調子を整える。

 

「こんな北の果てだろうが、見える空は変わらないんだよな。

 まぁ曇ってるとか、天気によっちゃ見えないだろうけど」

「…………貴方は、どうなのですか?」

「俺か? 別に嫌いじゃないが、好きかどうかは考えてなかったな」

 

 そう言いながら、彼もまた空を見上げる。

 捻じれた木々がとざす、北の夜空を。

 私も彼も、暫しの間なにも語ることなくそれを見ていた。

 奇妙な時間だった。

 けれど――そう、不思議と、不快ではなかった。

 

「…………貴方は」

「ん?」

 

 殆ど無意識に、私は彼に声を掛けていた。

 そして喉まで出かかっていた言葉を、反射的に呑み込む。

 今、私は何を言いかけた?

 ――貴方は、なんという名前なの。

 そんなことを、聞こうとしていなかったか。

 何故、そのようなつまらない言葉を口に出しそうになったか。

 自分で理解できず、愕然としてしまう。

 この男は所詮、すぐ死ぬだけの実験体モルモットでしょうに。

 まさか情が移ったなんて、そんな馬鹿な話があるの?

 私は二十の竜王の長子にして、全竜属の頂点に君臨する者。

 仮にも《最強最古》と呼ばれる私が、たかだか人間如きにほだされた?

 ――あり得ないわ、そんな事。

 あまりの馬鹿馬鹿しさに、自分で自分を嘲りたくなる。

 そんな私の様子を不審に思ったか、彼は軽く身を乗り出すようにして。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 気遣うように、そう声を掛けて来た。

 ……胸につかえるこの感情は、一体何であるのか。

 分からない。分からない事は私にとって酷く不快だ。

 けれど不快でないと思っている自分もいて。

 不快でないのを僅かに不快に感じながら、私は首を横に振った。

 力の制限と、人間と行動を共にしている現状。

 常とは異なるその状態に、私も少しおかしくなっているようだ。

 一先ずはそう結論付ける。

 

「ええ、大丈夫です。どうかお気になさらず」

「そうか? まぁ、なら良いんだが」

「本当に大丈夫ですから、ええ。貴方が心配することなど何一つ」

「そりゃ分かったが、さっきは何を言いかけてたんだ?」

「…………」

 

 さて、これは明確に私の落ち度だ。

 適当に「気のせいです」と、誤魔化すのも手ではある。

 けどあまり不信感を持たれるのも面倒ね。

 たっぷり十秒ほど沈黙し、適当な答えを頭の中から探り出す。

 その末に、出て来た言葉が。

 

「…………貴方は、私に何か聞いておきたい事はありますか?」

 

 これだった。

 我ながら苦し紛れにも程があると。

 後になれば省みること必至な一言だった。

 ただ、彼はその言葉には存外驚いたようで。

 

「どうしましたか?」

「あー、いや。そういうの、聞いたら拙いと思ってたんだが」

「……単なる気紛れです。

 それに、答えられない事は応えませんから、そのつもりで」

「そうかー」

 

 当然のことだけれど、一応釘は刺しておく。

 さて、今度は彼の方が悩み出した。

 まぁ仮にまた目的とかを聞かれたら、差し障りがない程度には話しても……。

 

「……好きな食べ物とか?」

「は?」

 

 何を言ってるのかしら、コイツ。

 また素の声が出たじゃない。

 訝しむ私の視線に、気付いているのかいないのか。

 トンチキな事を言い出した彼は、悪びれもせず言葉を続ける。

 

「いや、死なずに行けば暫くは旅の仲間だしな。

 そういうのを聞いておくのも、まぁ大事かなと」

「……私は飲食は不要だと言ったはずですが?」

「必要がないだけで、食べられないワケじゃないんだろ?」

「……まぁ、それはそうですね」

 

 生存には不要だし、実際大した興味もないのだけど。

 別に食事をとれない、という話ではない。

 彼の言う通り、食べようと思えば大抵のモノは食べられるはず。

 竜の中には、食事を娯楽とする者も少なくはない。

 ……まぁ、そこには「人喰いマンイーター」の類も含まれているけど。

 下賤な人間の血肉を貪るとか、低俗過ぎて私には到底理解できない。

 まぁ、それは兎も角。

 

「正直に言って、食事そのものにあまり興味がありませんが……」

「そっかー……」

「……ただ」

「お? 何かある?」

「いちいち反応しないで下さい。

 ……強いて上げるのなら、肉は嫌いではありませんね」

 

 それこそ、たまたま口にする機会があった程度の話。

 動物の肉を焼いた物は、そう悪いものではなかった覚えがある。

 特に好んでいるとか、そういうワケではないけど。

 だというのに、彼は興味深そうに頷いた。

 

「肉かー、美味いよな肉。

 俺も火で炙ったのか、干し肉ぐらいしか知らんけど」

「……味の良し悪しは、別に」

「いやー、それは大事だろ。

 飯の美味い不味いは士気に関わるしな」

「そういうものですか」

 

 手駒のやる気なんて、少し力で脅しつければ済むでしょうに。

 やっぱり私には、彼の言うことは良く分からなかった。

 不思議がる私と違って、彼は何やら満足そうだ。

 さっきの返答がよっぽど気に入ったのかしら。

 ……本当に、良く分からない人。

 

「うん。今日すぐには無理だが、またちょっと頑張ってみるか」

「何の話ですか?」

「肉の話かな」

「??」

 

 彼の言葉の意図が掴めない。

 首を傾げる私を見て、彼は何故か楽しそうに笑った。

 笑われているのに、別に不快ではなかった。

 

「なぁ、他にも聞いて良いのか?」

「…………今夜だけですよ。

 あと、繰り返しますが全て答えるつもりはないので」

「十分十分」

 

 まったく、随分と疲れていたクセに。

 やたら元気な様子で、彼は私に色々と聞いて来た。

 どれもこれも「好きな食べ物」並みに他愛もなく、そしてくだらない話ばかり。

 私はそれに答えたり答えなかったりで。

 そうしている内に、篝火の光に照らされながら夜は更けていく。

 一時の語らいと、その中身。

 それが何であるかを知っているのは、夜空の下にいる私と彼だけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る