284話:再演の一矢
一体、その戦いはどれほど続くのだろうか。
死の舞踏にまだ終わりは見えない。
月の刃が閃く度に、硬い鋼を打ち合う音が響く。
聞き慣れるといっそ演者のための伴奏とさえ思えてくる。
突き、払い、躱して防ぐ。
繰り返し、繰り返し、繰り返し。
同じ事のようでいて、まったく同一の攻防は二度とない。
剣を振るう度に「これで終わらせる」という、必殺の意思が弾ける。
どちらも最後の一線は譲らない。
ほんの僅かにでもズレれば、あっという間に転落する敗北の奈落。
足場と呼ぶにはあまりにも頼りない死線の上。
レックスとウィリアムは、その上で軽々と踊っていた。
「はよ降参しろ……!!」
「こっちの台詞だ馬鹿め……!!」
そんな冗談みたいな罵り合いさえしながら、二人はひたすら剣を振るう。
お互いの呼吸や熱が感じられそうな距離。
そんな間近であるにも関わらず、どちらも相手の刃をまともに受けていない。
あり得ない――と。
絶句した状態で眺めてるブリーデの顔にも書いてある。
私も正直同じ気持ちだった。
どちらも英雄と呼ぶに相応しい器だ。
レックスは当然として、ウィリアムの方も腹立たしいが認める他ない。
どちらが上かも、ハッキリと甲乙つけ難いほどに。
だから、強いのは分かっていた。
分かっていて――そんなこっちの認識さえ、彼らは軽々飛び越えていく。
相手の力に合わせて、自らの力を高めているように。
彼らは、戦いの過程で限界を踏み越え続けていた。
「最後に勝つのは俺だ!」
「はよ負けて娘のところ帰れや駄目親父!!」
「人のプライベートに踏み込むのは不作法とは思わんか……!」
「こっちはいっぺんその家庭問題に巻き込まれたんだから言う資格あるだろ……!」
……まぁ、同時に何か凄いしょうもない事を言い合ってるけど。
繰り広げられているのは神話伝承の戦いだ。
それこそ、詩人でもいたら泣いて喜びそうね。
同じものは二度と見られない、大陸史に残る英雄同士の決闘だと。
「……どっちも、人間なのが信じられなくなるわね」
「ウィリアムは糞エルフだけどね」
まぁ、人類種という意味ではレックスもウィリアムも人間だ。
《古き王》でない古竜なら、一瞬で肉体を破壊されてしまいそうな激戦。
死線上で好き放題飛び跳ねる蛮行は、終わる気配を見せない。
「チッ……!」
「この……っ!!」
恐ろしいのは、どっちも動きが鈍らないことだ。
二人とも、比べて大差がない程度にはボロボロだった。
レックスは防戦を続けているため、ウィリアムに負傷の類はほぼない。
けれど一切止まらずに全身全霊を攻撃に傾け続けた状態だ。
当たり前だけど、今すぐ心臓が止まってもおかしくないぐらいに消耗している。
対するレックスはもう見た目からして酷い有様だった。
直撃はなくても、掠める刃で鎧の表面はズタズタに切り裂かれている。
その下も、恐らく傷だらけの血まみれのはず。
負傷は明らかに彼の方が重いけど、疲労の気配は殆ど見られない。
「互角、よね」
「ええ、互角ね。……今はまだ、だけど」
ブリーデの言葉に私は頷く。
「含みのある言い方ね」
「驚いてるのはホントよ。ウィリアムの奴、ここまでやるなんて思わなかった。
レックスだって、あの攻撃を耐え続けるなんて普通あり得ないわ」
言葉を交わしながら、今も続く神話の攻防を見る。
ほんの少しでも瞬きをしたら、その瞬間には終わってしまうかもしれない。
だから絶対に、目を離さないように。
「どっちも殆ど互角……いえ、貴女の切り札を奪ってる以上。
単純な強さだけなら、ウィリアムの方が上かもしれない」
「……だけどアンタは、レックスが勝つって確信してるのね」
「勿論、根拠あっての事よ」
彼を信じているから、というのも勿論ある。
けどそれ以上に、彼とウィリアムには明確な差があった。
それはもう、終わりのない戦いの中でも徐々に見え始めていた。
「ッ……!」
「おう、どうしたよ糞エルフ」
一向に途切れる気配のない剣の嵐。
その刃を真っ向から弾きながら、レックスは笑う。
余裕などまるでない状況。
それでも彼の声には、ほんの僅かに余裕が感じられた。
「もう息切れしたってワケじゃないよな」
「ハッ、当然だ……!」
ウィリアムの振るう剣に陰りはない。
ただ、間違いなく疲労の蓄積は感じられた。
レックスだって、別にまったく疲れてないワケじゃない。
むしろ消耗の度合いで言えば、攻め続けるウィリアムとそう大差はないはず。
けれど、私は知っている。
どれだけボロボロに死にかけて、体力もまったく残ってない状態でも。
恐るべき《北の王》を相手に、その首を落とすまで戦い続けた姿を。
あと一歩で命を落とす?
もう戦う力は残っていない?
普通なら、その時点で誰もが諦める。
だけど彼は諦めなかった。
諦めなかったからこそ、この世で初めての偉業を成し遂げた。
私は、誰よりもそれを知っている。
「彼は、最初の竜殺し。
このぐらいの逆境、いつだって乗り越えて来たんだもの」
だから、勝つのはレックスだ。
私は確信を込めて彼の勝利を言葉にした。
「まだだ!!」
けど、ウィリアムもそう容易い相手でもない。
恐らく彼も、このまま続けて勝敗の天秤がどちらに傾くか悟ったのだろう。
先ほどよりも遥かに鬼気迫った様子で剣を繰り出す。
「俺は勝つ、必ずだ!」
「いいや、勝つのは俺の方だ!」
レックスもまた叫び返し、月の刃を竜殺しの剣で受け止める。
剣が有する力も、また拮抗している。
全てを断ち切る剣を、不壊の剣が受け止める。
「ッ……お前に勝つ事に、意味はないかもしれん……!
俺の望みは、あくまで同胞の未来を守る事!
それに関わらぬ個人としての勝敗なら、拘る意味はないだろう……!」
弾く、弾く、弾く。
一つ残らず必殺の一撃。
一つでもまともに受ければ、その時点で戦いが終わる。
けど、レックスはその全てを凌ぎ切る。
剣で弾き、素早く身を躱して。
止まない死の嵐の中を、彼は泳いでいた。
「だが、お前だけは別だ! お前にだけは負けてやれん……!!」
「一応聞くが、何でだよ!!
お前の言う通り、ぶっちゃけ此処で喧嘩する意味ないよな!?」
「そんなものは知るか!!」
叫ぶ。
或いはそれこそ、欺瞞を含まないウィリアムの本音の声。
「最後に勝つのは俺だ! 同胞の未来は必ず守る!
どれだけ細かい敗北を重ねようが、それさえ手に入れたなら俺の勝ちだ!
だが、そこにお前との勝敗は意味はない!
ここで戦う必要はない? あぁその通りだな!!」
叫びながら、ウィリアムは笑っていた。
普段のどこまでも胡散臭いばかりの表情とは違う。
どこか晴れやかで、楽しげに遊ぶ子供のような笑みだった。
レックスは兜で顔が隠れているので分からない。
分からないけど、彼もきっと似たような顔をしている気がした。
「であればお前に勝つには、尋常な戦いでお前を負かす以外にはない!
――あぁ、そうか。言っていて気付いたぞ」
「何がだよ」
「俺はどうやら、お前に『まぁ勝ったのは俺だけど』と。
そうやって勝ち誇られるのが心底気に食わんようだ……!!」
「奇遇だなぁ、俺もだよ!!
『最後に勝つのは俺だ』とか恥ずかしげもなく良く言えんな!!」
ぶつかり合う。
余りにも下らなくて馬鹿馬鹿しい、男二人の意地とかそんなものが。
ちょっと呆れてコメントに困ってしまう。
腕の中で大人しくしているブリーデも、多分同じ気持ちだろう。
……大真竜のお膝元で、一体何をしてるのやら。
今さらのように冷静になってしまった。
「馬鹿ね、あの二人」
「珍しく気が合うわね」
「甚だ不本意だけどね」
まぁ、大概馬鹿な理由で戦ってたのは私たちも同じだけど。
戦い――いや、喧嘩と言った方が良いのかしら。
私たちの場合も、今のレックスたちも。
一歩間違えれば首が飛ぶし、半歩間違えても命を落とす。
そんな、紛れもない死闘であるにも関わらず。
私の目には、二人の子供がじゃれ合っているようにさえ見えたのだ。
錯覚なのは分かっているけど。
「くっ……!?」
戦況は、徐々に変化しつつある。
やはり長期戦になれば、レックスの方が有利だった。
無視できないほどの疲労は、ウィリアムの腕を少しずつ重くしていく。
振るう刃が鈍れば、レックスは反撃に手を割くことができる。
一度傾き出せば後は雪崩の如し。
現状はウィリアムが百を仕掛ける間に、レックスが一を返す程度。
しかしこの差は、恐らくあっという間に縮まって行くはず。
「いい加減しんどいなら降参しろよ……!」
「辛いのはお互い様だろう! それに勝つのは俺だと言ったはずだぞ……!!」
多分、辛いのはどっちも似たようなものでしょうけど。
現状はレックスの方が有利になりつつあるのは間違いない。
けど、当然ながら油断はできない。
ウィリアムにはあの「奥義」があるからだ。
「……今の状態で、あの『奥義』は撃てると思う?」
「普通は無理でしょう。
アレは本来の使い手でも、心技体が完全な状態でようやく使えるものだから」
念のため聞いてみると、ブリーデは即座に答えを返して来た。
まぁ、それはそれで当たり前の話よね。
あんなデタラメな技、そう簡単には振り回せないか。
けど、ブリーデは軽く首を振って。
「それはあくまで、普通に考えたら。
アイツは明らかに普通じゃないから、あの状態で使って来てもおかしくないわ」
「……ホント、普通ならあり得ないんでしょうけどね」
普通。なんと虚しい響きの言葉か。
普通ではないからこそ、あの二人は今も戦えているのだから。
恐らく、ウィリアムはまたあの「奥義」を狙っている。
ただ、アレは放つまでに少し「溜め」がいる。
それはさっき実際に放った直前の状況を見れば明らかだ。
だからレックスも、今は一切距離を取らずに間合いの内側で戦い続けている。
疲労が重いウィリアムでは、無理やり突き放すのは難しいはず。
この状況で、果たしてどんな手を打って来るのか。
「ッ――――!?」
白い輝きが宙を舞った。
レックスが反撃で打ち込んだ剣が、ウィリアムの白刃を弾いたのだ。
くるくると回りながら、細身の刃は宙を舞う。
天秤は今、大きく傾いていた。
「終わりだな」
「あぁ、そうだな」
残っているのは、最初の“森の王”の魂を宿した月の大剣。
それ一振りでも十分以上に脅威だけど、戦力が半減したのは間違いない。
剣を弾いた勢いのまま、レックスは返す刃で踏み込もうとする。
流石にそれは大剣で防がれるでしょう。
けど、これなら後は力押しで――。
「っ!?」
踏み込む直前、レックスが自分から後ろに退いた。
何故、と思う暇もなく、空から降ってくる一条の煌めき。
それは青白い炎を纏った矢だった。
弾かれるように私は上を見た。
さっきウィリアムの手から弾かれた白刃。
それを核にする形で実体を結んでいる、一体の月鱗の騎士。
不安定な状態にも関わらず、一切乱れのない姿で弓矢を構えていた。
確かに、糞エルフはこれまでも何度かあの騎士を使っていたけど……!
「この状況までずっと隠してたの!?」
どこまでウィリアムの狙い通りなのか。
それは分からない。
分からないけど、この奇襲の一手は致命的だ。
直前で察知して回避したレックスは、本当に流石としか言いようがない。
だけど、一瞬以上の隙を作ってしまった。
奇しくも、かつての森での構図を真逆にした形で。
「――最後に勝つのは俺だと、そう言ったはずだぞ。レックス」
宿敵の名を呼びながら。
ウィリアムは、二度目となる構えを取る。
万物を斬滅する“森の王”の「奥義」。
鋭い刃の輝きは、一切の躊躇いなく目の前の相手へと叩き込まれた。
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