第一章:死の都のならず者たち
233話:最悪からの出発
――状況は最悪に近かった。
「……どうだ、姉さん?」
「ダメだ、何の反応もない」
オレの言葉に、姉さんは暗い声を返す。
目の前にあるのは真っ黒い箱。
《聖櫃》と呼ばれるらしい、バビロン時代の遺物。
さっきまでその傍には、仲間がいたはずだった。
けれど今、この廃墟にいるのはオレと姉さん。
そして――。
「……そっちはそっちで、大丈夫かよ」
「大丈夫に見えるか?」
もう一人。
オレや姉さんと同じく、距離があったから巻き込まれずに済んだ。
古き竜であるボレアスは、瓦礫の上にぐったりと身を横たえていた。
普段から割とゴロゴロしがちな奴だけど、今回は事情が違う。
「……竜殺しと、奴の剣との繋がり。
切れてはいないが、随分と希薄になってしまった。
おかげで魔力の供給がかなり少ない。
ゼロではないが、率直に言って厳しいな」
と、ボレアス自身が説明した通り。
《聖櫃》とやらに、レックス達が呑まれた直後から。
魔力が大幅に少なくなったせいで、ボレアスはこんな状態になってしまった。
そして、普段は窮地をどうにかしてくれるレックスも。
何だかんだ言って、知識や魔法では一番頼りになるアウローラも。
あとついでに、猫になった奴もいない。
残っているのはオレと姉さん、それと弱ったボレアスだけ。
……状況は、最悪に近かった。
「ボレアス殿は、何が起こったか分からないのか?」
「分からん。ただ竜殺しと長子殿、あとあの寝坊助。
三者揃って、《聖櫃》を通じて『何処か』に呑まれたのは間違いあるまい」
姉さんの問いかけに、ボレアスは横になったまま応える。
何処かに呑まれた。
起こった事を見れば、そこまでは予想が付く。
問題は、その「何処か」ってのが具体的に何なのかだ。
「……確認するが、《聖櫃》にはもう何の反応もないか」
「ええ、残念ながら。先ほどから調べていますが……」
「であれば、それに執着しても仕方あるまい。
誰が何の意図でやったかは知らんが、道は閉ざされたと見るべきだ」
言いながら、ボレアスは瓦礫から身を起こす。
正直、大分キツそうに見えるが。
「そう心配せずとも良いぞ。
確かに力は大きく減じているが、言ってしまえばそれだけよ」
「それだけって……いや、お前がそう言うなら良いけどな」
喉を鳴らして笑うボレアスに、オレは一先ず頷く。
「何か、考えがあるのか?」
「考えと言えるほど上等なものではないがな」
ボレアスもまた、沈黙する《聖櫃》の傍へと近寄る。
手で触れてみるが――やっぱり、変化はない。
確かめてから、ボレアスは小さく唸った。
「……この《聖櫃》を通じて、バビロンは《王国》全土に干渉していた。
これは説明したはずだな?」
「あぁ、言ってたな」
「国土に無数に配置されていた《聖櫃》。
当然、それらを統括して管理していた場所がある。
それが《
「《天の柩》……」
語られた名を、姉さんは繰り返す。
「つまり、レックス達はその《天の柩》にいるって事か?」
「それは分からん。
ただ《聖櫃》と直接繋がっているのは、そこぐらいしか我も知らんというだけだ」
「そうか……」
不確かではある。
不確かではあるが、他に手掛かりもない状況。
ここで何も言わない黒い箱を、弄り回しても仕方がない。
覚悟を決める必要があった。
「……イーリス」
「行こう、姉さん。
ここに留まっても、多分何も話が進まない」
微かに不安を滲ませる姉さんの声。
それを聞いて、オレは可能な限り強い言葉で言い切った。
……別行動は、別に初めてじゃない。
オレ達はオレ達で、やれることをやるべきだ。
そうと決めたのなら、凹んでいる場合じゃない。
「良いのか?
この辺りには特に危険な気配もない。
案外、放っておけば竜殺しも長子殿も戻って来るやもしれんぞ?」
「分かんねェだろ、そんなのは」
からかい半分のボレアスに、オレは軽く首を横に振る。
「大丈夫だろうとは思ってる。
けど、アイツらだって別に無敵じゃないんだ。
結果的に無駄になろうが、やれることはやっておきたい」
「それで、結果的に奴らの足を引っ張ることになってもか?」
「知るか。そん時はそん時だろ」
頷く。
戦力的に見れば、オレはレックス達に比べたらカスだ。
そんなのは自覚してるし、ボレアスが言うことも危惧してる。
だけど。
「先のことに怯えて縮こまってる事が、賢いって言うんなら。
オレはそんなのゴメンだ。
竜の尾を踏んづけたって、ダッシュで逃げるぐらいはできるだろ?」
「……クク、それはそれで愚か者の意見だと思うがなぁ」
オレの言葉がよっぽどツボだったのか。
妙に愉快そうにボレアスは笑う。
「まぁ、良かろう。
我もこんな埃っぽいところで長居するのは面白くない」
「弱ってるっても、別におんぶは必要ねぇだろ?」
「ハハハハハ! 言うではないか、小娘」
「……イーリス、その……あまり、そういうのはな……?」
喉を鳴らして笑うボレアスとは対照的に、姉さんは微妙に顔が引きつってる。
まぁ、姉さんが心配するのは分かる。
ただオレも、一線ぐらいは弁えてるからな。
「で、姉さんは異論あるか? こっから動くの」
「……無いわけではない、が。
ここに留まっても仕方がない、というのは正しいと思う」
確認するオレに、姉さんは少し迷いながらも頷いた。
「これまでも、何度かあった事だ。
お前の判断に、私は従おう」
「良かった。姉さんが助けてくれないと、流石に色々キツいからな」
「なんだ、我の手は不要か?」
「必要に決まってんだろ、むしろ最重要だわ」
やはり冗談めかして笑うボレアスに、オレは割とマジで返しておく。
いやホント、弱ってても竜は竜だ。
少なくとも姉さんと同じか、それよりも強いはず。
そんな戦力を遊ばせておく余裕は、当然ないからな。
姉さんがまたハラハラし始めたけど、それは一先ず置いておく。
方針が決まった以上、後は動くだけだ。
「先ずは、外へ出よう。
例の分厚い霧も、大分薄くなって来たしな」
「さて、既に滅びた都には何が待っていることやら」
力は弱っても、態度は一向に弱る気配のないボレアス。
こんな状況だと、それすら頼もしさを感じる。
で、出発する前にオレと姉さんは持ち物を一通り確認する事にした。
何はなくとも重要なのは、食料と水だ。
普段は魔法で何とでもできる奴がいるから、そこまで気にしちゃいないが。
「くっそ不味い携行圧縮食料は、まぁ仕方ねぇよなぁ」
「こればっかりはな。
水は主が予め用意してくれたから、当分は何とかなるはずだ」
「必要十分かは、分からねぇけどな」
実際、行程がどのぐらい掛かるかはまったく未知数だ。
「荷運びが必要なら任せるから」――と。
胸とは逆に態度がデカい竜の王様が、仕掛けを施してくれた
小さい見た目より遥かに容積の大きいソレに、水は可能な限り詰めてある。
重量も軽減してくれるのは、本当にありがたい。
「人間は本当に不便な生き物よなぁ」
「うるせーよ飲食不要なトンデモ生物め」
竜はこういう時は楽なんで、ちょっとだけ羨ましい。
一通りの確認を終えて、オレと姉さんは立ち上がった。
「行くか」
「あぁ、行こう」
「やれやれ。仕方あるまい、付き合ってやろう」
オレと姉さんと、ボレアス。
沈黙した《聖櫃》が横たわるだけの廃墟を後にして。
再び、濃い霧に閉ざされた都市の残骸へと踏み出した。
確かに薄くなっちゃいるが、やっぱり視界はかなり制限される。
はぐれたらヤバいので、それだけは兎に角注意する。
姉さんの手を握って、一歩ずつ。
「程なく霧は抜けるぞ。
もう少しばかり耐えろよ」
平然と先を進む、ボレアスの声を導にして。
進む。進んで行く。
立ち止まってもどうしようもない。
その一心だけで、前へと進む。
やがて。
「…………!」
視界が一気に開けた。
霧の壁を抜けた先、世界が一気に眩しくなる。
目に飛び込んで来たのは、先ずは青い空。
中天に輝いている太陽。
そして、変わらず横たわっている都市の残骸。
朽ちて崩れている物もあれば、原形を保っている物もある。
これに関しては、霧に突入する前と変わらない。
違うのは、その
「……かつては、どれほどの栄華を極めた都だったのだろうな」
傍らで姉さんが呟く。
オレもまったく同じことを考えていた。
これまで見てきた、どの都市よりも大きな建物。
年月に晒されてしまったとはいえ、その威容はまだ色褪せていない。
それらが無数に立ち並ぶ街並み。
広く作られた道も、きっと多くの人々が往来していたはずだ。
けれど、今はもう何もない。
都市としての原形は保っている分、建築物は巨大な墓標のようにも見える。
恐らく、生きている奴は誰も――。
「……む?」
「? どうした?」
不意に声を上げ、ボレアスは視線をキョロキョロと彷徨わせた。
オレと姉さんは何も感じなかったので、首を傾げる。
こちらの疑問の声に対し、ボレアスは周囲を見回しながら。
「少しばかり遠いが、音がするな」
「音? 何の音か分かるか?」
「流石にそこまでは分からんが、なかなか派手な音だな」
「……どうする?」
姉さんに問われて、オレは少し沈黙する。
てっきり無人かと思ったが――いや、保存食の置かれた倉庫があったな。
アレは、霧を越えて侵入する人間のために用意されたものか?
だとすれば、オレ達のような連中は別に珍しくはないのかもしれない。
まぁ、その辺は全部憶測だ。
結局のところ、確かめてみないことには何も分からない。
「……行くか」
「味方にできる相手とは限らんぞ?」
「どうあれ、情報は手に入るだろ」
笑うボレアスに、オレは即座に言葉を返す。
平和的ならそれが一番だが、荒事になるならそれはそれだ。
誰かいるなら、少なくともさっき来たばかりのオレらよりは事情に詳しいはず。
希望的観測が過ぎるのは、ちょっと否定しきれないが。
「で、音の方向は分かるか?」
「問題ない」
「では、案内を頼めますか?」
「ふむ……まぁ、頼まれたのなら仕方あるまい」
やや億劫そうに言いながらも、ボレアスはある一点を見る。
どうやらその視線の先に、音の源があるらしい。
一体、何が――。
「では、付いて来いよ」
思考をぶった切る一言。
それを言うだけ言って、ボレアスは大きく跳躍した。
たったそれだけで、あっという間に遠くへと走り去っていく。
あまりに突然過ぎて、一瞬呆気に取られてしまった。
「……って、置いてくなよ! つーか、あれマジで弱ってんのか!?」
「弱っても《北の王》、ということだろう」
思わず叫ぶオレの手を、姉さんは苦笑いと共に握る。
疑問に思うより早く、姉さんはオレの身体を抱えて跳躍した。
こっちもこっちで、せめてやる前に一声かけて欲しかった。
「大丈夫か、イーリス?」
「姉さんも、最近ちょっとスケベ兜に毒され過ぎじゃね……!?」
「べ、別にそんなことはないぞっ?」
いや、そこは照れるところじゃなくね?
ともあれ、風のように廃墟の合間を走るボレアス。
その後をついていく姉さんも大概だ。
――せめて、《金剛鬼》が万全ならな。
今は手元に無い自動人形を思う。
普段なら連れ歩くんだが、流石にここまでの戦闘でボロボロになり過ぎた。
なんで修理しようと、一時アウローラの「隠れ家」に預けていたのだ。
まさかその判断が仇になるとは……。
「? なんだ、アレは?」
そんな事を言いながら、ボレアスが足を止めた。
合わせて、姉さんもオレを抱えたままその隣に並ぶ形で着地する。
場所は、崩れかけた
そこから見えるのは……。
「……なんだ、ありゃ?」
オレも思わず、ボレアスとまったく同じ言葉を繰り返してしまった。
瓦礫の目立つ広い道を、構わず土煙を撒き散らして疾走する集団。
見慣れない作りをした、奇妙な形状の武装車両。
「「「ヒャッハァー!!」」」
その上から轟く、無駄にテンションの高い雄叫び。
武装車両を乗り回し、思い思いの武器を手にしたならず者達。
彼らは、意味の分からない言葉で叫びながら。
この死んだ都を、完全に我が物顔で走り回っていた。
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