第九部:天の庭で竜を殺す

232話:無法の地にて

 

 荒涼とした風が、朽ち果てた都市を吹き抜ける。

 天を衝くように聳え立つ、無数の高層建築。

 そのどれもが例外なく色褪せ、さながら打ち捨てられた墓標だ。

 ここがかつて《天の庭バビロン》と呼ばれた巨大都市メガロポリスであった事。

 それを知る者は少なくないと思う。

 けれど、その繁栄を覚えている者は最早いない。

 何もかもが過去に消えて、今はただかつての理想郷の残骸が横たわるだけ。

 古くはあっただろう、人々の活気も何も――。

 

「「「ヒャッハァ――――!!」」」

 

 全て、消え去った。

 ならばこの地に、もう人は存在しないかと言えば。

 否、それは否だった。

 むしろ、余り良くない意味での生命力は溢れるほど。

 朽ちた都市の荒れ果てた道。

 整備する者もなく、途方もない年月が過ぎた後だ。

 瓦礫も散乱してボロボロの地面を、大きな影が走る。

 土煙を巻き上げ、派手な音を鳴らす鋼の塊。

 この土地の人間は、《戦争車ウォーマシン》などと呼ぶ戦闘用車両。

 無数の衝角ラムを生やした車体には、ゴツい機関銃が二門も搭載されている。

 車の上には四人ほどの男が、棍棒やら鉄槌ハンマーやら粗末な武器で武装していた。

 人間だけでなく、豚人オーク獣頭ライカンなどの亜人も混じっている。

 そんな《戦争車》が、合わせて三台。

 スパイク付きの車輪で大地を切りつけながら疾駆する。

 

「っ……は……!」

「走って! 早く!」

 

 そんな《戦争車》に追い立てられているのは、二人の小柄な影。

 襤褸ボロを纏った少年と少女。

 多分、まだどちらも十代半ばほどの年若い子供だ。

 必死に逃げ惑う二人を、《戦争車》はすぐには追い付かない。

 敢えて蛇行したり、速度を増減して威嚇する。

 楽しんでいるのだ、逃げ惑う獲物の様子を。

 気紛れに放たれる銃弾は、狙いも付けずに周囲の地面や瓦礫に着弾する。

 それを見て、男達はゲラゲラと笑うのだ。

 

「そら、ちゃんと逃げないと当てちまうぞ!」

「オイオイ、本気で狙うなよ。

 『外』から入って来た奴なんて久しぶりなんだ。

 しかもあんだけ若いとありゃあ、『使い道』は幾らでもある」

「なに、二人いるんだ。

 最悪かたっぽダメにしちまっても良いだろ」

 

 悍ましい言葉を吐き散らかしながら、男達は嘲笑う。

 ただ必死に逃げる他ない二人を。

 ……実際に、良く耐えた方だった。

 互いの生存のために発揮された、火事場の馬鹿力か。

 子供の体力と足では、到底無理なぐらいに少年少女は走り続ける。

 例え、生きているのが追っ手連中の気紛れだとしても。

 

「ッ……も、ダメ……!」

「しっかりしろよ! 諦めちゃダメだ……!」

 

 物理的な限界は、どうしようもなく訪れる。

 力尽きた少女の足がもつれて、少年はそれを支えようとする。

 しかし、肝心な少年の方も力が殆ど残っていなかった。

 支えようとしたが失敗し、二人揃って瓦礫混じりの地面を転がる。

 どうしようもない。

 追っ手の男達も、狩りの終わりを感じ取った様子で。

 

「ま、こんなもんだよなぁ」

「良く頑張った方じゃねぇか? 無駄だったけどな!」

 

 耳障りな声で大笑いしながら。

 倒れ伏した少年少女に向けて、《戦争車》を走らせる。

 そのまま轢き殺しそうな勢いで迫る鋼の塊。

 最早動くことすら儘ならない二人は、無力に身を寄せ合う。

 もしかしたら、本当に轢き殺すつもりかもしれないと。

 せめてその覚悟を決めて、どちらも硬く目を閉じて――。

 

「――くだらんな」

 

 その女の声と共に、激しい轟音が響く。

 直後、男達は焦りの声を上げた。

 

「な、なんだテメェは……!?」

「クソッ、動かねぇ! 一体どうなって……!!」

「どうもこうも、見ての通りだぞ?」

 

 突然の事態に、少年の方が戸惑いながら瞼を開く。

 そして、彼の目が最初に捉えた光景。

 

「えっ……?」

 

 一人の女が、突っ込んで来た《戦争車》の前に立ち塞がっていた。

 より正確に言えば、その車体を片手で止めている。

 前方フロントの部分に指を喰い込ませ、ガッチリと離さぬように。

 普通に考えれば、そんなことをしても意味がない。

 戦闘を目的として造られた車両、その馬力パワーは凄まじいものだ。

 けれど。

 

「オイ、何してんだよ!?」

「ほ、ホントに、まったく動かねェんだよ……!」

 

 動かない。

 操縦をしている男が、アレコレ試してみるが。

 赤黒く燃える髪を靡かせる女の細腕。

 それに掴まれただけで、車体はピクリとも動かなくなってしまった。

 車輪は無意味に地面を滑り、空回りするばかりだ。

 

「ふん、嫌になるな。この程度の力しか出せんとは」

 

 少年も少女も、思わず絶句してしまう奇跡。

 だがそれを行っている女は、酷く不満げだった。

 退屈な出し物を見た後みたいに眉を潜める。

 

「ま、贅沢は言えぬか。

 ――さて、少しぐらいは我の鬱憤を晴らさせてくれよ?」

「クソッ、なんだこの痴女……!?」

 

 痴女、とならず者の一人が叫んだ通り。

 赤い髪の女は一糸纏わぬ姿だ。

 そんなおかしな姿で、化け物じみた怪力で《戦争車》を片手で止める。

 出来の悪い悪夢としか言い様がない。

 故にならず者どもは混乱しながら、その異物イレギュラーを排除しようとした。

 しかし。

 

「おい、撃て! さっさと撃っちまえ!」

「さっきから試してるよ……!」

 

 三台の《戦争車》。

 それに搭載された機関銃を男達は動かそうとしていた。

 謎の痴女を、三つ分の火力で吹き飛ばすつもりで。

 操作して――けれど、一つの例外もなく動作は停止したまま。

 操縦を任されていた者が足掻いているが、何の効果もなかった。

 まるで、見えない力に妨害され続けているような。

 悲鳴じみた声に、赤い女は笑う。

 

「迂闊だったな、愚か者どもよ。

 まぁ精々、命を賭して己が過ちを自覚するといい」

 

 笑って、そして片腕を持ち上げた。

 突っ込んで来た、一台の《戦争車》を掴んでいた方の手を。

 容易く、まるで紙屑でも手に取るように。

 鋼の車体を、乗っているならず者達ごと持ち上げてしまった。

 赤い女は、苦しそうな様子を一切見せていない。

 二人の少年少女は、そんな現実とは思えない光景を茫然と見ているしかない。

 混乱するならず者たちには、更に追い打ちが掛かる。

 

「ぎっ!?」

「ガッ!?」

「ぐぇ……っ!?」

 

 《戦争車》が役に立たないと見切りを付けて。

 各々武器を手にし、車両から脱出しようとした男達。

 その内の何人かが悲鳴を上げてバタバタと薙ぎ倒された。

 行ったのは、赤い女ではない。

 いつの間にか現れた、黒い服の女。

 男物の衣装に身を包んで、紐で纏めた長い黒髪が風に揺れる。

 いきなり出現したその女が、ならず者達を素手で叩き伏せたのだ。

 早業過ぎて、やられた男達もロクに認識できていない。

 

「警告を。抵抗せず投降するなら、手荒な真似はしない。

 そのつもりがないなら、少し痛い目を見て貰おうか」

「クソッ、舐めやがって……!

 テメェら、俺達を誰だと――」

「うるせぇよ馬鹿ども」

 

 別の女の声が、ならず者の耳に届くのと同時に。

 ガチャリと。

 重い音を立てたのは、車両に搭載された機関銃だった。

 これまで、まったく操作を受け付けなくなったはずの火器。

 その全てが一斉に動き出し、しかも三台ともが別の車両に照準を合わせる。

 常から新参狩りに、他の集団グループとの抗争と。

 様々な状況で使っているならず者達は、その脅威を嫌というほど知っていた。

 普段は自分達が振り回している銃口が自分達を狙っている。

 その現実に、ならず者達の表情が目に見えて引き攣った。

 

「お前ら御自慢の玩具は、全部オレが掌握してる。

 ――警告はこれで最後だ。

 従わずにヤろうってんなら仕方ねェ」

 

 ならず者と少年少女の前に姿を見せる、三人目の女。

 褐色の肌に白い髪が特徴の彼女は、これ見よがしに片手の指を鳴らす。

 パチン、という乾いた音に合わせて。

 全ての機関銃が稼働し、それぞれ何もない方向に数度射撃してみせた。

 ――お前ら御自慢の玩具は、全部オレが掌握してる。

 その言葉が戯言でないことを、ならず者達は理解せざるを得なかった。

 

「言っとくが、オレよりそっちの姉さんや痴女の方が怖ェからな。

 善意で警告してやってんだから、大人しく聞いとけよ」

「……妹の、イーリスの言う通りだ。

 私達は兎も角、そちらのボレアス殿は加減も容赦もしてくれないぞ」

「人聞きの悪いことを言うではないか。

 ――まぁ、思い上がった弱者を嬲るのは嫌いではないがな」

 

 そう言いながら、赤い女が笑った。

 その笑みは、何か恐ろしい獣が牙を見せるような笑みだった。

 哀れなならず者達は、姉妹であるらしい二人の言葉を遅まきながら理解する。

 下手に逆らえば、この痴女みたいな化け物に殺されてしまう、と。

 先ほどまでの威勢など、どこかに吹き飛んだ様子で。

 十人以上もいたならず者達は、大人しく武器を捨てる他なかった。

 

「悪いけど、そっち頼むわ」

「あぁ、任せてくれ」

 

 褐色の女は、姉であるらしい黒い女に一声かけて。

 そのまま真っ直ぐ、地に伏した少年少女の元へと駆け寄った。

 現実離れした光景に、未だに思考が追いついてない二人。

 彼らに対し、女は躊躇なく手を差し伸べた。

 

「おい、立てるか?」

「え? あ、はい……!」

 

 反応を示したのは少年の方だった。

 彼が伸ばした震える手を、女は力強く握る。

 少女も少年に支えられながら、またどうにか両足で地面を踏み締めた。

 視線の方は、やや茫然としながら。

 投降したならず者達が、黒い女に無力化されていく光景を見ていた。

 

「お前ら、兄妹か?」

「……いえ。たまたま、一緒に逃げ出して……」

「そっか。あと、そんな警戒しなくて良い。

 その手の『逃げ出した奴』が駆け込んでくるって話は知ってる。

 ……で、あの手の人間狩りマンハントしてる連中がいるってのもな」

 

 やや忌々し気に呟きながら、褐色の女はならず者達を見た。

 

「あの……貴女達、は……?」

「通りすがりだ、正義の味方ってワケじゃねェけどな。

 ホントにたまたま見かけたから助けた。そんだけだよ」

「……ありがとう、御座います。本当に、もうダメかと……」

「礼なんざ良いよ。こっちはこっちで勝手にやったことだ」

 

 頭を下げる少年と少女に、女は軽く手を振ってみせた。

 何かを誤魔化すように、軽く咳払いをして。

 

「動けそうなら、このまま移動する。

 あの連中のお仲間が寄って来ても面倒だ。

 今、オレらが世話になってる《休息地オアシス》がある。

 そっちなら、ガキの二人ぐらい受け入れてくれるだろう」

「っ、ホントですか……!?」

「そんな嘘言っても仕方ねェだろ。

 そら、あっちも片付いたみたいだし行くぞ」

 

 少年少女を促して、女は二人の仲間達の方へと足を向ける。

 ならず者達の拘束は終わり、《戦争車》もほぼ無傷で確保できた。

 武装も少ない小型車両ではあるが、足としては便利だ。

 

「……いい加減、どうにかしねぇとな」

 

 ぽつりと、女は誰に聞かせるでもなく呟く。

 この辺りで活動をするようになってから、まだ数日ほど。

 焦りが無いワケではないが、焦っても仕方がない。

 それを彼女は重々承知していた。

 承知した上で、簡単に理性では割り切れない。

 今この場にはいない者達を思い、小さく重い吐息を漏らす。

 

「…………」

 

 そして見るのは、遠い空。

 分厚い霧に囲われた都市の残骸、その中心。

 かつては、天に届くほどの「塔」があったとされる空白。

 目指す場所と、それを阻む幾つかの障害を思う。

 

「……助けなんざいらねェかもしれないが。

 待ってろよ。こっちはこっちで、何とかしてやる」

 

 褐色の女――イーリスは決意を込めて呟いた。

 そうして彼女は思い返す。

 仲間の一部と別れた時と、その後のことを。


 

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