第二章:巡礼の道

356話:出発前の朝


 歓待の宴の後。

 俺たちは城の客室に案内されて、そこで一晩を過ごした。

 流石に疲れていたのもあり、全員朝までぐっすりだ。

 夢も見ないぐらいの深い眠り。

 目覚めを呼んできたのは意外な人物だった。


「……おい」

「……」

「おい、朝は来た。いい加減に目を覚ませ」

「……んんんっ……?」


 不機嫌さの滲んだ女の声。

 最初は勘違いかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 重い瞼を無理やり押し開ける。

 それと大きく欠伸をしてから身を起こした。

 城の寝台は微妙に硬い。

 傍らで身を寄せるアウローラ。

 その体から毛布がずり落ちてしまわぬようにだけ注意する。

 声の主が小さく唸った。


「良い身分だな、罪人。

 女を複数侍らせて、朝まで快眠か?」

「うん、良く眠れたわ。おはよう、アストレア」

「……気安く呼ぶな、不敬だぞ」


 アストレア。

 寝台から離れた場所に立っているのは、間違いなく神様だった。

 但し格好は、俺の知る金ピカの武装とは異なる。

 白を基調とした、動きやすそうな装束ドレスに着替えていた。

 睨む視線は、俺とその周りを一つ一つ確認するように巡っているようだ。

 アウローラと、俺を挟む形で逆側に眠るボレアス。

 寝台は広く、若干離れたところに姉妹も抱き合って眠っていた。

 他は俺より眠りが深いようで、まだ目を覚まさない。


「……で、起こしに来てくれたって認識で良いのか?」

「…………不本意ながら」


 ため息一つ。

 本当に、重い吐息を深々と吐き出す。

 棘のように刺さる敵意。

 それは変わらず消えていないが、今は随分と大人しい。

 さて、これは何かあったか?


「……できるだけ、急いで支度をしろ」

「うん?」

「《巡礼の道》。

 かつては《人界》へと至るための唯一の試練。

 その案内を私が務めてやる。

 モタモタと時間を掛けるつもりはない。

 寝ている連中も起こして、早々に準備に取り掛かれ」

「おぉ」


 カドゥルは説得に成功したようだ。

 不機嫌……とはまた少し違う暗い感情が見えるのだけは、微妙に気になる。

 単純に拝み倒されて根負けした、とは違うようだ。

 それについては聞いて良いものやら。


「…………」

「うん?」

「……こんな馬鹿な事を、聞く意味があるかは分からんが……」


 ちょっと悩んでいたら、アストレアが訝しげな顔をしていた。

 首を傾げると、躊躇いがちにそう前置きして。


「……何故、寝ていたのに兜は付けたままなんだ?」

「うん、そりゃ初見なら気になるよな」


 仮に俺が同じ立場でも、多分それは聞いてしまうと思う。

 どう説明するかな。

 いやまぁ、どうも何もそのまま言う以外ないが。


「自分じゃ外せないんだよ、コレ」

「は?」

「こっちに寝てる、アウローラな。

 彼女が魔法でくっつけてるから、基本自力じゃ取れないの。

 だから寝る時とかそのまんまだな」

「……意味が分からん」

「だろうなぁ。

 流石に鎧付けっぱだと寝にくいから、兜以外は寝る前に外して貰ってるけどな」

「見せるな、目が穢れる」


 被ってる毛布をちょっと持ち上げたら、凄い声で威嚇された。

 半裸ぐらいでそう怒らずとも。

 アストレアは頭痛を堪えるように、指で軽くこめかみを抑えた。

 それからもう一度ため息を吐き出して。


「……必要なことは伝えた。

 私は昨日と同じ広間で待っている。

 これ以上、私の怒りに触れたくないなら急いで来い」


 と、そう言ってアストレアは部屋を出ようとする。


「アストレア」

「……何だ?」

「ありがとうな、案内役を受けてくれて」


 細かい経緯は不明だが、俺にとって重要なのはその一点だ。

 《人界》へ向かうための《巡礼の道》。

 良く知らない場所を手探りで行くのは流石に難易度が高い。

 色々あるだろうが、引き受けてくれた事には感謝するべきだろう。

 俺の言葉を聞いたアストレアは、一瞬その場で固まって。


「……私は、必要があるからそうするだけの事。

 罪人であるお前に礼を言われる筋合いはない」

「それでも一応な? 実際こっちは助かるし」

「っ……」


 不快……というのとは、少し違うか?

 奥歯を小さく軋ませ、アストレアは俺を睨む。

 どちらかというと、意地を張った子供の表情で。


「……余計なことはいい。

 私は行く、あまり待たせるようなら罰を下すぞ」


 最後にそう言って、アストレアは足早に部屋から去っていった。

 うーん、ホントにストレス凄そうだな。


「……行ったか?」

「あぁ。おはよう、イーリス」

「おはよ。ちなみにさっきの、わざとやったわけじゃねェよな?」

「キレるかなぁ、とはちょっと思ってた」

「予想通りだったな」


 冗談めかして笑うイーリスに、つられて俺も笑ってしまった。


「あんなキレ散らかしてばっかだと、こっちが心配になってくるな」

「何をどう心配してんのかは聞かねェけどな。

 向こうだってありがた迷惑だろ」

「それはそうだなぁ」


 言葉を交わしながら、イーリスもひょいっと身を起こす。

 そして自分の腰辺りに抱きついてる姉に手を伸ばし。


「姉さん、朝だぞ。いい加減に起きろよ」

「んんっ……」


 その頬をペチペチと叩いて目覚めを促す。

 さて、こっちもこっちで起こすか。

 できれば寝かせておいてやりたいが、手間取ると神様がまたキレかねない。

 先ずはアウローラの髪を指で撫でて。


「アウローラ?」

「すぅ……」


 呼びかけるが、すぐには目を覚まさない。

 何度も梳くように髪を撫でてから、少し顔を寄せる。


「アウローラ、朝だぞ」

「……ん」


 ぼんやりと開かれた眼。

 焦点がいまいち定まっていない瞳。

 それが兜越しの俺の視線を見つめ返す。

 寝ぼけている様子だが、伸びる手は意外なほど素早かった。

 兜の正面をずらすと、温もりが唇に触れる。

 甘えて啄む仕草はどこかひな鳥にも似ていた。

 そうして愛らしく微笑む少女。

 何も知らなければ、その本性が恐るべき古竜だと誰も思うまい。


「おはよう、レックス。

 さっき、誰かいたような気がしたのだけど」

「おはよう、アウローラ。

 アストレアが《巡礼の道》とやらの案内を引き受けてくれるそうだ。

 身支度はちょっと急いだ方が良いかも」

「ふむ……? なんだ、結局あの女は引き受けたのか?」


 起き抜けの第一声。

 微妙に眠気の残る言葉と共に、ボレアスものそのそと身を起こす。

 常と同じく全裸だが、竜である彼女は特に寒くもなさそうだ。


「おはよう、ボレアス。

 カドゥルの説得が効いたのか、それとは別に理由があるのか。

 なんとなく後者な気はするんだけどな」

「ま、そこはどうでも良かろう。

 《人界》とやらを目指すアテが出来た。

 我らにとって重要なのはそれだけであろうしな」


 それは間違いなく正論だった。

 感情は交えず、ただ欠伸混じりにボレアスは語る。

 俺としては、もうちょっとぐらい関係を良くしておきたい気持ちはあった。

 案内は終わったから、改めて裁きを下す! ……とか。

 そういう話になるのもちょいと面倒だしな。


「姉さん、起きたか?」

「あぁ、ありがとうイーリス。大丈夫だから」

「おう、テレサもおはよう」

「おはよう御座います、レックス殿。

 すみません、少々寝覚めが悪くて……」

「大丈夫、大丈夫」


 テレサも微妙に眠気が残っている様子だ。

 この《巨人の大盤》に来てから、まともな寝床で眠ったのはこれが初だ。

 少々寝すぎてしまうのも無理はない。

 とはいえ、あまりぐずぐずもしてられない状況だ。

 寝台から降りたら、そのまま外しておいた甲冑の一部を手に取る。


「手伝うわ」

「悪いな、頼む」


 アウローラも、起きたばかりで半裸に近い状態だ。

 けど彼女は気にせず、俺が鎧を纏う方を優先してくれた。

 全身甲冑を着込むのも、魔法の助けがあればあっという間だ。


「よしっ、ありがとうな」

「どういたしまして。

 さ、他もさっさと着替えてしまいましょう?」

「まったく、いつ見ても不便というか面倒な話よな」

「裸族は黙ってろよ、いやマジで」


 余裕そうに寝台に横たわったままのボレアスに、イーリスのツッコミが刺さった。

 刺さったが、本人がノーダメージなのであんまり意味はなかったが。

 逆にこっちを憐れんでるぐらいの顔をしてるが、深く考えるのは止そう。

 何だかんだと付き合いの長いボレアスだが、こればかりは横たわる溝は深い。


「裸族の戯言は置いとくとして。

 着替え終わったら、テレサもイーリスもちょっとこっちに来なさい。

 身に着けてる物に改めて守りの魔法を施して上げるから」

「それは俺もやってくれる感じか?」

「貴方はもう、今甲冑を着せるついでに済ませましたから」

「仕事が早い」


 正直、言われるまで気付かなかった。

 確かに良く見ると、鎧に付いた大きな傷などが消えていた。

 眼を凝らせば、複数の術式が装甲の表面で脈動しているのも感じられた。

 敢えて分かりにくいよう、隠蔽も同時に施されてるのかもしれない。

 この辺りはアウローラの技術が高度過ぎて、俺じゃあ完全には理解不能だ。

 改めて甲冑の各部位を確かめる俺を見て、アウローラはクスリと笑った。

 

「《巡礼の道》とやらがどれだけ危険か分からないもの。

 可能な限りの備えはしておきましょう?」

「あぁ、ありがとうな」


 アウローラの頭をわしゃりと撫でる。

 彼女はくすぐったそうにしながら微笑んだ。

 そうしてから、テレサやイーリスについても素早く術式を施していく。

 正しく術が発動しているか。

 並ぶ姉妹の腕や足に触れてから、アウローラは一つ頷く。


「問題ないわ。そちらも違和感はないわね?」

「ええ、感謝します。主よ」

「助かる。……まぁ、オレは戦うには色々キツそうだけど」

「役割の向き不向きがあるから、そこは気にしないわ。

 とりあえず鬼や《巨人》に絡まれても、すぐ死ぬ事がなければ十分。

 ……まぁ、流石に神様相手には心許ないけどね」

「《人界》の神か。あのアストレアを含めて十いるという話だったな。

 刃を交えると思うか? 竜殺しよ」

「それは俺に聞かれても分からんけどな」


 ボレアスの問いに、俺は小さく肩を竦める。

 ただ、アストレアは《巡礼の道》のことを「試練」とも口にしていた。

 試練であるのなら、挑む者を阻むための障害は確実にある。

 そしてこの場合、与える側こそが《人界》の神ならば。


「――ま、何とかするだけだ」


 結論としては、その一言。

 その言葉に、ボレアスは愉快げに喉を鳴らした。


「いつもの事と言えばいつもの事だが。

 勝算はあるか?

 あの『地砕き』という《巨人》はまだしも。

 結局、アストレア相手には胸を張って『勝った』とは言えまい」

「それはそうだけどな」


 頷く。

 ボレアスの発言に機嫌を悪くしたアウローラ。

 宥めるつもりで彼女の髪を撫でて。


「まぁ、また神様と戦うのかどうか。

 それがどんな相手かも、今の段階じゃ分からないからな。

 だからハッキリとした事を言えるわけじゃない」


 けれど。


「勝つさ。それが試練であれ何であれな。

 今までも、これからも。

 俺がやれる事はそのぐらいだ」

「……アストレア辺りが聞いたら、またブチギレられそうな物言いね?」

「かもな」


 撫でる俺の手に頬を寄せて、アウローラは悪戯っぽく笑った。

 さて、それは兎も角だ。


「準備も良さそうだし。

 先ずは遅刻で神様がキレる前に、急いで行くか」

「まぁ、もうとっくにキレてそうだけどな」

「イーリス」


 妹の皮肉を姉が嗜めるのを聞きながら。

 俺たちは客室を出て、昨日と同じ広間へと足を向けた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る