357話:最も古き試練


「……《巡礼の道》とは、古くは《人界ミッドガル》が創造された時代。

 神代と呼ぶべき神話の時から存在すると言われている。

 私も、その歴史について全てを知っているわけではない」


 淡々と、可能な限り感情を排した声で。

 裁きの神、アストレアは俺たちに向けて語り聞かせる。

 彼女からすれば、こっちは今すぐにでも裁きたい罪人のはず。

 その衝動を胸の内に抑え込んで、冷静に振る舞い続ける努力はどれほどのものか。

 ……予想通り、広間でいっぺん爆発した事については考えないでおこう。

 今も、実際は微妙にイライラしてるのが気配として伝わってくる。


「《人界》はその名が示す通り、脆弱な人類を護るための楽園だ。

 既に十分な数の選ばれた者たちが、その内で平和に暮らしている。

 『人類を護る』という目的そのものは、既に果たされていると言って良い」

「――ま、全員が全員そう思っているワケじゃあないがな」


 アストレアの説明に、軽く口を挟んだのはカドゥルだ。


「選ばれ、《人界》で生きられる者は本当にごく一握り。

 それではあまりに慈悲が薄いのではないかと、そう嘆く者がいたのも事実。

 その祈りに応えるために開かれたのが……」

「《巡礼の道》。最も古き神の試練。

 ……私が説明している時に、余計な口を挟むな」

「おっと、こりゃすまんな!」


 特に悪びれた様子もなく、カドゥルはガハハと笑った。

 そちらを睨みつつ、アストレアは舌打ち一つ。


「……選ばれなかった人間が、自ら『選んで』向かう試練の道。

 それこそが《巡礼の道》の存在する意義。

 この《国》は、その入り口手前に存在している」

「――で、俺たちが向かってるのがその『入り口』のあるところか」

「その通りだ」


 俺の確認に対しては、特に舌打ちはされなかった。

 無感情を装った声に不機嫌さがにじみ出たが、まぁそれはそれだ。

 ――先頭を進むのは、案内人であるアストレア。

 その傍らにはカドゥルが同行している。

 それに続く形で俺やアウローラを含めた大陸出身チーム。

 やや遅れて、《巨人殺し》とトウテツの現地組二人が付いてくる。

 広間で集合した後、俺たちはすぐにカドゥルの城を出た。

 そのまま街並みを横切り、向かっているのはこの《国》の北端。

 どうやら其処に、今しがたアストレアが語った『入り口』があるようだ。


「繰り返すが、私の役目はあくまで『案内』だ。

 《巡礼の道》から外れてしまわぬよう、進むべき先を示すだけ。

 そこでお前たちを襲う脅威や災厄に関しては、私は一切手を出さない。

 それでは試練の意味がなくなってしまう」

「ま、それは当然だよな」

「一応、どういう試練なのかぐらいは聞いても良いかしら?」


 微妙に刺々しい声を出すアウローラ。

 問いかけそのものは穏当だが。


「答える義務はない。

 私の役目は『案内』のみ。

 それ以外の一切をお前たちに施す必要はない」

「ふんっ。まぁ期待はしてないわよ?

 ただ神様を名乗る割に、随分と狭量みたいね。

 もう少しぐらい余裕を持った方が良いと思いますけど?」

「……罪人が、図に乗るなよ。

 神への侮辱、どれほどの罪になるのか教えてやらねば分からんのか?」

「二人とも落ち着けって」


 うーん、ホントに火が点くのは一瞬だな。

 とりあえず唸るアウローラは抱えて確保しておく。

 基本、脳筋ですぐ火力に訴えがちなボレアスも呆れ顔だ。


「長子殿。

 腹が立つのは分かるが、話が進まんから程々にしておけよ?」

「……貴女は意外と冷静なのね」

「我が冷静というより、単純にそちらの落ち着きが足りないだけだと思うぞ」

「オイ、言われてんぞ」

「イーリスもちょっと黙ってなさい」


 ボレアスの言葉に便乗する形で、イーリスのツッコミも飛んできた。

 流石に身内からの口撃はアウローラでも響いたらしい。

 ちょっと頬を染めて、こほんと一つ咳払い。


「……確認だけど。

 《巨人殺し》はこのまま私たちと一緒に来る、で良いのよね?」

「そうね。問題ないわ」


 温度のない表情で、名前を持たない少女は頷く。

 俺たちの中では、恐らく一番表に出る感情の色が希薄だろう彼女。

 そこから意図や目的を推し量るのは難しい。

 ただ、一応そこまで同行してくれる理由を確認したら。


「別に。なんとなくよ」


 返ってきたのはその二言だけだった。

 こっちとしては非常にありがたい話ではある。

 だが、《巨人殺し》の方は得するような事はないんじゃないか?

 その点だけはちょっと心配だったが。


「……《巡礼の道》にも《巨人》はいる。

 むしろ、道を行く旅人にとって一番の脅威は荒野を彷徨う《巨人》ども。

 私は《巨人》を殺すだけだから、同行する上での不利益もないわ。

 だから気にしないで」

「そうか、助かるわ。ありがとうな」


 素直に礼を口にすると、少女はほんの少しだけ笑った。

 懐に潜り込んでる相棒は妙に口数が少ない。

 それもまぁ、こっちが気にするのは野暮かもしれないな。

 必要があれば、《巨人殺し》が何とかするだろう。


「すまんが、ワシはここまでだな。

 《巡礼の道》とやらも、興味がないワケではないが」


 そう言ったのはトウテツだった。

 これもまた城を出る前に聞いていた事だ。

 何だかんだと、ここまで付き合ってくれた大鬼トウテツ。

 彼が今同行しているのは、あくまで俺たちの見送りのためだった。


「短い間だったが、色々助かったよ」

「なに、成り行きではあるがワシもなかなか楽しめた。

 暫くは《国》に留まり、また力を蓄えたら独立するつもりだ。

 万が一でも縁があったなら、その時は改めて客人として迎えよう」

「もしそうなったら、お言葉に甘えさせて貰うよ」


 互いの言葉を互いに笑う。

 それは十中八九、果たされる事のない約束だと分かっていた。

 《人界》に辿り着き、仮に正しく望みを叶えられたなら。

 俺たちはそのまま大陸に戻るはずだ。

 遥かな海と、次元の連続性を断ち切る障壁に隔たれた二つの地。

 此処で別れたなら、再び会うのは相当難しいだろう。


「神の試練などに、命を落としてくれるなよ。

 人間の友よ。ワシはまだお前に勝ってはいないのだからな」

「分かってる。ありがとうな」

「なんの、礼を言われる事はしておらんわ!」


 変わらぬ呵々大笑。

 生きても死んでも、いずれどこかで別れるのは世の常だ。

 湿っぽさを感じるような間柄でもなし。

 トウテツの態度はいっそ清々しいぐらいだ。


「……無駄話は終わったか?」


 そして先頭から響いてくる、不機嫌そうな神様の声。

 未だに《国》の内側だが、辺りに人気はない。

 石造りの建物は点在しているが、等しく無人だ。

 打ち捨てられてから随分と年月が経っているようにも見えるが……。


「昔は、ここらもそこそこ賑わっておったんだがなぁ」


 周りを見る視線に気付いたか、カドゥルはぼやくように言った。


「《巡礼の道》へ向かう者がいなくなってからは、まぁ見ての通りよ。

 道から逆流してくる《巨人》も多いのでな。

 今は居住区としては放棄し、入り込んだ《巨人》を叩くための狩猟場代わりよ」

「なるほどなぁ」

「…………」


 おっと、これも無駄話カウントだったらしい。

 アストレアからイライラした空気がモワモワと溢れてきた。

 心なしか、進む足も早まっている気がする。

 そんな神様の様子にイーリスは呆れた顔をしていたが、特に何も言わなかった。

 何か言おうとする前に口を塞ぐつもりの姉がスタンバってるからだろう。

 ここまでは、平和で何事もなく。

 やがて俺たちは、その場所に辿り着いた。


「……ここが?」

「その通りだ」


 視線は前方――先頭のアストレアを越えて、更に向こうの景色。

 カドゥルの《国》、その最北端。

 崩れた壁と、破壊された城門。

 広がるのはこれまで見てきたものと同じ荒野だった。

 そう、同じはずだ。

 少なくとも、目で確認できる範囲ではおかしな事は何もない。

 死んだ大地が延々と続いているだけの景色。

 だが、何故か。

 不思議と、嫌な感じに胸がざわついてくる。


「……本能的に危険を感じ取っているようだな」


 そんな俺を観察するように見ながら、アストレアは小さく呟く。


「先ほど語った通りだ。

 《巡礼の道》とは、理想郷に招かれなかった者が行く最後の試練。

 試練とは『乗り越えられる者を選ぶ』ためのものではない。

 『乗り越えられない者を切り捨てる』ためのものだ」

「……その二つは、どう違うのですか?」

「分からんか?

 《巡礼の道》に挑んだ者は死ぬ、と言っているんだ」


 返ってきた答えに、テレサは僅かに息を呑む。

 乗り越えて貰うためにあるわけではなく。

 これを乗り越えられないなら諦めて死ね、と。

 言ってしまえば処刑場みたいなものか。

 選ばれず、それでも諦めきれない者たちが首を捧げる断頭台。

 この地の神様にとっては、それすら慈悲なのだろうか。


「趣味の悪いこと。

 ホント、《人界》の王とやらはロクでもなさそうね」

「かつての長子殿と比べても負けず劣らずだな」

「ぶっ飛ばすわよ??」

「だから無駄な喧嘩すんなって」


 ボレアスの茶々で一瞬にしてキレるアウローラ。

 こっちはイーリスのツッコミに合わせて、怒れる頭をゆっくり撫でる。


「……さて、オレ様も此処までだな」


 そう言って、カドゥルは胸の前で腕を組む。


「同行したいのは山々だが、これでも《国》のボスなんでな。

 流石に長く玉座を空けるワケにもいかん」

「短い間だったが、世話になったよ。ありがとうな」

「お前たちの来訪は、友が無事に望みを果たした証明でもある。

 礼を言うのはこちらだ、旅人たちよ。

 もし機会があれば、また気軽に立ち寄ってくれ。

 いつだって良き友人として出迎えよう」

「あぁ。今度は手土産でも用意しておくわ」


 差し出された大きな手。

 それに応えて手を伸ばせば、ぎゅっと柔らかい力で包まれた。

 握手、というより一方的に手を握られた感じだが。

 カドゥルは、姉妹にもそれぞれ同じようにして。


「そちらも。番とは知らず、無礼を働いて悪かったな」

「……まぁ、それはもう気にしてませんから。

 世話になったのは事実だから、それについては感謝を」


 アウローラも、思うところはあれど素直に応じていた。

 ボレアスはおざなりだが、こっちはまぁ仕方ない。


「……今度こそ、もう良いな?」

「おう、すまんな。アストレア。

 オレ様は同行できんが、役目を正しく果たせるよう祈っているぞ」

「余計なお世話だ。

 ……もう二度とは会わん。

 本来なら、最も古き悪であるお前を見逃す事などあり得んが」


 笑って見送る構えのカドゥル。

 その顔を睨んだまま、アストレアは言葉を続ける。

 

「今の私は《裁神》の義務からは外されている。

 だからこの場で裁く事もしない。神の慈悲に感謝しておけ」

「ガハハハハ! あぁ、お前ほど愛らしく優しい神はそうおらんだろうなぁ!」

「黙れ、前言を翻しても良いんだぞ」


 アストレアは唸って威嚇するが、あんまり効果はなさそうだった。

 それを悟ったか、神様は鬼の女王からはすぐ視線を外す。

 そして一歩、二歩と。

 俺たちに先んじて、壊れた城壁の向こうへと踏み出した。

 荒れ果てた大地の上に立ち、こちらを振り向く。


「――この境界を出たなら、そこはもう《巡礼の道》の真上。

 私はお前たちが進むべき道を示そう。

 降りかかる災厄と困難は、お前たち自身の力で払え。

 そしてそれらの災いは、一歩踏み出した瞬間から始まるものと心得ろ」

「分かった。説明ありがとうな」

「…………」


 礼を言っただけだが、やっぱり睨まれてしまった。

 もうちょっと素直な心で受け取って欲しい。


「そういうとこだぞスケベ兜」

「その罵倒はちょっと理不尽過ぎでは??」

「アホなことを言ってると、また神様の機嫌を損ねるぞ。

 行くのだろう、竜殺し」

「あぁ、勿論だ」


 災厄やら困難がどんなものかは不明だが。

 見送るカドゥルとトウテツの視線を受けながら、俺たちは進む。

 先に境界の向こうで待つアストレアの方へと。

 壊れた門の手前辺りに来たら、剣の柄に手を掛けておく。


「行くか」

「ええ、行きましょう」

「何が起こるのか、なかなか胸が躍るな」


 笑うアウローラとボレアスに、一つ頷き返す。

 越える前に姉妹の方も見て。


「大丈夫か?」

「心配いらねーからさっさと行こうぜ」

「妹のことは、どうぞ私にお任せを」

「よし」


 イーリスとテレサも特に問題はなさそうだ。

 残る《巨人殺し》については、わざわざ確認するまでもない。

 俺は躊躇うことなく、門の向こうの荒野へと踏み出す。


「…………っ!?」


 それとほぼ同時に。

 いきなり大地が激しく揺れ動いた。

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