第六章:そして、彼は竜となる

55話:千年の狩猟


 赤い月の下で、獣の咆哮が響き渡る。

 森の木々を薙ぎ倒して、歪な巨狼が迫る。

 上から叩き付けてくる爪を躱し、大きく開いた顎を剣で削る。

 苦痛に怯んだ隙に足下を潜り、同時に喉元を切り裂いた。

 ドス黒い血を少々浴びてしまうが、構う事はない。

 手は緩めず、更に腹と四肢を適当に刻んでから巨体の下を抜ける。

 さて、これで何体目だったか。

 群がる《竜体》と化したサル何とかは本当にしぶとい。

 俺も頑張って剣一本で解体して回っているが、流石に簡単には死なない。

 首を切り落として頭を潰せばようやくだ。

 そんな俺とは違って、王様二人は実にやりたい放題だった。

 

「ハハハハハハハ――!!」

 

 心底楽しそうに笑いながら、ボレアスが腕を回す。

 サル何とかの一匹をその手に掴み、さながら鈍器の如く雑に振り回していた。

 巨大な質量同士がぶつかり合う破滅的な轟音。

 叩き潰された真竜の血肉が派手にぶちまけられる。

 

「まったく、品性の欠片もない戦い方ね」

 

 呆れ混じりに呟きつつ、アウローラの方も容赦はない。

 普段は俺のサポートやイーリス達の保護で、彼女が直接戦う事は少ない。

 だがいざ戦闘するとなれば、その魔法の手腕は正に悪夢そのものだ。

 詠唱は殆ど口にせず、ただ視線や指先を向ける。

 それだけの事で、巨狼は時に凍りつき、時に炎に呑まれる。

 中には四肢や胴体を塵に変えられる者もいた。

 

「魔法ばかりに頼るのも如何なものかと思うがなぁ、長子殿?」

「魔力使い過ぎると燃料切れ起こすお前が言っても説得力無いでしょうに」

 

 言葉の棘でお互いをチクチクと牽制し合う二人。

 うーん仲良き事は何とやらか。

 それは兎も角、本当にしぶといなコイツ。

 

「よ、っと」

 

 足の一本を潰し、バランスを崩した巨狼の上へと駆け上がる。

 暴れて振り落とされる前に、剣の切っ先を無駄にデカい頭蓋に叩き込む。

 多少硬いが問題はない。

 素早く刃で叩いて中身を潰し、即座に其処から離れる。

 やや遅れて飛び掛かって来た別の巨狼が、砕けた頭を思い切り噛み砕いた。

 共食いというか、自分喰いというか。

 更に別の巨狼の足を切断し、爪や牙を剣で弾く。

 

「やっぱアウローラ達のようには行かんな。

 一応頑張って削っちゃいるんだが」

 

 此方が荒れ狂う群れの中で一匹二匹と削ってる間に。

 竜王である二人は、何匹かを纏めて消し飛ばすか粉々にしてしまうのだ。

 うーむ、やはりその辺は格が違うな。

 敢えて競ってるつもりはないが、もうちょっと頑張らんと。

 そんな俺の言葉に、当の二人(?)はというと。

 

「……率直に言って、その中を平気で剣振り回してる貴方も大概だからね?」

「かつての我を正面から討ったのだから、これぐらいは当然だろうよ」

 

 アウローラは呆れ半分に、ボレアスは何故か自慢げであった。

 正直、その辺の評価は自分ではイマイチ分からんが。

 とりあえず真竜を叩き潰す作業に専念する。

 群れの数は……ぱっと見だとそれなりに減っている気はする。

 奴の言う事が真実であれば、土地からの魔力がある限りは不死身だそうだが。

 

『お、のれ……! おのれおのれおのれ……ッ!!』

 

 怨嗟の声には苦痛の色が濃い。

 無数にある獣の口は、全て同じ言葉を吐き散らす。

 

『何故、だ……!

 我は真竜、この森の王たるサルガタナスだぞ……!?

 その我が何故、人間の一人すら殺せぬ……!!』

 

 心底理解出来ないようで、真竜――サルガタナスは吼える。

 何故、とか言われてもな。

 こっちとしては、別に驚く事でも何でもない。

 ハッキリと言ってしまえば。

 

「いやだってお前、ちょっとデカくて速いだけだろ。

 あぁ、後は数も多いか」

 

 真竜の疑問に応じながら、動きは一秒でも止めない。

 巨大な獣の間を走り、常に届く範囲を剣で切り裂き続ける。

 足を切断すれば動きは鈍り、そうなったら首や頭などの急所を狙う。

 一匹を潰したら、また別の一匹へ。

 しぶとくて面倒だが、問題なく潰せる。

 俺の言葉に絶句しながらも、サルガタナス達は怒れる獣の如く襲って来る。

 ただ爪と牙を向けて飛び掛かってくるだけ。

 特に獣同士の連携もない以上、良く見て対処すれば脅威ではない。

 避けて、弾いて、切り裂く。その繰り返しだ。

 アウローラとボレアスが最初に数を減らしてくれたのも大きかった。

 おかげで、然程苦労せずに立ち回る事が出来る。

 

『ッ……何者だ、貴様、何者――!!』

 

 サルガタナスの意識は、今や俺の方へと注がれていた。

 俺よりもアウローラ達の方がよっぽど派手に暴れていると思うが。

 まぁこっちに集中してくれるなら結構だ。

 

「竜殺しだよ。

 お前は二匹目だって、言ったと思うけどな」

 

 とりあえず、それだけは答えてやった。

 今や恐怖を映し始めた獣の眼を、振り下ろした剣で両断する。

 相手が限界に達するまで、只管削り続けようか。

 そう思い、更に剣を振るうが。

 

「レックス、

「うん??」

 

 アウローラが奇妙な事を言い出した。

 逃げる、とは。

 目の前にはまだ無数の巨狼がひしめき合っている。

 ボレアスの方も何かに気付いたようで、小さく鼻を鳴らす。

 

「鈍い奴め。一匹、この群れから離れて奥へ逃げたぞ。

 奴は群れ全てが己だとほざいていたが、「核」を作って離したな。

 余程恐ろしかったのだろうな」

 

 臆病者の畜生がと、ボレアスはつまらなそうに吐き捨てた。

 要するに、サルガタナスの本体が思い切り逃げ出したと。

 

「それちょっと拙くないか?」

「面倒なのは確かね。群れは足止めに残されちゃったし」

 

 大分減ったとはいえ、まだまだかなりの数が森で蠢いている。

 俺は兎も角、大量破壊が得意な娘二人なら程なく殲滅は出来るだろうけど。

 それでも森の奥に逃げる程度の時間は稼がれるか。

 

「追い掛けるなら、こっちは引き受けるけど」

「良いか?」

「それが面倒も少なかろうよ。

 余りもたつくようなら、我がさっさと追い付いて喰らってやるがな」

 

 ボレアスは笑いながら、片手で巨狼の頭を粉砕する。

 この二人の心配をするのは、まぁ俺が身の程知らずになりそうだな。

 

「悪いが、頼んだ。直ぐに片付ける」

「別に平気だから、気を付けて行ってね」

 

 アウローラの頭をわしゃりと撫でてから、俺は群れの中を突っ切る。

 追いかけようとした奴は、後方から飛んできた魔法の雨で粉砕された。

 黒い獣達の間を抜け、赤く染まった森に飛び込む。

 追跡そのものは割と容易だった。

 デカブツが慌てて逃げた痕跡は、探すまでも無く目に入る。

 俺は《跳躍》の呪文を発動し、一気に跳んで距離を潰す。

 木に激突する間抜けだけは避けるべく、その辺は意識しながら。

 

「……いたな」

 

 目に映るのは、黒い狼の後ろ姿。

 追ってくる此方の気配に気付いたか、獣は逃げる足を速める。

 何とか引き離そうって腹積もりか。

 させじと俺も走るが、なかなか距離は縮まらない。

 森の複雑な地形を、獣と化したサルガタナスは器用に駆け抜けていく。

 その後ろ姿からは必死さすら滲んでいた。

 

「待てコラ……!!」

 

 そんなんで待つ奴はこの世にいない。

 そうとは知りながらも思わず言ってしまう。

 当たり前だが、サルガタナスもそれで足を止めたりはしない。

 走りながら、尾を引く影が波打った。

 其処から沸き出すのは既に見慣れた黒狼の群れだ。

 

「足止めか」

 

 突然小賢しいなこの野郎。

 出来れば無視したいが、進路を塞がれてはそうもいかない。

 邪魔になるのだけを剣で斬り裂き、生じた隙間を無理やり突き抜ける。

 全部を相手にしている暇はない。

 多少噛みつかれたり引っ掻かれたりするが、とりあえず我慢する。

 森の奥へと逃げる獣だけは見失わぬように。

 

「しかし、これで逃げてどうする気だ……?」

 

 正直分からんが、逃がすつもりはない。

 走って、足止めの黒狼を蹴り飛ばしてまた走る。

 その繰り返しをどれだけ続けたか。

 やがて。

 

「む……?」

 

 視界が開けた。

 生い茂る枝葉を抜けた先。

 其処にはとんでもないサイズの巨木が聳え立っていた。

 周囲は不自然なほど開けており、地面には僅かな草花しか生えていない。

 まるで巨木の持つ生命力に、他の草木が圧倒されているような。

 その巨木の根元にサルガタナスの姿はあった。

 獣の顔を笑みの形に歪めて。

 

『此処まで追ってくるとはな……!

 だが遅い、この「深淵」ある限り、ワシに敗北はない……!』

 

 吼えるサルガタナス。

 それに応えるように、周囲の空気がざわめく。

 巨木から放たれる強い魔力が辺り一面を包み始めていた。

 これは少しヤバい奴か?

 何が起こるか分からんが、最低限剣を構えて備える。

 真竜は木の根を足で踏み締めて、勝ち誇るように笑い声を上げた。

 

『後悔するがいい! この森の深奥まで足を踏み入れたことを!

 このまま土地の魔力を喰らい尽くし、我が王たる真の力を見せて――』

「それは制御が不可能に近いと、今までやらなかった事だろうに」

 

 欠片の躊躇も無くバッサリと。

 真竜の戯言を斬り裂いたのは、聞き覚えのある声だった。

 それと同時に、サルガタナスの頭を何かが貫く。

 上から――恐らく、あの巨木の枝辺りに身を潜めていたのだろう。

 一人の男が、黒い獣の背を踏みつけていた。

 少し距離はあるが、その姿は見間違えようもない。

 

「ウィリアムか」

『ッ、ウィリアムだと……!?』

 

 苦痛と驚愕、それに困惑。

 無数の感情を綯交ぜにして真竜は叫んだ。

 ウィリアムは手にした剣――淡く輝く細身の剣で、真竜の頭を裂いていく。

 不思議と、その傷口から血は流れなかった。

 

「森の聖域たる「深淵」の魔力は、周辺一帯の森全てを支える要だ。

 精霊と繋がるその力、お前如きに飲み干せるものかよ。

 精々切れ端を利用して、不死身を気取るのが限度だろうにな」

『き、さま……っ、何故……!?』

「その辺りはウェルキンに説明したばかりでな。

 要するに死んだフリをしていたというだけの話だ」

 

 まぁそんなところだろうなぁ。

 大人しく死ぬわけがないと思っていたが。

 とりあえず警戒はしたまま、成り行きを見守る事にする。

 真竜はウィリアムを振り払おうと藻掻いているが、それに大した意味はない。

 むしろ既に刺さった刃を、より深く食い込ませるだけで終わった。

 

「無駄だ、《月鱗ムーンブレード》の真の刃だ。お前は此処で死ぬ」

『死ぬ、だと……!?

 馬鹿な、ワシは不滅の真なる竜で……!』

「この世に死なぬ者、滅びぬ者があるものか。

 お前は単に、他より多少しぶといだけだ」

 

 無慈悲な宣告。

 そしてウィリアムは、死刑執行人そのままに刃を動かす。

 サルガタナスは身動ぎをするが、それだけだ。

 

『待て、待て!! ワシを殺してどうなる!?

 森にはまた別の真竜が手を伸ばすだけだぞ!

 ワシを殺しても、何の意味は……!」

「意味はある。ただ殺すだけだと誰が言った?」

 

 さて、糞エルフウィリアムは一体何をする気だ?

 完全に見物している状態だが、まぁ此処は見ているべきだろう。

 下手な横槍で事態が拗れても面倒だ。

 

 その為に、此処まで手をかけたんだ」

『奪う、だと……!? そんな事が出来るわけが……!』

「出来る。お前達がかつて古竜の魂を喰ったようにな。

 むしろお前達以外の者では何故できないと思った?

 俺には千年の時間があり、お前という実例も存在した。

 ならば出来て当然だろう」

 

 あ、こりゃヤバいな。

 そうは思ったし、サルガタナスも同じことを考えたろう。

 だが全て手遅れだった。

 

「千年、戦いも狩りも忘れ、ただ享楽を貪る時間は楽しかっただろう?

 怠惰に溺れたお前は、単に力が大きいだけの木偶だ。

 俺がそうなるように仕向け、お前はその通りになった。

 だから今、こうして無様を晒している」

 

 月光を宿す剣に貫かれ、真竜は吼えた。

 それは断末魔の絶叫だった。

 

「千年分のツケだ。支払って貰うぞ」

 

 森に響き渡る悲鳴を上げた後、サルガタナスの動きが完全に停止する。

 死んだ。森人を弄んだ真竜は、その森人の手によって殺された。

 徐々に塵に変わる屍から、ウィリアムは軽い動きで地面に降り立つ。

 それから自分の手に視線を落とし、何度か指を開く。

 

「……上手く行ったのか?」

「あぁ、上手く行った」

 

 試しに聞いてみたら、即座に答えが返って来た。

 

「すまんな、お前達を都合よく利用させて貰った。

 結果的に獲物を横から浚う形になってしまったな」

「まぁ獲物を横から突いたのは、むしろこっちの方だろうしなぁ」

 

 千年かけて真竜を狩り殺した男に、俺は小さく首を横に振った。

 サルガタナスは死んだが、森に大きな変化はない。

 空には赤い月が上ったままだ。

 

「で、だ」

「あぁ」

 

 言葉を交わしながら、足を踏み出したのはどちらが先か。

 別段、それ自体は特に重要な事ではなかった。

 ただ次の瞬間、お互いの手にした刃が正面から噛み合っていた。

 二つの剣が擦れ合い、耳障りな音が響く。

 

「やっぱこうなるか」

「お前も承知しての事だろう?」

「まぁなぁ」

 

 力は殆ど互角。

 多少こっちが勝っているかもしれない。

 だがウィリアムは、此方が押し込む力を僅かな動きで逃がしていた。

 

「俺はこの森に真竜を殺しに来たんだ」

「その魂を略奪した俺は、新たな真竜と言って良いだろうな」

「だよな」

「そしてお前は、既に一匹の真竜は殺している。

 推測だが、お前も竜の魂を奪う術を心得ているな?」

「まぁ隠す意味はないよな」

「そうか。それは俺にとっても都合が良い」

 

 お互いに、相手に対してそう敵意は持っていない。

 或るのは「」という単純な殺意だけ。

 

「殺るか」

「あぁ、殺るとも」

 

 そういう事になった。

 森の「深淵」に、二つの剣が閃いた。

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