54話:英雄再起

 

「さて――まだ続けますか?」

 

 そう言葉を向けたのは、《牙》である狩人達。

 途中から戦いを見守る状態の彼らだったが、目前の結果に大きくざわついていた。

 《爪》であるウェルキン、その切り札である傀儡の敗北。

 その事実を受け入れられず、動揺しているようだ。

 故に再度攻撃を仕掛ける事はなく、狩人らは一旦退いていく。

 体勢を立て直すつもりか、単純に逃げ出したのかまでは分からないけれど。

 一難は去った、と考えても問題はなさそうだ。

 

「大丈夫か、姉さん?」

「ええ。少し疲れたけれど、何とか」

 

 イーリスの気遣いに、私は少しだけ本音を漏らす。

 《転移》や《分解》などの大魔術を立て続けに行使した為、疲労はかなりある。

 許されるなら、このまま倒れてしまいたいぐらいだ。

 けれど、状況的にはそうもいかない。

 

「……月は、まだ上ったままだ」

 

 そう呟いたのはアディシアだった。

 彼女が見上げる先には、煌々と輝く赤い月が浮かんでいる。

 ウェルキンの傀儡は無力化し、《牙》の狩人達は大半が退いた。

 だが月が空に上っている限りは、《狩猟祭》は終わらない。

 

「……レックスやアウローラは大丈夫なのかね」

「あの二人は、恐らく真竜共々あの森に飛んだはず。

 彼らなら遅れを取る事はないでしょう」

 

 それについては信頼出来る。

 その上で、此方はどう動くべきかだ。

 最も懸念すべき事は、やはりウェルキンの存在か。

 傀儡である《金剛鬼》を無力化したとはいえ、本人は未だ健在。

 放置しては何をしでかすか分からない。

 

「先ずは、ウェルキンを探そう」

 

 どうやらアディシアも、私と同じ考えだったらしい。

 その言葉に、イーリスの方も頷いて。

 

「ほっといたらまた妙な物をぶつけて来そうだしな。

 さっさと首根っこ捕まえちまおう」

「居場所が分からないのが問題だが、虱潰しに探す他ないか」

「そう遠くにはいないはずだ。

 後は部下の《牙》達を集めてる可能性もある」

 

 成る程、確かに。

 使える人形を失った以上、今度は手駒を掻き集めるのは考えられる。

 それなら退いた狩人達の痕跡を追うだけで済む。

 まだ確実にそうと決まったわけではないが、闇雲に探すよりは良い。

 そう考え、私は早速行動に入ろうとするが――。

 

「……待ちなさい、貴方達」

 

 聞き覚えのあるその声は、壊された街の片隅から聞こえて来た。

 《転移》か何かを使ったのだろう。

 先ほどまでは誰もいなかった場所に、一人の魔女の姿がある。

 ヴェネフィカだ。

 彼女はフードを外し、私達をその眼で見ていた。

 

「母さん……」

「騙していた私の事を、まだそう呼んでくれるのね」

 

 アディシアの言葉に、ヴェネフィカは苦い笑みを溢す。

 彼女が何のつもりで現れたのかは分からない。

 少なくとも、今さら味方とも考え難い。

 とりあえず警戒を示すつもりで、私が一歩前に出たが。

 

「ありがとう、テレサ。けど、大丈夫だ。

 少しだけあの人と――母さんと、話をさせて欲しい」

 

 そう言って、アディシア自身が私を遮った。

 表情や声には、まだ動揺が見られる。

 ウィリアムとの邂逅から、乱れた心は完全に復調してはいない。

 その上で、彼女は彼女なりに腹を括ったのだろう。

 或いは育ての母との間にある絆を、強く信じている故か。

 

「……姉さん」

「何かあれば、強引にでも割って入る。構わないね?」

「あぁ、ありがとう」

 

 イーリスの傍へと下がり、進むアディシアを送り出す。

 空に赤い月が輝く、破壊された森林都市。

 散らばる瓦礫の中で、仮初の親子が再び対峙する。

 

「母さん」

「……時間があまり無いと思うけど、聞いて。

 貴女は直ぐに、「森」に向かいなさい。道は私が開けるから」

「森へ……?」

 

 彼女が言う「森」とは、間違いなく《狩猟祭》の舞台となる異界の森だろう。

 今はレックス殿らが真竜を相手に戦っているはず。

 

「それは、どうして?

 ウェルキンの奴もまだ……」

「あの男は、放っておいて良いわ。もう何も出来はしないだろうから」

 

 ヴェネフィカは強く断言する。

 仮にも《爪》であるウェルキンに、「もう何も出来ない」とは。

 私達の知らない場所で、何らかの事態が進行しているように思える。

 出来れば問い質したいところではあるけれど。

 

「今の私の行動については、「彼」の命令じゃない。

 あくまで、私の意思に基づいたもの。

 貴女を騙していた私が、今さら「信じて」なんて言えない」

「……それでも、母さんは来たんだね」

「ええ。事態はもう、私の手を離れたわ。

 後は私が何をしようと、結末は変わらないかもしれない。

 でも動かなかったら――きっと、後悔する事になる」

 

 だから彼女は、再び育てた娘の前に現れたと。

 罵られる事も、最悪殺される事も覚悟して。

 そんな母の覚悟を前に、アディシアはほんの僅かに沈黙する。

 

「……分かった。行くよ、森へ。道を開いて、母さん」

「ありがとう、アディシア」

「騙されていた事、まだ許せたわけじゃない。

 正直、今も怒りとか悲しみとか、胸の中でグチャグチャに渦巻いてる」

 

 ぎゅっと、アディシアは自分の胸元を押さえる。

 その苦しみがどれ程のものかは、きっと彼女自身にしか分からない。

 

「それでも――それでも、あたしは、母さんの事が好きだから。

 もう一度、信じてみようと思う」

「…………っ」

 

 娘の真っ直ぐな言葉に、ヴェネフィカは小さく息を呑んだ。

 それこそ、その場で泣き出してしまいそうな顔をして。

 ぐっと激情を呑み込み、彼女はアディシアに一つ頷いてみせた。

 

「……貴女を引き取ったのは、「彼」に命じられたから。

 それは間違いない、けど」

「うん」

「私は、貴女の本当の母――クリスとも友人同士だった。

 だから貴女の事は、産まれた時から知っている。

 それから、貴女をずっと育てて来て……。

 都合の良い言葉だとは分かってるけど、私は貴方の事を。

 本当の、娘のように思っている」

「私も、私にとっても、母さんは母さんだよ」

「……ええ。ありがとう、アディシア」

 

 互いの思いを確認し、ヴェネフィカは自分の懐を指で探る。

 それから取り出したのは、一つの首飾り。

 細い鎖の先には、丸く小さな銀色の装飾がぶら下がっていた。

 ヴェネフィカはそれを娘の手に握らせてから。

 

「道を開くわ、アディシア。

 ……それと最後にもう一つだけ、知っておいて欲しい」

「うん。なに?」

「私が貴女を愛しているのと同じように。

 貴女の本当の両親も、貴女の事を愛している。

 受け入れがたいし、信じられなくても。

 それだけは知っていて欲しいの」

 

 その言葉に頷く時は、流石にアディシアも複雑な表情を見せる。

 それでも彼女は、育ての母の思いを否定はしなかった。

 首飾りをその手に渡してから、ヴェネフィカは一歩離れる。

 それから改めて、私とイーリスの方を見た。

 

「娘を、お願い出来ますか」

「貴女に頼まれるまでもなく、既に任されていますので」

 

 私の答えは決まっていた。

 あの二人の信頼に応える以上の事は無いのだから。

 ヴェネフィカは納得した様子で頷いて。

 

「では、道を開きます。

 先で何が起こるのかは、私にも予測が付きません」

「得意な占術はどうしたんだよ、オイ」

「申し訳なく思いますが、後の事は全て「彼」の意思次第。

 繰り返しますが、事態はもう私の手を離れている」

 

 イーリスが突っ込むが、ヴェネフィカは静かに首を横に振るだけ。

 

「……ヴェネフィカ。

 貴女の言っている「彼」、とは?」

 

 答えは分かり切っていた。

 分かり切っていたが、確かめる必要がある。

 ヴェネフィカは囁く声で呪文を紡ぎ、目の前に空間の歪みを創り出す。

 真竜が支配する森、其処に繋がる《ポータル》。

 それが安定したのを確認してから、彼女は私の問いかけに答えた。

 

「――です」

 

 

 

 ……こんな筈ではなかった。

 何故、何故だ、何故こんな事に……!

 意味はないと知りながら、疑問符ばかりが頭の中を埋め尽くす。

 何度命令を送ろうと《金剛鬼》は応えない。

 完全に制御を奪われた。

 私の切り札である、最強の傀儡が。

 

「糞っ、こんな、こんな筈では……!」

 

 人払いの結界を施した路地裏の陰。

 月光の届かぬその場所に身を沈めて、答えの出ない自問を繰り返す。

 どうする、此処からどうする?

 《金剛鬼》を奪われて、それを見た《牙》どもの統率も失われた。

 仮に相手が《金剛鬼》を操れるなら、如何なる傀儡を使っても勝ち目はない。

 あの黒服の女にしても、生半可な戦力では届くまい。

 この場の状況は余りにも不利だ。

 ならば此処は捨てて森へと渡り、主の助けとなるべきか?

 使える最大の駒は精々が《橋の大男》程度だが、果たして通用するのか?

 脳裏に浮かぶのは、一瞬で森を焼き払ったあの炎の吐息。

 私の《橋の大男》も、アレで消し炭にされた。

 ……どうする、どうするのが正しい?

 思考がカラカラと、空しい車輪の如くに回るばかり。

 このまま成す術もなく敗北に膝を屈するのか?

 駄目だ、それだけは許されない。

 私は奴を、あの森の英雄を殺したのだ。

 王が森の全てを喰らわぬよう、私が新たな契約を結ばねばならない。

 そうだ。私が、私がやるのだ。

 英雄を殺した者の義務として、私がそれを行うのだ。

 魔力を練り上げて、術式を空間に投影する。

 先ずは森へ向かう。

 《金剛鬼》を奪われたが、それでまったく戦えないわけではない。

 未だに月は消えず、王も森から戻る気配はない。

 戦いはまだ続いているはずだ。

 私が介入し、あの恐るべき戦士を王が喰らう事が出来たなら。

 その功績を盾に、再度の契約を結ぶのも可能だ。

 そうだ。出来る、出来るはずだ。

 もうそれだけが、私が掴める森の希望だ。

 私はそう信じて、森に続く《門》を開くべく意識を集中させて――。

 

 

 あり得ない声は、背後から響いて来た。

 振り向くよりも早く、鋭いモノが背中から胸を刺し貫く。

 抗う暇もありはしない。

 淡く輝く刃は、私の心臓を正確に切り裂いていた。

 

「あ……っ、な……!?」

「脇が甘い割に、用心深いのがお前の面倒なところだったな」

 

 何故、どうして。

 頭の中を、先程とは違う疑問符が埋め尽くす。

 刃が引くと、支えを失い地に崩れる。

 完全に致命傷だった。

 即死せずに済んだのは、《爪》として強化した生命力があればこそ。

 それでも死に捕まった身体は、もうまともには動かせない。

 かろうじて頭を上げて、目の前の相手を見た。

 

「さっきぶりだな、ウェルキン」

 

 其処には、ウィリアムが立っていた。

 死んだはずの男が、その場に平然としている。

 コイツは死んだはずだ、私がこの手で殺したはずだ。

 間違いなく、心臓を潰したはずだ……!

 だが私を見下ろすウィリアムからは、死者が纏う気配は微塵も感じない。

 それどころか。

 

「ッ……何故……?」

「何故? 何故俺が生きているのか。

 それとも何故、失ったはずの腕が治っているのか。

 どちらについて聞きたいんだ?」

 

 嘲るのでなく、本気でどちらについて聞いたか確認したいらしい。

 まともに声を出すのも厳しい私の様子に、奴はふむと頷いて。

 

「そうだな。多少の時間はある。

 俺が生きている理由については簡単だ。

 お前が呪いを発動したあの時、俺は別に死んでいなかっただけだ」

「ふ、ざけ……っ!」

「ふざけてなどいない。単なる事実だ。

 俺を殺すつもりなら、お前は自分でこの首を刎ねるべきだった」

 

 そう言いながら、ウィリアムは私に見えるように服の襟元を緩めた。

 其処にあるべきは、真竜の呪いの証明である獣の刻印。

 刻まれていなければならないソレが、ウィリアムの胸にはなかったのだ。

 まるで最初から、そんなものは無かったように。

 

「馬鹿、な……どう、やって……?」

「単純な力学の問題だ、ウェルキン。

 呪いの本質は真竜の魂、その欠片の持つ力だ。

 それは刻まれた者に加護を与え、時に真竜やお前の意思一つで命を奪える。

 サルガタナスはこの力で、この森を自らの支配下に置いた」

 

 そうだ、それが王の御業だ。

 従う者に加護を与え、逆らう者に死を与える。

 そのはずだ。それが道理のはずだ。

 なのに何故、この男は。

 

 これは、ただそれだけの話だ」

 

 あっさりと。

 本当に何でもない事のように。

 ウィリアムは信じ難い事を口にした。

 

「言っただろう、単純な力学だと。

 俺の生命を奪うには、欠片程度の奴の魂では不足だっただけだ。

 まぁ、本当に耐えられるかどうかは賭けだったがな」

「そ、んな……事が……っ」

「出来なければ、俺が死んで終わりだ。

 尤も、勝てるだけの確信はあった。

 この呪いが自分の身体に施されている以上、色々試すのは容易だった。

 幸いな事に、時間は幾らでもあったからな」

「…………」

 

 それは死出の餞だった。

 死の淵に墜ちていく私に、ウィリアムは真実のみを語る。

 

「精神力で呪いを抑え込めれば、真竜の欠片はただの力の源パワーソースだ。

 下手に勘付かれぬよう注意しながら、普通の《牙》と同じように振る舞った。

 しかしお前に「殺された」事でその必要もなくなった。

 失った腕の再生も上手く果たし、お前を抑える事も出来た。

 残りはサルガタナスを狩るだけだ」

「その、ために……?」

「あぁ、全てはその為だ。その為に千年を費やした。

 お前は俺が期待した通り、《爪》となって奴から一定の信任も得た。

 この都市では、サルガタナスとお前だけだ。

 その二つだけが、「深淵」への道を開く事が出来る」

 

 最初から。

 私は最初から、この瞬間の為に。

 この一瞬で利用する為に、泳がされていた。

 ウィリアムは何処まで見えていたのか。

 

「お前を殺して、その力と《爪》としての権利を奪わせて貰う。

 ――今まで苦労をかけたな、同胞ともよ」

 

 友と、同胞だと。

 この男は嘘偽りなく私に言ってのけた。

 それは酷い侮辱であり、屈辱の極みだった。

 だが――死の前にあって、心は驚く程に穏やかだった。

 ウィリアムは、森の英雄は、私の事など路傍の石ぐらいにしか思っていないと。

 この千年、そう勘違いしたままその背中を追って来た。

 それも、此処で終わりだ。

 

「此処までは上手く行った。

 此処からも上手く行くかは賭けになるが――まぁ問題はない。

 最後に勝つのは俺だ。いつも言っているようにな」

 

 ゆっくりと、ウィリアムの手にしていた刃が持ち上がる。

 それは月光を宿したかのような、美しい輝きを帯びた剣だった。

 

「さらばだ、ウェルキン。森の深淵でまた会おう」

 

 振り下ろされる光。

 痛みはなく、意識は闇の底へと沈んだ。

 最後に、英雄の言葉だけをこの魂に刻み付けて。

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