53話:姉妹の戦い


 ――任せたと、そう命ぜられた。

 頼んだと、そう頼まれた。

 それは主人にとっても、彼――レックス殿にとっても、特別な意味はないだろう。

 ただ当たり前の事を、当たり前のように口にしただけで。

 ならば私はその通りにしよう。

 信頼に応える事だけが、今の私の存在意義だ。

 

「姉さん!」

 

 妹の声には、此方を気遣う必死さが滲んでいる。

 主とレックス殿が不在で、一人戦う私の身を案じているのだろう。

 私は大丈夫だと、そう示す為に。

 降り注ぐ矢の雨を、一つ残らず拳で弾き落とす。

 《牙》である狩人達の攻撃は、私にとってそれほど脅威ではない。

 この場で脅威となり得るのは一人だけ。

 

『お前達、何を手間取っている……!!』

 

 神経質そうな男の叫び。

 同時に襲って来るのは、奇妙な形をした鎧の怪物。

 手足から生えた刃は鋭く、此方を切り裂こうと高速で振り回す。

 何度かの接触で、この怪物――《金剛鬼》の膂力については把握している。

 正面から組み合えば、あのレックス殿でも簡単には振り払えない。

 なので私は一歩退いて、同時に身体に刻んだ術式に魔力を通す。

 発動するのは《転移テレポート》。

 私の身体は一瞬で位置を変え、《金剛鬼》の背後に移動する。

 加えて《転移》した際に、ほんの僅かに自分と相手の座標を重ねておいた。

 既に物体が占めている空間に、別の物体が割り込もうとした場合。

 両方の物体に、相手を押し出そうとする「力」が発生する。

 この「圧力」を特殊な術式により、相手側へと一方的に押し付ける。

 想定していた通り、《金剛鬼》の身体は前方へと大きく吹き飛ばされた。

 これぐらいで破壊出来るほど脆くはない。

 私は即座に自らの魔力を操作し、刻んだ術式を起動する。

 《分解ディスインテグレート》。私が有する最大威力の攻撃魔法。

 かざした掌に青白い光が収束し、これを倒れた《金剛鬼》へと向ける。

 《金剛鬼》が立ち上がるより、此方の魔法が発動する方が早い。

 閃光。物質を塵へと変える光が《金剛鬼》の胴体を貫く。

 これで――いや。

 

「ッ!!」

 

 冷たい何かが私の背筋を這い上がる。

 殆ど反射的にその場を飛び退けば、黒い風が私のいた空間を抉っていく。

 とんでもない速度で動いたのは、《分解》が直撃したはずの《金剛鬼》だ。

 兜の隙間から赤い瞳を光らせ、金属が擦れ合う耳障りな音が響く。

 確かに《分解》を受けたはずなのに、ダメージを受けた様子すらない。

 

『大した術師のようだが、残念だったな!

 私の《金剛鬼》には対魔法用の特殊な装甲に覆われている!

 そのぐらいでは傷一つ付かんよ!』

 

 勝ち誇った男の声――確か、ウェルキンと言ったはず。

 彼はわざわざ防御の種を教えてくれたようだ。

 魔法が通じない、というのは面倒な。

 

『小娘かと思ったが、なかなかどうして腕は立つ。

 だがそれでも、私の《金剛鬼》には足元も及ばんよ!』

 

 主人の叫びに応じて傀儡が動く。

 速い。いっそ速過ぎる程にその動きは速かった。

 《転移》をしたわけでもないのに、鋼の怪物は視界から消える。

 気付いた時には、強烈な衝撃が私の胴体を貫いていた。

 

「ぐっ……!?」

 

 刃での切断は、ギリギリ腕の装甲で防ぐ事が出来た。

 けれど速度が乗った一撃は、とても踏ん張って耐えられるものではない。

 今度は私の方が吹き飛ばされるが、《金剛鬼》の攻撃は止まらない。

 常識外の速度で再び間合いを詰めると、踊るように刃を振り回す。

 紙一重、それらをどうにか回避する。

 全てを避け切る事は出来ず、幾筋もの傷が身体を刻んでいく。

 ――思っていた以上に手強い。

 或いはレックス殿なら、今の攻撃も難なく対応しただろうか。

 

「テレサっ!」

 

 私の名を呼んだのはアディシアだった。

 彼女とイーリスには、自分の身を護るよう言い聞かせたが。

 此方を助けようと放たれた、幾つもの矢。

 けれど《金剛鬼》は、その全てを見もせずに叩き落す。

 

『無駄な足掻きだぞ、赤帽子。

 私の切り札である《金剛鬼》に、お前程度の矢が通じるものかよ』

「そのような怪物を操って得意顔か、恥知らずめ……!」

『何とでも言うがいい!

 それに、コレも言ってしまえばお前のの功績だぞ?』

 

 アディシアに罵声に対し、ウェルキンは奇妙な事を言った。

 彼女の父親というのは、当然ウィリアムだろう。

 目の前に立つ鋼の怪物の何が「彼の功績」と言うのか。

 

『あぁ、お前の父は実に忌々しい男だった。

 だがその優秀さだけは、私だって認めざるを得なかった。

 奴は森の誰も知らなかった様々なモノをこの地にもたらしたのだから!』

 

 再度、《金剛鬼》は私に向かって刃を繰り出す。

 イーリス達に標的を映さなかったのは幸いだった。

 《牙》である狩人達から逃れるぐらいなら、彼女達でも対処可能だ。

 後はこの状況、私がこの怪物を仕留められるかどうかにかかっている。

 

『コイツもそうだ! 今まで誰も見た事がない、

 人体よりも複雑に動き、岩や木よりも頑丈な怪物!

 技術そのものは、確かにウィリアムがもたらしたモノだ!

 しかしコレを造り上げたのは私自身だ!』

 

 ……鋼と歯車の集合体?

 振り下ろされた刃を装甲で受け止め、反撃に蹴りを叩き込む。

 同時に、足から伝わる感触に神経を集中させる。

 甲冑の内側から響くのは、規則正しい金属音。

 この怪物を動かす複雑な機械動作。

 成る程、ようやくコイツの正体を把握出来た。

 

「戦闘用に調整した自動人形オートマトンですか。

 技術者としても優れていたようですね、貴方は」

『当然だ! 私は《爪》だぞ!!』

 

 ウェルキンは自尊心をたっぷり含んだ言葉を吐き出す。

 あぁ、確かにこの男は優秀な術者だ。

 遠隔から傀儡を操る術式は極めて強力で、今もその脅威を肌で感じている。

 改造され、魔法で強化した私を超える動きを見せる自動人形。

 これを独自に造り上げた技術も賞賛に値する。

 ウェルキンは《爪》を名乗るに相応しい能力を有している。

 それは私も認めよう。

 ――けれど。

 

「貴方は優秀な術者で、優秀な技術者だ。

 だが、優秀な戦士ではないな」

『ッ……!?』

 

 それが、私がウェルキンという男に抱いた率直な評価だ。

 決して自らは前に出ず、戦うのはあくまで傀儡。

 別にそのやり方を否定する気はない。

 自身を危険に晒さず敵を倒すのは、戦術としては一つの理想だ。

 けれど、それは戦士の振る舞いではないだけ。

 そしてそう指摘され、感情を乱している事を容易く悟られる。

 戦士ならば冷静に、狩人ならば冷徹に。

 そうあらねばならないはずだ。

 それが出来ていない以上、この男は戦う者としては二流のようだ。

 

『小娘が、私を愚弄するのか!!』

 

 怒りのままに吼え、《金剛鬼》が加速する。

 刃が走り、私の身体を削るように斬りつけてくる。

 主人から賜った装甲は期待通りの性能を発揮しているが、全ての刃は防げない。

 裂かれた肌から鮮血が散り、ジリジリと追い詰められる。

 私は只管に、致命傷だけは避ける形で耐え続ける。

 操る者の殺意を表すように暴れる《金剛鬼》。

 私はそれを観察し、内側の魔力を感知する事に心血を注ぐ。

 ――予想通り、鋼を纏った胴体に強い魔力が脈打っているのを感じる。

 これを動力に、この自動人形は駆動している。

 燃料切れ狙いの持久戦は、恐らく私の方が持たない。

 ならば、これを攻略する手段は。

 

『イーリス』

『あぁ、分かってる』

 

 《念話》を繋げて呼びかけると、妹は即座に答えを返した。

 此方の考えは、どうやら伝えるまでもなく察してくれているようだ。

 上手く行くかは完全に賭けになる。

 失敗すれば、イーリスの身も危険に晒してしまうが。

 

『一番キツいのは姉さんだろ。

 タイミングさえ決めてくれれば、オレは絶対失敗しないから』

『……分かった。お前が頼りだ』

『任せろよ。姉さんも気を付けて』

 

 イーリスの言葉に頷いて、それからアディシアにも視線を向ける。

 彼女もまた、弓を構えて敵の隙を伺っていた。

 あれなら、此方が動けばそれに合わせる形で仕掛けてくれるだろう。

 打ち合わせは殆どゼロのぶっつけ本番。

 では、覚悟を決めて始めようか。

 レックス殿のように、上手く決められると良いが。

 

『何を余所見している!』

 

 苛立つウェルキンの声に、《金剛鬼》は大きく刃を振り下ろす。

 威力を優先する余り、動きは雑になって来ている。

 それを好機と捉え、私は刻まれた術式に再び魔力を通す。

 発動するのは《転移》。

 先ほどと同じように背後を取り、座標を重ねて《金剛鬼》を弾き飛ばす。

 体勢を崩したところに、やはり《分解》を叩き込んだ。

 当然、青い光は装甲に弾かれるだけ。

 

『馬鹿め、無駄だと理解出来んのか!』

 

 ウェルキンの嘲りは聞き流し、私は止まらず仕掛け続ける。

 もう一度、《転移》を発動。

 連続使用で意識が揺れるが、歯を食いしばって耐える。

 今度の出現位置は、背後ではなく正面。

 やはり座標を重ねる打撃を通すが、大きなダメージはない。

 むしろ三度目ともなれば、相手も学習して来たようだ。

 体勢を崩しても、殆ど間を置かずに復帰してみせる。

 鋼の怪物は地を蹴り、獣の勢いで迫って来た。

 振るわれる刃を装甲で防ぎながら、距離を取るべく後方に跳ぶ。

 

『逃がすかよ!!』

 

 追撃をかける《金剛鬼》。

 確かに、その爪から逃れるのは容易ではないだろう。

 だが私は、逃げる気など微塵もない。

 不安定な状態だが、構う事無く四度目の《転移》を発動させた。

 恐らく、ウェルキンはこれを予想しているはず。

 そして座標を重ねる打撃を回避し、逆に私を刻むべく刃を繰り出したはずだ。

 けれど今回は、攻撃の為の《転移》ではない。

 私が降り立ったのは、離れた場所にいるイーリスの傍ら。

 見れば、刃を空振りした《金剛鬼》の姿を確認出来る。

 

『何っ……!?』

「単純なフェイントだ」

 

 身体が軋むのを蟲し、魔力を術式に注ぎ込む。

 私の手のひらに青い輝きが灯るのを見て、《金剛鬼》は即座に動こうとする。

 流石に《爪》だけあって、反応は速い。

 だがそれより先に、幾つもの矢が怪物の顔面を叩いた。

 撃ったのは当然アディシアだ。

 彼女は好機を逃す事無く、鋭い射撃で《金剛鬼》を阻害する。

 その一瞬で、私は三度目の《分解》を放った。

 視界を遮る光が晴れた後、其処には魔法を完全に弾いた鋼の姿があった。

 

『何度も打ち込めば、装甲の耐久限界を貫けると思ったか!

 理屈としては正しいが、この程度では――』

「ええ、分かっています。

 そのぐらいでは、貴方の切り札は壊せない」

 

 だから今のは、破壊する事が目的ではない。

 ウェルキンは気付かなかったが、此方の本命は別にある。

 

『戯言を! もういい、このままさっさと始末して……っ!?』

「おや、気付きましたか?」

 

 ギシリと、軋む音を立てながら《金剛鬼》は動こうとする。

 動こうとしているようだが、動かない。

 恐らく何処かで、ウェルキンは必死に自分の傀儡を操ろうとしている事だろう。

 だがこうなっては、全て無駄な抵抗だ。

 

「……よし、制圧完了ミッションコンプリート

 

 それは可愛い妹の声。

 さっきまでは私の隣にいた彼女だが、今は《金剛鬼》の背後から顔を出した。

 此方の視線に気付くと、満面の笑みで親指を立てて見せる。

 上手く行くかは賭けだった。

 その賭けに、妹は見事に勝利してくれた。

 

「一体、何をしたんだ……?」

「イーリスは、自分の意思だけで機械を操る力がある。

 ウェルキンの敗因は、御自慢の人形の防御措置セキュリティが甘かった事ですよ」

 

 アディシアに問われて、私は簡単に種明かしをした。

 作戦と呼ぶには単純明快過ぎるかもしれない。

 《金剛鬼》が高度に機械化された自動人形と分かった時、この勝ち筋が見えた。

 私が全力で相手の注意を引き、そしてタイミングを見てイーリスを《転移》する。

 後はイーリスの能力で自動人形を操作できるか、その点が賭けだった。

 

『そんな、馬鹿な。動け、こんな容易く奪われるはずが……!!』

「これまで、電子方面デジタルで仕掛けてくる相手なんざいなかったろうしな。

 経験不足というか、想定が甘かったな」

 

 イーリスは《金剛鬼》の身体をよじ登ると、その肩辺りに座る。

 それから指を鳴らすと、今まで不動だった《金剛鬼》がゆっくりと動き出した。

 まるで主人の命に従うように、その場に跪く。

 その動作を確認すると、イーリスは満足そうに笑った。

 

「よし、権限の掌握も完了っと。

 良い拾いモンじゃないか、これ?」

 

 まるで新しい玩具を見つけた子供のように。

 愉快げな妹の様子に、私は呆れ半分に笑い返した。

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