72話:古き戦場を駆ける
「もういい加減にしろよマジで……!」
オレの口から思わず泣き言が零れ落ちる。
そうやって文句を叫びながら地団駄を踏んでるだけなら良かったが。
残念な事にそんな悠長な状況ではなかった。
「イーリス!」
「分かってるよ……!」
呼びかける姉さんの声を追いかけて、オレは兎に角走っていた。
手を引くだけでは足りないと、ルミエルは腕の中に抱え込む。
幸い少女の身体は軽く、大した荷物ではない。
身を硬くする彼女を宥めたいところだが、今は逃げる事が優先だった。
この恐ろしい戦場から。
「糞っ、ホント何なんだよ……!」
毒吐きながら、オレは周囲に視線を向ける。
荒涼とした大地では、今も激しい戦いが繰り広げられていた。
古臭い――レックスが使ってるような鎧や剣で武装した人間達と。
そんな彼らに襲い掛かる、翼を持つ爬虫類に似た獣の群れ。
最初、後者をオレは竜だと思った。
だが良く見ると、それはまた別の――そして、見覚えのある獣だった。
身体のサイズは人間より二回りほど大きく、両腕の翼はそれより更に大きい。
長い尾は鞭にも似ていて、先端には凶悪な棘が付いている。
間違いなく、前にアウローラの奴が自分の血で生み出した怪物。
確か
『GYAAAAAA―――ッ!!』
知性に乏しい声で吼え猛りながら、飛竜は人間を襲っていた。
数の上では兵士達の方が有利だったが、戦況は芳しくないように見えた。
飛竜が暴れれば、何人かは纏めて薙ぎ倒される。
吐き出す炎に焼かれてそのまま動かなくなる者も珍しくはない。
それでも彼らは必死に戦い続けている。
「巻き込まれるこっちは堪ったもんじゃねーけどさ……!」
単純に、目の前の光景が幻ならば良かった。
だがそれは幻影などではなく、現実に火の粉を飛ばして来た。
何匹かの飛竜がこっちを見た時点で、オレ達は全力で逃げ出していた。
今も戦場から離れた奴らが空から追いかけて来ている。
「コイツらこんなに凶暴だったっけ!?」
「私達が見たのは、あの方が造り出した下僕だ!
主人が違えば、当然気性も違うんだろう……!」
応えたのは先を走る姉さんだった。
行く道の戦火を避けながら、付いて来るオレとルミエルに気を配ってくれている。
正直、姉さんがいなかったら直ぐに巻き込まれて死んでいたと思う。
まぁそう思っている間にも、現実としての脅威は後ろから迫り続けてるけど。
『GYAAAAA――――ッ!!』
「怖ェーよいちいち吠えるのやめろよ!!」
背後から轟く咆哮に対して反射的に叫び返す。
分かっちゃいたが、人の足よりも向こうの翼の方が速い。
未だに追い付かれていないのは、追う飛竜側が小競り合いをしてるからだ。
獲物――つまりオレ達を誰が仕留めるのかとか。
多分そんな感じで揉めてるんだろう。
獣の考えとか及びもつかんが、集団で揉めるのは種族は関係ないらしい。
こっちとしちゃ幸運だが、その状態が何時までも続くとは限らない。
「イーリスお姉ちゃん……!」
「大丈夫だ、大丈夫だから口閉じてろよ。
舌べら噛んじまうからな……!」
腕の中で震えるルミエルの頭を撫でる。
万一にも寄って来た場合に備え、近くを走らせている《金剛鬼》を見る。
……本調子なら、姉さんは迷わず迫る飛竜を叩き落したろう。
それをせず逃げの一手なのは、今の状態で相手をするのは危険だと判断したから。
だがこのままじゃ遠からず追い付かれる。
そうなれば姉さんは間違いなく、あの飛竜どもに向かっていくはずだ。
「……絶対ヤバいよなぁ」
そうなったらかなりの確率で死ぬ気がする。
オレにしろ、姉さんにしろ、腕に抱いたルミエルにしろだ。
その判断が軽率でないか、何度も考える。
考えて、考えて……オレはそうする事を決断した。
「ルミエル」
「っ、何……?」
「ちょっと危ない事するけど、我慢できるか?」
「危ない事、って?」
「後ろから追っかけてくる怖ェー奴ら、何とか追っ払う。
お前は危険な目に遭わせねーけど、ちょっと怖いかもしれない。
我慢できそうか?」
真剣なオレの言葉に、ルミエルは少し黙り込む。
それから涙を堪える表情で、小さく頷いた。
「大丈、夫。あたし、我慢できるよ」
「よし」
わしゃりと、一度小さな頭を思いっ切り撫でてから。
今も先頭を走る姉さんを見る。
それから大きく息を吸い込んで。
「姉さん!」
「? どうし――」
「後ろの奴らの数を減らすから! ルミエル頼んだ!」
一方的にそれだけ言って、腕に抱えていたルミエルを姉さんへと放り投げた。
我ながら危ない事してるとは思ったが、其処は姉さんを信頼してる。
驚きながらも速度を緩めて、身を固くしているルミエルをしっかりキャッチした。
よし、後はこっちの方だ。
オレだって死にたくないので、全力かつ迅速に対処したい。
「《金剛鬼》!!」
オレの音声を認識し、自動甲冑たる《金剛鬼》は即座に動く。
両腕に幾つもの刃を展開し、内部の機構は一瞬で戦闘状態に切り替わった。
機械を操作する《奇跡》の力で、オレは意識をより深く《金剛鬼》と接続する。
《金剛鬼》の
今も空からオレ達を追いかけつつ、仲間同士で爪や尾の棘で牽制し合っている。
餌の取り合いとか仲良しだなテメェら。
だけど直ぐに後悔させてやる。
「行くぞ……!!」
オレは意識だけで《金剛鬼》に
爆ぜるように大地を蹴った自動甲冑は、空飛ぶ亜竜目掛けて真っ直ぐに跳んだ。
丁度、身内間の小競り合いに気が逸れていたタイミング。
一番正面にいた飛竜に、《金剛鬼》は腕の刃を先ず突き立てた。
鱗は多少硬いが、そんなものはお構いなしに斬り裂く。
『GYAAAAAA!!!?』
「うるせェってんだよ馬鹿……!!」
《金剛鬼》の知覚は生身の感覚よりも鋭い。
余りの喧しさにちょっと眩暈がしたので、急いで
そうしている間も、《金剛鬼》は最初に打ち込んだ命令を実行する。
目の前の羽根付き蜥蜴を、腕の刃でズタボロにしろと。
その仕事を《金剛鬼》は文字通り機械的に果たす。
『GYAAAA! GYAAAAAA!!』
ワンパターンな咆哮と共に、他二匹の飛竜が動く。
幸いな事に、獣の印象に違わずあんまり頭は良くないようだ。
傀儡を操作しているオレではなく、仲間を襲う木偶の方に敵意を向けている。
オレも《金剛鬼》を操る事に集中し、一匹を解体するのを急ぐ。
刃で切れ目を入れた翼を掴み、無理やり引き千切る。
血が噴き出し、飛行状態を維持できなくなった飛竜が悲鳴と共に落下する。
衝撃。意識を繋げているオレも疑似的に同じ感覚を味わう。
翼を裂かれたぐらいでは、飛竜は当然死なない。
滅茶苦茶に暴れるその頭上に、残った二匹の飛竜も迫る。
不意打ちで一匹を引き摺り下ろしたが、こっからが本番だな。
「やってやるよ……!」
緊張で全身の血が凍て付きそうだが、泣き言なんて言ってられない。
全部を始末する必要はない、兎に角数を減らせ。
時間をかける程、他から飛竜が飛んでくる可能性も増えてくる。
余分な思考を頭の隅に押し固めて、《金剛鬼》に次の命令を打ち込んだ。
『GYAAAAAA!!!』
怒りか何か不明だが、吼え猛りながら二匹の飛竜が降ってくる。
オレは直ぐには動かず、地に墜ちた飛竜を《金剛鬼》で無理やり抑えさせた。
ちょいとしんどいが、《金剛鬼》の力は暴れる飛竜を地面に縫い留める。
爪は鋭く牙を剥き出しにして、怒れる飛竜どもが迫ってくる。
見れば、尾の先端に生えた棘は嫌な感じに濡れているのが分かった。
毒か。生き物じゃない《金剛鬼》には関係ねーけど。
機械で強化された五感は素早い飛竜の動きも正確に捉える。
ギリギリ、本当にギリギリまで引き付けて……。
「今……!」
思わず肉声で叫びながら《金剛鬼》を操る。
爪に牙、尾の棘を紙一重で避けて、機体を乱雑に地面に転がした。
どっかの誰かの真似だが、存外に上手く行った。
キレ散らかしたまま突撃してきた飛竜どもは、当然急には止まれない。
未だに地を這っていた一匹に、爪やら棘やらが盛大に突き刺さった。
血飛沫と悲鳴が派手に飛び散る。
「ざまぁ見ろ……!」
思わずガッツポーズを取りたくなるが、状況はまだ終わっていない。
仲間に誤爆してしまった飛竜二匹。
どちらも目の前で起こった事が理解出来ず、戸惑っているのが分かる。
我に返って空に逃げられるより先に、刃を構えた《金剛鬼》を突っ込ませた。
狙いは翼、厚みはあるが鱗よりは脆い皮膜。
それを力任せに切り裂く。
飛行能力を奪ったら、後は動かなくなるまでボコるだけだ。
今のところは、完全に想定通りに――。
「ッ……!!」
目が合った。
怒りと殺意に煮え滾る飛竜の一匹。
翼の一部は斬り裂いたが、まだ完全に飛べない訳じゃない。
《金剛鬼》は今、もう一匹の羽根を破壊したばかり。
暴れるソイツを乗り越えて、オレを見ている方の羽根も、早く。
『GYAAAAAA――――ッ!!!』
一手。ほんの僅かの差で、飛竜の方が速い。
裂け気味の翼を大きく動かし、我を忘れた様子でオレに向かって来る。
《金剛鬼》を操ってるのがオレとか、そういうのに気付いたわけじゃない。
ただ目が合ったので、怒りの矛先をこっちに向けて来ただけだ。
運が悪いにも程があるだろ。
逃げようにも意識の大半は《金剛鬼》に繋げている状態で、反応が間に合わない。
流石にこれはヤバい……!
これまでで一番、死の気配を間近に感じて。
「イーリスっ!!」
姉さんの声。同時に青い光が目の前で弾けた。
《分解》の魔法だ。
オレを襲おうとしていた飛竜は、その一撃で塵に変わる。
呆気に取られかけたが、腕を引く強い力に意識も引き戻された。
「お前は、無茶をして……!」
「っ、姉さん、オレは……」
「あぁ、お前のおかげで飛竜どもは無力化出来た。
《金剛鬼》も戻して、急ごう」
姉さんに促されて、オレは再び駆け出す。
飛竜の翼を破壊し終えた《金剛鬼》にも、此方に戻るよう命令を飛ばした。
何とか、窮地は脱したのか?
緊張の糸が切れかけて、合わせて疲労がどっと押し寄せる。
流石にこんな場所で力尽きるのは拙い。
姉さんも、オレを助ける為にデカい魔法を行使したばかりだが。
かなり消耗してるはずなのに、それを決して表に出さない。
ならオレも、もうちょっとぐらいは無理をしないと。
――ふと、姉さんの腕に抱かれたルミエルと目が合った。
さっきはちょいと乱暴に扱っちまったが、恐くは無かっただろうか。
「……大丈夫?」
なんて考えてたら、逆に心配されてしまった。
正直しんどいが、オレは頑張って表情を笑みの形に取り繕う。
「当たり前だろ? ルミエルこそ泣いてねーか?」
「大丈夫、泣いてないよ。がんばったんだから」
「あぁ、ルミエルは良く頑張っているよ。イーリスは少し無茶し過ぎだが」
「勝手して悪かったって、姉さん!」
ルミエルを安心させる為に、あえて冗談っぽく言葉を交わす。
周囲は相変わらず地獄めいた戦場で、飛竜が暴れて次々と兵士達が死んでいく。
これも過去の記憶が再現されたものなのか。
だとしたら、一体どれだけ昔の話だ?
真竜どもが古い竜を一掃したと伝えられる千年前の戦いか。
或いは、それよりももっと古い……?
「……何だ、アレは……?」
驚き、戸惑いを含んだ姉さんの声。
見れば、荒れ地のど真ん中に木の扉だけが突っ立っていた。
そう、扉だ。それは間違いなく扉だった。
開く為の取っ手もあるし、蝶番もある。
扉を構成する部品は過不足なく存在し、逆にそれだけしかない。
明らかにおかしな光景だが。
「扉があるって事は、アレが出口か……!?」
「分からないが、可能性はある!」
実際、このままじゃジリ貧だ。
数匹の飛竜に集られるぐらいならまだしも、群れに襲われたら死ぬしかない。
だからオレも姉さんも扉の方へと必死に走った。
よし、あと少しで……!
「ッ……!!」
扉自体はもう手を伸ばせば届く距離で。
上空から真っ直ぐに、飛竜が高速で振って来た。
一体いつからオレ達を狙っていたのか。
扉に気を取られ過ぎたせいで、オレも姉さんも反応が遅れてしまった。
そこらの敵に反応されても困ると、《金剛鬼》の
……ダメだ、流石にこれはどうにもならない。
どうしようもない
時間の流れは妙に遅くて、飛竜の爪がゆっくりと視界一杯に広がり――。
「ダメっ――――!!」
そう叫んだのはルミエルだった。
けれど悲痛な声には飛竜を止める力はない。
ない、はずなのに。
「……は?」
何故か。
そう何故か、ギリギリまで肉薄した飛竜の動きが停止した。
まるで凍り付いてしまったように。
「イーリス、こっちだ!!」
姉さんの呼びかけに、オレは頭を無理やり回す。
理解不能な事態だからって、こっちまで固まってどうする。
何が起きたかは良く分からんが、これを逃したら今度こそ詰みだ。
「おおおぉぉ――ッ!!」
衝動のままに声を張り上げ、微動だにしない飛竜の脇を抜ける。
そしてそのまま、オレ達は問題の扉に突っ込んでいた。
取っ手を掴んで回したのも誰かは分からない。
いいから急げよとばかりに、力任せに扉を押し開いた。
幸運だったのは、扉に鍵が付いていなかった事。
不運だったのは。
「……あれ?」
扉を開けた先が、
半ば転がり込む形でオレは扉を潜った。
一緒に姉さんとルミエル、後は《金剛鬼》もいたはずだ。
けど、気付くとその場にいるのはオレだけだった。
「マジかよ……」
血の毛が引いて、腹の底が冷たくなってくる。
誰もいないその場所。
オレの目には、ただ真っ白いだけの部屋が映っていた。
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