71話:過去の清算

 

 かつて《北の荒れ野》と呼ばれた場所は、ただ荒野ばかりの土地ではなかった。

 俺自身はそう詳しく知っているわけじゃない。

 ただ一緒に旅をした「彼女」から、幾つか話を聞いた程度だ。

 曰く、《北の王》と呼ばれる古竜がアレコレと「実験」をした結果らしい。

 本来は荒れ果てただけの大地に、森や火山などの地形が生じたのも。

 かつてこの大陸に在った、「偉大な誰か造物主」の真似事をしているのだと。

 醜く歪んだ“獣”達を生み出したのもまた同じ。

 ……そんな古い記憶を「思い出しながら」、俺は森の中を走っていた。

 他人の狂気で歪んだソレは、恐らく記憶にあるモノとは細部は異なるだろう。

 それでも俺は、その時点で大分思い出しつつあった。

 ボレアス――《北の王》に挑む旅の途中、こんな森を抜けた事を。

 異形の“獣”が跋扈する、人喰いの森。

 その森の終わりがどんな場所であったかも、ついでに思い出して来た。

 

「ちょっと、レックス! 本当に大丈夫なの……!?」

「あぁ、大丈夫だからちょっと口閉じた方が良いぞ」

 

 担いだブリーデから悲鳴じみた声が上がる。

 まぁ無理もないか。

 一秒も足を止めずに動きながら、俺は「森の終点」に目を向けた。

 それは巨木だ。少し前、森人達のところで見た「深淵」よりは小さい。

 と言っても、人間視点では見上げる程の巨大さである事に変わりはないが。

 俺の「記憶」が正しければ、この木の根元に「抜け穴」があるはず。

 この面倒な森を抜けるには其処を通るのが一番だと――そう「彼女」は言っていた。

 今はアウローラと呼ぶ、かつての黒い彼女に。

 

「おっと……!」

 

 追憶は、巨木の方から飛んできた「攻撃」によって中断された。

 いかんいかん、先ずはこっちに集中せねば。

 見る。まるで木の枝が動いて襲って来たような攻撃だったが、実際は違う。

 巨木の幹には一匹の巨大な怪物が張り付いていた。

 蜘蛛のように異様に長く伸びた手足が八本。

 肥大化した後頭部が醜く突き出した、そんな姿の化け物。

 俺が昔に訪れた森も、最後にはこんな感じの怪物と戦ったな。

 身体の調子は悪いが、記憶の方は少しずつだが戻って来てるのを実感する。

 

「コイツも、俺が『覚えてる』通りだと良いが……!」

 

 基本的には、あの長い腕を振り回して近付く奴を殴ってくるだけのはずだ。

 細かい部分はうろ覚えだし、そもそもコイツが記憶そのままなのかも不明である。

 なのでいきなり踏み込まずに、少し様子を見ながら戦う事にした。

 怪物は顔に出鱈目に開いた無数の眼をギョロギョロと動かす。

 アレじゃ死角も糞も無く、木々の隙間を走る俺達の姿も正確に捉えているようだ。

 四本の腕で身体を支え、残る四本の腕を伸ばして此方を叩き潰そうと振り回す。

 ブリーデをしっかりと抱え直した上で、俺は走る。

 そして近くまで伸びて来た腕を、切っ先で軽く引っ掛ける形で斬り裂いた。

 

『■■■■■■――――ッ!!!』

 

 名状しがたい悲鳴が狂った森に木霊する。

 ぱっと見て口らしい部分が何処にも無いんだが、一体何処から声出してるんだ。

 コイツはあくまで俺の夢の産物っぽいが、本物は《北の王》だったボレアスが造ったはず。

 一体何を考えてこんな悪趣味なモンを生み出したのやら。

 そんな事を考えながら、更に何度か似たような攻防を繰り返す。

 距離を置いて走り回って、怪物が伸ばしてくる腕を剣で斬って削っていく。

 うむ、此処までは順調だな。

 

「……ちょっと、何か様子おかしくない?」

「うん?」

 

 恐らく二桁に届く傷を怪物の腕に刻んだ頃。

 黙って様子を見ていたブリーデがそんな事を言い出した。

 言われてみると、頻繁に伸ばして来た腕の攻撃が来なくなっている。

 見れば怪物は八本の腕で巨木の幹をしっかり掴み、頭を高く掲げるように持ち上げていた。

 一体何のポーズだと、疑問に思うと同時に。

 そういえば何か別の攻撃も仕掛けて来なかったかと、曖昧な記憶が警鐘を鳴らす。

 ええと、何だったっけ??

 俺が首を捻るのとほぼ同時に、怪物の眼がカッと開かれる。

 あ、思い出した気がする。

 これはちょっとヤバい奴だ。

 

「ブリーデ、ちょっと地面に伏せててくれ」

「えっ? あ、何……って――!?」

 

 そっと下ろしている余裕もなかったので、手近な地面に放り投げる。

 ゴロゴロと転がるブリーデを視界の端に捉えつつ、俺は両手で剣を構えた。

 さて、これで予想通りなら――。

 

「来た……!」

 

 無数に開かれた怪物の眼に、眩い光が灯った。

 その光は細い熱線となり、怪物の視線が届く範囲に出鱈目に放たれる。

 一発一発の威力は木に焦げた穴を穿つ程度。

 それが無数に乱射されるわけだからなかなか面倒だ。

 万が一にもブリーデには当たらないように立ち、俺は降り注ぐ光の雨を迎え撃つ。

 重くなりつつある腕を持ち上げ、飛んできた熱線を剣で払い落す。

 全てを撃ち落とすのは無理だ。

 何発かは鎧の上から当たり、熱い痛みが身体を貫く。

 鎧の防御で威力はかなり落ちている、ならば特に問題はない。

 少なくとも、マーレボルジェの《吐息》の方がヤバかった。

 降り注ぐ光を防ぎながら、俺は前に出る。

 この攻撃も永遠に続くわけじゃない。

 その時が来る事に備えて、一歩ずつ進んで行く。

 怪物が放つ光の雨は、そうしている間に勢いが弱まっていく。

 剣や身体を打つ熱線が完全に途切れると同時に、俺は勢い良く走り出した。

 全ての光を放ち終えた怪物は、幹にしがみ付く形で動きを止めている。

 理屈は知らんが、今の大技を撃ち終わった後にはデカい隙を晒す。

 その事はハッキリと思い出していた。

 勿論、これは俺の記憶の怪物そのものとは限らない。

 また何かしてくる可能性は考えて、最大限に警戒しながら間合いを詰める。

 太い木の根を蹴って、のそのそと動き始めた怪物の頭へ。

 そのまま全力で、俺は手にした刃を叩き込んだ。

 目玉を潰し、肉と頭蓋を断ち割る感触。

 怪物がまた絶叫を上げるが、無視して更に切っ先を打ち込む。

 痛みに足掻いたせいか、怪物はバランスを崩して木の幹から転落する。

 俺は巻き込まれないよう動きながら、剣を振るう手は止めない。

 悪足掻きなのか、それとも単に苦痛にのた打ち回っているかは分からないが。

 腕を滅茶苦茶に振り回す時だけ距離を取り、隙を見てはまた切り込む。

 身体は重いが、まだ何とかなる。

 斬る。斬って離れて、また斬りつける。

 繰り返す程に怪物の動きは弱くなっていく。

 あぁ、もう少しだ。

 昔はもっと俺の方が死にかけたな、とか。

 そんな事が頭の片隅に浮かんでくるが、殺す作業は止めない。

 完全に殺し切るまで油断は出来ない。

 ちょっとしたミスで、俺の方が死にかけるからだ。

 その作業を、どれだけ繰り返したのか自分でも分からないまま。

 

「……ふー」

 

 気付けば、怪物は完全に動かなくなっていた。

 ブリーデの言葉が正しければ、コイツも俺の夢とかそういうものらしいが。

 触れる血肉は現実と変わらず生々しい。

 切っ先で軽く突いてみるが、動きだしたりはしない。

 完璧に死んだ事を確認したら、小さく息を吐いた。

 

「昔よりは、ちょっとマシだったか……?」

 

 コイツとどう戦って、どういう風に勝ったのか。

 多分、今ほど余裕はなかったはずだ。

 この森に入ったのは、彼女と旅を始めてまだ最初の頃。

 あの時分はまぁ、しょっちゅう死にかけてたな。

 戻って来た記憶を思い返しながら、剣の重みを感じている腕を軽く動かす。

 徐々に死にかけてる状態だが、それでも昔よりはマシなぐらいか。

 だったらまぁ、何とかなるだろう。ウン。

 

「……っと。ブリーデを拾わんとな」

 

 昔を思い出すのは良いが、今を忘れてはいけない。

 地面に放り投げただけだし、多分問題ないとは思うんだが。

 

「だから、私はそんな頑丈じゃないって言ったわよね??」

「はい」

「はいじゃないんですけど??」

 

 うん、とりあえず大丈夫そうだな。

 地面を転がったせいで、微妙にボロボロだし涙目だけど。

 なんかヤバい怪我をしたとかそういうのは無いみたいだな。ヨシ!

 とか考えていたら、また金鎚で兜をドツかれた。

 元気そうで何よりだ。

 

「……それで、終わったの?

 身体の方は平気なわけ?」

「あぁ、もう片付いた。身体はぼちぼちだな」

「ぼちぼちって何よ」

「とりあえずは大丈夫、ぐらいの意味だ。

 まぁ応急処置もして貰ったしな」

 

 実際、あのおかげで大分楽にはなった。

 確実に身体は重くなって来ているが、これなら暫く持つはずだ。

 

「別に、あれぐらいじゃ大した事は……」

「ンな事はないぞ。ありがとうな、ブリーデ」

「……ま、まぁ。それなら良かったわ」

 

 やや俯き気味に、ブリーデは俺の言葉に頷いた。

 うーん、これは照れてるのか?

 下手に突くとまた金鎚が飛んで来そうではある。

 その状態で何やらゴニョゴニョと言っているようだが、良く聞き取れなかった。

 ちょっと耳とか赤くなってるし、やっぱ照れてるんかな。

 

「それよりっ!!」

「おう」

 

 観察されている事に気付いたか。

 赤くなった顔をガバっと上げて、ブリーデは大きく声を出す。

 それから怪物が死んでる巨木を指差して。

 

「あそこから先に進めるんでしょ?

 だったら早く行きましょうよ!」

「あぁ、そうだな」

 

 此処でグダグダしている内に、また別の“獣”が寄って来ても面倒だしな。

 改めて、ブリーデと二人で木の根元に近付く。

 さて、俺の記憶通りなら良いんだが。

 ぶっちゃけ思い出して来たばかりだし、ところどころ曖昧だから微妙に不安だ。

 

「……ちょっと、此処の道はアンタが頼りなんだから。しっかりしてよ」

「がんばる」

 

 何とかする為の魔法の言葉だ。

 まぁ結局、道が分からずちょっとウロウロする羽目になり……。

 

「お、あったあった」

 

 寄って来た“獣”を二匹始末した辺りで、ようやく木の根に開く穴を見つけた。

 いやぁ、見つかって良かった。

 

「で、大丈夫か?」

「私はあと何回ぐらい死にそうな目に遭うのかしらね……」

 

 また微妙にボロボロになっているブリーデ。

 新手の“獣”をぶっ飛ばしている最中に、何度かスッ転んでたからな。

 とりあえず、服に付いた埃とかは払っておく。

 

「きゃっ! ちょ、ちょっとっ?」

「デカい怪我とかは無いよな?

 もし痛むんなら、一応賦活剤は何本かあるぞ」

「それ多分劇薬な奴でしょ??

 別に大きな怪我とかはないから、大丈夫よっ」

「そうか」

 

 確認を終えたらブリーデの手を取る。

 木の根元に開いた穴は結構な傾斜だし、また転ぶのも嫌だろう。

 

「じゃあ下りるか。足下には気を付けろよ」

「……アンタ、せめて一言……いや、いい。何でも無いわ」

「??」

 

 良く分からん反応に少し首を傾げる。

 まぁ何でも無いらしいので、気にせず先を急ごう。

 ブリーデが躓かないよう注意しながら、ゆっくりと穴の中を下りて行く。

 うろ覚えの記憶では、此処は森の外まで続く地下洞窟だったが……。

 

「……ん?」

 

 暫く進むと、周囲の様子が変わってくる。

 天然の岩壁が途切れて、明らかに人の手が入った石造りの通路が伸びていた。

 これにも一応、覚えはあった。

 荒れ野で見つけた古い都市の地下が、確かこんな感じだった気がする。

 ただその場所は森を抜けて暫く先だったはずだ。

 この抜け穴がそのまま繋がっていた、という記憶は無い。

 

「どうかしたの?」

「いや、何か見覚えはあるんだが。

 どうもさっきとは違う場所に繋がったみたいだ」

「あー……まぁ、此処は夢が現実に投影されたようなところだから。

 別の夢――記憶同士が、時系列を無視して繋がったんじゃないかしら」

「ふーむ、そうか」

 

 原理は分からんが、夢なら多少の理不尽も起こり得るか。

 幸い、まったく記憶にない場所でもない。

 切り替えて、この地下通路の出口を探す事にしよう。

 あと確か、此処には物を補給できる部屋があったはずだ。

 先ずは其処を目指して歩を進める。

 ブリーデは俺の傍を歩きながら、何やら難しい顔をしていた。

 

「? どうした?」

「いや……何か、こう。見覚えがあるのよね。此処」

「そうなのか?」

「ええ、何となくだけど……」

 

 首を捻り、ブリーデは自分の記憶を掘り起こそうとしているようだ。

 この場所は今、俺の記憶とかからアレコレ再現しているという話だったが。

 或いは一緒にいるブリーデの記憶からも引っ張り出しているのかもしれない。

 まぁ何とも言えんので、今は目的地へと急ぐ。

 記憶違いかこの場所が捻じ曲がってない限り、そろそろ着くはずだが……。

 

「……おっ」

 

 通路の先に、木製の扉が一つ。

 どうやら「当たり」だったようだ。

 罠の類はなかったはずだが、一応警戒しながら近づく。

 鍵の無い扉に手をかけて、ゆっくりと内側に押し開いた。

 

「……よし。森はあっちこっち歪んでたから心配だったが。

 この辺は割と綺麗っぽいな」

 

 其処は大きめ奈部屋で、少し前まで人が生活していた気配もある。

 それもあくまで「再現されたモノ」に過ぎないはずだが。

 一人用の椅子や机、それに大きめの本棚。

 水や薬品、後は酒の入った瓶が棚に多く並んでいる。

 干した肉とかも探せばあったはずだ。

 奥には幾つもの武器が飾られており、隣室には鍛冶場もあったな。

 ……ん? 鍛冶場??

 あとさっきから、何故かブリーデさんが無言である。

 そっと振り向くと、死んだ魚みたいな目で部屋の中を見ていた。

 

「ブリーデさん?」

「……アンタ、ここ見覚えがあるの?」

「はい」

「奇遇ね、私も見覚えがある場所なんだけど」

 

 ほほう、それは凄い偶然だな。

 理由は不明だが、ブリーデさんは懐から金鎚を取り出す。

 

「で、此処では何をしたわけ?」

「昔のアウローラと地下道の探索中に見つけて、誰もいない割に色々あったからな。

 『折角だから貰えるモノは貰って行きましょう』とか。

 そんな感じに言われたんで、まぁアレコレ漁ったり持ち出したり」

「へぇ」

 

 あとハッキリ覚えてるわけじゃないが。

 当時のアウローラが「ナメクジの癖に良い酒持ってるわね」とか。

 何かそんな事を言いながら、酒を根こそぎ持って行ったのを思い出した。

 ブリーデさんがゆっくりと金鎚を持ち上げる。

 

「ねぇ」

「はい」

「此処、大昔に私が使ってた隠れ家にそっくりなのよね」

「はい」

「そういえば《北の荒れ野》に隠れてた時期もあったわ。

 この部屋見てやっと思い出したぐらいだけど。

 その時に、何か嫌な予感がしたから一度急いで此処を離れたのよ」

「はい」

「後から戻ってきたら、まぁ物凄い荒らされてて。

 とっておきのお酒も根こそぎだったし、本当に憤慨したわ」

「はい」

「……何か言う事は?」

「お酒と干し肉ご馳走様でした」

 

 顔面を金槌で、これ以上ないぐらいにフルスイングされた。

 

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