70話:輝きを宿す少女

 

 ……此処に来るまで、異常なモノは散々見て来た。

 何なら今も、オレ達は頭のおかしい空間のど真ん中に立ってる。

 だからこそ警戒する。

 複雑怪奇に広がる本の迷宮。

 その中ですすり泣く、幼い少女を。

 

「っ……ひっく……」

 

 哀れっぽい泣き声を耳にしながら、オレは傍らに立つ姉さんと視線を交わす。

 コイツが罠なのか、それともまったく別の何かなのか。

 オレも姉さんも判断する材料はなかった。

 ならばせめて、僅かな危険でも見落とさぬようにと観察を続ける。

 見た感じ、その少女はかなり幼かった。

 膝を抱えて蹲っているせいで、顔とかはまだ良く見えない。

 ただ体格とかから考えると、多分五つか六つぐらいな気がする。

 赤と黒を基調にしたヒラヒラとしたドレスに、手入れの行き届いた金色の髪。

 それらが汚れるのも構わずに、少女は小さくなって泣き続ける。

 オレ達は距離を置いてその様子を見ているが、特に大きな変化も起こらない。

 孤独に耐えかねたのか、或いは自分の無力を嘆いてるのか。

 何故この少女は、一人で泣き続けているんだ。

 

「……ウサギに化かされてるんじゃないよな」

 

 思わず同じ言葉を繰り返してしまう。

 視線を巡らせるが、ウサギらしき姿は何処にも見えない。

 この場にいるのはオレと姉さん、正体不明な泣き虫幼女だけだ。

 オレはそっと、少女の方へと足を踏み出した。

 反射的に止めようとする姉さんを、そっと手のひらで制する。

 

「罠かもしれねェけど、此処でじっと見てても仕方ないだろ?」

「それなら、先ず私が……」

「いきなり何人も近付いたら、ガキならビビっちまうよ」

 

 冗談っぽく応えると、姉さんは少し黙り込んだ。

 本当にこれが罠だったなら、踏み抜くのは二人よりも一人の方が良い。

 オレじゃ姉さんを助けるのは難しいだろうが、逆の場合はそうとも限らない。

 そして罠じゃなく、本当に泣いてるガキがいるだけなら。

 あんまりビビらせないよう話が聞きたい。

 これで大泣きでもされたらそれこそ面倒過ぎるからな。

 姉さんの方も、その辺りの理屈は分かってくれたようで。

 厳しい表情ながらも小さく頷いて。

 

「……気を付けろ。

 こんな場所だ、何が起こっても不思議じゃない」

「分かってる。ヤバかったら助けてくれよ、姉さん」

 

 勿論だ、という姉の返事を背に受けながら。

 オレは今も泣き続ける少女に近付く。

 距離を詰めても、やはり変化は起こらない。

 ただ泣き続ける声だけが、よりハッキリと聞こえるだけ。

 嫌な汗が出てくるが、そちらはなるべく意識しないように努める。

 そして……。

 

「……なぁ」

「っ……」

 

 十分に近付いたところで、いよいよ声を掛けてみた。

 なるべく、なるべく驚かせないように。

 自分なりに最大限、柔らかい声を出したつもりだったが。

 少女の肩はびくりと震えた。

 泣く声も無理やり呑み込んだのか、虫の羽音ぐらいに小さくなる。

 オレは相手に警戒されないよう、目線の高さを合わせる為にその場に膝を付いた。

 

「悪い、驚かせちまったか?」

「……あなたは、誰?」

 

 まったく期待はしていなかった。

 だが存外まともな様子で、少女はオレに言葉を返した。

 俯いていた顔も上げて、こちらを見る。

 ある意味では予想通りに、「可憐」という言葉がよく似合う美少女だった。

 成長したらスゲーだろうなとか、親はさぞかし美人だろうなとか。

 そんなアホな事が思い浮かぶのは、多分どこぞのスケベ兜のせいだ。

 影響を受けてる思考を払い落として、少女の顔を見る。

 画像を取ればそのまま「絵画」として通用しそうな現実離れした美貌。

 其処に年相応の幼さは微塵も感じられない。

 そして泣き濡らしてしまった紅玉の瞳。

 見ているだけで、魂を吸い込まれてしまいそうな深い色合いに。

 オレは少しだけ気圧されてしまった。

 

「……ねぇ……?」

「っと……いや、悪い悪い。ボーっとしてたわ」

 

 不安げな少女の声に我に返る。

 いかん、自分の半分も生きてないだろうガキに何をビビってるんだ。

 オレは気を取り直して話を続ける。

 

「オレはイーリス、誰かっつーと……迷子かな?」

「おねえさん、迷子なの……?」

「仕方ねーだろ、いきなりこんな場所に放り込まれてよ。

 右も左も分かんねーのに、気付いたらこんな有様だぜ?」

 

 警戒させたりビビらせたりしないよう、努めて気楽に。

 そんな一応のオレの気遣いは功を奏したか。

 涙声だった少女は、オレの言葉に小さく笑みを浮かべた。

 よし、悪くない反応だな。

 

「そういうお前さんは?

 何だってこんなところで一人で泣いてんだよ」

「……あたしは、ルミエル」

 

 ルミエル。

 確か「光」とか、そんな意味の言葉だった気がする。

 少女――ルミエルは、オレの問いにまた不安を滲ませた。

 

「あたしも……迷子なの。多分」

「多分?」

「お姉さんと一緒……気付いたら、パパとママがいなくなってて……」

「あー……」

 

 目元にじわりと涙が滲み、ルミエルはまた少し俯いてしまう。

 ……罠の可能性は今も捨て切れてない。

 だから警戒はしているが、どうにも調子は狂う。

 今のところ、ルミエルは本当に「迷子になった子供」にしか見えない。

 そう思わせる事自体が罠かもしれないが。

 たった一人、見知らぬ場所に取り残される不安と恐怖。

 それはオレにとっても、覚えのあるモノだった。

 

「……泣くなよ、ルミエル。

 一人じゃ心細いだろうが、今は違うだろ?」

「ちがう……?」

「オレと、後はほら。あっち。オレの姉さんもいる」

 

 そう言って示すと、姉さんは応えて手を上げる。

 ルミエルの表情から、少しだけ不安が薄らいだ気がした。

 ただちょっと、その近くにいた甲冑――《金剛鬼》にビビったっぽいが。

 

「アレも大丈夫だ。恐くねーぞ」

「ほ、ホントに……?」

「ホントだホント。オレ達を守ってくれる護衛ボディーガードだ。

 だから恐がる事なんて何もねーからな」

 

 完全に子供のお守りをしてる気分だが、存外悪くもない。

 念を押すオレに対して、ルミエルは素直に頷く。

 

「うん……わかった。大丈夫」

「よしよし。じゃあ、とりあえず……」

 

 現状、ルミエルから危険な気配は感じない。

 一先ずは安全と判断して、姉さんにも近くに来て貰った。

 姉さんもオレと同様に、その場に屈んでルミエルの目線の高さに合わせる。

 そうしてから、穏やかに笑って。

 

「初めまして、ルミエル。

 私はテレサ、既に紹介して貰ったがイーリスの姉だ。よろしく」

「うん……よろしくね、テレサお姉さん」

「……何だか、昔のイーリスを思い出してしまうな」

「やめてくれよ姉さん」

 

 オレは流石に此処まで美少女じゃねぇよ。

 少し懐かしそうに言いながら、姉さんはルミエルの頭を撫でる。

 ルミエルの方も嫌がったりはせず、撫でられると恥じらうように微笑んでみせた。

 この歳でゾッとするぐらいの美人だが、こういう表情は年相応に愛らしい。

 ……そういう魅了系の罠じゃねぇよなぁ?

 危険性という奴は、考え出すとキリがないな。

 

「で――ルミエル。

 お前もオレ達みたいに迷子なんだよな?」

「う……うん、気が付いたら、ここにいて……」

「どっから来たのかとか、そういうのは覚えてるか?

 オレ達は、街中にあるウサギ小屋みたいな場所から来たんだが……」

「えっと……」

 

 なるべく答えは急かさぬよう、ゆっくりと聞いてるつもりだが。

 それでも気持ちは逸ってしまう。

 自分の中で答えるべきモノを探すルミエルを、今はじっと待つ。

 程なくして、恐る恐ると少女はある一点を指差した。

 

「あっちにある……赤い、本棚の方から」

「赤い本棚?」

「うん……」

 

 確認する姉さんの言葉に、ルミエルは小さく頷いた。

 指差した方に視線を向けてみるが、見える範囲にそれらしいモノはない。

 

「あたし……本を読んでたはずなのに。

 パパも、ママも。他のみんなも忙しそうだから。

 だから一人で、本を読んでて……そうしたら、そうしたら……っ」

「あー、悪い。悪かった。嫌な事を思い出しちまったよな」

 

 また泣きそうになるルミエル。

 オレは慌てて頭を撫でて、何とか宥めようと試みる。

 姉さんの方も優しい手つきで少女の背を撫でた。

 

「落ち着いて欲しい、ルミエル。

 確かに見知らぬ場所にたった一人では、耐え切れない程に不安だったろう」

 

 優しく、あくまで穏やかに。

 姉さんは幼いルミエルに語り掛ける。

 今はもう遠い昔を思い出して、オレの方がちょっと泣きそうだった。

 

「だが、今君には私もイーリスもいる。

 お互い、このまま迷子では困るだろう?

 だからどうか涙を拭って。私達と一緒に此処を出よう」

「ッ……うん、うん」

「よし、良い子だ」

 

 姉さんはその指先で、ルミエルが涙を拭くのを手伝ってやる。

 オレも慰めるつもりで、また軽く頭を撫でた。

 ルミエルは嫌がらず、泣き濡らした目で微笑んでみせた。

 ……なんつーか、本当に良い子だな。

 多分親の教育が良いんだろう。

 こんな娘が、どうしてこんな狂った場所にいるのか。

 間違いなくまともじゃない。

 まともじゃないが……出来れば、この幼い娘の事は信用したいと。

 そんな気持ちがオレの中には芽生えつつあった。

 

「……よし、落ち着いたなら早速行くか。

 確か、赤い本棚って言ってたよな?」

「うん、あっちだよ」

 

 オレの言葉に頷いて、ルミエルは改めて方向を指差した。

 無数の本棚が壁となって作られた迷宮の道。

 何が待っているかは不明だが、とりあえず進む覚悟は決めた。

 その上で、オレはルミエルに片手を差し出す。

 彼女は少し遠慮がちにそれを掴んだ。

 よし、これでいいな。

 

「姉さん」

「あぁ、殿は務める。

 イーリスは前とルミエルの事を頼む」

「了解。任せてくれよ」

 

 応えて、オレは早速《金剛鬼》へと命令を飛ばす。

 今まではルミエルをビビらせないよう、出来るだけ離して待機させていた。

 それを呼び寄せ、今度は隊列の先頭に立たせる。

 感覚器センサーの感度も上げて、最大限警戒させておく。

 

 「さっきも言った通り、コイツも仲間だから。

 恐がらなくても良いからな?」

 「うん……大丈夫、大丈夫だよ」

 

 一応宥めるつもりで言ったが、ルミエルは落ち着いた様子で頷いた。

 握る手にはちょっとばかり力が入ってたが。

 

「じゃあ行くぞ」

「うん……!」

 

 ルミエルが応えたのに合わせて、先ずは《金剛鬼》を進ませた。

 続いてオレとルミエル、最後に姉さんが続く。

 本棚の迷宮は不気味ではあるが、今のところ危険はない。

 そうなると、棚に並ぶ本の内容がちょっと気になって来た。

 視線を巡らせて、背表紙を適当に見てみるが……。

 

「なんだこりゃ……?」

 

 どれもこれも、見覚えのない文字が書かれていた。

 大陸共通言語コモンセンスとは異なるし、大陸古語ストーンワードとも違う。

 後者も年代によって変化が大きく、オレの知識では解読出来ない可能性はある。

 しかし本に刻まれている文字に関しては、明らかに大陸古語とは別物だ。

 けどそれ以外に、「」なんて心当たりが無い。

 そんな具合にオレが首を捻っていると。

 

「イーリス、あまり見ない方が良い。

 本に見えても、こんな場所ではどんな異常があるか分からないんだ」

 

 姉さんに軽く注意されてしまった。

 言われてみればその通りだ。

 図書館に似た雰囲気に騙されかけたが、此処は最初から異常な空間だ。

 本に見えるモノだって、実際に本とは限らない。

 手に取らなきゃだいじょうぶかと思ったが、文字を見るのもヤバいかもしれない。

 

「イーリスお姉さん、大丈夫?」

「あぁ、大丈夫だ。姉さんもごめん、ちょっと不注意だったわ」

「いいさ、何事もなければ。

 ……それより、目当ての物が見えて来た」

 

 心配そうに見上げるルミエルに応えてから。

 姉さんの言葉に唸性れる形で、オレの眼も「ソレ」を見つけた。

 赤い本棚とルミエルが言っていたが、実際にそのままの物体が其処にあった。

 上から下まで真っ赤に染まった大きな本棚。

 周りに他の本棚は無く、ぽっかり空いた空間の真ん中に鎮座していた。

 これだけデカけりゃ、相当な数の本を納められそうだが。

 赤い本棚に並ぶのは一冊だけ。

 丁度真ん中辺りに、背表紙に何も書かれていない厚めの本が置かれていた。

 

「お前が言ってた赤い本棚って、アレの事か?」

「うん、アレだよ。気付いたらあの本棚の前にいたの」

「成る程。とりあえずは間違いないようだな」

 

 ルミエルの答えに姉さんも頷いた。

 ……しかし、怪しい。

 言葉として聞いた時点で大概だが、実物を見ると更に怪しかった。

 いやこれ絶対に罠だろ、間違いない。

 なんでそんなデカいのに、入ってる本が一冊だけなんだよとか。

 色々ツッコみたい事はあった。

 あったが、今重要なのはそれじゃない。

 

「……行くか」

 

 結局、あの本棚以外に手掛かりもない。

 最初に《金剛鬼》を近付かせるが、変化無し。

 続いて一冊だけある赤い本に手を伸ばす。

 罠の一つもあるかと思ったが――変化無し。

 棚に置かれた本を、《金剛鬼》を使って慎重に回収する。

 本に触れてもやはり変化無しだ。

 そうしてから、《金剛鬼》の視覚越しに本の表紙を確認してみた。

 背表紙とは異なり、表紙には共通語の文字が書かれていた。

 それの意味するところは。

 

「記憶、か。またストレートだなオイ」

 

 オレは微妙に呆れながら、肉眼でも赤い本の表面を確認した。

 直接は触らずに、《金剛鬼》に見えやすいよう持たせる。

 機械の視界を通して見た時と変わらない。

 飾り気のない本の表紙には、ただ「記憶」という一文だけ書かれていた。

 

「なぁルミエル、この本知ってるか?」

「……ううん、わかんない。

 あたしも本は読んでたけど、コレじゃないよ」

「そうかぁ……」

 

 ルミエルの持ち物って線はこれで消えたか。

 表紙とかを見ても変化無し、試しに指先だけで触れてみるが……変化無し。

 周りに見える本棚の群れも、不気味なぐらい静かだ。

 こうなると、やるべき事は一つしか浮かばない。

 

「読むか、中身」

「……それしか無いか。

 見たところ魔力の反応はあるし、何かの仕掛けはありそうだが……」

 

 出来れば反対したいと、顔に出てるよ姉さん。

 オレだって嫌だけど、試してないのはそれぐらいしかない。

 ルミエルは良く分かっていないようで、不思議そうに首を傾げていた。

 うんまぁ、選択の余地ないよなコレ。

 

「……せめて、本は私が開こう。イーリス」

「気を付けてくれよ。何に気を付ければ良いのか分からんけど」

 

 此処でごねても仕方ないので、本は素直に姉さんに渡した。

 《金剛鬼》は直ぐ傍に置いて、ルミエルの手はしっかりと握っておく。

 これで最低限の準備は整った。

 視線で合図を送れば、姉さんは小さく頷いて。

 

「開くぞ」

 

 その言葉と共に、本の頁が捲られた。

 たったそれだけで、オレ達から見える景色の全てが塗り替わった。

 本当に、一瞬の出来事だった。

 

「は……!?」

 

 空間を転移した時の、あの独特の気持ち悪さは無い。

 立ち位置は変わらないまま、オレ達以外の全てが別物に変わっているのだ。

 奇妙な本棚の迷宮は消えて、そこにあるのはデコボコの荒野。

 空は曇天で日の光は見えない。

 代わりのように視界に飛び込んでくるのは、鋼の鈍色と血の赤色。

 そして――。

 

「……人と竜が、戦ってる……?」

 

 相争うのは、二つの異なる種族。

 古臭い武器と防具で挑んでいく人間達と。

 翼を広げて吼え猛る竜の群れ。

 ――気付けばオレ達は、見知らぬ戦場に迷い込んでいた。

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