第三章:彷徨う者達

69話:始まりの夢


 ――《北の荒れ野》と、人々はその地をそう呼んだ。

 恐るべき古竜、《北の王》が支配せし領域。

 大バビロンの威光すら届かぬ最果て。

 その災厄を克服せんと多くの者が旅立ち、二度と帰って来なかった。

 生きる者は必ず死に、荒野を彷徨うのは歪んだ“獣”と置き去られた罪人のみ。

 「俺」も後者で、多分直ぐに死ぬはずだった。

 竜の庇護下にない人間は、今日を生きるのも苦労する時代だ。

 だから特に深い理由があるワケでもない。

 単に「そうしなければ死ぬから」というだけで他人から物を奪って生きた。

 そんなケチな盗賊で、だから程なく取っ捕まって荒野に捨てられた。

 死にかけの騎士に助けられて、運良く牢から出られたが。

 荒れ野の果て、《北の王》を討ち取る役目を代わりに引き受けた。

 ……まぁどう考えても無理だけど。

 助けられた義理もあるので、一応約束はした。

 そうして荒れ野に出て来たが、あっさり死んでも勘弁して欲しい。

 ケチな盗賊に過ぎない身としては、別段腕っぷしに自信があるわけでもない。

 だからちょっとヤバい“獣”に出くわせば、そのまま死んで終わりだろう。

 少なくとも、牢から出たばかりの俺はそう考えていた。

 

「……で、本当なんだろうな?」

 

 俺は荒れ野に出て直ぐ出くわした、「その女」に問いかけた。

 全身を黒く染めた金髪の女。

 小柄でスタイルは良いが、胸はやや小振りな気がする。

 ぱっと見は修道女に見えるが、纏う空気は聖職者と呼ぶには怪しげだ。

 顔の半分は黒い仮面で覆っているせいで、表情は見え難い。

 たまに窮屈そうな様子を見せるのは、果たして俺の気のせいだろうか。

 

「何がでしょう?」

 

 黒い女は淡々と応える。

 丁寧そうな口調だが、慇懃無礼とか何かそういう感じを隠そうともしない。

 俺の方も、そういうのは別に気にするタチじゃないが。

 

 竜を殺した奴なんて、今まで聞いた事もない。

 いや、そもそも古い竜は不死不滅で、決して死ぬ事はないはずだろ?」

 

 それが俺の中にある「常識」だ。

 問いを口にしながら、俺は手にしたモノを掲げ持つ。

 それは一振りの「剣」だ。

 華美な装飾はなく、けれど「実用」だけではない美しさを持つ長剣。

 これだけ立派な剣は、これまで一度も手に取った事はない。

 鈍く輝く刀身を検める傍で、女はほんの少し笑った。

 

「竜であれ、怪物であれ。

 その剣で殺せぬモノはありません。

 死せぬ者の永遠すらも断ち斬る、この世でたった一つの刃。

 敢えて呼ぶなら《一つの剣》」

「成る程なぁ」

 

 そんな凄い剣なんだな、コレ。

 良い物ぐらいには分かるが、魔法の知識なんて殆ど無いからな。

 そうやって言葉を交わしていると、軽く地面が揺れた。

 荒れ野の向こうから、ゆっくりと近付いて来る巨大な影。

 黒い女は、やはり笑っているようだった。

 

「もっとも、如何に剣が通じようとその切っ先が届くかどうかは使い手次第。

 あの恐るべき竜を、《北の王》を討とうと言うならば。

 先ずはあの程度の怪物には勝って頂かないと」

 

 姿を現したのは、醜く歪んだ巨大な化け物。

 かろうじて人型ではあるが、当然のように人間とは似ても似つかない。

 肥大化した五体に、真っ黒でところどころ鱗の生えた肌。

 頭には捻じくれた二本の角が生え、顔には配置も出鱈目な目玉が四つもある。

 牙と爪は鋭く、それ以上に凶悪そうな巨大な斧を片手に下げていた。

 こっちから見えているなら、相手の方からも見えている。

 醜い怪物は、俺達を「獲物」と定めたようだった。

 

「なぁ」

「なんでしょう」

「アレ勝てんの???」

「勝てないなら死ぬだけでは?」

「そっかぁ」

 

 まぁ道理ではある。

 負けたら死ぬ、勝てば死なない。

 文句の付けようもない道理だけども。

 

『GAAAAAAAAA――――ッ!!!』

 

 怪物は天高く吼える。

 それだけでビリビリと空気が震えた。

 

「……無理じゃね??」

「さぁ、頑張って下さい。私は此処で見守っていますから」

 

 すげー優しい声で応援だけされてしまった。

 見れば黒い女は、俺から大分離れた場所に一瞬で移動していた。

 完全に見物モードです、本当にありがとう御座いました。

 

「クッソー、やってやらぁ!!」

 

 俺は殆どヤケクソで怪物へと突貫する。

 この剣がそんだけ凄いモンなら、当たれば意外と何とかなるかも。

 

『GAAA』

 

 とか思ってたら、怪物はデカい斧を小さく構える。

 明らかに突っ込んでくる俺にカウンターをぶち込む体勢だった。

 いやちょっと、そんな見た目で動きが冷静過ぎるのでは。

 

「グアーッ!!?」

 

 そしてぶっ飛ばされた。

 いやもう自分で惚れ惚れしてしまうぐらいのヤラレっぷりだ。

 宙を舞っている最中、黒い女の様子もチラっと見える。

 仮面で顔半分は隠れているが、「あーぁ」とか聞こえてきそうな呆れ顔だった。

 クソ、まだもうちょっと何とかなるはず。

 一発で死にそうではあるが、気力だけは繋がっている。

 だから俺は、そのまま地に墜ちたら直ぐに――。

 

「……起きた?」

 

 頭上から降って来た声に、意識は微睡みから引き上げられる。

 まだぼんやりした頭の中で、針を刺すぐらいの軽い痛みを感じる。

 どうやら、また古い夢過去を見ていたようだ。

 以前は普通の夢と同じように、目覚めれば殆ど忘れる事も多かったが。

 今は手に取るように思い出す事が出来た。

 そうだ、アイツと――アウローラと出会った時は、あんな感じだったな。

 

「ちょっと、何ボーッとしてるのよ?」

「ん。あぁ、悪い」

 

 重ねて掛けられた声に、俺は遅れて応える。

 見れば、ブリーデが俺の顔を心配そうに覗き込んでいた。

 口では色々言いながら、他人を気に掛けるのが彼女の気質らしい。

 パチリと、傍で焚き火の爆ぜる音がした。

 ブリーデに頭突きをしてしまわぬよう、ゆっくりと身を起こす。

 俺達がいる場所は、相変わらず狂った森のど真ん中。

 その一角で野営をしているところだ。

 ブリーデが用意した火は俺達がいる辺りだけを明るく照らす。

 立ち上る煙が少ない辺り、これも魔法の業なんだろう。

 

「気分はどう?」

「悪くはないな。良くもないが」

「そうでしょうね」

 

 起き上がった俺からは少し距離を開けて。

 ブリーデは火の傍に腰を下ろすと、小さく息を吐いた。

 

「いきなり寝ちゃうもんだから、ビックリしたわよ」

「悪いなぁ」

 

 自分で思っていた以上に消耗していたらしい。

 この場所に着いて、ブリーデが火を熾し始めたぐらいまでは覚えてるんだが。

 俺の言葉にブリーデはもう一度ため息を吐く。

 

「それは別に良いけど。

 ……それと、アンタが寝てる間に少し状態も見させて貰ったわ」

「あぁ」

「ハッキリ言って、そんなに持たないわよ。このままだと」

「やっぱそうなるか」

 

 マーレボルジェの都市を走り回ってた時と似たような感じだろう。

 その辺りは予想していた通り。

 身体の動きを確認するが、倦怠感に近い重みを感じる。

 少しずつだが確実に、俺は力を失いつつあった。

 以前みたいに突然動けなくなるような事は避けたいが、どうしたもんか。

 

「こうなると、完全に力尽きる前に脱出を急ぐか。

 それともアウローラと合流するのを優先した方が良いのか。

 どっちが良いか、ちょっと分からんくなるな」

「……前者はまだしも、後者は位置とかまったく分かってないじゃない。

 どうやって力尽きる前に見つけるつもり?」

「それはホラ、がんばればどうにか」

「頑張ってどうにかなる事にも限度があるでしょうが!!!」

 

 何故か怒られてしまった。

 まー上手い策があるわけでもなし。

 運良く合流出来る可能性に賭けて探し回るのも一つの手だ。

 駄目なら駄目でそれまでの話だしな、ウン。

 

「……何かロクでもない事を考えてるでしょ、今」

「いや、そんな事は」

「顔色見れば分かるのよそのぐらい」

 

 兜で顔色とかそもそも見えないのでは??

 突っ込もうかと思ったが、ギロリと睨まれたので止めておく。

 

「はぁー……ちょっと、こっち来て」

「? おう」

 

 手招きされたので、言われた通り傍に寄る。

 やっぱちょっと身体が重い感じするな。

 その動作の違いも、ブリーデの眼には見抜かれている気がする。

 焚き火の熱をじんわりと感じる距離。

 ブリーデは自然な動きで俺をその場に座らせた。

 

「何も言わなくても、どうせ無茶するでしょう。アンタ」

「まぁそっちに無茶させる訳にはいかんしな」

「……死んだらどーすんのよ」

「その時はその時だろう」

 

 俺の運だか実力だか、そういうのが足りなかっただけの話だ。

 ブリーデを一人にする状況は避けたいので、可能な限り死ぬ気はないが。

 そう応えると、ブリーデは顰め面で眉間を揉み始めた。

 

「……治療」

「ん?」

「治療よ、出来るかもしれないとは言ったでしょ?」

「おぉ、そうだったな」

「寝てる間に考えたけど、多分行けるわ。

 けど甘く見積もっても応急処置レベルだから、過度な期待はしないでよ」

「それだけでも十分ありがたいな」

 

 何もしなけりゃ力尽きて死ぬだけだしな。

 それが少しでも伸びるんなら上等過ぎる話だ。

 

「……ちょっと待って」

 

 ブリーデはそう言って自分の懐を漁る。

 取り出したのは小さな短剣。

 その細い刃と俺の方を、彼女は何度か見比べてから。

 

「ねぇ」

「うん?」

「その鎧、何で外れないの?

 眠ってる時に一応脱がそうと試したら、全然駄目だったんだけど」」

「アウローラが自分以外には脱がせないようにって呪い掛けたせいだな」

「何してんのアイツ??」

 

 いやぁ、それは俺に聞かれても困る。

 呆れた様子でため息を吐き出しながら、彼女は首を軽く振って。

 

「じゃあ、面覆いは? それも上がらない?」

「一応そこなら動かせる」

「だったらそれだけ上げて、こっちで横になって」

「おう」

 

 示されたのは地べた……ではなく、ブリーデの膝辺りだ。

 これはアレか、膝枕って奴か。

 兜付けたまま横になったら痛いのでは。

 ちょっと心配したが、ブリーデは構わず自分の膝を叩いた。

 

「幾ら私が糞雑魚でも、そのぐらい平気よ。

 グダグダしてないで早くしなさい」

「分かった」

 

 促されるまま、俺はブリーデの膝に頭を乗せる形で横たわった。

 出来れば鎧無しの方が良かったが、脱げないものは仕方ない。

 硬い金属が脚を圧迫する感覚に、ブリーデは少しだけ顔を顰めた。

 けれど文句は口にせず、改めて短剣の柄を握る。

 俺の方は指示された通りに面覆いだけは上げておく。

 

「じゃ、そのまま口開けてて」

「??」

 

 一体何をするつもりなのか。

 イマイチよく分からないが、言われるままに口を開く。

 傍から見ると大分間抜けな構図じゃないか、コレ。

 などと考えていると……。

 

「……痛っ」

 

 ブリーデは自身の手のひらを短剣で軽く切り裂いた。

 一文字に刻まれた傷から、真っ赤な血が流れる。

 それを確認した上で、ブリーデは傷つけた方の手でぎゅっと拳を握る。

 流れ落ちる血は、そのまま俺の口の中に落とされた。

 

「他の竜王達なら、魂に直接火を与える事が出来るんでしょうけど。

 生憎私はそんな器用な真似は出来ないから」

 

 ぽたり、ぽたりと。赤い雫が俺の中に入ってくる。

 最初は微かに、血が落とされる回数が増す程に強く。

 俺の中で熱が染み渡っていくのを感じた。

 以前に受けていたアウローラの「治療」と似た感覚だ。

 

「血には魔力――生命力が宿ってる。

 これで少しぐらいは、燃え尽きたアンタの魂と身体にも熱が戻るでしょう」

 

 程なくして、ブリーデは血の流れる手を下げた。

 微妙に顔色が悪いのは、多分俺の気のせいじゃないだろう。

 身体を覆う倦怠感が和らいだのを感じながら、俺は改めて身を起こした。

 

「で、どんな感じ?」

「大分楽になった。ありがとうな、ブリーデ」

「良いわよ、別に。ちょっと疲れたぐらいだから」

 

 そう応えて、ブリーデは若干蒼褪めた顔で息を吐く。

 俺に血を、生命力を分けた事で消耗してしまったようだ。

 見た感じは「かなり疲れた」ぐらいの様子だが。

 

「……竜とは思えない、情けない姿でしょう?」

 

 俺の視線に何かを察したのか。

 ブリーデは自嘲の笑みを浮かべて肩を竦めた。

 まぁ、アウローラやボレアスとは大分違うなとは思ったが。

 竜と一口に言っても千差万別なんだな、ぐらいだ。

 少なくとも、俺の中での認識では。

 

「アンタは、《古き王オールドキング》についてはどれぐらい知ってる?」

「アウローラやボレアスみたいな、一番古いドラゴンの王様たちの事だろ?」

「そうね。この大陸に偉大なる《造物主》が最初に降り立った後。

 『完璧な生命の創造』という目的に造られたのが《古き王》。

 最初に生み出された、全ての竜種の原型」

 

 何処か懐かしむような声で、ブリーデはぽつりぽつりと語る。

 

「《古き王》は、《造物主》が求めた『完璧な生命』の完成品。

 地の底から現れた「」を参考にして造られた。

 ……そして私は、彼らの前に創造された「出来損ない」の古竜。

 王には当然数えられず、生み出した父からも見放された」

「…………」

 

 不出来な白子と、確かブリーデ自身が言ってたな。

 自嘲を深めながら、彼女は何処か捨て鉢に笑ってみせる。

 

「それでも一応、竜は竜だから。

 血を与えれば間に合わせぐらいになるかと思ったけど。

 まぁ、何とかなって良かったわ。

 これでアイツに、貸しの一つぐらい作れるかしら」

「アイツって、アウローラの事か?」

「そーよ、他に誰かいる?」

 

 言葉を重ねながら、ブリーデは変わらず笑っている。

 弱い自分に対する嘲りとか、恐らくは過ぎてしまった何かに向けた悲哀とか。

 そういった感情がごちゃ混ぜになった顔だ。

 けれど其処から、怒りとか憎しみの類は感じられなかった。

 

「私のすぐ後に造られた、《古き王》の長子。

 最も神に近い《最強最古》の竜王。

 出来損ないの私の事なんて、構う必要ないでしょうに。

 昔っから何かと理由を付けて絡まれて、その度に酷い目に遭わされたわ」

「その辺は何となく想像つくわ」

 

 これまでの言動でも度々トラウマが顔出してたしなぁ。

 ブリーデはか細い吐息を漏らし、言葉を続ける。

 

「……そんなアイツが、いきなり消えたのが三千年前。

 どっかで何かあって滅んだんじゃないかって、そう思ってたけど。

 まさか、今になってねぇ……」

「嫌だったか?」

「嬉しいとは、口が裂けても言えないわよ」

 

 胸中、色々複雑なんだろうな。

 姉妹仲に関しては外野に過ぎない俺では、特に言える事もないんだが。

 複雑そうな表情のまま、ブリーデは焚き火の方に視線を落とす。

 またその唇からはため息が零れた。

 

「……とりあえず、私の血でも最低限の治療になる事も分かったし。

 此処から脱出するまでの協力関係について、改めて問題はないわよね?」

「あぁ、無理やり引っ張り出したのこっちだしな」

「その事は是非忘れず胸に留めておいて欲しいわね。

 ……兎も角、私は弱ってるアンタを助けるし、アンタは弱い私を守る。

 それで無事にこの迷宮を抜け出せたら、後は」

「アウローラと会うだけだな。

 もしかしたら脱出前に合流出来る可能性も……」

「コラちょっと???」

 

 おっと、何か問題でもあったか?

 いつの間にやら金鎚も持って、ブリーデは完全に威嚇の構えだ。

 いっそ泣きそうな眼で此方を睨んでくる。

 

「もう言ったはずだけど。

 私はアイツに、アイツらには会う気なんて……!」

「貸し一つなんだろ?」

 

 俺が何を言い出したのか、ブリーデは一瞬理解出来なかったようだ。

 だから俺はもう少し分かりやすいよう言い直した。

 

「俺を助けてくれたんだから、間違いなく貸しには出来ると思う。

 けどそれだったら、アウローラの奴にちゃんと会わなきゃ意味ないだろ?」

「それは……そう、だけど」

「まぁ、無理にとは言わんけどな。

 どの道、こっからどうなるか良く分からん状態だ」

 

 無事に脱出するのも、アウローラ達と合流するのも。

 全部こっからだ。

 そんな俺の言葉に、ブリーデは何も言わなかった。

 暫しの沈黙の後、細く息を吐いて。

 

「……焚き火が消えたら、この場に掛けてる《魔除け》の効果も途切れるから」

「おう」

「それまでは一応安全だから、もう少し休みましょう。

 私もアンタも、疲れてるんだから」

「そうだな」

「……休んで、それから出発すればいい。

 本当に、疲れてるから」

 

 それだけ言うと、ブリーデは目を閉じた。

 俺もそれ以上は何も言わなかった。

 パチリと、勢いの弱くなってきた焚き火が小さく爆ぜた。

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