幕間2:もしそれが永遠ならば

 

「なぁ長子殿、やっぱり《吐息ブレス》で適当にブチ抜いてはダメか?」

「お前、ちょっと前に私に対して何言ったか覚えてる??」

 

 古びた迷宮を進む事に飽きたのか、ボレアスはまた馬鹿な事を言い出した。

 私の方もいい加減に慣れて来たけど、流石にため息が零れそうになる。

 果たして、どのぐらいこうしているだろう。

 《始祖》の誰かが築いただろう遺跡は、なかなかに面倒ではあった。

 複雑に入り組んだ道には魔法の仕掛けも多く、守護者もそこら中をうろついてる。

 どれも別段脅威ではないけど、苛立ちを感じる程度には邪魔臭い。

 更に後ろで文句を垂れながら付いて来る奴がいれば、猶更神経を逆撫でされる。

 自然と、剣を抱く腕に力が籠る。

 早く、出来るだけ早く「彼」を見つけないと。

 未だにそれらしい気配はなく、焦りだけが募っていく。

 さっきのような醜態は晒さぬ為にも、それは胸の内で何とか抑える。

 

「大分下りたと思うが、竜殺しの気配は感じられんな」

「そうね。お前が見逃したりしてなければだけど」

「流石にそんな間抜けはせんよ。

 剣はこの場にあるが、それでもアレと我の魂は繋がったままだからな」

 

 妙にイラっとする物言いに、いきなり激情に駆られそうになる。

 落ち着け、落ち着け私。

 コイツが挑発的な言葉を口にするのはいつもの事。

 それにいちいち目くじらを立てては、《最強最古》と称された私の沽券に関わる。

 あくまで冷静に、冷静に対応しないと。

 

「長子殿の方は、近頃は治療と称して火を与える必要も無くなってしまったしなぁ。

 まぁアレのおかげで、我も力を回復させる事が出来たので感謝してるが」

「黙らないとアンタの顔で床を掘り進めるわよ??」

 

 一瞬で頭が沸騰しかけた。

 コイツは、本当にコイツは減らず口ばかり……!

 やっぱり此処でバラバラに砕いた方が良いだろうかと、半ば本気で考えてしまう。

 しかしそうしてしまったら、レックスを探す上で面倒が増えるだけ。

 強い自制心で私はその衝動を抑え込む。

 

「……ところで、長子殿?」

「今度は何?」

 

 ほんの少しだが、ボレアスの声の調子が変化する。

 どうやら私がブチギレかけてる事には気付いたらしい。

 私の逆鱗を気軽に擦ろうとする割に、本気で怒らせる一線を超えようとはしない。

 その辺りがまた腹立たしいが、今は捨て置く。

 

「そちらも勘付いているだろう。竜殺しの気配は未だ無いが……」

「……多分此処よりずっと下の方ね。

 。当然分かってるわ」

 

 それも少し前から気付いてはいた。

 何故か不安定ではあるけれど、距離が離れている状態でも確かに感じられる。

 地の底で煮え滾る溶岩の如き強大な「力」。

 これまでに三度、自らを真竜と名乗る連中と相対してきた。

 あの《黒銀》は完全に例外にしても、ソイツらとは明らかに「格」が異なる。

 

「規模からして、ただの古竜を喰らっただけの木っ端ではあるまい。

 最低でも竜王――場合によっては、《古き王オールドキング》の誰かか」

 

 そう言って、ボレアスは愉快そうに笑う。

 まだ互いに遠く、渦のように相手の力が乱れているせいで正確には測れない。

 その上で、私の方もほぼ同意見だった。

 これが真竜の気配であるなら、間違いなく厄介だ。

 

「しかし、仮に《古き王》誰かを喰らった真竜だとして。

 それがどの兄弟であるのか、長子殿なら分かるか?」

「……何となく、覚えがある気はするけど。

 残念ながら分からないわね。

 もっと近づいて、気配の細かいところまで感じれば別かもしれないけど」

 

 まぁ仮に《古き王》の誰かだとしても、別に問題はない。

 私の――いえ、私達のやる事に変わりはないのだから。

 

「レックスと合流して、地下深くにいるのが竜ならば狩り殺す。

 相手が何であれ、同じ事よ」

「もし本当に相手が《古き王》ならば、少しばかり面倒だろう。

 《竜体》も取れぬ今の我と長子殿では二人がかりでも危ういかもしれんぞ?」

「この剣をレックスが持てば、そんなのは関係ない。

 かつて万全の状態で迎え撃ったお前を討ち取ったのよ、知っているでしょう?」

 

 嫌がらせのつもりで、過去の話を蒸し返してみた。

 けれどボレアスは気にした風もなく笑っている。

 成る程、それは確かにと愉快げに。

 ……ホントに、何故か妙に余裕のある態度が腹立たしいわね。

 我ながら感情が不安定だとは自覚している。

 やっぱり、出来るだけ急いでレックスを見つけないと。

 そして剣を渡して、この遺跡の深奥にいる真竜も狩り殺す。

 今までの真竜よりちょっと強かろうが、本当の“竜殺し”である彼ならば関係ない。

 必ず勝てると、私は確信を持っていた。

 あの恐るべき《黒銀》には後れを取ってしまったけど。

 それでも彼なら、レックスならばいつかは――。

 

「……長子殿、余りボーッとしていると足を取られるぞ?」

「……いきなり何を言い出すかと思えば。

 あの白子のナメクジじゃないんだから、馬鹿にしないで頂戴」

「ハハハ、確かに白子の姉上ならば言ってる傍からスッ転びそうだが」

 

 実際にその光景を想像したのか。

 ボレアスはまた一段と声を高くして笑う。

 ……何だかそれすらもイラっとするのは、私に余裕が足りないせいだろうか。

 一発ぐらい叩こうかとも思ったけれど、それは自重しておいた。

 今はそんな事より、もっと大事な事がある。

 

「この遺跡にいるだろう真竜も狩るか、長子殿」

「そうよ。何か問題でも?」

「いやいやまさか。

 我も完全な状態に戻るには、まだまだ喰わねばならんからな」

「……別に、その為に竜殺しを行うわけじゃない事。

 当然、弁えているわよね?」

「あぁ、我も身の程ぐらいは知っているとも」

 

 どうだか。

 かつては私すら恐れず、竜属の王を名乗った身の程知らずの筆頭が。

 威嚇するぐらいのつもりで少し強めに睨んだが、ボレアスの表情は変わらない。

 ただ、私の気のせいかもしれないが。

 その笑みには少しだけ、異なる感情が混じっている気がした。

 

「……先ほどの話だがな」

「?」

「長子殿が言っていた《十三始祖》の話だ」

「あぁ……それが何?」

 

 何故、今その話をまた持ち出すのか。

 意図が分からず、軽く首を傾げてしまう。

 此処は《始祖》の遺跡だとして、此処で確認するような事も無いでしょうに。

 私が疑念を抱くのも構わず、ボレアスは言葉を続ける。

 

「結局、《始祖》達は長子殿に騙されて「不死の秘密」を手にしたものの。

 その殆どが長き生に耐え切れず狂い果ててしまったと。

 そういう話で良かったかな?」

「人聞きの悪い言い方は止めて欲しいわね」

「だが事実は事実であろう?」

 

 言いながら、ボレアスはニヤリと笑みを深める。

 次また似たような事を言い出したら、本当にその口を縫い付けてやる。

 私は半ば本気でそう決意したが。

 

「では、あの男は?」

「……はい?」

「だから、あの男だよ。

 我を討ち取り、今や長子殿の心を掴んで離さぬ竜殺しの男」

「レックスがどうしたの?」

 

 言っている意味が分からない。

 《始祖》の話から、どうしてレックスに繋がるのか。

 本当に理解出来ずにいる私に対して、ボレアスはまた笑みに別の感情を見せた。

 其処でやっと、私は気付いた。

 さっきからボレアスが此方に向けているのは、憐憫の情であると。

 

「……長子殿は、かつての己の野望の全てを捨て去ってまであの男を選んだ。

 我との戦いで死した後、燃え尽き灰となった魂を必死に掻き集め。

 三千年という、竜にとっても短くない時を費やして《蘇生》の術式を組み上げた」

「それが何だと言うの?」

「その飽くなき執念に関しては、我も感服しているよ。

 摂理は抗えぬからこその摂理だ。

 その一部を捻じ曲げるなど、尋常な事ではない」

 

 持って回った言い回しが、また私の逆鱗を撫で回す。

 一体、コイツは何が言いたいのか。

 

「竜の魂を喰らう《一つの剣》にて、真竜どもを殺す。

 そうして未だ不完全な竜殺しの魂に火を与え、完全な蘇生を成し遂げる。

 困難という言葉では生温い話だが、あの男と長子殿ならやってのけるだろう。

 何せ奴は、徒人の身でありながらかつての我を討ち取ったのだから」

「……それで、この話は何時まで続くの?」

「何時まで続けるのか。

 それはむしろ、我が長子殿に聞きたい事だ」

「……は?」

 

 お前がどういうつもりで、何の話をしているのか。

 何一つ分からないと、そう口にしかけた時。

 

 

 するりと。

 油断した瞬間に、喉笛を短剣で刺し貫かれたような。

 たった一言の衝撃で、私は言葉を失ってしまった。

 

「かつての我、《北の王》たるこの我を討ち倒した。

 あの男こそ唯一人の、真の竜殺しである事に異論はない。

 それでも、あの男は人間に過ぎぬ。

 我を討った後に、奴もまた命を落とした。

 それは長子殿が誰より良く知っている事だろう」

「っ……」

「その死を受け入れられず、長子殿はあの男を生き返らせた。

 だがもし、次にそうなったらどうする?

 蘇生が完全になったとしても、死ねば死する定命である事は変わらない」

 

 ボレアスの言葉は、鋭い刃のように私の内側に斬り込んでくる。

 声は出せず、立ち止まりそうな足だけを無理やり前に動かし続ける。

 一刻も早く、レックスを見つけなければならないから。

 けれどボレアスもまた止める事なく、私自身が吐いた言葉を繰り返した。

 

「人間に、不死は長すぎる。

 長子殿自身が言った事だな、コレは」

「……黙りなさい」

「蘇生さえ完全となれば、その魂に「竜の不死」を施す事も出来る。

 長子殿ならば当然、それぐらい容易き事であろう。

 そうして更に百年、千年と時間が経過して、果たしてあの男は耐えられるか?

 偉大な魔法使いであったはずの《始祖》らも耐え切れなかったのに?」

「黙れ……!!」

 

 彼は、レックスは死ぬ。

 人間なのだから、それは当然の事に過ぎない。

 意識せずに目を背けていた事実。

 それを否応なく突き付けられ、私は思わず叫んでいた。

 けれどその行為は、怒りというよりも逃避から来るもので。

 無礼な言葉を重ねるボレアスを叩きのめそうとか。

 そんな攻撃的な衝動は、何処からも沸いては来なかった。

 ただボレアスの口にした言葉が認めがたく、拒絶する他無かった。

 なんて無様――私が客観的な立場なら、冷たく嘲っていたかもしれない。

 ボレアスの方は、ただ小さくため息を吐いた。

 

「塵は塵に、灰は灰にだ。

 我も大概傲慢な竜であるという自覚はあるが、摂理に挑む程に愚かでもない。

 だからと言って、長子殿の行いを笑うつもりもないが」

「……だったら、どうして」

「親切心と言ったところで、きっと長子殿は信じぬだろうなぁ」

 

 本当に、心底意地の悪そうな笑顔で何を言っているのか。

 

「まぁ、我の今の話も半分ぐらいは戯言の類だ。

 人間は容易く死ぬが、あの男はそう簡単に死ぬタマでもない。

 案外、魂を不死にしても飄々と過ごすやもしれんぞ?」

「……それは、本気で言ってるの?」

「いいや、戯言だとも」

 

 やっぱり、一度徹底的に叩きのめすべきなのかしら。

 殺意が怒りと共にジワリと沸いて来た。

 それを素早く察して、ボレアスは私から何歩か距離を取る。

 

「戯言ではあるが、親切心と言ったのも事実。

 今は考える必要はないやもしれんが、いずれ訪れる運命だ。

 頭の片隅ぐらいには置いて損はないと思うぞ?」

「お前は、本当に……」

 

 無遠慮に此方の感情を掻き回しておいてコレだ。

 何処まで本気かも分からない態度に、どうしたって苛立ってしまう。

 けど、語る言葉が真実である事も間違いなかった。

 塵は塵に、灰は灰に。

 私はその摂理に抗って、彼を蘇生させた。

 けど――レックスは、それを本当はどう思っているのだろう。

 かつての記憶を失った彼に、私は勝手な理想を押し付けているだけでは無いか?

 そう考えただけで、肺腑に冷たさが広がる。

 《最強最古》とも恐れられた私が、たったそれだけの事で。

 

「……無駄話が過ぎたな、長子殿。

 急がねばならぬというのに悪かったな。

 さぁ、さっさと竜殺しと、ついでに他の連中も見つけてやらねばな」

 

 何を思ったのか、ボレアスは私の直ぐ傍まで来て。

 あろうことか、手を引いてみせた。

 一瞬思考が固まる私に対して、間近でまたニヤっと笑う。

 

「この姿となって数少ない収穫の一つだな。

 長子殿の百面相をこの距離で拝む事が出来るのは」

「っ……!!」

 

 激昂して叫びそうになるのを抑えながら、掴まれた手を振り払う。

 払われた手をわざとらしいぐらい残念そうに見てから、ボレアスは尻尾を揺らす。

 本当に、何処までも腹立たしい。

 

「……色々言ってくれたけど、お前はどうなの?」

「ん? 我が何だと?」

「お前だって、彼に――レックスに、執着しているでしょうに」

 

 仮に冷静な時だったなら、間違ってもこんな言葉は口にしなかっただろう。

 けど今の私は、兎に角この生意気な格下に何かやり返してやらねばと。

 ただそれだけに拘って、そんな戯言を口にしてしまった。

 

「……既に言った通りだぞ、長子殿」

 

 それに対して、ボレアスはまた笑みを見せる。

 先程よりもずっと、憐憫の色が濃い。

 

「我は傲慢な竜だが、摂理に抗う程に愚かではない。

 ……それが全てだよ、長子殿」

 

 その言葉もまた、避けがたい棘だ。

 鋭く、深く。私の胸の内に突き刺さった。

 

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