68話:幻影の街


 ……オレ達は、何か悪い夢でも見ているんだろうか。

 それとも頭がおかしくなって、幻覚が見えちまっているのか。

 どちらとも判然が付かず頭を抱えそうになる。

 あの奇妙な女の怪物と遭遇した後、オレと姉さんは地下墓地からの脱出を図った。

 其処だけでも相当に広かったが、幸い外に出る道は直ぐ見つかった。

 問題は、地下墓地を出た後だ。

 朽ちかけた石造りの通路が迷宮にように広がっている――はずだと。

 そんなオレの予想とはまったく異なる光景が、其処にあった。

 

「何だよコレ……」

 

 それは「街」だった。

 あぁそうだ、間違いなくオレ達がいるのは街のど真ん中だ。

 古草い印象の石積みの建物が並び、通りには多くの人が行き交っている。

 空には太陽の代わりに光の帯が輝いており、青く澄み渡って雲一つ見当たらない。

 オレと姉さんは、それを路地裏の隙間から覗いている状況だ。

 今のところ不審な点は何処にも無い。

 精々が、住民から街の雰囲気まで随分と懐古的クラシカルな事ぐらいだ。

 誰もが普通に言葉を交わし、日常を営んでいる。

 そんな当たり前の光景がこんな場所に突然現れた事に、酷い違和感を覚えた。

 

「……普通ではないな」

 

 オレの傍で観察を続けていた姉さんは、ぽつりと呟く。

 地下墓地を出たら直ぐに街中に出ました、なんて明らかにおかしいよな。

 出て来たはずの扉も、気付けば煙のように消えちまったし。

 そう考えてたが、姉さんの方はまた少し違う事を察知していた。

 

「彼らの会話だ」

「会話?」

 

 首を傾げるオレに、姉さんは頷く。

 会話……っても、距離があって話し声は微かにしか聞こえない。

 

「会話がどうしたんだよ?」

「……実際に聞いた方が早いが、《金剛鬼》の感覚器センサーなら拾えるか?」

「あー、ウン。多分いけるよ」

 

 促され、オレは早速後ろに立つ《金剛鬼》に命令コマンドを送る。

 小さな音でも正確に拾えるよう聴覚の感度を上げ、それを自分の耳と同期リンクさせる。

 無差別に音を拾い過ぎると気分が悪くなるので、音声識別フィルターも忘れずに。

 そうして、街の連中の会話がオレの耳に入ってくるが……。

 

「なぁ聞いたか? 今日はとうとう婚礼の日だ!」

「■■■様が、遂にあの恐るべき王の心を射止められたんだ!」

「嗚呼、なんて素晴らしい日だ!」

「荒ぶる竜ですら、愛の前には屈する他ない!」

「讃えよう! 偉大なる十三人の名を!」

「我らの輝かしき未来を!」

「なぁ聞いたか? なぁ聞いたか?」

「今日はとうとう婚礼の」

「素晴らしい日! 素晴らしい、素晴らしいしいすばらssss」

「遂にあの恐るべき王の心を射止められれrrrrr」

「讃えよう! 讃えよう!」

 

 ……その辺りで聴覚との同期を切断した。

 何だコレ、本当に何だコレ。

 まるで壊れた音響機器レコーダーみたいに、同じ言葉を繰り返すだけ。

 ぱっと見では何の異常もなく、ただ楽しそうに会話をしているだけに見えるのに。

 蒼褪めたオレの頭を、姉さんはゆっくり撫でる。

 

「この光景が幻覚なのかどうかは分からないが、異常である事は間違いない。

 街の人間にも、下手に接触しない方が良いかもしれないな」

「じゃ、じゃあ、どうするんだ……?」

「……気になる事は言っていたな。婚礼の日、とか」

 

 確かに、そんな事は言ってたな。

 誰かが恐るべき王の心を射止めたとか何とか。

 偉大なる十三人、って言葉も引っ掛かる。

 

「なぁ、姉さん」

「……古い詩に時折出てくる名前だったな。

 かつてこの地に、最初に「魔法」をもたらしたという十三人の魔法使い」

 

 《十三始祖》。

 姉さんが言った通り、今はもう古い詩にのみ名前を残すだけの御伽噺だ。

 最も恐るべき竜の長子と取引をし、彼らの持つ「不死の秘密」を手にした者達。

 それからも多くの功績と災禍を残し、気付けば大陸から姿を消した。

 記録自体が今の時代に殆ど残っていないせいで、オレも詳しい事は知らない。

 ……アウローラ辺りなら、もっと色々知識もあるんだろうか。

 

「けど、《始祖》の名前が出たって事は……」

「この幻は、過去の記憶の可能性がある」

 

 だから同じような言葉を、幻の住民は延々と垂れ流していると。

 納得はしたが、別の疑問も出てくる。

 これが過去の一場面シーンだとして、それを誰がこんな風に再生してるんだ?

 脳裏を過るのは、あの女の怪物の姿だった。

 

「このまま、裏路地を進もう。

 仮にこれが過去の記録を繰り返しているとしたらだが。

 異物である私達が下手に接触すると、排除しようと襲って来る可能性がある」

「在り得そうだなぁ……」

 

 ブチギレた怪物が飛んでくる絵面を、頭の中で想像してしまった。

 そんなオレの背を軽く叩いてから、姉さんが先を行く形で路地裏を進んで行く。

 ちょっとばかり狭いが、此方には人の姿は見当たらない。

 《金剛鬼》も慎重に動かして、余り派手に音を出さないよう注意する。

 緊張感で頭痛がしてきそうだ。

 銃弾が飛び交う鉄火場でも此処まで恐ろしくはないだろう。

 だが此処は、得体の知れない怪物の腹の中と同じだ。

 いつ何時、どういう形で危険が襲って来るかも知れない。

 そんな状況にも関わらず、姉さんは普段と変わらず冷静なまま――。

 

「っ……」

「姉さん……!?」

 

 先を進む姉さんの動きが、少しふらついた。

 そうだ、未だ治療し切れてない負傷ダメージを抱えてるんだ。

 普段通りなわけがない。

 咄嗟にオレが肩を支えると、姉さんはすまなそうに笑う。

 

「すまない、ちょっと足元がな」

「それはいいから、無理はしないでくれ……!」

 

 焦るが、声は可能な限り抑える。

 やっぱり今の姉さんに下手な事はさせられない。

 オレが何とかしなくちゃと――そういう思考に流れるが。

 じゃあ、具体的に何をどうするんだ?

 

「……糞っ……」

 

 自分達の置かれた状況すら、十全に把握出来ていない。

 何処に危険があるかも分からない。

 考えが出てこないし、思考も回ってくれない。

 言葉にも窮して、足が止まりそうになる。

 自分なりに修羅場は潜って来たなんて自負も、今は何の意味もない。

 あの積層都市の底は、オレ程度でも生きられるぬるま湯だったと思い知る。

 

「……大丈夫、もう何ともないから。

 行こう、一緒に」

「……あぁ」

 

 また姉さんにオレの弱さを見つけられてしまった。

 守られながら空回っているオレは、酷く子供ガキだ。

 深くは考えずに動けと、思い直したはずの思考の悪循環。

 それにまた嵌りかけた、その時。

 

「…………?」

 

 何かが視界の端で動いた。

 街の人間が路地裏にもいたのかと、一瞬身構えかける。

 だが違った。

 薄暗い道の隅で動く小さい何か。

 白く丸い、その姿は……。

 

「……ウサギ?」

 

 そう、ウサギだった。

 オレも実物を見るのは初めてだった。

 けど記録上で知っている通りに、長い耳と白い毛に覆われた小動物。

 毛の色は他にも種類があるそうだが、とりあえず特徴は間違いなく合致している。

 姉さんの方も、不思議そうな顔で同じように見ていた。

 どうやらオレだけが見えてる幻覚ってわけでもなさそうだ。

 

「何故、こんなところにウサギが……?

 いや、これも街の人間と同様、再現された過去の一部なのか……?」

 

 不可思議に過ぎるウサギの存在に、姉さんは警戒を滲ませる。

 いや確かに怪しすぎるし、警戒するのは当然だと思う。

 ただ、そう。それこそ不思議な話なんだが。

 オレには目の前にいるウサギから、特に危険は感じなかった。

 何かを訴えるような金色の眼差しには、間違いなく知性が感じられる。

 

「……あっ」

 

 路地裏で暫し見つめ合っていると、ウサギの方が動き出した。

 ひょいっと軽い動作で道を跳ね、思いの外素早い動きで奥の方へと走っていく。

 あっという間に小さくなった姿を確認してから、姉さんの方を見た。

 

「何か、誘導されてる?」

「……可能性はあるな。あのウサギからは知性を感じる。

 通りに見える街の住人達は機械的だったが、アレはその逆だ」

 

 其処まで見てたのか……流石だな姉さん。

 

「追っかける?」

「罠の可能性もあるけれど……今は判断する材料もない。

 誘い込まれてみるしかないか」

 

 決まりだな。

 そうと決まれば、見失わないよう急いで行くか。

 先程までより気持ち足早に、オレ達は狭い道を進んで行く。

 少しするとまたウサギの姿が見えるが、直ぐに奥へと走り出す。

 やっぱ完全に誘い込まれてんな。

 

「なんか、古い詩にあったよな。こういうの」

「ウサギを追いかけたら、そのまま穴に落ちる話か?」

「それそれ。おかしな街に迷い込んだらウサギを追いかけるとか。

 何か御伽噺みたいだなって」

 

 こんな状況だが、思わず笑ってしまった。

 あのウサギが罠の類だった場合、笑いごとじゃ済まないけど。

 やっぱオレの頭はおかしくなってるのかもしれない。

 それでも、釣られて姉さんが笑ってくれるのには正直ホッとした。

 悪夢に迷い込んだような状態で、オレ達しかいないけれど。

 今のオレの傍には、姉さんがいてくれる。

 たった一人で都市の底に落ちた時に比べれば、随分マシに思えて来た。

 

「……これが御伽噺なら。

 最後は“幸せに暮らしましたハッピーエンド”で〆なんだがな」

 

 呟く姉さんの声は、ほんの少しだが暗い響きがある。

 オレの弱気が、姉さんにも移っちまったか。

 あぁそうだ。自分ばかり余裕が無いと思っていたけど。

 ボロボロになって、オレと二人だけでこんな意味不明の場所に放り込まれて。

 それで不安を感じないワケがない。

 姉さんだって、オレと同じはずなんだ。

 

「……何とかなるし、何とかするしかない。

 多分、あの甲冑姿のスケコマシならそう言うぞ」

「確かに、それは言いそうだな」

 

 どちらからともなく、また小さく笑みがこぼれる。

 まったくあの野郎、何だかんだとオレや姉さんを此処まで引っ張り回したんだ。

 早く責任取って助けに来いよ、あのスケベ兜め。

 などと理不尽に他人のせいにしている内に、またウサギの姿が見えて来た。

 しかし今度は何処かに走り去ったりはしない。

 まるでオレ達が辿り着くのを待っているみたいに。

 

「アレは……?」

 

 ウサギが座り込んでいるのは、一つの建物の前だった。

 それは言葉通りの「」。

 石積みの家屋が並ぶ中で、それは木造りで小ぢんまりとした小屋だった。

 正面に付いた扉もかなり小さく、屈まないと入れそうにない。

 

「いよいよ御伽噺めいて来たな……」

「ウサギに化かされているのかな、私達」

 

 人を化かすのはウサギじゃなかったと思う。

 けどこんな状況だと、どうにも自信が無くなってくる。

 

「……アレ?」

 

 などと言ってる傍から、ウサギの姿が消えていた。

 確かにさっきまでは、小屋の前に座り込んでいたはずなのに。

 辺りを見回しても見つからず、《金剛鬼》の知覚センサーにも何も引っ掛からない。

 謎のウサギは、オレ達の前から煙のように消えてしまった。

 

「……マジで化かされたのか? ウサギに」

「ウサギは人を化かす生き物だったか?」

「それはオレが聞きたい」

 

 なんだが冗談みたいな話になってしまった。

 それはそれとして、こんな場所でまごついても仕方ない。

 

「先ず、私から行こう。

 入った先に何があるかも分からないからな」

 

 そう言いながら、姉さんが一歩前に出た。

 此処は反論せずに頷く。

 オレじゃあ何かに襲われた時、まともに対処出来るか怪しい。

 頼りの《金剛鬼》も、入り口が狭いからかなり無理やり入らなきゃならない。

 咄嗟の状況に一番対応可能なのは間違いなく姉さんの方だ。

 

「マジで気を付けてくれよ」

「大丈夫。安全そうなら合図を送るよ」

 

 オレの事を軽く抱きしめてから、姉さんはウサギ小屋に近付く。

 扉が小さいせいで立ったままでは潜れない。

 見た感じ、鍵の類は付いてないようだ。

 

「……開けるぞ」

 

 姉さんは取ってを掴むと、慎重に扉を開く。

 その向こう側を覗いてみるが――真っ暗で何も見えない。

 強化された視覚でも、《金剛鬼》の知覚で見ても何も感知出来ない。

 小屋の中にはただ暗闇だけがあった。

 ……やっぱこれ絶対ヤバい奴じゃ……?

 

「行って来る」

 

 オレは微妙に腰が引けたが、姉さんは覚悟を決めたらしい。

 こっちに対して一言告げてから、そのまま暗闇の中へと進んで行く。

 姉さんの姿は直ぐに見えなくなった。

 

「…………」

 

 静かだ、嫌になるぐらい。

 オレの目には、小屋の扉がウサギの穴に見えて来た。

 底の見えない暗い穴。

 落ちたが最後、そのまま這い上がれない。

 ……本当に姉さんを見送って良かったのかと、背筋が冷たくなる。

 それは目の前で、姉を再び失う可能性を恐れたのか。

 それとも、こんな場所に一人残される事を恐怖したのか。

 どちらが理由であるのか、自分でも判断が付かない。

 姉さんが扉を潜ってからどれだけ経った?

 ほんの数秒にも、既に何時間も経過した気もする。

 本当に、ただ待っているだけで良いのか?

 這い上がるような衝動が、オレから冷静さを奪いかけた時――。

 

「イーリス!」

 

 扉の向こう側から、姉さんの声が聞こえて来た。

 オレは縋るように扉の傍に近寄る。

 

「姉さん、大丈夫なのかっ!?」

「あぁ、大丈夫だが……」

「だが? 何だよ、何か問題が起きたのかっ?」

「落ち着いて、私は本当に大丈夫だから。

 ただ、出た場所が奇妙で……兎も角、こっちに来てくれ」

 

 奇妙な場所?

 既に色々おかしいが、この先ずっとそんな感じなのか。

 まぁしかし、姉さんが大丈夫そうで良かった。

 ……ウサギが化かして姉さんの声真似をしてるんじゃないかとか。

 そんな恐い妄想が脳裏を過るが、頭を振って払い落とす。

 この状況でそれをやられたらどうしようもない。

 考えるだけ無駄だと腹を括る。

 先ずは《金剛鬼》の身体を可能な限り折り畳み、小さい扉に押し込む。

 不思議とスルスル入ってしまったが、まぁそれはいい。

 《金剛鬼》が完全に暗闇に消えたらオレの番だ。

 一回深呼吸をしてから、半ば扉に飛び込む形で中へと入る。

 視界が闇に包まれ、温い水に全身を呑まれるような感覚に襲われた。

 ビビリかけたが、姉さんは大丈夫だと言っていた。

 我慢が必要だったのはほんの数秒。

 今度は浮遊感が来て、直ぐに足が硬い床に触れた。

 

「っと……!」

「大丈夫か、イーリス」

 

 バランスを崩して躓きかけたオレを、姉さんが素早く支えてくれた。

 見れば、すぐ近くに畳んだ状態の《金剛鬼》も落ちている。

 どうやら無事に辿り着けたらしい。

 まだちょっと足元がふわふわするが、ほっとけば慣れるだろう。

 それよりだ。

 

「……何だ、此処……?」

 

 目の前には、あり得ないような光景が広がっていた。

 それは多分、「図書館」と呼ばれるような場所なんだと思う。

 文字は電子情報データが基本な身としては、大量の紙媒体なんて初めて見るが。

 知識として、「大量の本が収められた場所」なのは知っていた。

 ただ、オレがいる場所は尋常じゃない。

 先ず見渡す限り、本がいっぱい詰まった巨大な棚が幾つも存在している。

 それが上にも下にも、重力を完全に無視して並び立っているのだ。

 さながら本棚で形作られた立体の迷宮。

 現実離れし過ぎた景色に頭が痛くなってくる。

 

「……本当に、大丈夫か?」

「あんま大丈夫じゃねーや……いや、実際どうすりゃ良いんだコレ……?」

 

 さっきの不気味な街に留まっても仕方が無かったが。

 じゃあこの滅茶苦茶な本の迷宮で、一体何を目指して進めば良いんだ。

 オレも姉さんも、若干途方に暮れて……。

 

「……?」

 

 ふと、何かの音が聞こえた。

 またウサギかと思ったが、違う。

 これは人の声だ。

 

「泣いている、子供の声か……?」

 

 姉さんにも同じモノが聞こえているらしい。

 それなら幻聴じゃないはずだ。

 声の聞こえる場所が何処か、オレはそれを探そうとして。

 

「っ……」

 

 直ぐに見つけた。

 並ぶ本棚の陰で蹲る、小柄な少女の姿を――。

 

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