67話:ある日、森の中


「馬鹿。アホ。人さらい。変態」

「出来れば最後だけは否定しておきたいかなぁ」

 

 それとこの場合、人さらいではなく竜さらいではないだろうか。

 抱えられた状態で似たような罵倒を繰り返すブリーデさん。

 少し前までは暴れていたのだが、流石に疲れたのか今はグッタリしている。

 俺はそんな彼女を片手に下げて、変わらず迷宮の中を彷徨っていた。

 とはいえ、まったく無目的にうろついてるわけではない。

 

「……そっち右。暫く進めば階段が見えてくるはずだから」

「おう」

 

 このように、ブリーデが案内をしてくれるようになったからだ。

 その指示に従いつつ、時折出くわす守護者の類を叩き斬る。

 とりあえず、今のところは順調だ。

 

「ホントに悪いな、ブリーデ」

「謝られても今さらだし、別にいいわよもう……。

 アイツの名前が出た時点で、こうなるのは決まってたんだわ……」

 

 ブリーデは何やら悟った顔で、諦めたように呟いた。

 手持無沙汰なのか、手に持った金鎚で俺の鎧を軽く叩き始める。

 カツン、カツンと。小さな金属音が響く。

 

「一応確認なんだが、この道であってるんだよな?」

「……この遺跡は上に行っても出られないわ。

 ある真竜が、誰も許可無しに出入りが出来ないよう封鎖してるから」

「そうなのか?」

 

 確認する俺に、ブリーデは渋々といった様子で応える。

 

「そうよ。だからもし、此処に迷い込んだとして。

 抜け出そうと思うなら、最下層を目指すしかないの。

 其処なら外へ出る為の《ポータル》があるはずよ」

「成る程なぁ」

 

 それなら分かりやすいな。

 下へ行って、その脱出の為の《扉》を探す。

 やる事が明確になった。

 アウローラやイーリス達と出来れば合流したいが、そっちは難易度が高そうだな。

 

「……脱出するなら最下層を目指すしかない。

 けどそっちが上に向かうより安全とは言ってないからね」

「何かヤバいのか?」

「真竜がいるのよ。

 封鎖をかけてるのとは別口の、この遺跡……いえ、『墓所』の主が」

 

 言いながら、ブリーデは微かに奥歯を噛んだ。

 まるで痛みに耐えるかのように。

 そんな彼女の様子が、少しだけ気になった。

 

「こんな場所にもいるんだな、真竜。どんな奴なんだ?」

「危険な相手よ。けど、基本は最下層からは動かない。

 ある程度上の階層には絶対に来ないから、そういう意味では安全だけどね」

「ほほう」

「後はうろついてる守護者の目さえ誤魔化せば完璧。

 そう、完璧な私のヒキコモリスポットだったのに……!」

「ごめんて」

 

 金鎚で叩く力がちょっと強くなって来た。

 休んで体力回復してきたかな?

 まぁ、それよりも。

 

「下層に行くなら戦うかもしれんし、他に知ってる事があるなら聞いても良いか?」

「…………」

 

 相手がどういう奴なのか。

 先に分かっていれば、こっちもそれに合わせて動ける。

 分からんなら分からんなりにやるつもりだが、一応聞いてみた。

 ブリーデは無言。俺の問いには直ぐには応えず。

 

「……バンダースナッチ。

 この《墓所》の支配者である真竜は、そう呼ばれてる」

「バンダースナッチね」

 

 真竜はどいつもこいつも、名前が微妙に長いんだよな。

 しかし「呼ばれている」か。

 

「真竜なんて言っても、「」は自身の狂気の中を永遠に彷徨い続けるだけ。

 だからこの『墓所』ごと封印された。誰にも触れられないように。

 その燻り狂う獣の様を、皆は「バンダースナッチ」と呼んで恐れてる。

 ……出来れば私も、彼女には触れたくないし、見たくない。

 こんな話をする事だって、本当は嫌なぐらいよ」

「そうか」

 

 とりあえず、そのバンダースナッチとかいうヤバい真竜が最下層にいると。

 今はそれだけ分かれば十分だろう。

 ブリーデも、それ以上の事は話したくないようだしな。

 

「無理に聞いて悪かった……いや、ありがとうな。ブリーデ」

「良いわよ。こうなった以上、アンタについてくしかなさそうだし。

 ……途中で放り出したら死んでも恨むからね?」

「大丈夫、大丈夫」

 

 そんな事はしないんで安心して欲しい。

 ただ俺がしくじって死んだ場合はちょっと保証しかねるが。

 それは言うとまた暴れ出しそうなので、口には出さないでおいた。

 と、話している内に指示された階段が見えてくる。

 さっさと下りようと、其方に近付いて。

 

「……む?」

 

 直前で足を止めた。

 階段の下から、何となく嫌な気配がしたからだ。

 暗闇の中で目を凝らしても、特に危険そうなものは見当たらないが……。

 

「この階段を下りたら、直ぐにバンダースナッチの影響下に入るわ。

 言ったでしょう? 彼女は「」って」

「あぁ、けどそりゃどういう意味なんだ?」

「言葉の通りよ。

 バンダースナッチは強大な魔力で、自分の周囲の空間を丸ごと捻じ曲げてる」

 

 嫌そう、というより怯えた顔でブリーデは言う。

 その表情が、この先が死地である事を何より物語っていた。

 

「外から見れば何もないけど、足を踏み入れたら直ぐに分かるわ。

 かなり危険だから、慎重に……」

「分かった」

 

 つまり進んでみないと分からんわけだ。

 ブリーデをしっかり抱え直し、そのまま階段を下りた。

 何か悲鳴が上がった気がするが気にしない。

 

「ちょ、アンタ、ホントに……っ!」

「まー最下層を目指すならどの道下りない事には始まらんし……と」

 

 ある程度まで階段を下りると、全身を奇妙な違和感が包んだ。

 目には見えない膜に身体がごと突っ込んだような。

 その感覚に一瞬気を取られた。

 そして気付いた時には、俺は暗く沈んだ森の中に立っていた。

 最近は妙に縁があるな、森。

 

「何だコレ」

「アンタ、もう……! 馬鹿っ!!」

 

 周囲を見渡す横で、ブリーデが金鎚でガンガン殴ってくる。

 森は森なんだが、少し前に見たばかりの森人エルフの住処とは大きく異なった。

 全体的に歪んでいる、と言えば良いだろうか。

 足下の草花は波打つように高さを変え、周りの木々は風の騒めきと共に揺れる。

 どれもこれもまともな形をしておらず、狂った画家が描き殴った落書きみたいだ。

 上を見れば、其処にあるのは絵の具をぶちまけたような夜空が広がる。

 見ているだけで酔った気分になってくるな。

 

「もう此処はバンダースナッチの領域よ……!

 何が来るか、私も分からないから――っ」

「言ってる傍からだな」

 

 耳に入って来たのは、草木を掻き分ける音。

 それも複数、歪んだ森の向こうから近付いて来る。

 息を詰めたブリーデを身体で隠しながら、俺は片手に剣を構えた。

 さて、何が出てくるのか。

 

「ちょっと、逃げるんじゃないの……!?」

「いや、良く分からん相手に追い回されるのも面倒だしな」

 

 ヤバそうなら逃げればいいし。

 またブリーデがジタバタし始めたが気にしないでおく。

 そんな事をしている間に、「ソレ」は姿を見せた。

 ――その“獣”達は、森と同じように歪み切った形をしていた。

 現れた数は五匹か六匹。

 一つとして同じ姿をしたモノはいない。

 下半身が蛇の胴体になった、人間に似たナニカ。

 身体の各部が異常に肥大化した猿に似た怪物。

 頭が無数の触手に覆われた、痩せぎすで背の高い怪物。

 その他も似たような姿だ。

 どいつもこいつも狂人の妄想から抜け出したかのような有様だ。

 別に今さら、そんな怪物に嫌悪感を感じたりはしない。

 感じたりはしないが、何故か軽く頭痛がした。

 何となく、「コイツら」を見た事があるような――。

 

「ちょっと、レックス!!」

 

 ブリーデの必死な声が、俺の意識を現実に引き戻す。

 視界一杯に広がっているのは、大猿(仮称)の妙にデカい拳だった。

 あ、こりゃヤバい。

 

「っと……!!」

 

 かなり際どいタイミングだったが、身を捻ってギリギリ回避する。

 大猿の先制攻撃がスカされたのを見て、他の怪物たちは形容し難い叫びを上げる。

 イカれた森を揺らすように、イカれた怪物どもの声が響く。

 そして文字通り、狂ったように異形の群れが襲い掛かって来た。

 

「少し口閉じてろよ」

「いや、アンタ大丈夫……っ!?」

 

 剣を手に走ると、ブリーデの方からガチっと音がした。

 多分舌噛んだ感じだが、一応忠告はしたのでセーフのはずだ。

 それよりも今は目前の怪物どもに意識を向ける。

 一番近いのは大猿だ。

 丸太よりもゴツい腕で、此方を殴り殺そうとはしゃいでいる。

 頭上から落とした大振りの一撃を回避し、同時にその背後へと回り込む。

 バランスが悪いせいか、動作の切れ目がいちいち大きい。

 がら空きの背中に切っ先を向け、そのまま大猿の胴体を真っ直ぐに貫いた。

 心臓辺りを狙ったが、其処に心臓があるという確証はあんまりない。

 確かな手応えは感じつつ、大猿の背を蹴り飛ばして剣を引き抜く。

 続いて、今度は俺を背後から襲おうとする蛇人間だ。

 首を狙った爪を剣で弾き、一度その脇を転がって間合いから離れる。

 抱えたままのブリーデが悲鳴を上げたが、きっと大丈夫のはずだ。

 

「まぁ、もうちょっと我慢してくれ」

 

 多分そんな時間は掛からんから。

 と、嫌な予感がしたので当てずっぽうに剣を振るった。

 何かが空中で弾ける音。

 見れば、離れた場所から痩せぎすの触手頭がゆらゆらと揺れていた。

 頭の触手が何本か先端を此方に向けている。

 何かしらをあそこから飛ばして攻撃してきたらしい。

 とりあえずそれは勘と気配で切り払う。

 同時にチラリと様子を確認すれば、背中から刺した大猿は倒れたまま動かず。

 横を抜けた蛇人形は俺の姿を見失い、同じ場所をフラフラしている。

 それなら先にこっちだと、俺は触手頭に向かう。

 途中に汚泥の塊みたいな奴と、首のない馬みたいな奴もいたが。

 一先ずそっちは無視して飛び越えた。

 多分毒針か何かを、触手頭はその場から俺に浴びせかける。

 ブリーデに当たりそうな分は剣で叩き落し、残りは鎧の表面で弾く。

 剣の間合いまで近づいても、触手頭はただ針を飛ばし続ける。

 なのでそのまま剣を振り下ろし、真っ二つに断ち割った。

 ドス黒い血を吹き出す亡骸を、軽く蹴り飛ばして地面に転がす。

 

「っ……」

 

 少しだけ。

 本当に少しだけだが、息苦しさを感じた。

 やっぱ状況はあまり良くないな。

 その事実を再認識しながら、意識を戦いに引き戻す。

 残る怪物は蛇人間に汚泥、あと首無し馬。

 狂った声で鳴いているが、コイツらの動きは先の二匹よりは鈍い。

 身体は徐々に弱ってきているが、まぁ何とかなるだろう。

 煩わしいのは、微妙に感じる頭痛の方だ。

 こっちは恐らく、剣が手元から離れている影響とは別だな。

 そんな事を考えながら、足下に這い寄って来た汚泥を全力で踏み潰す。

 首無しの馬だが、首の代わりに触手を生やして突撃してきた。

 お前も触手で攻撃してくるのか。

 地面を転がってやり過ごし、先にもたついてる蛇人間を狙う事にした。

 しかし剣の間合いにまで迫った瞬間、予想外に俊敏な動きを見せる。

 鈍臭そうにしてたのは擬態だったか。

 此方を正面に捉えた蛇人間の背が、花開くように弾けた。

 現れたのは追加の四本腕。

 長く伸びるその全てに鋭い爪が備わっている。

 おまけに不気味な色合いの液体で濡れてるが、多分毒だろうな。

 

「よっと」

 

 まぁそのぐらいなら大して怖くもない。

 四方から襲って来る爪を弾き、近い腕から適当に切り落とす。

 蛇人間の絶叫は、直ぐに首を切断したので途中で途切れた。

 これで残るは馬だけだ。

 と、そちらを仕留めようと視線を向けるが――。

 

「……なんだ、逃げたか」

 

 いつの間にやら、首無し馬改め触手馬の姿は何処にもなかった。

 後には歪んだ森の風景だけが残される。

 周りに他の気配がない事を確認してから、俺は大きく息を吐いた。

 

「あー、地味にしんどいな。ブリーデは大丈夫か?」

「アンタこれが大丈夫に見えんの???」

 

 よし、大丈夫そうだな。

 抱えられた状態で、長々と振り回されたようにぐったりしていたが。

 ブリーデは真っ青な顔で、しかし元気に悪態を吐く。

 

「ホンット、ホンットにそっくり……!!

 アイツも私を守ってるつもりで無茶苦茶乱雑に扱ったりしてたわ……!!

 ああもうこっちはアンタらほど頑丈に出来てないのよ……!!」

 

 どうにも嫌な記憶がフラッシュバックしてしまったらしい。

 一通り騒いでから、ブリーデは乱れた呼吸を暫し整える。

 それからまた、俺の頭を金槌で軽く叩いた。

 

「ちょっと、下ろして」

「危なくないか?」

「いいから、早く下ろして」

 

 ふむ、そこまで言うなら仕方ない。

 また怪物が飛び出して来ないかだけ注意しながら、ブリーデをそっと下ろす。

 彼女は足元を確かめるように何度か踏み締める。

 そうしてから、俺の方に向き直り。

 

「移動するわ。

 あのへんな化け物がまた寄ってくるし、場所を変えて一度休みましょう」

「休むって、こんな場所で? 大丈夫か?」

「逃げ隠れは得意だって言ったでしょう?」

 

 それに、と。

 ブリーデは俺の手を取り、そのままグイグイと引っ張る。

 相変わらずの非力さだが、勢いに負けて一歩だけ足が前に出てしまった。

 

「ほら、アンタも大分消耗してるじゃないの」

「まー少しな」

「少しじゃないわよ。そっちの状態くらい分かってるんだから」

 

 言いながら、ブリーデはギロリと俺の顔を睨む。

 まぁ《一つの剣》が手元にないし、お世辞にも調子が良いとは言えない。

 その辺りを直ぐ把握出来るのは流石だな。

 俺は手を引かれるまま、ブリーデの後に続く。

 

「いや、悪いなホント」

「何度も言うけど、今さらでしょ。

 ……それにこの状況で、アンタに倒れられたら私も困るし」

「何処にさっきみたいな怪物がいるかも分からんしなぁ」

「それもあるけど、一番の理由は別よ」

「別?」

 

 良く分からず、俺は緩く首を傾げる。

 ブリーデは周囲に忙しなく視線を向けながら、狂った森を慎重に進む。

 

「此処はもう、真竜バンダースナッチの縄張りの中。

 その狂気は鏡みたいに、侵入者の心象を映し出して変化する」

「しんしょー?」

「要するにこの森みたいな場所とかは、基本生じたモノなのよ」

「ほほう」

 

 まだちょっと理解し切れないが。

 さっきの怪物とかに見覚えがあるのは、アレが俺の中から出て来たせいらしい。

 俺の頭にヤバい妄想が住み着いてない限り、出所は俺の過去の記憶辺りか。

 

「この《狂夢の迷宮》の先を進めるかは、全部アンタ次第。

 迷宮を抜けた先、「彼女」の夢の本質に辿り着かない限り脱出は出来ないわ。

 私は巻き込まれたんだから、しっかり守って貰わないと」

「あぁ、それは勿論約束する」

 

 俺の都合で巻き込んだのもあるし、彼女はアウローラ達の姉らしいしな。

 折角だから、三千年ぶりに会わせてやりたいという気持ちもある。

 言ったらまた暴れ出すだろうから言わないが。

 そんな内心を見透かされたか、ブリーデがまた俺を睨んで来た。

 

「ちょっと、何か変な事考えてない?」

「いやまったくそんな事は」

「ホントに? 怪しいわね……」

 

 敏いと言うべきか、猜疑心の塊と言うべきか。

 ともあれそれ以上は追及せず、ブリーデは森の奥を目指していく。

 一度休むという話だったが、さて。

 

「条件の良さそうな場所を探してるから、ちょっと待ちなさい」

「はい」

「……出来るかは分からないけど。

 多少ぐらいなら、今のアンタの治療も出来るかもしれないし」

「マジで??」

「あくまで出来るかもだから!

 そもそも死んでないのが不思議なぐらいだし……」

 

 その辺は生き返らせてくれたアウローラに聞かん事には何とも。

 ブリーデと共に森を歩きながら、頭蓋の奥に感じる痛みを意識する。

 それはこの場に満ちる真竜の狂気が、俺の中にある古傷を掻き毟っているせいか。

 

「……ふー」

 

 見上げる空は、相変わらず狂った色彩が踊っている。

 胸焼けしそうな悪夢の光景に、少しばかりため息が漏れた。

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