66話:彷徨える謎
……状況はどう甘く考えても、最悪の一歩手前に近かった。
明かりのない暗闇の中だが、強化済の視覚はある程度は物が見える。
オレは数少ない手荷物を漁り、何とか目の前の事態に対処しようと足掻く。
状況は、やはり最悪の一歩手前だ。
「おい、姉さん……!」
「……イーリス。大丈夫、このぐらいなら問題ないから」
オレの言葉に応じるテレサ――姉さんの声は、かなり弱々しい。
ぱっと見ても相当な怪我だ。
覚えているのは、あのグロい真竜を倒した直後。
いきなり都市が粉々に消し飛んでしまったところまでだ。
その時に、姉さんは私を庇った。
受けた傷の大半は、その時に出来た物だ。
「いいから、ちょっと大人しくしててくれ……!」
手荷物から引っ張り出したのは、
レックスの奴が使う賦活剤は身体に悪いらしいんで、一応揃えたものだ。
まさかいきなり役に立つとは思わなかったけど。
「自分の傷なら、魔法で塞ぐ事は出来るから……」
「それだって、完璧じゃないだろ。
あんまり強がるのはやめてくれよ」
実際に、オレが応急処置をしている間、姉さんは傷を魔法で治していた。
けれど流れた血が補えるわけでも、全ての傷が完全に塞がったわけでもない。
……オレを庇わなきゃ、此処まで深手は受けなかったはずだ。
姉さんだけなら、あの状況でも何とか対処出来たろう。
自分が足手纏いでしかない事実に、腹の底が冷たくなる。
「……イーリス?」
「何でもない。それより、傷はどう?」
「あぁ。痛みはするが、とりあえずは大丈夫」
そう言って、姉さんは微笑んでみせた。
無理をしているのがありありと分かるが、其処には触れないでおく。
胸が痛くて、心臓が捩じ切れそうだ。
「……よし」
落ち着け。自己嫌悪でのた打ち回るような場合じゃない。
治療したとはいえ、姉さんの状態は余り良くない。
生身の傷は何とかなっても、身体に入っている「強化」の方が問題だ。
機械的、生体的な強化処置が「壊れている」場合、魔法や薬じゃ治療出来ない。
見た感じ、姉さんはその辺りにも損傷(ダメージ)を負っている。
直ぐに命に関わらずとも相当に辛いはずだし、普段通りには動けないはずだ。
オレは警戒の為に立たせておいた
コイツが殆ど無傷、かつ此処へ一緒に飛ばされたのは本当に幸運だった。
「姉さん、動けそうか?」
「ん……」
オレの言葉に頷いて、姉さんは何とかその場に立ち上がった。
やはり苦しそうだったが、それは極力表に出さないように。
軽く手足を動かしてから、姉さんは小さく息を吐いた。
「ありがとう、イーリス。それと面倒をかけてしまって……」
「謝るのはやめろよ、姉さん。
姉さんは、オレを庇ったせいで負傷したんだ。
……このぐらいの事は、何も言わずにやらせてくれよ」
それは間違いなく本音だった。
別に子供っぽい意地を張りたいわけじゃない。
ただ姉さんが此処までずっと、オレを助けてくれたように。
こういう時ぐらいは、こんなオレでも姉さんの助けになれているんだと。
……やっぱり、少し子供じみた考えかもしれない。
そんなオレの考えを察したのか、姉さんは軽く頭を撫でて来た。
「あぁ――改めて、ありがとう。イーリス。
おかげで何とか戦えそうだよ」
「……いいから、姉さんはちょっと大人しくしててくれ」
自分が守ると、そう言い切れない事実が悔しい。
今はそんな事をグダグダ悩んでいる場合じゃないと、無理やり頭を切り替える。
先ず、この場所が一体何なのかだ。
「いきなり飛んだのは、多分アウローラの魔法だよな」
「恐らく。私もお前と自分の事で手一杯で、状況は余り把握出来なかったが……」
何か黒いのが、レックスと戦ってるのは見えた気がする。
分かるのはそのぐらいで、後は気付くと此処に姉さんと放り出された状態だ。
続けて周囲を観察する。
人……とういうか、生き物の気配は感じられない。
それどころか。
「……墓地、か?」
実物を見るのは初めてだが、知識としては知っている。
広い空間で、壁には幾つもの大きな棚のようなものが造られている。
そして其処にそれぞれ、恐らく石棺だろう細長い箱が安置されているのが見えた。
うん、完全に墓地だなコレ。
「出来れば、余り触らない方が良い」
「分かってる」
音を抑えた姉さんの忠告に、オレは素直に頷いた。
多分、古びた遺跡であろう場所にある地下墓地とかな。
下手に触ったら何が起こるかとか、無駄に想像力を働かせそうになる。
とはいえ、無警戒に横を通るのも心臓に悪い。
なので先ず、《金剛鬼》を操って壁の方に近付かせた。
機械操作の《奇跡》で、《金剛鬼》の視界をオレは生身で覗く事が出来る。
それで壁と石棺辺りを確認する。
「石棺には、名前と没年月日らしい文字が刻んである。
劣化し過ぎててちゃんとは読めねーけど……」
「なら此処は地下墓地で間違いないわけか」
「だと思う」
盗掘目的の人間なら、副葬品目当てに漁ったりするんだろうか。
オレはとてもじゃないがそんな気にはなれない。
「とりあえず、危険が無いかは一通り確認して……」
「……待て、イーリス」
部屋の探索を続けようとしたところで、姉さんからストップが掛かる。
慌てて口を噤み、確認のつもりで姉さんの方を見た。
酷く真剣な様子で、辺りを警戒しているのが直ぐに分かる。
「……何か近付いて来る」
「マジで? どっか隠れる場所は……!」
「あちらの瓦礫の陰、あそこなら《金剛鬼》も隠せる」
慌てるオレとは対照的に、姉さんの判断は速い。
墓地の片隅、天井や壁の一部が崩れて出来た瓦礫の山。
オレは姉さんを支えつつ、出来る限り素早く其処に身を隠した。
《金剛鬼》は少々デカいが、手足を折り畳めば何とか瓦礫の一部と同化出来た。
そうして隠れたら、可能な限り息を潜める。
何が来るかは分からない。
此処が遺跡か何かなら、それを守る魔物の類かもしれない。
姉さんと聞いた古い詩の中には、遺跡の番人と戦う英雄の話は幾つもあった。
対処出来る相手なら、力ずくで突破するのも選択肢だろうと。
警戒はしつつも、オレはそんな事を考えていた。
前回の件で手に入れた《金剛鬼》という強力な武器。
これで少しばかり気が大きくなっていたのは確かだった。
――そんな甘い考えは、直ぐ消し飛ぶ事になる。
「……来た」
虫の羽音ぐらいの声で、姉さんがその事実を告げる。
今までは静まり返っていた地下墓地に、異様な音が響き始めた。
最初は小さく、何の音かは分からなかった。
それは徐々に大きくなり、やがて何かを引き摺っている音だと分かった。
でっかい蛇か何かだろうかと、その時は思った。
瓦礫の陰に身体を隠したままで、オレは少しだけその向こう側を覗く。
其処には一体、何が近付いているのかと。
「……?」
暗闇の中でも、強化されたオレの視覚はその姿を捉える。
それは女だった。金色の髪を長く伸ばした女。
遠目でちょっと分かりづらいが、多分美人な気はする。
若いような、年老いているような、そんな不可思議な印象を受ける女。
飾り気のない白いドレスには埃一つ付いていない。
女がゆっくり歩く度に、ずるりと大きく引き摺る音が聞こえる。
一体それは何処から響いているのかと、一瞬混乱して。
「ッ……」
気が付いた。
音がしているのは、その女のすぐ背後だ。
女の直ぐ真後ろに見えるのは、言葉通りの異形の怪物。
背の高さは女の二倍以上もあり、見た目は辛うじて人の形をしていた。
けれど手足を含めて異様に発達した体躯と、それを覆う刺々しい鱗の群れ。
何より首から上が存在しないその姿は、怪物という言葉以外では言い表せない。
女が一歩踏み出せば、後ろの怪物も一歩踏み出す。
そして太く長い尾のようなものが、石造りの床と擦れて音を立てる。
引き摺る音の正体はコレか。
傍らで身を屈める姉さんが、オレの口をそっと手で塞ぐ。
思わず悲鳴が漏れないよう気を使ってくれたらしい。
その行動に対し、何か余計な事を思考する余裕はまったく無かった。
ヤバい。間違いなくアレはヤバい。
此処に飛ぶ前の黒い何かは、正直ワケが分からなかった。
だがその前、三度も真竜に遭遇した事で多少なりとも経験を積んだ自負はある。
ヤバい相手を感じ取る嗅覚と言うべきか。
その感覚が今、全力で警鐘を鳴らしている。
今此処にいる怪物は、今までの真竜連中より遥かにヤバいと。
「……ごめんなさい」
一瞬、それが何の音か分からなかった。
気が付けば、ドレス姿の女の方が石棺の前に跪いていた。
スカートが床に付くのも構わず、女は誰かに許しを請うている。
それは棺に弔われた誰かなのか、それとも別なのか。
部外者のオレ達には何も分からない。
何も分からないまま、兎に角気付かれないよう息を殺す。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
私が、私が弱く、愚かだったばかりに。
全て、全て私のせいだ。
こんな事、何故、どうして、私は――」
……恐ろしかったのは、女の吐き出す言葉が支離滅裂だからじゃない。
確かに女の言動は、正気を失った人間のソレだ。
一貫性がなく、其処から意味を読み取るのも難しい。
分かるのは、それが誰かに対する謝罪の言葉であるという事だけ。
その上で、聞いているオレが一番恐ろしかったのは……。
「ごめんなさい、許して、私がいけなかった。
ごめんなさい■■■……罪に思うべきは、私の弱さ。
私が弱かったから、私が愚かだったから。
愚かでどうしようもなく、身の程知らずだったばかりに……」
女の声が、怒りに満ちている事だ。
殊勝にしおらしく、言葉は謝り続けているにも関わらず。
その声には理不尽なまでの憤怒と、燃え滾るような憎悪に満ち溢れていた。
人はこれ程の怒りを、憎しみを抱く事が出来るのか。
女はそれを自らに対して向けてはいない。
吐き散らす言葉は、あくまで見えない誰かに向けている。
名前を口にしていたが、それは何故か聞き取る事が出来なかった。
止め処なく女は謝罪し続ける。
その言葉に例えようのない激情を混ぜながら。
「どうして――どうして、こんな……嗚呼、偉大なる王よ。
我ら哀れなる十二人を導きし賢王よ……。
何故、何故に我らを、貴方ならば、何故、何故……?」
「…………」
恨み言の対象は、今度は違う相手になった。
今度はさっきまでよりはハッキリと、特定の誰かに感情を向けている気がする。
偉大なる王、十二人を導いた賢王。
それは何処かで聞いた覚えがあるような……?
「っ……!」
背後からぎゅっと、姉さんがオレの身体を強く抱き寄せた。
理由は分かる。女が動き出したのだ。
慌てて観察を止めて、見つからないよう頭を低くする。
心臓の音が妙に五月蠅い。
これを聞かれて見つかるのではないかと、背中に冷たい汗が流れた。
引き摺る音が近付いて来る。
合わせて、今も呟き続ける女の声もハッキリと聞こえて来た。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
私が、私が愚かなばかりに……嗚呼、どうか、どうかあなただけは……」
「…………」
ずるり、ずるりと。
肉を引き摺る音がすぐ傍を過ぎて行く。
漂う気配だけでも死を予感させる、凄まじい圧力。
頼むから、こっちに気付いてくれるな……!
オレの祈りが通じたかどうか、それは定かじゃないが。
ゆっくりと怪物の気配は離れていく。
そして。
「どうか――あなただけは、幸せに……■■■■……」
怪物はまた、違う誰かの名を呼んだ。
それだけは。
その名を口にした時だけは、僅かに空気が軽くなった。
怒りと憎しみだけの声に、切実な響きが宿る。
それは怪物が口にした言葉の通りに、心から誰かに祈っているようで。
その真意を確かめる術など当然無く。
再び憤怒と憎悪を口から溢す怪物が、完全に遠ざかるのを只管待つ。
音が聞こえなくなっても、下手に呼吸すら出来なかった。
「っ……は……!」
「大丈夫か、イーリス」
オレの身体を抱き締めながら、姉さんは気遣う言葉を囁く。
大した怪我もしてないし、大丈夫に決まっている。
むしろ姉さんの方がしんどいはずだ。
なのにそれを感じさせない様子で、あくまでオレの心配をしてくれる。
何故か無性に泣きたくなった。
「っ……姉さんこそ、大丈夫なのかよ……」
「あぁ、大丈夫。お前が傍にいてくれるからな、平気だよ」
そう言って、姉さんは優しく笑った。
一瞬言葉に詰まるオレの頭まで撫でて来た。
こっちだってガキじゃないんだから、恥ずかしいし止めて欲しい。
あぁ、そんな事よりもだ。
「姉さん、さっきの奴は……」
「恐らく真竜だろう。少々……いや、かなり様子がおかしかったが」
頷く姉さんの表情には、強い緊張が見て取れた。
さっきの怪物の様子を思い出したんだろう。
オレもまだ、耳の中にアレの呟いてた恨み言が残り続けている。
……マーレボルジェにしろ、サルガタナスにしろ。
真竜は大体、何処かしら狂っていた。
連中も元は人間らしいが、その「人間らしさ」が歪んだ結果かもしれない。
欲望に歯止めが効かず、執着を抑え切れない。
そのどうしようもない欲求を満たす事だけを第一に行動していた。
だがあの女は、それらとは明らかに様子が違っていた。
女から感じられたのは、強烈な怒りと憎しみだけ。
求め欲するのではなく、ただ触れたモノを全て焼き尽くすだけの業火。
その在り方は、真竜である事を考慮しても酷く歪に思えた。
具体的に、彼女と他の真竜で何が違うのか。
其処までは今の時点じゃ分からないが。
「……そろそろ動こうか、イーリス。
此処に留まっても助けが来る保証はない」
ぐるぐる考え込むオレに、姉さんは囁くように言った。
確かに、こんな場所にいつまでいても仕方ない。
あの怪物の巡回ルートとかだった場合、また鉢合わせする可能性もある。
けど。
「……本当に、動いて大丈夫なんだな。姉さん」
「あぁ、勿論だよ」
笑いながら頷くが、イマイチ信用ならない。
例え今が大丈夫でも、必要と判断したらどんな無茶をするか。
そんでその理由の大体は、「オレを守る為」だ。
しかもオレが下手な事をするより、素直に姉さんを頼った方が良い結果になる。
ただそれだけの事実が、歯痒くて堪らない。
「……そんな顔をしてくれるな、イーリス」
そんなオレの弱さも、姉さんはお見通しだった。
抱き締めたまま、幼い子供をあやすように頭を撫でられてしまう。
「私はお前がいてくれるから、何とか立っていられるんだ。
何よりお前は、自分に出来る事を常に必死にやってくれている。
お前自身が思う程に、お前は弱い子じゃないよ」
「姉さん……」
それはきっと、姉さんの本心からの言葉だ。
そんな事は分かっている、けれど――。
「さぁ動こう。
状況は厳しいが、レックス殿か主のどちらかと合流出来れば何とでもなる」
「……まぁ、あっちはオレらより絶対余裕だろうしな」
レックスにしろ、アウローラにしろ。
アイツらは真竜よりもずっと強いから、心配する事は何もない。
今この場には非力なオレと、怪我で力を出し切れない姉さんしかいない。
森で運良くゲットした強力な自動人形だけじゃ、何とも心もとない。
……駄目だ、考えれば考えるほどネガティブになる。
一度自分の頬を強めに叩く。
オレ達しかいないからこそ、オレの出来る事をやらないと。
「イーリス?」
「悪い、気合入れただけだから。
……よし、行こう。あの怪物にだけは見つからないように」
オレの行動にちょっと驚いた姉さんの手を、オレの方から引っ張った。
そうだ、何も暗く考える必要はない。
そもそもそんな余裕のある状況じゃあないんだ。
オレはオレに出来る事をやって、姉さんの助けになれば良い。
その決意で、半ば強引に自分を納得させて。
一先ず、オレ達はこの地下墓地から出る為の道を探す事にした。
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