幕間3:白子の蛇


 ――思い出すのは、遠い遠い過去の事。

 未だ我が《北の王》とだけ名乗り、果ての地に君臨していた頃。

 二十の竜王らが気儘に大陸を支配していた時代。

 その時から……いや、それよりも遥か以前から「ソレ」はいた。

 竜であって竜で無き者。

 我ら“王”より先に生まれながら冠を戴かぬ者。

 牙は柔らかく、爪は愚か手足もない。

 空を飛ぶ為の翼も、身を守る為の鱗さえも持たない。

 その哀れな様から「白子の蛇」と揶揄された。

 万物の父たる大いなる《造物主》が創造した、我々古き竜の王。

 長子たる《最強最古》よりも早く、最も最初に造られた「白蛇の姉上」。

 多くの兄弟姉妹らは、「彼女」に関心を持っていなかった。

 我もその例外ではなく、哀れな姉上に注意を向ける事はしなかった。

 不老ではあるが、不死であるかは怪しい不完全さ。

 森の獣にも劣るかもしれない彼女は、当時の我からすれば取るに足らない存在だ。

 何より、《最強最古》である長子殿は姉上に執着している節がある。

 彼女に下手なちょっかいをかけると、要らぬ不興を買う可能性もあった。

 故に多くの者はその存在を無視した。

 健気に鋼を鍛えたりもしていたが、アレも一体何の意味があったのか。

 我が支配していた荒れ野に住処を作った時も、特にそれを咎める事もしなかった。

 弱く儚い姉上が、必死に地を這いずっている。

 我にとっては、ただそれだけの事だった。

 ……我が竜殺しに討たれ、今や三千年という時が流れた。

 古竜らは消え去り、真竜などと名乗る狼藉者どもが全てを支配する時代。

 正直言えば、白蛇の姉上が無事などとは欠片も思っていなかった。

 逃げ回るのと鋼を鍛える以外に能が無い姉上だ。

 《古き王》が滅び去った後に、まさか無事でいるわけがないと……。

 

「……そう思ったのだがなぁ」

 

 迷宮の片隅。

 微かに残る竜殺しの気配を辿って来たわけだが。

 其処には壊れて荒らされているが、覚えのある匂いの漂う鍛冶場であった。

 竜殺しの気配もあるが、それ以上に残っているのは部屋の主の気配。

 間違いなく、白蛇の姉上のモノだ。

 

「いやはやまさか、この時代になっても変わらぬ生き方をしているとはなぁ。

 これは流石は我らの姉上だと賞賛するべきか……?」

 

 それは半分以上は冗談や皮肉抜きでの感想だった。

 今に至るまでがどれだけ激動の歴史であったか、我でも想像に余りある。

 その全てを超えた今も、かつてと変わらぬ営みを送っているとは。

 姉上に対する評価も、少々改める必要があるかもしれない。

 

「……で、長子殿?」

 

 それはそれとして、だ。

 この部屋を見つけた時点で、長子殿が何故か固まってしまった。

 横から顔を覗き込んでも殴り倒されたりもしない。

 目を見開いて、やや茫然としながら部屋の中を見回している。

 うーむ、感情の荒波がなかなか鎮まらんな長子殿。

 一部引っ掻き回した身としては、だんだんと申し訳なさすら感じてしまう。

 

「おい、長子殿?」

「……何で、こんな場所に……」

 

 我が呼びかけても右から左。

 何やら一人でブツブツと呪文でも口にするように呟いている。

 さて、これは怒っているのか?

 

「なぁ、長子殿。我が言う事でもないかもしれんが、少し冷静に」

「私は冷静よ!!」

 

 うむ、叫びながら壁を拳で粉砕した程度であるしな。

 部屋を丸ごと吹き飛ばさなかった分だけ、確かに冷静かもしれない。

 とはいえ、理不尽に感情をぶつけられても面倒極まる。

 微妙に距離を置きながら、どうにか長子殿を宥められないか試みよう。

 

「まぁまぁ長子殿。

 折角、三千年ぶりに大事な姉上の所在が判明したんだ。

 此処は素直に喜ぶところでは」

「喜ぶ? 喜ぶって?

 ええそうね、あのナメクジったら本当にしぶといんだから」

 

 そこらに落ちてる剣の一本を拾い上げる長子殿。

 竜である我から見ても、それはなかなか見事な造りの一品に思える。

 他に落ちている武具も同様。

 かつては玩具程度に思ったが、改めて近くで見ると鍛冶師の腕前が伺えるな。

 これも全て、あの姉上が鍛えた作品か。

 

「……気配は残ってるのに、姿は見えない。

 それもアイツもレックスも、どちらも」

 

 その業物も、《最強最古》の前では棒切れと大差ないらしい。

 鋭い鋼の刃が細い指に掴まれて、そのまま紙クズのように握り潰された。

 

「……行くわよ」

「うん?」

「だから、急ぐって言ってるのよ!

 これだけ匂いがあるって事は、もうそんなに遠くないはずよ!」

「それは確かに道理だがな」

 

 長子殿の百面相が面白くて、つい目的を忘れかけてしまった。

 また八つ当たり気味に長子殿の拳が繰り出され、部屋も半分ほど崩れる。

 今さらこのぐらいの破壊活動で、とやかく言う気はないが。

 

「仮に姉上と再会できたとして、その力加減で殴ったら死んでしまうぞ?」

「私がそんな酷い事を、あのナメクジにすると思ってるの?」

「まぁ行方の知れなかった姉上が、自分の男と推定二人旅となればなぁ。

 長子殿の胸中も穏やかではないだろうとゴフッ」

 

 言い終わる前に、振り向きざまに殴られてしまった。

 うーむ、これでは本当に姉上の御命が危うい気がしてくるな。

 

「冗談でも馬鹿な事を言うのは止めなさい……!」

「どんどん冷静さという鱗が剥げ落ちて行くなぁ長子殿。

 ほら、先を急ぐのだろう?」

「落ち着いたらもっと酷くしてやるから……!」

 

 再び拳を固めた長子殿だが、我の言葉で思い留まったらしい。

 複雑な通路を時に破壊しながら、残った気配を追って先へ急ぐ。

 途中、壊された石人形の残骸が転がっているのも何度か見かけた。

 剣で斬った痕跡からして、これらは竜殺しが戦ったモノで間違いあるまい。

 

「思ったよりも元気のようだな」

「当然よ。彼がこのぐらいの雑魚に負けるはずがないでしょう」

「今は余り良い状態ではあるまい。

 期待を過度に持つのも如何なものかな」

「……それも減らず口ね。まぁいいわ、見逃してあげる」

 

 絶大な信頼を以て、長子殿は我の言葉を笑い飛ばした。

 

「レックスなら大丈夫よ。

 此処まで近付いたのなら、問題なく合流出来るでしょうし。

 ……あの白子のナメクジが足手纏いになってないかだけは、心配だけど」

「案外上手くやれているのではないか?」

 

 我もそう言える程、あの姉上と交流があったわけではないが。

 長子殿とも付き合えた彼女ならば、竜殺しともまぁ上手く付き合えるだろう。

 そのぐらいの簡単な予想であったが。

 

「……あのナメクジと彼が、何ですって?」

 

 何故か良く分からん逆鱗を踏み抜いたらしい。

 いや本当に何で怒ったのだ、今ので。

 

「……確かに、ええ確かに。

 レックスは付き合いが良いし、大抵の相手とはスルッと交流出来るタイプよね」

「先ず初手で優位を取ろうとする長子殿とは違うからな」

「お前だって似たようなものでしょうがブン殴るわよ。

 兎も角、あのナメクジともまぁ彼なら上手い具合にやってるでしょうね。

 ええ、多分、間違いなく」

「良い事ではないか?」

 

 剣を失った状態では、竜殺しもそれほど余裕も無いだろう。

 白蛇の姉上が足手纏いになってる可能性も十分あるが、逆の可能性も考えられる。

 何せこの時代まで、文字通り逃げ延びて来たような方だ。

 避けられる危険は避けたい今の状況に、その能力は上手く噛み合うかもしれない。

 我の認識はそんな具合なのだが、長子殿の目には何が見えているんだ。

 

「……レックスなら、まぁあのナメクジでも仲良くなれるでしょう」

「うむ」

「あのナメクジも、猜疑心は強いけど本質的には甘いから。

 一人でいる事が多い癖に孤独を嫌うし、話し相手になるだけでも大分懐かれるわ」

「成る程」

「……それで、あの二人が親密になったら困るでしょ」

「うん???」

 

 長子殿は一体何を言っておられるのか。

 迷宮を強引に進みながら、長子殿は耳まで赤くして激高した。

 

「だから! あの二人は相性悪くないでしょうし!

 そんなの時間があれば仲良くなるに決まってるじゃない!!」

「長子殿はそろそろ、ご自分が《最強最古》である事を思い出されては?」

 

 流石にこれは予想外であった。

 アレか、長子殿は竜殺しと一緒にいる姉上に嫉妬しているのか。

 

「別にあのナメクジの事なんてどうでも良いに決まってるじゃない!!」

「そうは見えんがなぁ」

 

 あと我は何も言ってないし。

 勝手にこちらの顔色を見て適当な言い訳をされても困る。

 さて、しかし。

 

「長子殿は、アレか。白子の姉上の事が嫌いなのか?」

 

 少し前に名前を出した時も、決して好意的とは言い難い反応だった。

 過去に持った朧気な印象では、珍しく《最強最古》が執着していると思ったが。

 それは同じ兄弟でありながら、不出来な白子に対する嫌悪ゆえか?

 と、我は考えていた。

 

「別にアレを嫌ってるつもりはないけど」

 

 そしてこの反応である。

 本当に今さら極まりないが、姉上と長子殿がどういう間柄か気になって来たわ。

 我が胡乱げな顔をしている事に気付いたか。

 長子殿は実に不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「なに、その顔? 何かおかしな事でも言ったかしら」

「いやおかしいと言うなら大体おかしいが。

 そうなると、長子殿は姉上をどう思っているんだ?」

「取るに足らない白子のナメクジ。それ以外の何があるの?」

 

 それは大体の兄弟達が、姉上に抱いていた感情と同じだろう。

 同じモノから生まれたはずの異なるモノ。

 哀れみか、或いは無関心で接するべき不具の娘。

 ならば長子殿も他と同じく、あの姉上を哀れんでいるのか。

 

「愚かで、貧弱で、その癖に私を恐れたりしない。

 時には生意気な口を利く事さえする。

 鍛冶の業を覚えたのも、最初は何も出来ない自分に対する慰めから。

 様々な物を生み出した《造物主》の不出来な真似事。

 それでも、何もない自分が何かを造り出せる事に希望を見たんでしょうね。

 哀れ過ぎて涙が出そうよ。そう思わない?」

「…………」

 

 長子殿は姉上の事を良くご存じであるようだ。

 鍛冶にのめり込んだ動機など、我はこの時初めて耳にしたぐらいだ。

 それ以外にも、長子殿は姉上の事を多く口にした。

 白蛇の姿では不便だと、竜として人の形を取ったのは姉上が最初である事。

 人間の姿だと身体の強さも人間相応で、そのせいで度々死にかけた事。

 鍛冶の腕前が上がる程に、その業を狙う人間が増えた事。

 そしてその手の不埒者は、大抵長子殿が塵も残さず消し飛ばした事。

 思った以上に数多の事を長子殿は語った。

 

「本当に、アレはちょっと目を離すと直ぐに死にそうになって……。

 あんまり面倒だから、一度なんて適当な離れ小島に監禁した事もあったわね」

「そこまでよくやるなぁ長子殿」

「だんだん逃げ隠れも上手くなったせいで、なかなか捕まえられなくなったけどね」

 

 そう言って、長子殿は小さくため息を吐いた。

 思い出を口に出している内に、昂っていた感情は落ち着いたようだ。

 ただ、微妙に複雑そうな顔をして。

 

「……そっか。此処にいるのね、あのナメクジ」

「恐らく竜殺しの奴と一緒にな」

「折角頭が冷えたところで変な蒸し返し方しないで貰える???」

 

 思い切り睨まれたが、先程みたいに取り乱しはしなかった。

 代わりに、口元を邪悪な笑みに形に歪める。

 

「もし見つけたらどうしてやろうかしら。

 私のいない間にレックスに何かしてたら……」

「何かするとしたら竜殺しの方ではないか?」

「関係ないわよ。どっちにしろ白子のナメクジにお仕置きするだけだもの」

 

 何という理不尽な話か。

 今までの言動からして、これも長子殿也の愛情表現なんだろう。

 本人に自覚はまったく無いし、姉上にも伝わっているかは不明だが。

 

「まぁ、その辺りは我も正直どうでもいいな。

 それより、大分気配が濃くなってきたぞ」

「確実に近付いてるわね。《転移》が使えたら簡単だけど……」

 

 相手の正確な座標も分からぬまま、盲撃ちで《転移》は流石に無謀過ぎるな。

 壁に埋まった程度で死にはせんが、身動きが取れなくなる愚は避けたい。

 今は兎も角、気配を辿りながら急ぐ他ない。

 そして――。

 

「この先か」

 

 見つけたのは下に向かう階段の一つ。

 竜殺しと姉上、両方の匂いがしっかりと残っている。

 あの二人が此処を通ったのは間違いない。

 しかし、それだけでは無かった。

 

「長子殿」

「言われなくとも分かってるわ。この下は、どうやら敵の縄張りみたいね」

 

 肉眼ではおかしなモノは見えない。

 だが魔力を近くすれば、極彩色の渦が荒れ狂っているのが分かる。

 不安定だが圧倒的なまでの質量。

 その恐るべき魔力の奔流から、微かにだが懐かしい匂いも感じ取れた。

 これで確定してしまったか。

 

「《古き王オールドキング》の気配だ。

 魔力自体が揺らいでいるせいで分かりづらいが、間違いあるまい」

「ええ。まさかナメクジ以外にも『懐かしい』なんて思う事になるとわね」

 

 応えながら、長子殿は万物を見下す眼で階下に視線を向ける。

 其処に微かな憐憫が含まれていると思うのは、我の気のせいだろうか。

 

「……で、長子殿はこの気配が誰のものか分かるのか?」

「……逆に聞くけど、お前は分からないの??」

「知った気配である事ぐらいは分かるのだがなぁ」

 

 そもそも昔から、他の兄弟達と交流があったわけでも無し。

 稀にある集まりで顔を合わせる程度だ。

 加えて、今感じている気配は何故か相当に乱れている。

 其処から「どの《古き王》の気配であるか」を正確に読み取るのは難しい。

 少なくとも我には無理だな。

 

「まぁ、そうね。

 お前みたいに他の兄弟相手でも関心のない奴、別に珍しく無かったわね」

「昔の話だ。今は少しばかり反省しているぞ?」

「どうだかね」

 

 呆れたようなため息一つ。

 仕方のない反応であろうが、肝心な答えをまだ聞いていない。

 

「それで、一体誰なのだ?」

「《 》」

 

 長子殿が口にした名は、酷く懐かしいモノだった。

 かつて二十を数えた我ら《古き王》。

 その中でも特に「戦い」に秀でた竜がいた。

 こと戦においては兄弟の五指にも迫り、誰もが一目を置いた《戦の王》。

 このような場所で、まさかその名をまた聞く事になるとは。

 

「奴が相手ならば、やはり今の我らでは不利ではないか?」

「アイツ自身が万全なら、そうでしょうね」

「……成る程、それも道理か」

 

 少なくとも、今感じている気配は到底まともとは呼べまい。

 三千年という月日は、《戦王》すらも真竜の贄という哀れな末路に落としたか。

 長子殿は退屈そうな顔をしながら、嫌悪の混じる声で呟く。

 

「《戦の王》とまで呼ばれながら、なんてザマかしらね。

 何も守れず、何も得る事も無く地の底に沈むなんて」

「……長子殿、我の記憶が正確ならばだが……」

 

 そう、彼の《戦王》は二十の兄弟でも変わり者だったはずだ。

 他者に興味の薄かったかつての我でも良く覚えている。

 その理由は、確か――。

 

「《始祖》の一人を妻に迎えた。お前の記憶は正確よ、ボレアス」

「そして《始祖》は、永遠に耐えかねて狂ったのだったな」

「私が知っているのは、夫婦揃って人前に出て来なくなった事ぐらいよ。

 奥方の正気が危うくなったんでしょうね」

 

 不機嫌そうに語りながら、長子殿は階下に続く階段へと一歩踏み出す。

 うねる魔力は警戒の色を強め、更に激しく渦巻き始める。

 長子殿はそれらをまったく気にした様子もなく、狂気の滲む空間を侵略していく。

 

「……お前に何があって、どんな末路を辿ったかなんて知らないけど。

 邪魔をするなら容赦なく踏み潰させて貰うわ。

 愚かで哀れな、《戦王》ラグナ」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る