385話:星の巫女


「おい待てよ、星の巫女って何の話だ?」


 明らかに困惑した顔のイーリス。

 実際、傍から聞いててもイマイチ何の話か不明だった。

 ただ一つ、間違いないのは。


「そう身構えなくとも大丈夫よ、イーリス。

 ちゃんと説明はするから」


 シャレムがだという事ぐらいだ。

 多分、地表でイーリスだけを調べていた理由がコレか。

 顔を上げた《星神》は、改めてこっちに向き直る。

 敵意の類は無いが、状態としては殆ど臨戦態勢と変わらないように見えた。

 それだけ「星の巫女」ってのが重要なのだろう。


「フン、幾ら何でも前のめり過ぎるのではないか?

 あまり感心はせんぞ」


 そう言ったのはボレアスだった。

 彼女も未だ王様の圧力に怯んではいるが、動けない程ではないようだ。

 ついでに、シャレムと姉妹の間に立つ形でさり気なく移動もしている。

 きっと、本人に聞いても「たまたまだ」と応えるんだろうな。

 《星神》シャレムは、その行為を特に不快には思っていないようだ。

 表情は穏やかで、しかし遮るボレアスの事は半ば以上無視スルーしていた。

 向こうにとって、重要なのはイーリスだけか。


「怖がらせたなら謝るわ。

 私はどうも、つい行き過ぎてしまうクセがあるから」

「自覚があるなら直せよその悪癖。

 その勢いで下でも素っ裸にひん剥いて来たじゃねーかよ」

「それはホントに謝るから」

「そういうところだぞシャレムよ」


 王様は玉座でくつろぎながら完全に観戦モードだ。

 まぁ、あっちまで何かしてきたらそれこそどうしようもないからな。

 露骨に見物の姿勢を見せてくれるのは逆にありがたい。

 俺の方は、アウローラを抱えた状態でボレアスの傍に立った。

 一応、イーリスとの間は完全には遮らない。

 今はまだ言葉を交わす段階のはずだ。


「で、説明ってのは?」

「そっちの彼女――イーリスは、星の巫女としての資質を有してる」

「だから何だよ、その星の巫女って」

「私、《星神》シャレムの役目を継承できる『次代』となり得る者の事よ。

 貴女には、私の次に《星神》の名を受け継ぐ資格がある」

「……はぁ?」


 《星神》の継承。

 説明されても意味が分からないと、イーリスは顔をしかめた。

 シャレムは更に言葉を続けた。


「私は最古たる三神の一柱。

 かつて陛下の呼びかけに応じ、星の中心から降臨した者。

 始原たる精霊の化身である私は、他の神々とは異なる重要な役割を担っている。

 それは『《摂理》たる生命の輪廻を正しく運行する』こと」

「生命の輪廻?」

「人間を含め、あらゆる生命は生きて死ぬ。

 死した魂は星の《摂理》へと還り、また新たな生命として生誕する。

 ……かつて《造物主》が現れ、旧世界を焼き払った際。

 あの悪神の力と、大地そのものの具現である黒銀の《焔》の顕現。

 それらの複合的な影響で、星に編まれた自然法則も一部大きな打撃を受けた。

 生命の流転サイクルである輪廻の運行もそう。

 私はそれを正しく廻すために、こうして物理的な実体を得て降臨したわ」


 なかなか難しい話をされてしまった。

 要するに、《造物主》のせいで星の状態がメチャクチャにされてしまったから。

 それをどうにかするために、シャレムは神様として現れたワケだ。

 理解としては多分間違ってないはず。


「うむ。その認識で問題ないぞ、戦士よ」

「あ、良かった。なら何となく理解できたわ」

「説明続けるけど、大丈夫よね?

 ……兎も角、今は私が神として輪廻を正しく廻している。

 ただ、もし私の身に万が一があればどうなるか。

 今の星には新たな『化身』を創造するような余裕はない。

 《摂理》が狂ってしまったら、生も死も全て無茶苦茶になってしまう。

 それは神としてはとても認められない、最悪の事態だわ」

「…………」


 説明を聞きながら。

 アウローラは黙って俺の手を握る。

 正しい生と死。

 きっと現在の俺には遠い話だし、アウローラには耳の痛い話だろう。

 だから何も言わず、なるべく強くその手を握り返した。

 シャレムも、敢えてその事には触れないでおいてくれた。


「死した魂と、生まれていく魂。

 その生命の流転を知覚し、正しい流れへと導く。

 これを行うには特別な資質が必要。

 少なくとも、これまで私は見た事がないわ。

 惜しい例もあるにはあったけど、残念ながら次代を任せるには不十分だった。

 ――けど、貴女は違う」


 シャレムの眼がイーリスを捉える。

 強く、強く。

 心の底から、神様は彼女の存在を望んでいた。

 あまりに熱っぽい視線を向けられ、イーリスは思わずたじろいだ。

 ……何というか。

 イーリスも大概面倒な相手に好かれるタイプだよな。


「おい、何か余計なこと考えてんだろスケベ兜」

「兜の下の顔色を読むのはどうかと思うんですよ」

「何となく分かったんだから仕方ねーだろ!」

「元々、貴女には『繋がる』才能があったのでしょうね。

 多分だけど、それが後天的な要因によって『進化』を果たした。

 既に自覚はあるんじゃないの?

 他人の魂や精神、そういうモノに自分が感覚」

「…………」


 心当たりはあるようで、イーリスは沈黙する。

 ……ヘカーティアとの戦いを終えてから、ここまで。

 確かにイーリスには妙な変化が起こっていた。

 それが、彼女が持っている《奇跡》が進化した影響なのか。

 その要因ってのも、十中八九ヘカーティアに殺されたりとかその辺だろうな。

 ゆっくりと、シャレムが近付いてくる。

 間に立っている俺とボレアスの事は気にした風もない。

 《星神》が見ているのはただ一人、自らの次代となれるイーリスだけだ。


「普通、人間の知覚にはない多量の情報を得ては肉体や魂が耐え切れない。

 貴女の身に起こっていた不調もそう。

 未経験な情報を受信してしまっていたせいで、身体に負担が掛かってたのよ。

 けど、今は殆ど影響はないでしょう?

 元々大量の情報に触れる事に慣れていた、というのもあるかしら。

 何より、貴女の魂は人としては稀有な程に強い。

 魂の流転を司るこの私でも、滅多にお目にかかれないぐらいよ」

「……そりゃ、どうも。

 素直に喜べねぇけどな、この状況だと」

「どうして?」


 苦い声で返されると、シャレムは心底不思議そうに首を傾げた。


「これは素晴らしいことよ、イーリス。

 私にもしもがあっても、貴女が役目を引き継げば星の《摂理》は保たれる。

 人の身から、真正なる神である《星神》の名を継承できる。

 繰り返すけど、素晴らしいことなのよこれは」

「ンな話、急にねじ込まれても困るわ」

「それは――まぁ、そうよね。

 ええ、あり得ない奇跡だから、私も急ぎすぎたわね。

 大丈夫、すぐに結論を出す必要はないわ。

 けど」

「いや、お断りだよ。悪いけどな」


 本当に。

 本当にあっさりと、イーリスはシャレムにそう答えた。

 まさか、そんないきなり迷い無しで断られるとは思っていなかったのだろう。

 今度はシャレムの方が呆気に取られる番だ。

 ちなみに王様は、玉座で見物しながら笑いを堪えていた。


「……断る? イーリス?」

「断るに決まってんだろ、なんでそんな話を喜んで受けると思ってんだよ」


 ため息混じり、少し煩わしげにそう返しながら。

 イーリスは一歩前に出た。

 反射的に、膝を折ったままのテレサがその手を掴んだ。

 縋るように、引き止めるように。

 前に立つ事もできない不甲斐なさを、彼女は心底悔いているようだ。

 そんな姉の手に、イーリスは自分の手を優しく重ねる。


「っ……ダメだ、イーリス……!」

「大丈夫だよ、姉さん。

 オレだってレックスみたいな無茶はできねぇし。

 向こうだって、そう手荒い真似をする気はないみたいだからな」

「だが……!」

「……オレはレックスみたいにはできねぇ。

 神様相手に戦って、しかも勝ちをもぎ取るなんて。

 流石にそんな事は無理だし、無いものねだりをする気もないんだ」


 ただ、と。

 重ねた手を離して、イーリスは笑う。

 最高に男らしい笑顔だった。


「相手が神様だろうが王様だろうが。

 言いたい事ぐらいは言ってやらねぇとな」


 そして、彼女は更に前へと。

 俺やボレアスの間を抜けて、《星神》シャレムの元へ。

 その足取りに重さはない。

 イーリスは堂々と胸を張って、最も古き神の前に立った。


「イーリス、貴女は……」

「何度言ってもダメだ、オレは巫女になんかならねぇ。

 神様になるのはもっとゴメンだ」

「数千年――いえ、それよりも遥かに長い時が流れた。

 その中で、貴女と同じ資質を持つ者は一人もいなかったわ。

 一人もよ。それだけの重みと価値が、貴女の魂にはある」

「重さだの価値だの、そっちの都合でオレを値踏みするなよ。

 オレはオレだ。

 神様なんて身の丈に合わない、単なる人間だ。

 弱くてどうしようもなくて、それでもどうにか生きてる。

 そんな人間だからこそ、オレはオレでいられるんだ」


 シャレムの言葉は半ば懇願に近かった。

 数千年以上現れなかった、自分の役目を継承できる人間。

 神様の方も必死だ。

 世界とか《摂理》とか、重いモンを抱えてるのだから当然だろう。

 けど、イーリスはそれを笑い飛ばした。


「だから、悪いけど他を当たれよ。

 流石に興味ねぇんだわ、そういうの」

「……こちらも、そうと言われて簡単には引き下がれないの」


 シャレムもまた一歩踏み込む。

 イーリスは怯むことなくその場に立ち続ける。

 神様と人間。

 互いの望みをぶつけるように向かい合う。


「見ているだけで構わんのか?」

「一先ずはな」


 アウローラを撫でつつ、ボレアスの問いに頷く。

 とりあえず力技に訴える気配もなし。

 剣が必要なら躊躇なく手を出すが、そうでないならイーリスの手番だ。

 相手が大真竜だろうが、《人界》の神様だろうが。

 自分が納得しなければ中指をおっ立てる。

 本当にイーリスは凄い奴だよ。


「私は確かに真正の神、けど永遠に在り続けられる保証はない。

 私が消えた後、《摂理》を正しく回す次代の神は絶対に必要なの。

 そしてそれが可能なのはイーリス、貴女だけなのよ……!」

「だから興味ねぇってば。

 世界がどうのってのもそうだ。

 そんなもんオレ一人の手には余るし、背負いたいとも思わねぇ。

 自分の事と、後は姉さんの事。

 それぐらいで手一杯だし、それだけでオレは十分だよ」

「……《造物主》のせいで星は深刻な損傷ダメージを抱えている。

 《人界》は人類種を保護するのが目的だと、そう言ったでしょう?

 《巨人》の跋扈は止められず、鬼はやがて人間に代わる地上の支配種族になる。

 彼らは星を蝕みはすれど、育む事は決してない。

 今は遠くても、やがて終末は訪れる。

 《人界》だけはその時が来ても問題はないでしょう。

 けど外の世界には、そんな保証は何もない。

 それほど多くの生命が死滅すれば、《摂理》は正しく働かなくなる」

「…………」

「それが星の終わり、人の世の結末。

 後に残るのは、この限られた楽園だけ。

 私は生存の祈りに応えた神として、そんな事態になる事は避けたいの。

 だから、イーリス」

「アンタが正しい事は認めるよ、神様」


 手を握る。

 シャレムが伸ばしかけた手を、イーリスは握っていた。

 但し、一方的な形でだ。

 指を掴んで、向こうからは握り返せないよう。


「正しいよ、アンタは正しい。

 嘘を言ってない事ぐらいは分かる。

 アンタは本心から、世界の事を考えてる。

 そのために、人間のオレにだって頭を下げようとしてる。

 ……これまで会った神様は、誰も彼も程度の差はあれロクでもなかった。

 正直、アンタの事も似たようなもんだと思ってたよ」

「…………」

「けど違った、アンタは本当に良い神様だ。

 まぁセクハラされたのはまだ根に持ってるけどな」

「それについては何度でも謝るから」

「まぁそれは良いんだ。

 ……アンタが良い神様でも、オレは良い人間じゃない。

 悪いな、シャレム。

 オレは人間だ、人間で十分。

 姉さんと同じ――あと、ついでにそこのレックスともな」


 笑う。

 イーリスは少女のように笑って、それからシャレムの手を離した。

 正しさを認めた上での拒絶だった。

 口を開きかけて……しかし、シャレムは何も言えないようだった。

 それから、ため息を一つ。


「……分かった。一先ず、今は引き下がります。

 無理強いしても聞いてくれなさそうだし」

「いや諦めろよ、こんな良い感じに断ってんだから」

「嫌よ、私がどれだけ待ったのか貴女は知らないんだから。

 最悪、人としての天寿を全うするまでは待てるわ」

「おい待て、そりゃどういう意味だよ」

「ふむ、どうにも面倒な話になってきたな。

 なんなら先ほどの褒美の一部として、そちらの姉も神にしてやろうか?」


 諦めの悪い《星神》に、全力で拒否し続けるイーリス。

 何か横で王様がとんでもないこと言ってるけど。

 神にするって、そんな簡単な話なのか?

 流石に聞き捨てならなかったか、シャレムが王様の方を見た。


「陛下、そのように軽々しく言う事ではないでしょう。

 どうか自重なさって下さい」

「そういうお前も手ェ離せよ……!?」

「ハハハ。そんな事よりだ、シャレム」

「そんな事とか、簡単に流されては……」

「…………陛下。今、なんと?」


 ミネルヴァ?

 知らない名前だった。

 しかし、それを聞いたシャレムの顔色が変わった。

 王様の方は世間話でもするような気軽さで。


「断絶を突発し、海を越えて来たる者。

 《盟約》の大真竜であったか?

 その一柱が《戦神》を下し、どうやらこの《人界》を目指しているようだな」


 さらりと、とんでもない事を言い出した。


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