384話:戯れの終わり


 血。

 斬られたのは首だ。

 いや、「斬られた」ではない。

 今まさに、王様の剣は俺の首を切断しようとしていた。

 死神が触れる感触。

 それを感じ取った瞬間、世界が酷く遅くなった。

 あれだけ捉えきれなかった刃が、今この一瞬だけは見えている。

 誰かが俺の名前を呼んだ気がした。

 誰の声なのか。

 聞こえているが、頭がそれを正確に判別できない。

 けど、それが誰かは何となく分かる。

 俺が死ぬのが恐ろしくて、きっと泣いている彼女。

 ――しくじったら死ぬだけ。

 いつも俺自身が口にしている事だ。

 そう、しくじったら死ぬ。

 何をどう足掻いても、どうしようもなく死ぬ時は死ぬ。

 けど。


「死んでたまるかよ……!!」


 それは今じゃない。

 しくじったら死ぬし、死ぬ時は死ぬ。

 

 ゆっくりと流れる時間の中、俺は迷わず動いた。

 首に食い込んだ黄金の剣。

 一秒にも満たない時間で、俺の首を切り落とす死神の鎌。

 それに対して、俺は――。


「む……!?」


 僅かながらも、初めて王様から驚きの声が漏れた。

 向こうもその一刀が必殺であると確信していたのだろう。

 草でも刈る気軽さで振られた剣。

 それが、ほんの一瞬とはいえ止められたのだ。

 如何なる手段で俺が刃を防いだのか。

 その事実を確認するために、王様の意識がほんの少しだけ戦いから逸れた。

 そして。


「ふっ、ハハハハ!

 おい、まさかそんな真似を――!」


 それを見た王様は大笑いだ。

 別に難しい事は何もしていない。

 ただ、

 首の筋肉も限界まで締め上げながら。

 冷静に考えずとも無謀極まりない。

 しかし、死ぬ寸前の馬鹿力がほんの一瞬だけ剣を止める事に成功した。

 後はその「一瞬」に驚いた王様が、自分の方から手を止めたのだ。

 その時間は刹那にも満たない。

 それはどんな金銀財宝よりも価値のある瞬間だった。


「オオォォォォっ!!」


 吼える。

 剣は未だに首の筋肉で挟んだまま。

 王様に向けて片手で剣を振り下ろした。

 普通ならば、それは防げるタイミングじゃない。

 しかし相手は《人界》の王。

 不意打ち気味の一刀すら、向こうは完全に見えているようだった。


「今のは惜しかったなぁ!」


 あっさりと、俺の首元から剣を引いて。

 渾身の力を込めた刃はあっさりと弾き落とされた。

 届かない。

 余裕に見えて、王様は俺の剣には常に最大限の注意を払っている。

 古き竜を殺すために鍛え上げられた魔剣。

 この世で二つとない、唯一無二である一振り。

 王様にとってもそれは脅威なのだろう。

 だから当たらない、届かない。

 必殺のつもりで放った一刀さえも呆気なく防がれた。

 だから俺は、更にもう少しだけ踏み込んだ。

 剣は弾かれたばかりで、当然振るえる状態じゃない。

 王様の方も剣に警戒を振り分けていたせいで、反応が一瞬だけ遅れた。


「何……!?」

「オラァッ!!」


 体当たり。

 いや、むしろ頭突きかコレは。

 こっちの剣を弾いた直後で、王様は身体の正面が少しだけ空いていた。

 その隙間に捩じ込むような突撃。

 全身を鈍器に変えたつもりで思い切りぶち当たる。


「ッ――――!」


 それを受けた王様は、見事にバランスを崩した。

 もつれるように空白の地面に転がる。

 血が飛び散る。

 首は刎ねられなかっただけで、傷は相当に深い。

 生命が直に流れ出していく感覚。

 死神の手は、未だに俺の喉笛を掴んだままだ。

 遠からずに死ぬ。

 どうしようもなく死ぬ。

 けど、少なくとも今はまだ死んでない。

 転がった瞬間には身を起こし、頭で考えるより前に剣を握る。

 王様の反応はこっちよりも半歩遅い。

 想定していない攻撃を受けたせいだろう。

 ただ、人間の俺よりも王様の方が遥かに速い。

 半歩なんて文字通り一瞬で潰される差でしかなかった。

 世界の動きは未だに鈍いまま。

 死という断絶を前に、意識だけは加速する。

 或いは、それは精神とか魂の方に起こっている事かもしれない。

 分からない。

 全てが暗く沈むような錯覚は、《鬼神》の時にも感じた記憶がある。

 あと少し――あと少しで。

 時の流れが遅延した闇の中、俺は剣を振り上げた。

 黄金の輝きへと刃を向けて――。


「……ここまでだな」


 声。

 それは王様の声だった。

 剣は、振り下ろした後だ。

 刃は立ち上がりかけた王様の首の辺りに当たっていた。

 少しだけ。

 本当に少しだけだが、触れた切っ先に赤い血が滲んでいる。

 王様の方は剣を振るう直前で止まっていた。

 ……最後の一太刀。

 それだけは、俺の方が先に届いたようだ。


「もう少しお前に力が残っていれば、もっと深く斬り裂けたやもしれんな。

 惜しい――が、見事と言わざるを得まい」

「……っ、加減された上で、ようやくだけど、な」

「戯れと言っただろう?

 誇れよ、こんな真似は他の神々でもなし遂げられる者はいまい」


 上機嫌に笑いながら、王様は俺のやった事を偉業と讃える。

 賞賛自体は素直に受け取っておくべきだろう。

 ただ、やっぱり。


「……ちょっと、悔しいな。

 これじゃあまだ、アイツには勝てそうにない」

「身の程知らずの愚か者め。

 だが良い、挑み続ける在り方こそお前の本質であろう。

 ――格差を理解せよ。

 これがお前の挑むべき者の領域だ。

 少なくとも今は一太刀浴びせる事ができたのだ。

 であれば、次はさらなる先へと至ってみせよ」


 そう言って、王様は手元から剣を消した。

 戦い……いや、戯れは終わったのだ。

 俺の方も立ち上がろうとして、思いっきり失敗した。

 身体に力が入らない。

 そういえば、もうどんぐらい出血してるんだ?


「レックス!!」


 駆け寄ってくる小さな影。

 アウローラだ。

 いつの間にやら視界も上手く定まらない。

 うん、これは大分死にそうだ。


「レックス、待ってて、すぐに治療を……!」

「その程度ではすぐには死ぬまい。

 シャレム、癒やしてやれ」

「仰せのままに」


 ホントに何でも無い事のように。

 王様は《星神》シャレムに対して軽く命令する。

 シャレムの方は、まぁ色々言いたい事がある雰囲気だったが。

 それを今は呑み込んで、すっと俺とアウローラの傍へとやってくる。

 治療のため、魔法を行使しようとしていたアウローラ。

 シャレムはそんな彼女の手を抑えて。


「問題ないわ。任せて」


 ただ一言。

 そう口にした瞬間には、全て終わっていた。


「……ん??」


 死神の手がいきなり遠ざかった。

 最初に感じたのはそれだった。

 全身を苛んでいた痛みも。

 血を流し過ぎたためな寒気も。

 その全てがいきなり消え去っていた。

 ……確認のため、首の辺りに触れてみる。

 ない。

 首を切断されかけた傷。

 そんなものは最初から無かったように、跡形もなく消えていた。


「何か問題は?」

「いや、大丈夫。ホントに助かった」


 確認するシャレムに、俺は頭を下げた。

 アウローラの魔法とか、あとは賦活剤とか。

 これまで経験した治療や回復とは、感覚がまったく異なる。

 死に至る要因を、全て直接取り除いたというか。

 神様の力ってのは凄いなと、改めて実価した。


「っと……?」


 痛みは消え、体力の方も万全だ。

 立ち上がろうとして、それはまた失敗した。

 アウローラだ。

 彼女は力の限り俺に抱き着いていた。

 角度的に顔はよく見えない。


「アウローラ?」

「……ごめんなさい」

「別に謝るような事は何もないだろ」

「何も……何も、できなかった。

 貴方が死にそうなぐらいに戦ってるのに、私は、何も……」

「…………」


 少しだけ。

 本当に少しだけ、返す言葉に悩んだ。

 アウローラが謝る事じゃない。

 王様のワガママに、俺が勝手に応じただけの話だ。

 《黒銀の王》との戦い。

 その予行練習に丁度良いと思ったからだ。

 全部俺がやったことで、他の誰にも責任なんてない。

 ただ、それをどう正しく彼女に伝えるべきか。

 上手い言葉は思いつかなかった。

 だからそのまま抱きしめ返すことにした。

 背中を撫でて、頭も撫でる。

 泣きそうな顔が目の前に見えた。


「大丈夫だ」


 一言。

 本心からそう言って。


「いつも助けられてるし、さっきも声は届いてた。

 おかげでどうにか死なずに済んだ。

 だから、大丈夫だ」

「…………うん」


 一応は納得してくれたようだ。

 それでも王様の威圧に呑まれて動けなかった事実は重いようで。

 落ち着きはしても、アウローラは俺に抱き着いたままだ。

 とりあえず片腕に抱え直して、改めてその場に立ち上がる。

 傍で眺めていたシャレムがそっと吐息を漏らした。


「貴方も大変そうね」

「そっちと違って可愛いから、そう苦でもないぞ」

「……なるほど、それは大きいわね」

「おい、何やら大変不敬な話をしていないかお前たち」

「陛下の考え過ぎではないかと」


 王様からのツッコミを、シャレムは慣れた様子で受け流す。

 まぁまぁ満足した様子で、王様はまた玉座に戻った。

 と、視線をこちらから外して。


「戯れは終わりだ。

 故、そう身構えずとも良いぞ」

「うっ」


 言葉を向けた先はイーリスだった。

 戦い始める前ぐらいは、確かに姉と二人で殆ど腰が抜けていたはず。

 テレサは未だに立ち上がれてない。

 が、イーリスの方は両足を震わせながら立っていた。

 その様を眺め、王様は愉快そうに笑った。


「最悪、自分が我に殴りかかる気だったか?

 愚かしいほどの無謀さだが、その気概だけは称賛しようか」

「……ンなもん嬉しかねぇよ」

「イーリス……!」

「構わんぞ、別にお前の妹を咎める気はない。

 むしろ、その強き魂の在り方に敬意を。

 王たる我が威光を浴びても折れてすらいないのだからな。

 その稀有なる輝きを損なわぬ事だ」


 震えるテレサに向けて。

 王様は上機嫌に言ってから、「さて」と一つ呟いた。


「戦士よ、改めて見事と言っておこうか。

 王たる我が身に傷を付けたこと。

 戯れではあるが、それは勇者にのみなし得る偉業よ。

 胸を張って誇るが良い」

「そりゃどーも」


 まぁ、実際にがんばったとは思う。

 できればもうちょいがんばりたかったが。


「退屈を紛らわすには十分過ぎる働きであった。

 故に褒美を取らせよう。

 先ずは断絶の境を越えて、元の大地に戻る方法だったな」


 ようやく、こっちの望んだ通りの本題に入れる。

 抱き着いたままのアウローラを撫でながら、軽く安堵の息を漏らす。

 ここまでかなり大変だったし、何なら戻った後も大変だろうが。

 とりあえずは一区切りかと――。


「……お待ち下さい、陛下」


 思った矢先。

 話を遮ったのは《星神》シャレムだった。

 王様の方も僅かに訝しんで。


「なんだ、シャレム。小言の類なら後にせよ」

「それは勿論後でいたします。

 しかし今はそれよりも重要なことが御座います」

「ほう? なんだ、申してみよ」

「……一体、何の話だ?」

「分からん」


 首を傾げるイーリス。

 よく分からん以上は黙って聞いているしかない。

 ……何となくだが。

 どうにも嫌な感じの空気だ。

 こちらの様子は気にせず、シャレムは恭しく頭を垂れる。


「申し上げます。

 足り得る資質を有する者を、私は見出しました」

「……それは真か、《星神》シャレムよ」

「偽りなく」

「? 星の巫女??」


 初めて聞く単語だった。

 とりあえず、神様的には重要な意味があるのだろう。

 適当な態度だった王様も、それを聞いて明らかに雰囲気が変わった。

 そして。


「巫女となり得る者は――あちらの娘です」


 《星神》シャレムが指し示した人物。

 それはイーリスだった。


「……はぁ?」


 まるで意味が分からない。

 呆気に取られた顔で、当の本人は素っ頓狂な声を上げた。


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