383話:王の力


「陛下!」

「お前はそこで黙って見ていろ、シャレム」


 制止する《星神》の声を軽く受け流して。

 玉座から腰を上げた王様は、軽い足取りで空白の世界に降り立った。

 重圧。

 ただ其処にいるだけで、全てを押し潰す圧倒的な存在感。


「っ……!」

「姉さん……!?」

 

 テレサとイーリスは耐え切れずにその場に膝を付く。

 イーリスの方が支えようとしたが、姉妹のどちらも跪いてしまう。

 アウローラとボレアスの方は何とかギリギリ堪えているようだ。

 ただ、こちらもまともに動けない様子だった。


「おい、長子殿……!」

「うるさいわね、分かってるわよ……!」


 この状況をどうするのか。

 焦りを強く滲ませるボレアスに、アウローラは掠れた声で応じる。

 分かっている。

 どうにかしなければならない事は分かっている。

 しかし。


「繰り返すが、戯れだ」


 

 《人界ミッドガル》の王。

 星の運行を司る始原の精霊たちと契約した者。

 神々の頂点に君臨する絶対者。

 どうしようもない。

 余りにも隔絶した存在の強度に、アウローラの表情は絶望に染まっていた。

 戯れと、王様本人は言っているが。

 例えば竜の戯れに、ただの人間が付き合わされたらどうなるのか。

 そんなものは考えるまでもなく明白だ。


「流儀はそちらに合わせよう。

 最悪、致命傷を負う羽目になっても問題はないぞ。

 死ぬ前に生き返らせる程度の事は、我にとっては文字通り児戯に等しい。

 あぁ、ただ――」


 笑う。

 王様は笑っていた。

 それは酷く残酷な笑みで。


「あまりにも期待外れであったなら、それまでよ。

 王は慈悲深いが、それにも限度はある。

 その歪な魂を、そのまま《摂理》に還してやるのも慈悲かもしれんがな」

「ッ……!」


 退屈だったらそのまま殺して捨てると。

 あまりにも分かりやすい発言に、アウローラは総身を震わせた。

 《星神》シャレムは何も言わない。

 王様に黙って見ていろと命じられた以上、そうするしかないのだろう。

 ――どうしようもない。

 テレサとイーリス、ボレアスにアウローラ。

 誰も彼も、王様がただそこに立っているだけで何もできない。

 格が違うなんて、そんな言葉じゃ生温い。

 根源的で絶対的な格差を王様は見せつけてくる。

 だから、まぁ。


「っ……レックス……!?」


 俺ががんばるしかないワケだ。

 剣を構えて、動けないアウローラたちを後ろに庇う形で前に出る。

 うん、正直キツい。

 俺の方にも重圧は容赦なく襲ってくる。

 それを気合いで捻じ伏せて、戯れを望む王様の前に立つ。

 そんな俺の姿を見て、相手は心底愉快そうに笑った。


「ハハハハハハ、楽しませてくれるな。

 大体の者は平伏すばかりで終わりなのだが」

「おう、楽しんで貰えてるなら何よりだ。

 で、しんどいからもう終わりで良い??」

「いやいや、何を言う。もう少しばかり付き合え」


 ですよね。

 軽い口調で言ってから、王様はその右手を虚空にかざす。

 現れたのは「剣」だった。

 白金に輝く刀身と、黄金に煌めく柄。

 それはこの世のどんな宝石よりも美しい剣だった。

 あと、何だか覚えのある気配がするな。

 何となくだが、アストレアの《神罰の剣》に似ているような……。


「やはり良い目をしているな。

 この剣は我が権能の一部。

 アストレアが《裁神》の位と共に同じものを継承しているな」

「あ、やっぱり?

 つーかナチュラルに心読める感じかな?」

「王たる我が目は全てを見通す。当然その程度のことはできるとも」


 うーん、すげーな王様。

 で、確かこっちの流儀に合わせるとも言ってたよな。


「うむ、我はこの『剣』のみを使おう。

 お前の方は何をしても構わんぞ、戦士よ」

「終了条件とかは?」

「我が十分に満足するまでだ」

「了解。がんばるわ」


 よし、と。

 王様は満足げな顔で頷いた。

 輝く剣を右手に持って、相手も緩く構える。

 佇まいだけ見れば、剣の心得があるようにはまったく見えない。

 しかし。


「では、簡単に終わってくれるなよ」


 消えた。

 ほんのコンマ一秒前まで、少し離れた場所で剣を構えていた王様が。

 視覚も聴覚も、触覚も。

 肉体的な感覚は全て王様の存在を見失う。

 辛うじて働いた直感だけが、ギリギリのところで身体を動かす。

 衝撃。

 剣を何もない方向に構えた直後、天地がいきなり逆さまになった。

 世界が真っ白いせいで、上下左右が混乱する。

 兎も角、構えた剣ごと吹き飛ばされた事だけは認識できた。


「ほう、反応したか。実に見事だ」


 立て直すよりも早く、頭上から声が落ちてきた。

 やはり反射的に剣を上に向ける。

 今度はふっ飛ばされなかった。

 但し振り下ろされた一刀を受け切れず、思いっきり叩き潰された。

 甲冑の護りも殆ど関係がない。

 全身の骨と肉がギシギシと軋みを上げる。


「レックス……!」

「おい、アレやばいだろ!」

「大人しくしていなさい。

 王は戯れと言ったのだから、大丈夫よ。

 …………多分、だけど」


 俺の名前を呼ぶアウローラの悲痛な声。

 怒りを滲ませるイーリスの抗議。

 不安を隠しきれない言葉は、《星神》シャレムのものか。

 音は遠いが、まだハッキリと聞こえる。

 身体の方も何とか動く。

 できればそのまま大の字にぶっ倒れたかったが、その衝動も堪えた。


「ッ……死ぬわ、マジで……!」

「ふむ、まだ動けるか」


 ゴロゴロと。

 叩き潰された状態から、どうにか地面(?)を転がって脱する。

 既に終わったものだと考えていたのか。

 王様は剣を右手にぶら下げながら、呑気にそれを眺めていた。

 立ち上がり、改めて剣を構える。

 たった二度。

 二度の攻撃を受けただけで、身体はもうズタボロだった。

 もし直撃していれば、それだけで即死していたかもしれない。

 ……思い出すのは、以前に出会った別の超越者。

 あの黒銀を纏った少女の事。

 王様から感じる絶対的な力の格差は、あの時に感じたモノに近かった。

 

「我の方が上だぞ」

「うん?」

「お前の考えている者――今は人を器とした《黒銀の王》とやらだが。

 あれは大地の神霊が化身ではなく、直接実体となった特級の例外。

 確かに、格で言えば我と比較して遜色はなかろう」

「なるほど?」

「が、今の奴は悪神――《造物主》と相対した時とはまた異なる。

 同格と言えど、力の強大さは我の方が上だ。

 そこは勘違いしてくれるなよ」

「アッハイ」


 正直、どっちも化け物過ぎて違いが良く分からん。

 良く分からんが、やはり王様はあの《黒銀の王》と同格らしい。

 つまり、どう足掻いても勝ち目はない。

 戦うという発想がそもそも間違っているような相手だ。

 その事実を認識した上で、思う事は一つ。

 ――


「……やはり面白い男よな」


 俺の思考を見透かして、王様はニヤリと笑う。

 獣のように獰猛で、人のように凶悪な笑顔だった。


「《人界》の王たる我に対して、と考えているな?」

「あぁ、流石にちょっと失礼だとは思ってるけど」

「構わん、今だけは許そう。

 戯れを求めたのはこちらの方だからな。

 ……あぁ、しかしだ。人の戦士よ

 お前は本気で、あの《黒銀》に挑むつもりか?」

「あぁ」


 迷いや躊躇いはない。

 どうあれ、あの黒い少女剣士とはいずれ戦う事になる。

 それは確かな予感だった。

 《大竜盟約》だとか大真竜だとか。

 その辺りの事情や理由を全部抜いても、必ず戦う相手だと。

 特に根拠もなしに、俺は自然と確信していた。

 こちらの答え聞いて、王様は声を上げて笑い出す。


「ハッハッハッハッ!

 無知と嘲るべきか、無謀と讃えるべきか!

 愚かさも貫いたならば勇気と呼べなくはない。

 いや、お前はそんな特別な考えは何もないのであろうがな」

「まぁ、そうだな」


 頷く。

 王様の言う通り、何か特別な感情があって挑むワケじゃない。

 そんなもので戦うには、あの《黒銀の王》は強大過ぎた。

 ただ、そう。

 強いて理由らしきものを言葉にするなら。


「――前にいっぺんボコボコにされたからな。

 次に戦う時は、きっちりリベンジしておきたいんだよ」


 負けっぱなしじゃ格好が付かないしな。

 特に、アウローラが見てる前では。


「ハハハッ!!

 よもやそんな理由で大地に等しき神威に挑むと!?

 良いぞ、愚か過ぎて腹がよじれるわ!」

「楽しそうで何よりだ」


 戯れとしては悪くない感じだな。

 向こうはそれなりに満足げな顔をしてるが、こっちはこれからだ。

 剣の柄を強く握りしめる。

 刃を正面に構えて呼吸を整えた。

 王様に動きはない。

 金色に煌めく剣は右手にぶら下げたまま。

 こちらが挑んで来るのを待っているようだった。


「侮っていると、そう憤るか? 戦士よ」

「いいや」


 それすら挑発だろうが、気にせず首を横に振る。

 侮るも何も、最初から差は分かり切ってる。

 先手を譲ってくれるのならむしろラッキーだ。

 だから、相手の気が変わらぬ内に。


「――――!!」


 踏み込んだ。

 吼える自分の声が上手く聞き取れない。

 同様に、さっきまでは耳に入っていたアウローラたちの声も遠くなった。

 空白の世界。

 その中心に君臨する王。

 意識を刃先のように鋭くする。

 限界以上の力を総身に漲らせ、俺は剣を振り下ろす。

 王様は手にした剣を無造作に掲げた。

 殆ど力が入っているようには見えない。

 それでも、渾身の一刀は黄金の刃に容易く止められた。

 弾かれる。

 体勢を崩さず、一瞬の間も置かずに二の太刀を繰り出した。

 当然のように防がれた。

 王様は笑みを浮かべたままこちらの剣をあしらう。

 弾かれ、防がれても止まらず。

 ひたすらに刃を重ねる。

 当たらない。

 届かない。

 間を隔てる絶対的な格差を考えれば、それは当然の結果だった。


「芸がないぞ、戦士。この程度か?」


 そう嘲るように言って、王様は剣の刃を閃かせる。

 防御ではなく攻撃。

 光の線が走ったとしか見えない一刀。

 それを、俺は回避した。

 直感だ。

 避けなければ死ぬという勘が、ほんの薄皮一枚だけ早く肉体を動かした。

 王様は剣を振り抜いた姿勢のまま。

 その状態であるにも関わらず、隙はまるで見当たらない。


「ッ――!!」


 構わず剣を横薙ぎに打ち込む。

 竜の鱗さえも切り裂く、魂喰らいの魔剣。

 その一刀を、黄金の剣が真っ向から弾き落とした。

 剣を振るまでの過程がまるで見えない。


「今のもなかなか見事だったぞ。

 そして当然、これで終わりではあるまい?」

「当たり前だろ……!!」


 笑う王様に、俺は声を絞り出して応えた。

 その間にも黄金の剣閃が虚空を刻む。

 感覚の外側から飛んでくる刃。

 それを勘だけでギリギリ捌き続ける。

 当然、全部を避けられるワケがなかった。

 アウローラが仕立ててくれた特別製の甲冑。

 大抵の攻撃は防いでくれるはずの装甲が、紙切れみたいに斬り裂かれる。

 刃先が皮膚を掠めるだけで激痛が走った。

 コイツはなかなかしんどいな……!


「どうした、口ほどにもないではないか!」


 俺の振るう剣は、逆に王様には当たらない。

 どれほど刃を重ねても、相手はそれを軽々と弾いてしまう。

 戦いと呼ぶには絶望的過ぎる状況。

 それを最前線で眺めながら王様は笑っていた。

 こっちは構わず剣を構える。

 確かにヤバいが、まだ首も手足も繋がっている。

 相手の剣は見えないが、勘を頼りに半分ぐらいは躱すことができた。

 こっちの攻撃が届かないのは、まぁ何とかなる。

 ならなきゃ死ぬだけ。

 つまり、いつもと何も変わらないってことだ。


「……死を前に、生に執着せぬか。

 諦めとはまた違う。

 しかし悟っていると言うには俗過ぎるな」

「別に聖人ってワケでもないからな!」

「我としては逆に好ましく思うぞ。

 清廉だの清浄だのは、この《人界》にはありふれたものだ」


 言葉を交わしながら刃がぶつかる。

 あっさり力負けしてふっ飛ばされるが、即座に立ち上がった。

 眼前にはもう黄金の剣が迫っている。


「死せる運命に抗うその命。

 灰と成り果てても消えぬ炎の真価、この王の前で示してみせるが良い」


 避けられない。

 笑う王様の声に応える暇もなく。

 鋭い痛みと共に、真っ赤な血が噴き出した。


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