第二章:原初の王

382話:拝謁


 人間、と。

 何故自分でもそんな事を言ったのか分からない。

 ただ、何となく。

 本当に何となくそう思ったのだ。

 今も黄金の玉座にある、その超越者を見た瞬間に。


「レックス……!?」


 いきなり何を言ってるのかと。

 動けずにいたアウローラが、焦った声で俺の名を呼んだ。

 まぁ、そうだよな。

 アストレア辺りが聞いたら、間違いなくブチギレそうな発言だ。

 《星神》シャレムは無言で頭を垂れたまま。

 肝心の王様の方は――。


「ハハハハハハハハハハハっ!」


 不思議と大笑いしていた。

 最高の冗談を聞いたと言わんばかりの爆笑ぶりだった。

 てっきり、不敬だとかでキレるかと思ったが。


「良い良い、多少の無礼は許すと言ったばかりだろうよ」


 笑いながら王様は軽く手を揺らす。

 うん、どうやら怒ってはいないらしい。


「これが意味のない勘違いであるのなら、この場で罰を下したところだがな。

 戦士よ、どうやらお前の目は物事の本質を良く捉えているらしい。

 ならば礼を失した事ぐらいは赦そう」

「えーと……ありがとう御座います、で良いのか?」

「なるほど、元よりあまり礼儀を知らぬと見える。

 ハハハ、まぁ良かろう。

 他の者らも、畏まる必要はないぞ。

 この男のように楽にせよ」

「……そういう事なら、お言葉に甘えて」


 警戒は解かず、アウローラはどうにか声を絞り出した。

 楽にせよ、と王様は言っているが。

 放つ存在感や重圧は特に変わらないのだ。

 ボレアスは未だに立ち竦み、姉妹はどうにか意識を保つのがやっとだ。

 俺は何とかがんばって王様の方を見ていた。

 やっぱ初見時の印象は変わらない。

 その存在が強大過ぎるせいなのか、目で見える姿は何処か曖昧だ。

 同時に感じる、魂を貫くような強烈な意思。

 そんな中に混じっている、俺やテレサ、イーリスと同じ「人間」の気配。

 ……この王様がどういう存在なのか、ちょっと混乱してきたな。


「お前の目は正しいぞ、戦士よ」


 愉快そうに笑いながら、王様は俺に語りかけてきた。


「陛下」

「戯れだ、シャレム。

 自らの目で正しきものを見出したのだ。

 このぐらいの褒美は構うまい」


 《星神》が咎める声を上げたが、王様はそれを軽く受け流す。

 いや、多分シャレムの方も「一応形だけ」って感じだ。

 どうせ言っても聞かないが、立場上は言わざるを得ないと。

 ホントに大変そうだな、あのポジション。


「名乗ろうか、異邦の旅人たちよ。

 とはいえ、口にすべき名は最早意味をなさない。

 ――我こそはこの《人界》の創造主にして君臨者。

 古き世の終わりを見届けた、唯一無二たる最後の王。

 それこそが我だ」


 玉座からは動かず、王様は詩のように自らを明かした。

 《人界》の創造主。

 古き世の終わりを見届けた、最後の王。

 やっぱりとんでもない存在なのは間違いなかった。

 ただ、「俺の目は正しい」という発言。

 それが勘違いでないのであれば……。


「アンタは、人間の王様なのか」

「そうだ。その通りだ、戦士よ。

 死の運命を覆された、愚かで哀れだが勇敢なる者よ」

「……そりゃ一体、どういう意味だ……?」


 呟くように言ったのはイーリスだった。

 姉のテレサとお互い支え合う形で、彼女は辛うじて声を上げた。

 それを見て、王様はまた愉快そうに笑う。


「ハハハ、もう声を出せるようになったか。

 良いぞ、なかなか気骨があるな。

 そして娘よ、褒美としてお前の疑問に答えよう」

「……陛下、お戯れは程々に」

「たまの暇潰しぐらい目を瞑れよシャレム」

「…………」


 笑う王様に、シャレムはため息ひとつ。

 俺の方は、警戒を続けるアウローラの手を少し強く握っておいた。

 握り返す細い指が、微かに震えている。


「我は《人界》の王にして神々の王。

 古き三柱の神と、我との拝謁を経て神の力を得た七柱の半神。

 それら全ての頂点に君臨しているのが我だ。

 だが、そう。

 我は王ではあるが神ではないのだ」

「……それは、つまり言葉通りの意味なんだな」

「理解が早いな、戦士よ。

 少しばかり昔語をしてやろう。

 それは次元の境を越えて、神を騙る邪悪なる者がこの地に現れた時だ」


 神を騙る邪悪なる者。

 それは間違いなく《造物主》の事だろう。

 かつて何が起こったのかは、大まかには聞いた覚えがある。

 現れた《造物主》によって、かつてあった世界は尽く滅ぼされた。

 それから。


「《造物主》の傍若無人な振る舞いに、星はこれ以上なく怒った。

 故に大地から偽神を討ち滅ぼすため、黒銀の《焔》が立ち上がった。

 《造物主》と《焔》の戦いは熾烈を極めた。

 巻き込まれる形となった人間たちは、そのまま儚く滅び去るしかない程に」

「それで《人界》は創られた、って話だよな?」

「その通りだ。滅びに瀕した人間たちは、みな例外なく祈った。

 『滅びから救って欲しい』と切に願い続けた。

 本来であれば、それは何の意味もない行いのはずだった。

 しかしそれらの祈りを一つに束ね、星に捧げた者がいたのだ。

 星の運行を司る、真の意味での神々。

 始原たる精霊たちとの接続に成功した者がな」

「…………それが、つまり」


 絞り出すように、アウローラが呟いた。

 彼女は、目の前の王様がどれだけ凄まじい存在なのか察したのだろう。

 俺の方は「何かめっちゃ凄い」ぐらいのふわっとした理解だ。

 アウローラの声に、王様は満足げに頷く。


「そう、我だ。

 星の魂たる始原の精霊たち。

 我はあの日、その全ての神々と契約を交わし、彼らの権能を授かった。

 その大いなる御力により、万民の願いと祈りを現実に出力した。

 それこそが《人界ミッドガル》だ。

 此処は魔導などという技術で再現された擬似的な異界とは異なる。

 星の精霊たちの力を以て、我が創り上げた小宇宙。

 かつて地上にあったはずの古き理想の世界。

 その再現こそが、この《人界》の本質に他ならない」

「…………」


 王様の語る言葉は難解で、馬鹿な俺は全て分かったワケじゃない。

 ただ、アウローラは完全に絶句してしまっていた。

 ボレアスの方も似たような反応だ。

 イーリスは……多分、俺と同じぐらいの理解度な気がする。

 王様は元々は人間で、星の精霊たちと契約してこの《人界》を創った。

 ……うん、それだけ分かれば問題ない気がするな。


「当時の世界と人類は、大いなる者同士の戦いで酷く疲弊していたわ」


 と、黙って跪いていたシャレムが控えめに口を開いた。


「星の環境はこれ以上なくボロボロ。

 《造物主》と《焔》が去った後も、大地には《巨人》と鬼が跋扈していた。

 人類が生存を維持するには、滅びた世界は余りにも過酷過ぎたわ」

「故に我は《人界》を創世した。

 鬼も《巨人》も入ること叶わぬ理想郷。

 人が種族として滅びる事なく生き続けるための楽園だ」


 特に誇るわけでもなく。

 シャレムにしろ王様にしろ、それをただ事実として語った。

 それは間違いなく偉業だった。

 恐らくは他に並ぶ者なんていない程の。


「だが、全ての人類をこの《人界》に招いたワケではない」


 そして王様は、自分からその事について触れた。

 荒野は人間が生きるには過酷すぎる。

 それは間違いない。

 しかし現実に、荒野で生きている人間もいるのだ。

 俺たちみたいな大陸の人間も、元を辿れば同じのはずだ。

 イーリスは訝しげに王様を見た。


「それは、どういう意味なんだ?」

「言葉通りだ、娘よ。

 《人界》には一部の人間だけを招き入れた。

 一応の基準はあるが、それをお前たちに語っても意味はあるまい。

 選ばれた者は楽園の門を潜り、そうでない者は荒野に残された。

 その結果により、民の祈りに基づく王と神の契約は果たされたのだ。

 後にとある神が、荒野に生きる者たちのための揺り籠を望んだ。

 故にその者に《庭》を創造する権利を与えたがな。

 我にとって、それは行う必要のない『余分』に過ぎん」


 それは王として果たすべき契約には含まれていないと。

 冷淡な声で王様は言葉を切った。

 必要のない余分。

 《人界》の創造が完成し、その内側に人々を招き入れた。

 それ以上は不必要だと冷たく突き放す。

 当然の流れとして、イーリスは感情に火を灯してしまった。


「……なんだよそれ。

 それじゃあ、アンタは助ける事も出来たのに。

 そいつらはわざと見捨てたって事か?」

「そうだ。

 我は全ては救わぬ事を選んだ。

 やろうと思えば人間を余さずこの《人界》に収める事もできたがな」

「ッ、だったら……!」

「ところで娘よ、お前の目にこの《人界》の人間はどう映った?」

「は?」


 激情を口に出しかけたイーリス。

 それを王様は、あくまで冷静な声で遮った。

 《人界》に住む人々。

 その営みを眺めただけで、きちんと言葉を交わしたワケじゃない。

 ただ、その印象は――。


「……穏やかで、他人に敵対する事もない。

 欲望とか、その手の感情を取り除いているのだっけ?

 率直に言えば、彼らは家畜にしか見えなかったわね」


 言葉に詰まったイーリスの代わりに。

 どこか皮肉まじりな声でアウローラが応える。

 それに対し、王様は一つ頷いた。


「あぁ、その認識は正しい。

 あの者たちは家畜とそう大差はない。

 満たされた楽土であるこの《人界》において、不相応な欲望は必要ない。

 病はなく、彼らは健やかに生きてやがて老いて死ぬ。

 ただそれだけを繰り返す、それがこの《人界》における生命の流転サイクル

 滅びから救われたいと、そう願った人々の祈りそのものだ」

「…………」

「さて、強き娘よ。

 お前はそんな《人界》をどう思う?

 まさに人が夢見た楽園であると、諸手を上げて賛美するか?」

「そ、れは……」


 答えられない。

 いや、イーリスの答えは決まっているはずだ。

 王様の眼は、彼女の心を見透かしていた。


、そう思うだろう?

 人間は縄に繋げて飼育される牛馬とは違うと。

 その魂には尊厳があり、意思と精神は諦めなければ屈する事はないと。

 ――まったくその通りだ。

 強き輝きを宿す娘よ。

 お前ならば、例え死する直前にもその気高さを失う事は無いだろう。

 誇るが良い、それこそが人間の真の在り方だ」


 嘘偽りのない王様からの賛辞。

 皮肉の類ではない。

 本当に、心の底から王様はイーリスのことを讃えていた。

 俺もまったくその通りだと思う。

 しかし、賛辞を受けるイーリスの表情は苦い。

 彼女の方も、王様の言いたい事が分かったのだろう。


「……ここにいる人間たちは。

 アンタが救うことを選んだ奴らは、全員家畜だと。

 そう言うのかよ」

「失敬な、流石にそこまでは言わんぞ?

 ただ、誰もが誇り高い狼としては死ねんというだけの話だ。

 例えそれが繋がれた牛馬と同じであったとしても。

 理不尽極まる滅びを前にしたならば、生存の祈りを捧げる者が殆どだ。

 故に王たる我がその願いを束ね、星と契約を交わした。

 種の存続と繁栄のための最低限度の保証。

 それを実現するこそが《人界》の真実だ」

「…………」


 王様の答えを聞き、イーリスは沈黙した。

 言いたい事はごまんとあるはずだ。

 ただ、それを王様にぶつけても意味が無い。

 多数が「そうあって欲しい」と祈った生存の願い。

 王様はそれが結果的に「人間」らしさを削ぐ事になると分かっていた。

 分かっているからこそ、敢えて全てを救わない事を選んだ。


「……陛下の力と、始原たる精霊の化身である三神。

 私たちなら、人類全てを等しく救済する事もできるでしょう。

 けど、神が人を完全に救ったとして、そこに人の存在する意義はあるのか。

 私たちは、何もかもを救うべきじゃない。

 酷ではあるけど、私は陛下の判断を支持します」


 《星神》シャレム。

 彼女は王様に頭を垂れたままで呟いた。

 《神官長》がこぼしていた「限界」という言葉の意味。

 アレはではなく、って事か。

 確かに、それは間違いなく正しい理屈だ。

 俺も反論するような言葉はないし、それはイーリスも同様だった。


「……まぁ、その辺りの御高説は、私は余り興味はないわ」


 つまりどうでも良いと。

 そう言外に切って捨てたのはアウローラだ。

 未だに王様に気圧され気味だが。


「話が終わったなら、いい加減に本題に入っても良いかしら?」

「あぁ、良かろう。悪神の娘。

 愚かな父に似て傲岸不遜。

 そして醜く悍ましいが、美しい魂の持ち主よ」

「……嬉しくない褒められ方ね」 


 王様の賛辞に、アウローラは不快そうに眉根を寄せた。


「それで、王たる我に何を望む?」

「大陸――私たちが元いた大地への帰還。

 王である貴方なら、海を渡り断絶の境も越えられると聞いたわ」

「あぁ、容易いことだ。

 王の力を以てすればな」

「じゃあ頼めるか?」

「まぁ待て、そう急くな」


 これで戻れるかと、そう考えてホッとしたが。

 微妙に嫌な感じで笑いながら、王様の方が待ったをかけた。

 跪いている《星神》が身動ぎをして。


「お戯れはほどほどに願います、陛下」

「まだ何もやっておらんだろうが。

 むしろやるのはこれからだ」

「陛下」


 制止の言葉をサラッと聞き流す王様。

 何をする気なのかと、そう考えた矢先――。


「そう、これは戯れだ。

 王とはこの《人界》の礎。

 故に玉座たるこの《炉心》からは離れられん」


 重圧が強まった。

 王様が、玉座から立ち上がった。

 ただそれだけで、まるで深い水底に沈んだみたいに。

 立ち上がった王様は、俺たちを見下ろして笑っていた。


「つまり、我は娯楽に飢えている。

 さぁ戦士よ、王の退屈を見事に紛らわせてみせよ。

 その結果次第で、お前たちの望みも叶えてやろう」


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