幕間1:《雷帝》と《戦神》


 黒い稲妻が世界を引き裂く。

 星の表面に編み込まれた物理法則。

 それらを焼き切りながら襲い掛かる雷は、途方もない脅威だった。

 例えそれが神であったとしてもだ。


「ッ……!!」

「アハハハハハハ!!」


 哄笑を響かせるのはイシュタル。

 高い空に立ち、矢の如くに黒雷を放ち続けている。

 まるで小技か何かと勘違いしそうだが、暗黒の稲妻は一つ一つが必殺。

 下位の真竜ならば、一発まともに喰らっただけで魂ごと焼き焦がされるだろう。

 ――魂を焼く炎。

 同じ大真竜たるゲマトリアが《邪焔》と名付けた力。

 或いは、《鬼神》の権能たる青褪めた炎。

 根本となる原理は異なれど、性質としては同じものだ。

 そしてイシュタルが操る力は前者と同質。

 発露している力の形状は、炎ではなく雷だが。

 触れただけで万物を焼く黒き稲妻。

 イシュタルはそれを棍棒か何かのような気軽さで振り回す。

 尋常な相手ならば、とっくの昔に消し炭となって果てているはずだ。

 しかし、相対するのは尋常ならざる《戦神》。

 表情に焦りを浮かべながらも、戦いの神は黒い雷を掻い潜る。

 その動作はこれ以上なく洗練されたものだ。


「どうしたの、逃げてばかりじゃお話にならないわよ!!」


 挑発を叫び、侮った態度を崩さない。

 が、実際のところは違う。

 口ではそう言いながらも、イシュタルは決して《戦神》を下に見てはいない。

 なにせ必殺であるはずの黒雷を、既にこれだけ捌かれているのだ。


「言われるまでもないわね……!!」


 軽い口調で返しながら、《戦神》の槍が閃く。

 物理法則を無視し、如何なる物質も灰に変える黒雷。

 どんな武器や防具でも防げないはずのソレを、《戦神》の槍は叩き落とす。

 雨も同然に降り注ぐ稲妻を、槍一本で全て防ぐのは不可能。

 槍で払えなかった分は、《戦神》が纏う黒い外套が受け止めた。

 果たしてどんな力が働いているのか。

 雷は外套にふわりと包み込まれると、そのまま跡形もなく消えてしまう。

 戦いが始まってから、既に何度か見た光景だ。

 イシュタルは未だにその原理を測りかねていた。


「面白い手品ね。

 神っていうのは大道芸人なの?」

「ま、ちょっとした芸みたいなものっていうのは否定しないわ」


 安い挑発には、当たり前のように軽口を返してくる。

 イシュタルに焦りはない。

 単純な力の規模なら自分が圧倒的に上回っていると、そう理解しているからだ。

 《戦神》はここまでひたすら防戦一方。

 攻めるような素振りも時折見せるが、基本的にはブラフだ。

 ――多分、持久戦が狙いでしょうね。

 攻撃が尽く防がれ、それに焦って更に大火力を重ねる。

 それを繰り返し続ける事で、こちらが疲弊するのを待っている。

 《戦神》の考えてる作戦はそんなところだろうと、そうイシュタルは判断した。

 だが、それは無謀な策だと《雷帝》は嘲る。

 《大竜盟約》の序列四位。

 彼女の有する力の規模は、例外たる《黒銀の王》を除けば盟約でも最大規模。

 大陸の全天を呑み込む《嵐の王》さえも上回る。

 実力と経験で、彼女よりも上位に位置するオーティヌスとウラノス。

 彼らでさえも力の総量ではイシュタルの後塵を拝するのだ。

 《古き王オールドキング》でも屈指の力を持っていた父と。

 《十三始祖》の一人であった半神たる母。

 本来ならば子など望めるはずのなかった両者。

 その二人の間に生まれた愛の結晶――奇跡の子。

 他の大真竜が、英雄たる人間と強大な《古き王》の魂の融合体であるのに対して。

 イシュタルだけが生まれ持っての大真竜。

 古竜と半神、双方の性質を備えた唯一なる魂を持つ者。

 ゲマトリアよりも年若い身でありながら、《盟約》の四位に立つその力。

 それは《人界》の神すら圧倒するほどだった。


「きっついわね……!!」


 事実、《戦神》は追い詰められつつあった。

 単純な力の規模だけで言えば完全に圧倒されている。

 これが悪神の眷属相手なら、《戦神》には《光輪》の権能があった。

 偉大なる王より与えられた、悪神の力を退ける聖なる加護。

 相手の方がどれだけ強大でも、《光輪》が有効であるなら無関係だ。

 神が敗北する道理はない。

 しかし。


「痛っ……!」


 黒い稲妻が《戦神》の腕を僅かに掠めた。

 途端に走る激痛。

 薄い皮膚の上を焼かれた程度だが、それでも痛みは凄まじい。

 肉体ではなく魂を焦がす痛み。

 当然、《光輪》は機能していなかった。

 大陸――海を渡った向こうにある、断絶された大地。

 そこを支配するのは、竜と呼ばれる悪神の眷属であると。

 《戦神》は《星神》シャレムから聞かされていた。

 ならばその力は《光輪》によって遮断されて然るべきはず。

 しかし現実は異なる。

 イシュタルの放つ黒雷に《光輪》は働かず、確実にその身を蝕んでいた。

 その理由について、《戦神》も予想はついていた。

 ――混ざってるわね、この子。

 混ざっている。

 何がどう混ざっているのかまでは分からないが。

 恐らくは純粋な悪神の眷属ではないのだろうと、そう《戦神》は看破した。

 《光輪》も悪神の力を全て弾くワケではない。

 それが一定の「純度」に満たなければ機能しないという欠点があった。

 この大地にはびこる鬼や《巨人》なら、基本そんな事は起こらないのだが。

 イシュタルは《始祖》と《古き王》の混血という特級の例外。

 故に《光輪》が機能不全に陥るという、本来あり得ない事象が発生していた。


「ま、それならそれでやりようはある……!」


 自らを鼓舞する意味で、《戦神》は小さく呟く。

 相手は遥かに強大、《光輪》も正しく力を発揮しない。

 絶望的な状況だ。

 それを事実と認めながらも、《戦神》の心は決して折れてはいなかった。

 戦いようは幾らでもある。

 なにせ彼女は戦いの神なのだから。

 力の差は大きいが、なす術もなく圧殺される程ではない。

 護りに専念すれば凌ぐことはできる。

 だからこのまま相手の消耗を待つ持久戦――は、《戦神》は考えてはいなかった。

 最初はそれも考慮したが、それでは無理だと即座に見切った後だ。

 既に戦いが始まって、それなりの時間が経過している。

 イシュタルが降らす黒雷の勢いは、最初から今に至るまで全く衰えていない。

 外見からも疲弊や消耗の気配は読み取れなかった。

 対して、防戦に専念しても《戦神》は確実に削られている。

 このまま続ければ、どちらが先に力尽きるかは火を見るより明らかだ。

 故に持久戦を狙うのは悪手。

 なら一か八かで攻める事も考えたが、それもまた悪手だ。

 攻撃を捨てて防御にのみ集中する事で、今の状況がギリギリ成立している。

 それを単純に捨てて攻めに出ても、一発で消し炭にされるのがオチだ。

 イシュタルはそれほど甘い相手ではない。

 《戦神》は互いの戦力を冷静に分析していた。


「……何か狙ってるみたいね?

 けど無意味よ、全部。

 私と貴女の間にある格差は、とても埋まるようなものじゃないわ。

 それなりに強いんだから、当然理解はできてるはずでしょう?」

 

 そして、それはイシュタルの側も同じだった。

 互いの有する力の格差。

 《戦神》が防戦を続けても、いずれ必ず先に力尽きる事。

 全てを理解した上で、イシュタルは笑っていた。

 

「…………」


 対する《戦神》は、沈黙していた。

 軽口を返す余裕もない。

 間断なく襲って来る黒雷の嵐。

 その中で、ギリギリの死線を渡り続ける。

 余裕はない。

 あるかどうかも分からない刹那の勝機。

 それを掴み取るために、《戦神》は極限まで集中しているからだ。

 ――切り札はある。

 黒い稲妻を払い落とす槍。

 《戦神》はそれを強く握り締めた。

 《人界》を脅かす敵を討ち滅ぼすこと。

 それこそが《戦神》たるミネルヴァに認められた権利。

 その権利を執行する際にのみ使用を許可される彼女の権能。

 名を《大神殺しガングニール》。

 今ミネルヴァが振るっている愛槍こそが、その権能の具現に他ならない。

 普段は単なる不壊の特性を持つ名槍。

 しかし一度権能執行の許可が出れば、その刃には大いなる力が宿る。

 《人界》の敵を討ち滅ぼすため。

 宿る力の本質は、

 複数の神々の力を束ねたその威力は絶大だ。

 イシュタルが《戦神》を上回る存在であろうと関係ない。

 《星神》を含めた五柱の神。

 それらの力が宿る《大神殺し》を受ければ必滅あるのみ。

 ――ただし、発動を許されるのは一度きり。

 加えて、槍が神威を帯びるのはその刃にのみと限定されている。

 外せばそれまで。

 故に《戦神》は耐え続けた。

 《大神殺し》を確実に当てる、その一瞬を見極めるために。


「……何を考えてるのか知らないけど」


 呟くイシュタルの声は酷く苛立っていた。

 一片の勝機もありはしない。

 にも関わらず《戦神》の眼は諦めていない。

 それがイシュタルにとっては酷く不愉快だった。


「無駄よ、無駄。全部無駄!

 私の攻撃を防ぐだけで手一杯。

 しかもそれすら満足にできていないじゃないの。

 これでもまだ勝機があるなんて、本気で信じられるわけ?」

「…………」


 《戦神》は応えない。

 挑発じみた言葉を吐く間も、黒い稲妻は荒れ狂っている。

 大地は引き裂かれ、世界は焼け焦げていく。

 その中心であるイシュタルだけがまったくの無傷だ。

 力は無尽蔵で底が見えない。

 これ以上なく絶望的な状況でも、《戦神》は諦めていなかった。

 《大神殺し》を叩き込む一瞬。

 それを待つために、削られながらも耐え続けるのみ。

 ――何かある。

 苛立ちながらも、冷静な部分ではイシュタルも正しく理解していた。

 具体的には不明でも、自分に届き得る切り札があると。

 少なくとも、この防戦一方の状況では使えないのだとイシュタルは見抜いていた。

 使えるのならさっさと使えば良いはずだ。

 間合いを詰める必要があるのか、何かしら条件があるのか。

 そこまでは分からない。

 分からないが――。


「……どうでも良いわね」


 呟く。

 イシュタルはそう言ってから、右の腕を高く掲げた。

 瞬間、世界が軋んだ。

 これまでは矢のように降らせていた黒い雷。

 それをイシュタルは、掲げた右手の上に収束させていく。

 ただでさえ凄まじい熱量を持つ稲妻が複数。

 圧縮されて、一つの形を成していく。

 その形状は――。


「…………槍、ね。

 なかなか分かりやすい事をするわね」

「あら、嫌だったかしら?」


 嘲るようにイシュタルは笑う。

 《戦神》が言葉にした通り。

 イシュタルの手には、黒い雷の槍が握られていた。

 長さは担い手であるイシュタルの倍以上。

 本物であるなら、馬上ですら振り回すのは難しそうな大槍。

 イシュタルが持つのは、あくまでその形に圧縮しただけの黒雷だが。


「わざわざこっちに合わせてくれたのかな」

「どういう代物かは知らないけど。

 お前の切り札はその槍の何かなんでしょう?

 縋っているのが見え見えだもの」


 わざとらしいぐらいの嘲笑。

 嘲りながらも、イシュタルは《戦神》の様子を観察していた。

 今の言葉の半分以上は当てずっぽうだ。

 《戦神》が諦めず、まだ勝利を狙っている事は分かる。

 それが槍なのかまでは確信には至っていない。

 権能が発動するその瞬間まで、《大神殺し》は頑丈なだけの槍に過ぎない。

 ……反応を見るためのハッタリでしかない事。

 《戦神》も当然分かっていた。

 力の差は歴然でも、積み重ねた年月と経験は《戦神》が上。

 子供の浅知恵などお見通しだ。

 だから、無視して言葉で煙に巻くのは容易い。

 が、ミネルヴァはそうはしなかった。

 彼女は戦いの神だからだ。


「――御名答。

 貴女が見抜いた通り、この槍こそ私の権能。

 《戦神》ミネルヴァが誇る《大神殺しガングニール》」

「…………」


 最初、イシュタルは訝しげな表情を見せた。

 語る言葉に虚飾はない。

 槍が本命であることは真実だと、《戦神》が口にしている通り。

 それをわざわざ明言する意味などないはず。

 少なくとも、イシュタルはすぐには理解できなかった。

 むしろそれを侮りと感じ、不快感を露わにする。


「やっぱり、私のことを舐めてるみたいね。お前」

「逆よ。対等――いいえ、貴女の事を打倒困難な脅威と認めてる。

 認めているからこそ、全力で応じたいだけ」


 笑う。

 紛れもない窮地だからこそ、《戦神》たるミネルヴァは笑った。

 敵は強大で、《大神殺し》を当てる事以外に勝機はない。

 その上で、相手――イシュタルはそれを正面から捩じ伏せようというのだ。

 策を弄して確実に槍を当てる事もできるだろう。

 だが、それをして何が《戦神》か。

 槍を握る手に力を込め、ミネルヴァはイシュタルを見上げる。


「白黒つけましょうか。

 貴女の槍と私の槍、どちらが上なのかをね」

「……くだらない。結果なんて分かり切ってる」


 応えて、イシュタルもまた掲げた黒雷の槍を強く握った。

 相対する両者。

 互いが手にした力の圧に世界が歪む。

 ――そして。


「――――!!」


 叫ぶ。

 果たして、それはどちらが発した声か。

 黒雷の槍と大神の槍。

 二つの激突が、周囲の空間を破壊的な渦に呑み込んだ。

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